修大バスのうんちく


1.私と修大バスとの出会い

私と修大バスとの出会いは平成3年3月。当時私は某国立大を目指して2浪の身であった。

しかし、夢破れ引っかかった大学は事もあろうにB&Bの漫才以来、心の中で敵対していた広島だった。

絶望感に打ちひしがれていたが、「一人暮らし」と「バス王国広島」という言葉がもくもくと現れ、

しかも学校には「スクールバス」があるという。このキーワードで、そのような感情はすぐに消えた。

そこで、部屋探しに広島に行ったとき、広島駅から大学へ向かうのに利用したのが初めてとなる。

入学より一足先に修大バスを利用したわけだ。

下宿先は、もちろん「修大バス」の利用を考えて、安古市線沿線に決定した。

以後、通学に、レジャーに(学校方面でなくても自由に利用できた)、暇つぶしに、

おそらく、学校一「修大バス」を利用したのではなかろうか。

2.修大バスのうんちく

・乗り方

修大バスのバス停は、各路線とも、路線バスと共用であった。まず、修大バスが見えると、

手を挙げて乗車の意志を見せる。するとバスは、バス停に停車し、乗車する。このとき、

自分の学生証を見せ、「お願いします」と一言かける。このとき、学生証を忘れたら、

「忘れました」と言えば大丈夫である。ということは、他大学の学生や一般人が、

「学生証を忘れた」と言って乗車できることになる。しかし、ドライバーはさすがプロ!

すぐ見破ってしまうのだ。

・降り方

学校へ向かうバスの場合、終点が学校なので問題ないが、授業が終わり、学校から乗車の場合、

降りるときは、運転手の所に行って、「***おねがいします」とバス停名を告げなければならない。

車両には、押しボタンなどついていないのだ。間合い利用で、路線バスが使用されていた場合でも、

押しボタンは利用できない。入学したての頃は、ちゃんとバス停名を告げていても、慣れてくると、

「つぎお願いします」と簡単になってしまう。意地の悪いドライバーは、「次というバス停はない」と言って

止まらなかったこともあったとか・・・。また、利用の多いバス停では、駆け引きもあった。

誰かが、止めてくれと言うだろうと、ぎりぎりまで言わないのだ。それでたまに乗り越すこともあった。

・まめ知識

その1

バスダイヤは、前期と後期とに分かれており、前期の方が多かった。

これは、後期になると、学校に来なくなる学生や、車で通学する学生が増えるため、の処置であった。

(当時、自動車通学は、届け出しなくてもよかったので、自由に車で学校に行けた。駐車場はまさに

「ジャンボ中古車市」だった。)

前期のみに使用される車両は、貸切車・高速車など、ロシアンルーレット的であったが、

まずはずれのない車両が使用された。しかし、学校近くのバス停になると、満員で乗車できなかった。

その2

試験の前後や、何か行事が行われるときは、臨時ダイヤがあった。

臨時ダイヤで使用される車両は、前述の貸切車とか高速車が使用され、スクールバスといえども

リッチな気分に浸れた。

その3

大学の学生・職員だけしか利用できない「修大バス」であったが、「大学祭」の時は、

一般の人も利用できた。普段乗ることのできない人にとって、修大バスに乗る唯一のチャンスであった。

その4

「修大バス」の利用は、学校への通学だけでなくてもよかった。つまり、自宅付近で修大バスの停留所があれば、

そこから、街に行き帰りができた。しかし、バスが来るのをしっかり見て手を挙げておかないと、

素通りされてしまった。また、休みの日には、日祝ダイヤになり、極端に本数が減っていた。


戻る