福島県における地域医療のあり方を考える
………医療システムの構築を目ざして
ALS(筋萎縮性側策硬化症)闘病17年を振り返って
2005.02.05
渡部典子
●私の姉(美智子)は現在54才でALSという進行性の神経難病で人工呼吸器を着
けて在宅療養中です。発病してから17年、人工呼吸器を着けてまもなく2年になります。私はその介護にあたって丸4年になりました。
私たちの住む金山町は福島県の西部に位置し隣接の町には只見町や三島町などがあります。人口約3000人の過疎の町で冬は積雪が3mにもなります。金山町の中でも私たちの地区は特に雪の多いところです。かかりつけ医の竹田綜合病院までは距離で80km弱、車で1時間半ほどかかります。
●今日は地域医療利用者の立場から、以下の順番でお話しさせて頂きます。
1.発病から人工呼吸器を着けるまでの経過
2.金山町で順調に在宅療養ができている理由
1)主治医と保健所の連携での基盤作り
2)金山町の地域性
3)人工呼吸器メーカの対応
3.今後の不安と要望
不安 1)主たる介護者が介護できなくなった場合の不安
2)災害時の不安
3)地元診療所の医師不足の不安
要望 1)専門の知識や技術を持ったボランティアを養成して戴きたい
2)外出時の車(リフトカー)の確保が困難
3)ページめくり機を日常生活用具給付事業の対象にして戴きたい
4.結び
1.発病から人工呼吸器を着けるまでの経過
●S63年、姉が38才の時に右手の親指に力が入らなくなり、話し方ももつれるようになったので病院に行くようになり、翌年ALSと診断。
●ALS・筋萎縮性側策硬化症という当時は聞いたこともない難しい病名で、しかもあと1〜2年で食べることも飲むこともできなくなると。3年〜5年の寿命だと言われました。当時姉が住んでいた群馬県高崎市でかかりつけだった国立高崎病院では入院を拒否されました。これから先、どうすればいいのか全然見通しのないまま姉の病気は進んで行きました。物が持てなくなり声も出難くなりました。そして、一人で歩くのは難しくなりました。ついには仰向けに転倒して一人では起き上がれないようになり、発病から3年程で高崎の家族の元を離れて金山町の実家に戻って両親の介護を受けるようになりました。
●それから10年近く両親が行なってきた姉の介護は重労働で本当に大変なものでした。
●姉が実家に戻って2年近く経って、ようやく私達家族に光りが見えてきたのは日本ALS協会の存在を知ったことでした。今は亡くなりましたが、当時事務局長だった松岡さんにお会いして初めて、ALSという病気の実情を知りました。
●入院できる病院もなく不安に思っていた私達に松岡さんは『会津若松の竹田綜合病院に吉村菜穂子先生というALSにとても熱心な先生がいらっしゃるから、是非、そこに行ってみなさい。ALS患者を寝たきりにさせないという考えの先生ですから。』とおっしゃったのです。
●そしてH6年から竹田綜合病院で診て戴くようになりました。それからは“患者同士の交流会”等にも参加したり、会津保健所さんの計らいで吉村先生と理学(作業)療法士さんの同行訪問などもあって姉の生活は徐々に変ってきました。
●同じ年に松岡さんは足で打つワープロを送って下さいました。その頃の姉は手の指には力が入らなくなっていましたし、子供達に電話をしても、舌の筋肉の萎縮で言葉が通じなくなっていたので、これで子供や友達に手紙が書ける、自分の思いが伝えられると本当に喜んでいました。
●人工呼吸器はH15年4月に着けました。病院まで車で1時間半もかかるへき地の金山町で、今はお陰さまで順調に在宅療養しています。それにはいくつかの要因があります。
2.金山町で順調に在宅療養ができている理由
@主治医と保健所の連携での基盤作り
人工呼吸器を着ける2年前に気管切開をした時から、いずれやってくるであろう人工呼吸器装着後の在宅療養について吉村先生と会津保健所会津坂下支所の方が着々と準備を進めて下さいました。
金山町の関係者には数回にわたって自宅に集まってもらったり、我が家の帰り道には地元の診療所にも立ち寄って打ち合わせをして下さいました。いよいよ人工呼吸器を着けるようになって入院している時には、主治医は吉村先生から石田先生に変わりましたが在宅療養上の実際の管理を見てもらうために町の関係者に病院にも来てもらい、きめこまかな打合せのもとに、その体制を整えて下さったのです。
●おかげで今は竹田綜合病院から石田先生が毎月1回往診して下さり、カニューレの交換、人工呼吸器の回路の交換、胃ろうの交換など全体的な管理をして戴いております。その間のカニューレ交換は地元の診療所からの往診で対応して戴き、安心して生活しております。
A金山町の地域性
今はヘルパーさんに毎日、朝の1時間来て頂いてトイレ介助と清拭をお願いしています。訪問入浴は週2回、冬場も同じ回数で実行して頂いています。訪問看護師さんにはカニューレの交換に合わせて月2回来て頂き、気持ちよく生活しています。金山町は人口が少ないということもあり、我が家に出入りされている皆さんは『どこどこのお嫁さんだとか、奥さんだとか』ですぐに気心が知れるようになり、できるだけ姉の希望に沿うような介護や看護を前向きに前向きに考えて対応して下さっていて本当に有り難いことと思っています。
B人工呼吸器メーカーのフジ・レスピロニクスさんの対応
メーカーさんなんだから当たり前と言ってしまえばそれまでなのですが、とにかく我が家は雪の多い所にあって、大雪の時などは一晩に50〜60センチも積もってしまいます。また、国道から500メートルも入り込んでいる上に、その途中には只見川にかかっている橋があって幅も狭く、老朽化もしているので皆さんに敬遠されがちの橋なのです。郡山から来られるというその会社で大丈夫なのか。初めは不安もありました。
でも、真冬の大雪の時、ちょっとしたトラブルがあり、夜の7時頃電話をしたところ、
『これからすぐ伺います』との返事でした。心配しながら待っていますと、車が雪で半分も埋まりながら夜10時頃駆けつけて下さったのです。今はこの会社なら大丈夫だと安心して過ごしています。
以上のような経過の中で現在は順調ですが、これから先の長い闘病生活を思った
時、不安や要望などもいろいろあります。
3.今後の不安と要望
≪不安事項≫
@私が介護できなくなった場合、代わりの介護者がいないことへの不安
人工呼吸器を着けている姉の介護は、痰の吸引が必要なので24時間離れられません。ですから姉の介護に必要なことは吸引ができることと、口の動きや文字盤でコミュニケーションが取れることが基本です。そして人を呼ぶためのコールは命綱なので絶対に付け忘れが無いように注意することと、人工呼吸器の取り扱いを覚えることが必要です。
頭の位置、顔の向き、手の置き場、足の置き場、あそこがかゆい、ここがかゆい、暑い、寒い等、全て口の動きと文字盤でやりとりします。ただ、口の動きを読み取るにしても、舌の筋肉の萎縮もありますので、慣れないとなかなか難しいです。
これら全てに対応できるのは、私と母以外には訪問看護師さんです。この方が来て下さった時だけが私の唯一のリフレッシュタイムです。
ヘルパーさんは文字盤でのコミュニケーションはできますが吸引はできません。これからトレーニングを開始して頂く方向に向かっていますが、実際に姉の吸引をして頂けるようになるのはいつ頃なのか未定です。
毎日訪問して下さっているヘルパーさんが吸引ができるということになれば、単なる家族の負担軽減だけでなく、姉自身の考えが『私でなければならない介護』から『私でなくても構わない介護』に意識改革ができるのではないかと思っています。そして、そのことは私の代わりの介護者が出来やすくなるのではないかという期待感も持っているのです。
ですから、ヘルパーさんの吸引の実施については早急に進めて頂けるようお願いします。
A…災害時の不安
去年の10月の新潟中越地震の時、我が家も新潟との県境に近いので家がギシギシ音をたてて揺れました。姉をベットの上から押さえて、じっとしているだけで何にもできませんでした。新潟では電話も携帯も使えなくて、怪我人や病人は自家用車で病院に連れて行ったとニュースで言っていました。我が家には姉を乗せられる車はありませんので、緊急避難する場合の場所、方法などの準備が全然できていません。会津のALSの会でも連絡網作りの提案しているようなので、そちらも進めて頂いて、私の方も関係者と打合せをしなければ思っているところです。
不安B…地元診療所の医師不足の不安
現在は40代の常勤医師が1名おられ、午前中は診療所内での診察、午後は遠隔地域への出張診療及び特別養護老人ホームでの診療、往診など一人でやられています。留守中の診療所内の診察は、近くの県立宮下病院から応援に来て戴いていますが、常勤医師が過労などで診療ができなくなった場合、姉の在宅療養は支障なく続けることができるのだろうかと不安になることがあります。
要望@…専門の知識や技術を持ったボランティアさんを養成して戴きたい
姉は人工呼吸器を着けてから世界が変ったように活動的になりました。以前から交流のあった竹田綜合病院の看護師さんに『新内さん、これからは行きたいところがあったら連れて行ってやるよ。一緒に出掛けようね』と言われていました。その言葉に甘えて、姉は早速、新潟で行われた日本ALS協会の全国大会へ一泊で参加しました。。翌年(去年)の春は秋田県大潟村にいらっしゃる日本ALS協会前会長さんのお宅訪問で2泊3日の旅も実現させました。秋には娘の結婚式で群馬県高崎市へ行って来ました。
新潟、秋田、群馬の旅は竹田綜合病院の看護師さん2人と会津保健所の運転手さんがボランティアで連れて行って下さったから実現したことです。人工呼吸器を着けたALS患者が泊まり掛けで出掛けるという事は、荷物の多さ、トラブルがあった時の不安など考えると家族だけでは到底不可能です。
秋田に行った時、先方の奥様に秋田でもこんなボランティアさんを育てたいから、この人達のことを詳しく書いてほしいと頼まれました。
姉は体は不自由でも病人とは思っていません。ふだんは意思伝達装置・伝の心を使って電子メール、インターネット、手紙を書いたり、文書を作ったりして過ごしていますし、季節が良くなれば車椅子で散歩にも行きます。年に数回、このようなボランティアさんの助けを借りて、交流会に参加したり遠出もできるとしたら、生きてる ことの喜びを存分に味わうことができるのです。
是非、専門の知識や技術を持ったボランティアさんの養成をお願いします。
要望A…外出時の車輌(リフトカー)の確保が難しい
人工呼吸器を着けて元気になりました。ボランティアさんもいます。夢はいっぱいふくらみます。でも、肝心の車が無くて行動が制限されたことが多々ありました。新潟、秋田、群馬の旅には竹田綜合病院のリフトカーをお借りしました。しかし、患者同士の交流会などがある時は、他の患者さんも竹田病院の車を利用したいと言われる人もいらっしゃるので、その交流会にはほとんど参加していません。毎年、新たに発病される患者さんがいて、ご本人もご家族もとても苦しまれているということをお聞きします。姉は自分自身が少しでも、そういった人達の励みになれるよう交流会に出席できるような車があればいいと常々言っています。
金山町にも町所有のリフトカーがあるので、本当ならそれを借りられれば一番いいのです。看護師さん達に私達を迎えに来て頂く往復3時間、送って戻る往復3時間が短縮されるのです。
ただ、町の車は通院のためのもので、それ以外の使用は許可されません。新潟、
秋田に出掛ける時など、再三にわたって交渉をして頂いたのですが規定が邪魔して認められないのです。
せめて、金山から会津若松間を通院以外でも使用できるように行政の方から働きかけて頂けないものでしょうか。ずっと思い続けてきたことです。
要望B…ページめくり機を日常生活用具給付事業の対象にして戴きたい
意思伝達装置・伝の心は今の姉の生活に無くてはならないものですが、ページめくり機も同様のものと思います。患者さんの手記など読ませたい本が沢山ありますし、日本ALS協会福島県支部では全国各地から送られる会報を県内の会員にコピーをして送って下さっています。どこの支部の会報もとても興味深くて、姉に読んで聞かせようとすると、姉は自分で読みたいと言います。その時は手で持って読ませますが、いつも忙しい私はそれをしている時間が無いので今はほとんど読ませていません。ページめくり機は姉の生活の幅をもっともっと広げてくれると思っています。
●最後に日本ALS協会山形県支部の会報の中の言葉と姉の言葉を紹介して終わり
にしたいと思います。
この病になったから何もできないのではなく、この身だからこそ日々果たすべき、しかも、できる仕事があるのです。それは貴方さまにだけ神様が与えられ、貴方さまにしかできない『人生を賭した仕事』です。
それを発見し、それを成し遂げて、魂の故郷へ還ろうではありませんか。
姉がこういう病気になったお陰で、沢山のすばらしい人達に出会えました。
姉は私に言います。『もし神様に昔のような元気だった頃の体に戻してやる代わりに、病気になってから出会った人達との関係は一切無しになるとしたらどっちを選ぶと聞かれたら、今を選ぶ』と。ALS患者は介護の環境も病気の状態も一人一人みな違いますし、それに応じて不安も要望も違うと思います。これからの医療システムの構築では、こういった難病患者の実情を理解して、さまざまな角度からのサポートのあり方を是非考えて戴けますようお願いします。