修大バスに使用される車両は、13台の専用車と、予備車(といっても普通の路線車)
に分けられる。予備車は、広電北営業所の一部と、上大塚連絡所の車両を使用し、
例外として、臨時便や前期のみの運行便については、貸切車や高速車が使用されていた。
専用車は、外観が貸切マスク・メトロ窓といった貸切タイプだが、ホイールベースは短い4.8m。
仕様としては、サブ冷・エアサス・リクライニングシート・補助席が装備されていた。
ホイールベースが短いのは、狭隘かつ急カーブ・急傾斜が連続する過酷な路線である、
己斐峠を走行するためである。
ここでは、運行終了時に在籍していた専用車について取り上げる。
(写真をクリックすると大画像になります)
この車両は、型式こそREであるが、エンジンは、RE用のEB400ではなく、RC用のER200が搭載されていた。
そのため、険しい己斐峠もエンジンをうならせながら、軽快に走っていた。(しかし五月が丘の上りは弱かった)
サスも柔らかく、フルエアブレーキの「シュー」という音が心地よかった車両である。
修大バス引退後、しばらくの間アジア大会等の波動輸送用に残されていたが、ひっそりと消えていった。
しかし、「修大バス」として、純潔を守った車でもあった。
この車両は、日野初の縦置きエンジンを搭載した、全国的にもあまり普及しなかった車両である。
しかもトップドアで、貸切仕様ときたら、宇部市営と広電ぐらいであろう。縦置き故、
後部にデッドスペースがあった。このエンジン、排気量が9000ccしかないので、エンジン音がどことなく、
中型車っぽかった。とはいえ、エンジンは良く回るみたいで、このバスもうなりながら急坂をよくのぼっていた。
引退後は、アストラムライン大塚駅から、A−cityへのフィーダーバスに利用されたり、広島県西部の
貸切代替路線や路線バスに使用された。
この車両は、従来の横置きエンジンで、RCと同じER200型を搭載。この車両のみ、
なぜかリクライニングがフリーストップ式であった。デッドスペースもなく、快適な車両であった。
引退後は、しばらくの間、広島−呉間の「クレアライン」に使用されていたが、
その後、国道54号線の中距離用に使用されてた。
この車両は、高出力のEK200型(270ps)搭載。この馬力で、このホイールベースなので、
軽々己斐峠を走破していた。また、最後部座席が1段高く、見晴らしがよかったので、
格好の特等席であった。エンジンの吹き上がり音も軽やかで、快適な車両であった。
引退後は、こちらも「クレアライン」に使用されていたが、所属を転々とし最後は県内高速便に使用された。
この車両は、初代の修大スクール専用車である。10台在籍していたとのこと。
晩年は、路線用に改造されたり売却されたりしたらしい。
写真の車両は、養護施設のスクールバスとして使用されていた。
生涯「スクールバス」を全うした車両である。
社番21414 RE101 昭和53年式 この車輌が来るとハズレだと思っていた(笑) |
社番21657 RE101P 昭和54年式 同じREでもこちらはフワフワのエアサスだった。 |
社番29568 K-MP518K 昭和56年式 広電では少数派の三菱車 |
社番23799 P-HU275AA 昭和59年式 当時広電の主力のHU、修大バスでも活躍! |
社番29589 P-MP618M 平成1年式 修大バスの運用後そのまま本来の路線に戻る車輌。 |
社番33848 P-RU638BB 昭和60年式 前期のみの便や臨時便では貸切車が運用された。 |