【 ν猫ねこ帝国興亡記 】

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●第拾参話  『 困惑、そして 』
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   13
 
 
 時は○○暦151年。
 ここは『脳筋帝国』のとある拠点都市。
 
 拠点と言っても前線ではない。カウンター要員の小部隊が滞在しているだけの街だ。数ヶ月前に陥落したままで、城壁以外の復興はほとんど行われていない。
 領民の多くは逃げ出したままなのだろう。閑散としている。
 
  時刻は夜。
 町の中心部より少し離れた所に、かつては裕福な人々が訪れたであろう高級宿がある。
 内装は華美に飾り立てられてはいないが、質素な中にも本物の持つ上品さを漂わせている。
 もっとも、今は持ち主もおらず、招かれざる客人の手によってめぼしい調度品は奪い尽くされ、また、遠く城壁から鳴り響いてくる増築の音が、前線の後方地であり、戦時中であることを告げている。
 ただ、ここ一階の大浴場だけは羽毛のように柔らかい湯気が、こんこんと沸き続ける水音(みなお)の奏(かな)でと共に、ひととき、そういった現実から逃避させていた。
 
 ”ふう ”
 妾(わらわ)こと、啓潤ねこは肩まで湯につかると小さくもらした。
 (これほどゆったりと湯浴(ゆあ)みするのは久しぶりじゃのう……)
 
 あれから妾は『唯月ねこ』と行動を共にしておる。
 一つ断っておくが、貴奴(きやつ)を信用しているわけではない。
 どうせ裸一貫で国を捨てた身じゃ、奴が何を企んでいるにしろ、失う物はない。奴の意図を知ってから手を切っても遅くはないじゃろう、と考えたのじゃ。
 ……いや、逆にあの怪しい男を利用し尽くすぐらいの気概がなければ、海千山千の強(したた)か者のベトコンのような神風猫に復讐することは叶わぬじゃろう。
 妾が失って困る物と言えばこの命ぐらいじゃ。
 じゃがそれこそ杞憂(きゆう)というもの。武将として生まれたからには、自分の身を守る術(すべ)は躰(からだ)の隅まで染み渡っておる。
 こうして湯浴みの時でさえ。傍(かたわ)らには―――
「おくつろぎのところ失礼いたしますにゃ……フヒヒッ」
 背後からの声と同時に、鞘(さや)の転がる音が浴場に大きく反響(こだま)する。妾が飛沫を上げつつ愛刀を抜いていたのじゃ。
 そして礼節を弁(わきま)えぬ痴(し)れ者に鋭い眼光を投げる。
「フヒャッ。これはこれは御気分を害されましたかな?」
 唯月は悪びれる様子もなく、無遠慮にじろじろと見ている。
 低く吐き捨てるように、
「早死にしたくなければとっとと失せい」
「まあま、そう、毛を逆立てずとも。朗報を持って参りましたのでにゃ。フヒッ」
「…………」
「先日お話しました『アレ』の事ですにゃ。ヒヒヒッ明日にでもお見せできるかと……見れば気分が晴れ渡ることは請け合いですにゃ。なんと言っても『アレ』は―――」
「―――話はそれで終わりか?」
 右手(めて)に構えた切っ先をもう一度絞り込む。
 唯月は態(わざ)とらしく肩をすくめると、からかうような呟きと共に去っていった。
「隠さずとも……なかなかお美(うつく)しゅう御座いますのに、にゃ。……げっしゃしゃしゃ――――」
 ――ハッとした。
 
 言われて初めて、弓手(ゆんで)で乳房を隠している自分に気付いたのじゃ。
 驚愕と屈辱、そして憤(いきどお)りが混然となって顔を紅潮させるのが分かる。
 唯月の足音が遠ざかるのと共に、程なくそれも消え去ったが、一片の困惑だけが剥がれ落ちずに残っていた。
 
 (……妾(わらわ)は……妾は……女を捨てた……はずじゃ…………)
 
 いったい何が引き金になったのだろうか。その心とは裏腹に、躰の芯からふつふつと昂ぶるモノが顔を覗かせてきた。
 少しづつ……ほんの少しづつ……
 先程の憤りとはまたちがう、ちがう種類のかぁっとした昂ぶるモノが……こみあげてきた。
 頑(かたく)なに否定する心の声をかき消すように、甘い期待が指先を誘(いざな)う。
 恐る恐る、沸きい出る中心に指を這わせる。
 ”ぁふっ ”と、自分でもしんじられぬほど甘い声が漏れた。
 幸いにも、恥ずべき言霊(ことだま)は水音(みなお)に紛れたが、妾自身の躰に自覚させるには十分だった。
 (し……痴れ者め……)
 その呟(つぶや)きは誰に向けてなのか。
 下腹部から沸き上がる甘美な疼きが、さっきよりも確実さを増してじわじわと広がって行く。
 堰を切ったかのように、薄桃色の奔流が躰を駆け回り、妾は不覚にもゾクッとしたのじゃ。
 ……そして、
 
 唇をきつく噛みしめ、押し殺した呻(うめ)きを漏らしながら……。
 あごをほんのすこしのけぞらし、余韻にふるえるながら……。
 飢えた躰を慰めつづけたのじゃった。
 
 
  続くの、じゃ……ああんっ。