【 ν猫ねこ帝国興亡記 】

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●第拾壱話   『 紫陽花(あじさい) 』
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   11
 
 
 時は○○暦150年。
 ここは極東皇国城。の中庭。
 
 変態……いや、紫朗ねこに教えてもらって行ってみると、中庭の美しく植え揃えられた紫陽花(あじさい)のかげに、彼女の後ろ姿が見えた。
 
 最後に狐さんに会ったのはいつだったろう。私が極東皇国から旅に出たっきり、彼女には一度も会っていなかった。……色々とすれ違いが重なったのだにゃ。
 私に気付くと、少し目を輝かせて、ふわりと駆け寄ってきた。彼女の美しさに多くの武将たちは心を奪われているのだ。
「……やあ、狐さん、久しぶりにゃ」
「神風猫くん。ひさしぶりだね」
 狐さんは、首を傾げて、神風猫を見上げた。眉が、せつなそうにひそめられていた。完璧だ。私は、そう思ったにゃ。狐さんの後ろには、雨上がりの中で揺れる紫陽花(あじさい)が咲き乱れ、彼女の顔を青白く見せていた。そのせいか、瞼(まぶた)の縁の赤みがいっそう引き立ち、彼女は、文句なしに可憐だった。にゃ。
 これなら、どんな武将も夢中になるだろうと、私は思った。彼女のすべては、無垢な美しさに満ちている。けれど、この世の中に、本当の無垢など存在するのだろうか。人々に無垢だと思われているものは、たいてい、無垢であるための加工をほどこされているにゃ。白いシャツは、白い色に塗られているから白いのだ。澄んだ水は、消毒されているから飲むことができるにゃ。純情な少女は、そこに価値があると仕込まれているから純情でいられるんだにゃ。もちろん、目の前の女の子は美しい。そのことに疑いの余地はない。けれど、何かが違うにゃ。私の好みではない何かが、彼女の美しさを作っていたにゃ。
「好き」
「にゃっ?」
 私は、一瞬、狐さんが何を言ったのか良く解らなかったにゃ。怪訝な表情を浮かべる私から目をそらさず、もう一度、彼女は言った。
「私、神風猫くんが好きなの。だから紫朗君とはつき合えない。それに、あの人、鱸乗りの変態だし」
「何の冗談にゃ!?」
 見る間に、狐さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。私は、すっかり動転していた。いったい、なんだって、こうなるにゃ。私は、こういう状況には、まったく慣れていないにゃ。
「私のこと嫌い?」
「そ、そんなことはないにゃ」
「じゃ好き?」
「……困ったにゃ」
 まさか、好きじゃないとも言えないにゃ。狐さんは、ポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐった。
「私には怖い人が、……いるにゃ」
「知ってる。うんと年上の人でしょ。私、割り込めない?待ってもいい。だって、ずっと、私、神風猫くんのこと、好きだったんだもん」
 待っててもいい。その言い回しが、私の好みではないのだにゃ。私は、待つ女など嫌いにゃ。もっとも、本当に狐さんが、私を待つとは思えないけどにゃ。
「私と、どう違うの?その人、年上なんでしょう。噂で聞いたけど、ものすごいタカ派なんでしょう?そんなのひどい。不潔だわ」
「あのにゃぁ……」
 狐さんは、傷ついた表情を浮かべながら、ハンカチで口を押さえていたにゃ。かわいい狐模様のハンカチにゃ。どうして、そんな仕草をするにゃ。そのハンカチをどけてみろと、私は言いたかったにゃ。ハンカチの下の唇が、どのように醜く歪んでいるか、見せてもらいたいものにゃ。
「狐さん、自分のこと、かわいいって思っているにゃ。自分を好きじゃない武将なんている訳ないと思っているにゃ。でも、それを口に出したら格好悪いから黙ってる。本当はきみ、色々なことを知っている。物知りにゃ。他の武将が自分をどう見るかってことに関してね。国取り武将がどういう女を好きかってことについては、きみ、熟知しているにゃ。完璧に美しく、けれども、完璧が上手く働かないのを知っているから、いつも、ちょっとした失敗と隣合わせになってることをアピールしているにゃ。……確かに、そういうきみに誰もが心を奪われているにゃ。だけど、私はそうじゃないにゃ。きみは自分を自然に振る舞うのになぜか武将の心を掴んでしまう、そういう位置に置こうとしているけど、私は心ならずも、という難しい演技をしているふうにしか見えないのだにゃ」
 狐さんは、無言で立ちつくしたきりだった。顔はいっそう青ざめていたが、もうそれは背後の紫陽花(あじさい)のせいばかりではなかった。
 
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「にゃぁ……待たせたにゃ。ν猫ねこのみんなの所に帰ろうか……」
 私はいつになく落ち込んだ様子で、クラウディオにむと天青ねこの待っているところに戻ってきた。
「神風猫ニム、どうしたニカ? 元気がないニダ」
 クラさんはそう言ってくれたけど、今は誰とも話したくない気分だった。
 狐さんはこれから脳筋帝国ヘ旅に出るらしい。今日は一日で多くの事がありすぎた。そして外交の目的も果たせなかった。私は心の底から疲弊しきっていたにゃ。
 
 ん? 天青ねこが少し醒めた目で私を見ているにゃ。
「天青ニム? 何か言いたそうな顔してるニダ。どうしたニカ」
 天青ねこはボソっと。
「……山田詠美さんに訴えられても知らないですよ?」
 
 余計なことを言うにゃっ。
 
 
  続く。