(写真をクリックすると大画像になります。)
702 MS513R S53年式
画像は改修後のものとなっている。新車時には旧色カラーでシートのモケットも金色(黄土色?)
であった。実はこの車両、中学生の時大山登山の帰りに乗車した。12台梯団で、当時新車の
西工S型を始めこのフルデッカー、パノラマデッカー、西工の平屋根&数少なかった日野+帝国!
というすごい陣容であった。よき時代であった。 岡電岡南営業所にて H1.5.14撮影
1380 MS513R改 S54年式 1197 MS513N S53年式
備北バスにおいてR尺のフルデッカーTはこの1380だけであった。後者のN尺は4台在籍。N尺の方
を撮影した時、まさに瀬戸大橋開通景気で、貸切バスが全然足りない時であり、琴参バスと併せて10台の
梯団をくんでいた。1380:林原MPにて S62.8.3撮影 1197:岡山駅前にて H2.10.17撮影
F8767 K−MS61S S56年式 F8683 K−MS615S S56年式
未だファンの多い両備バスのフルデッカーUである。両車とも改修後の姿である。前車が一般貸切車
後者がサロン車である。外観の違いは固定窓・スイングドア・アルミホィールなど。ジャンボバスとエアロ
バスに挟まれた形となったので、両備バスにおいてもたった9台しか在籍していなかった少数派である。
F8767:大元営業所にて H1.3.15撮影 F8683:与島にて H2.5.27撮影
S269 K−MS613S改 S57年式
倉敷市交通局から移籍した車両である。倉敷市営の車両は、使い勝手が悪いのか、
定期観光や児島ボートの送迎に運用につくものが多かった。写真は、福山−児島ボート
の「急行無料バス」で、高速道を利用するためか「急行」とつけられていた。ちなみに、
倉敷市営時代の社番は252であった。 児島ボートにて H2.9.24撮影
253 K−MS615S S58年式 S360
この時すでに、エアロバスは発売されており、フルデッカーUと併売されていた。
この車両もその時の物であるが、合の子仕様(後述)にはなっていない。
前車は倉敷市営現役時代の物である。後車は下電バスに移籍した後、リフト車として改造された。
前: 倉敷駅前にて S63.8.21撮影 後: 下電興除車庫にて H7.10.5撮影
127 K−MS615S S56年式
この車両写真には、度肝を抜かれた。偶然、この頃撮影した写真を焼き増ししようとネガを見ると、
見覚えのない写真が写っているではないか。試しに、焼き増ししてみると、この車両であった!。
現像だけして、この一枚だけなぜかプリントしていなかった。西讃観光は現在、白とからしとこげ茶
色のカラーであるが、当時は、両備や淡路交通に似た色であった。画像ではわかりにくいが、リア
スタイルが旧型のようである。年式とプレートが一致していないので、移籍車と思われる。
岡山駅前にて H2.5.13撮影
1517 P−MS715S S59年式 リアスタイル(平和公園にて)
この車両は、フルデッカーUとエアロバスの過渡期に製造された合いの子である。ちなみに呉羽製。
型式はエアロバスのMS7系になっている。また、側面後部のパネルがエアロバスと同じ物が付いている。
フルデッカーUは三菱・呉羽共に同じスタイルで製造されているので、外観上の見分けは付けにくい。
広島バスにおいても2台しか在籍しなかった珍車である。 広島駅新幹線口にて H5.10.11撮影
1004 K−MS615S S57年式
日本交通はフルデッカーU大量保有ユーザーであった。車両統一を図るため、
モノコック車を大量に代替えしていたが、MSが早々とエアロバスにモデルチェンジ
してしまい、結果としてそのような状態になったと聞いたことがある。もちろん、
高速バスにも使用されていた。角目4燈が異彩を放っている。
雲山日交にて H1.4.9撮影
1204 K−MS615S S57年式
神姫バスにも、結構フルデッカーUがいたように感じる。画像の車両には、
社番が付いているが、車両後部に付いていたため写真からは読みとれなかった。
スイングドアからしてサロン車と思われる。 倉敷美観地区にて S63.8.21撮影
BF595 K−MS615S S56年式
大分交通のこのフルデッカーU、なんだか見覚えあるような・・・・・。実は両備バスからの
移籍車である。空港特急のエアライナーに使用されていた。移籍してからシートのモケット
は張り替えられた模様。 大分駅前にて H6.3.27撮影