人間を日本で初めて材木に喩えた

「木材を見よ。人間も木目はなかなか変わらない。その木目が柾目ならば天井板にする、そうでなければ南天床柱のように床材にする。」

寛文62161666321 - 享保131191728228)は、江戸時代中期の儒学者思想家文献学者である。

元禄赤穂事件における赤穂浪士の処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣浅見絅斎などが賛美助命論を展開したのに対し、「義は自分を正しく律するための道であり、法は天下を正しく治めるための基準である。礼に基づいて心を調節し、義に基づいて行動を決定する。今、赤穂浪士が主君のために復讐するのは、武士としての恥を知るものである。それは自分を正しく律するやり方であり、それ自体は義に適うものである。だが、それは彼らのみに限られたこと、つまり私の論理にすぎない。そもそも浅野長矩は殿中をも憚らず刃傷に及んで処罰されたのに、これを赤穂浪士は吉良義央を仇として幕府の許可も得ずに騒動を起こしたのは、法として許せぬことである。今、赤穂浪士の罪を明らかにし、武士の礼でもって切腹に処せられれば、彼らも本懐であろうし、実父を討たれたのに手出しすることを止められた上杉家の願いも満たされようし、また、忠義を軽視してはならないという道理も立つ。これこそが公正な政道というものである」と私義切腹論を主張し、「徂徠擬律書」として上申。結果的に採択されるに至った。