井笠鉄道の「特急岡山−井原線」は、かつて貸切改造車や大型車が運用されていた。
私が小学生の時、当時の国道2号線を頻繁に運行されていた国鉄バスに混ざって、
疾走するB907Sの華やかな姿を見て、幼心にわくわくしていたのを覚えている。
しかし、近年の乗客減少は車両を小型化へと導き、さらに、方向幕からは「特急」の
文字が消え、当時の華やかさが消えてしまった。空気を運ぶ状態でありながらも毎日
走り続けたが、残念ながら路線は短縮され、井原から川崎医科大学までの運行に
なってしまった。岡山まで足を伸ばしていた在りし日の『特急岡山ー井原線』を紹介する。
(写真をクリックすると大きい画像になります)
*井笠鉄道の社番の見方*
例:Z9903 アルファベット(Z) :メーカー:Z・いすゞ、H・日野、F・三菱
数字上2桁(99):年式、西暦の下二桁。
数字下2桁(03):通し番号。 ということは、Z9903は、いすゞの車両で、1999年式の3台目。
Z7309 岡22か393 いすゞBU20 48年式 富士重工製
私がバスの撮影をやり始めてまもなくの頃の写真でまだ腕が悪かったのでぶれている。
当時、あまり古いバスは積極的に撮影してなかったので、今となっては非常に悔やまれる。
この頃はB9やB8がメインだったので、この車両はたまにしかでて来ていなかったように思う。
バス黄金時代の名残とも言える、井笠の大型車だった。
天満屋BTにて S62.8.7撮影
F7409 岡22か450 三菱B907S 49年式 三菱名古屋製
これです!これ。私はこのバスがとっても大好きだった。見ての通り、貸切車に後ろドアを増設した格下げ車で、
車内は赤茶色のシートモケットに、黒いシートカバーという珍しい配色であった。リクライニングはしなかったが、
車内はゴージャスに感じられた。しかも、岡山で三菱の平屋根のこのタイプはB8と相場は決まっていたが、
この車両はB9!しかもハイパワーのB907Sであった。300psのパワフルな走りが頼もしかった。
(左)井笠鉄道井原営業所にて H1.3.30撮影 (右)天満屋BTにて S62.5.8撮影
F7513 岡22か708 三菱B806N 50年式 三菱名古屋製
前出車と外観は、ほとんど同じだが、こちらはB806Nになる。230psなので、F7409とはパワーの差はなんと70ps!
一年違いでどうしてこうなったのだろうか、謎である。
倉敷駅前にて S62.6.21撮影
Z7905 岡22か1354 いすゞBU10K 54年式 富士重工製
なぜかこの車両もよく来ていた。写真では解りづらいですが、黒煙もうもうである。
井笠はどうもハイパワー車が好きなようで、この車両もBUシリーズのハイパワー仕様の−K付きである。
天満屋BTにて S62.6.21撮影
Z8403 岡22か2120 いすゞP−LT312J 59年式 富士重工製
井笠お得意の「小さい大型バス」。この車両はたまにしか運用されていなかった。
実はこの車両「オートマ車」であり、写真ではわかりにくいが、フロントに「AUTO MATIC」エンブレムが
誇らしげに付いている。エンジン音はまさに「ラフター」のあれである。
天満屋BTにて H7.7.9撮影
Z8601 岡22か2453 いすゞP−LV318M 61年式 富士重工製
なぜか、この車両1台のみぽつりと入っている。ご多分に漏れずハイパワー車。
この路線を意識してか、前後ドアでフルサイズ。なのにリーフなのはなぜだろうか。
B8,B9に替わって専用車としてがんばったが、もうこのころから「空気輸送車」。
いつの間にかこなくなり、どうしているのかなあと思っていると、福山で発見。
特急線退いた後は、ドル箱の井原−福山線で使用されているようであった。
このあいだの「井原鉄道」開通で今後の動向が気になる。大容量を生かせない不運な車両である。
写真は、まだ倉敷駅の表口のバスターミナルに乗り入れていたときの物である。
倉敷駅前(表口)にて S63.8.21撮影
H9013 岡山22か3183 日野U−RU3HJAA 2年式 日野車体製
岡山乗り入れ最終段階での主力車種であった。当時近鉄グループであるにもかかわらず、
いすゞと三菱だけであった井笠に、日野が登場したのは当然といえば当然であるが、
これも時代の流れなのであろうか。この車両はU−であるが、P−RU174AAも在籍している。
エアサスなのは嬉しいが床が板張りである。昔のバスの「におい」を思い出させる郷愁漂う車両である。
この車両から方向幕の「特急」の文字が消えてしまった。
天満屋BTにて H3.3.13撮影
H9012 岡山22か3182 日野U−RU3HJAA 2年式 車内にて H23.10.10日撮影
H9012は上記のH9013と同時に導入された兄弟車である。上記の記述に「方向幕から特急の文字が
消えた」と書いたが、なんと!特急表示の行灯が装備されていたのだ。しかも、特急運行がなくなってか
なり経つがこの行灯は撤去されることなく、そのまま残されていた。 H23.10.16追記
H9902 岡山200か・・48 日野KC−RR1JJAA 11年式 日野車体製
この路線最後のニューフェイスであった。しかし、見事なまでのダウンサイジング。
とうとう中型になってしまった。伝統の前後ドアもとうとう前中ドアになり、
この距離では辛いかなといった感がある。チボリ公園が出来、倉敷駅北口にバスターミナルが
作られたので、倉敷駅の駅前BTには入らなくなった。また、競合路線であったJRバスの矢掛線が
「井原鉄道」の開通により廃止になり、矢掛−倉敷間の新路線ができた。
倉敷駅前(チボリ公園口)にて H11.5.24撮影
写真と簡単な解説で、車両と路線の変化を見てきたが、いかがだったろうか。
バスを取り巻く環境の悪化が、この路線を見れば一目瞭然だと思う。
そんななかでも、大した減便もせず(6往復から5往復になっています)、停留所増設などの努力を重ねてきたが、
とうとう路線が短縮され、岡山駅乗り入れどころか天満屋にも顔を出せなくなってしまった。
岡山−井原間の県内高速バス開設を夢に見ていたのだが・・・・