みやび妊娠後期  
 
 
 

妊娠後期、妊娠8ヶ月でなんと札幌から千葉へと転勤になってしまいました。
私は身重の体なので引越しの荷物まとめをしたためお腹が張ってしまい、自宅で
絶対安静を言い渡されてしまいました・・。
でも、引越しの荷物が何も片付いていないので気になってじっとしていられず、
つい動いてしまい、お腹がよけい張り出し動くこともあまり出来なくなってしまいました。
しかたなく、お薬を飲みお家でごろごろ・・・。でも買い物に行かなければ何も食べられません。
買い物に行く、お腹が張るの繰り返しでした。
先生には赤ちゃんの成長が少しだけ遅れているけど大丈夫と言われ一安心♪
お腹の中での動きも激しくなってきて、時には溝おちに蹴りが入り呼吸ができなくなるほどでした。

98年4月末、妊娠9ヶ月になったので里帰り出産のため北海道へ帰省しました。
まず、戻ってから産婦人科へ行きました。この病院選びが失敗のもとでした・・・。
今時珍しいくらい何の設備もないところでしかも不衛生・・。大丈夫かなー・・不安でした。
病院は変えられないと思っていたのでしかたなくその病院に決めました。いやーな予感がチラホラ。

パパとママの実家が同じ町内のため、片方の家にいるのは悪いので両方を行ったり来りの生活の
始まりです。車の運転も遠出はしないように友人に病院までは送ってもらいました。
なんと妊婦でありながら、パパの実家の農作業のお仕事なんかをやっちゃいました!!
お腹はかなり張りましたよー。二日連続で続いた次の日は動けませんでした。
でも、自家製のいちご畑を作ったんです!!お母さんがいちごの苗を買ってきてくれて
「孫のためにいちご畑を作ろう」なんて言い出して、私もその気になって作っちゃいました!!
始めての経験で今思うと良くやったよな―なんて関心します・・。
次の子の時はおとなしくしているつもりでいます。

もうすぐ予定日・・・と刻々と時は近づいていきますが、なかなか子宮口が開きません。
筋弛緩剤を注射しはじめますが予定日5日前になっても1センチすら開かないんです。
先生が内診をするとなんと出血が!!「大丈夫なんですか??」「大丈夫です。」
ほんとかー??と不安に思いながら痛いお腹を抑えて自宅へ戻りました。
案の定その日の夜はお腹が痛くて眠れませんでした。
次の日何気にゆったりとおきてソファーに寝そべってよっこいしょと起きあがったとたん
「プチン!」と音がしました。「プチン??」何の音だろうと考えて立ち上ったとたん、「ジャバー」
破水してしまいました。かなりの量の破水だったのであせってしまい、とりあえず自分の実家へ
TELして、荷物を持ってきてと連絡して、パパに破水したーとTELを入れてしまいました。
それからパパのお母さんのいる選菓場まで歩いていき呼んで病院までいきました。
それまでにかなりの量の破水があり、小さい陣痛も起きていました。
お昼の出来事でした。

病院へ着くなり分娩台に上がってくださいというので「何?もう生まれるの?」と思っていたら
ものすごい痛みが・・・。「何ですかあ?」「子宮を開く機械を入れたから」。
「はぁ?」そうです勝手にバルーンを入れられてしまったんです。
それから小さい陣痛がすぐ始まってきてまだまだかかるとのことで、陣痛室へと移りました。
何時か気になり時計をみたら3:20分頃でした。
陣痛促進剤の点滴を打たれて大丈夫かな・・という不安にかられました。
看護婦さんが別の注射を持ってきてそれを入れようとするじゃないですか!!
「なんですか?それ?」「子宮を柔らかくする注射よ」「大丈夫ですか?」「大丈夫よ」
不安なまま注射をされる。それからすぐ胸が苦しくなって呼吸ができなくてものすごく苦しくまってきた!!
すぐナースコールを押したので看護婦さんがきて「どうしたの!?」「息が・・・・・」
それきり声も出せない苦しくて体に力も入らなくなり、気が遠くなった・・。
「私このまま赤ちゃんを産めずに死んじゃうんだー。死ぬってこんなに怖いんだな―」
苦しいのを通りすぎると結構冷静なもんです。死ぬ間際は苦しくないのかもしれません。
「長谷川さん!!長谷川さん!!」遠くで声がするけど反応ができない・・・。
先生が入ってきてなんか大騒動になっていて酸素吸入や注射を色々してたようです。
すると急にまた苦しくなってきて声がでるようなった。お腹が痛い・・・。
ものすごい痛みがお腹に走り我慢できない。「息を吸って!!」看護婦さんが怒鳴る。
赤ちゃんの心音が止まりかけている。「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」
「大丈夫。大丈夫だから」本当に??と不安がよぎった。
「OO病院の先生を呼んで!」どうやら他所の先生を呼ぶらしい。
「お母さん、赤ちゃんを助けるため帝王切開をします。いいですね?」「はい、赤ちゃんを助けて・・」
それから30分後に帝王切開となる。