〜白い日には大きな災難と小さな幸せをどうぞ〜
ピンポーン♪
軽やかなドア・チャイムの音が響く。
赤野と弾道は顔を見合わせたまま動きを止めた。
「…………………」
思わず沈黙が流れてしまうのも無理はない。何故ならあと数cmでキスの距離だったのだ。しかもその態勢はと言うと、赤野が弾道をソファに押し倒し、さあこれから(?)という時だったのだから。
「あ、オ、オレ、出てくるばい」
顔を赤らめて弾道が赤野を押し退け、起き上がろうとする。しかし赤野がそれを引き止めた。
「出ることねェ。どうせ新聞屋だ」
「何言っとるけん、拓さん。こんな時間に来るわけなか」
「じゃあ、出前の取り間違えだ」
「だったら、間違いだって教えてあげんと」
「…………………」
赤野は嘆息すると、弾道を解放した。するり、と赤野の腕から逃れると弾道はパタパタと小走りに駆けて行く。その後ろ姿を赤野は名残惜しそうに横目で見送った。
遠回しな誘い文句が弾道に通じないことは、今更なので置いておくとして。
こんなタイミングで現れた無粋な訪問者に赤野は怒りを覚えた。
大人げない、と彼を罵っては気の毒だ。何故なら今日、3月14日は全国的にホワイトデーと呼ばれ、先月のバレンタインデーのお返しをする日なのである。赤野は弾道にクッキーやキャンディやら、とにかく甘い菓子がたくさん入った詰め合わせをプレゼントした。もちろん弾道は大喜びで受け取った。甘いものが大好きな弾道だが、それ以上に赤野が大好きなのだ。大好きな人に大好きなものを貰って、弾道はそれはそれは嬉しそうに笑った。そしてそれは赤野の強靭な理性(多分)を揺るがせるには充分で……
気が付けば、赤野は弾道を抱きしめていた。
弾道も、一瞬驚いたようだったが、それでもすぐにおずおずと両手を赤野の広い背中に廻してきたのである。それに促されるように、そして場所もちょうどソファの上だったというのもあり、そのまま赤野は弾道の小さな身体をそっと横たえたのだ。
恥じらいながらも弾道に抵抗の様子はなく、そのうっすらと染まった頬に赤野の心臓が高鳴る。そして引き寄せられるまま、言わば始まりの口付けを交わそうとした、まさにその時にチャイムが鳴ったのである。
今回は、今回こそ、いけると思ったのに……!
これまで何故だかキス以上に進めない二人だったが、とうとうそんな関係にピリオドを打つ時がついに来たと思った矢先にこれである。今更ながら、赤野は幸先に不安を感じていた。
しかし、とりあえず今は目先の不幸の原因に、文句のひとつも言ってやらねば気が済まない。
(大体、何時だと思ってやがんだ!)
時計を見れば午後9時であった。常識的な訪問時間かどうかは微妙なところである。
(もう子供は寝る時間だぞ!)
その子供を押し倒して寝かすつもりがなかったとは言い切れない赤野だが、あくまで自分の矛盾に気づこうとはしない。それくらい悔しかったのだろう……
とにかく、そんなわけで赤野はやさぐれオーラを放ちながら玄関へと向かった。しかし、そこへ弾道が再びパタパタとスリッパを鳴らして戻って来たのである。
「あ、拓さん!ハンコってどこにあったっけ?」
「ハンコ?」
「うん、宅配便だって」
「宅配便?」
単語でしか返事を返さない赤野をあまりアテに出来ないと判断したのか、弾道はあちこちの引き出しを開けてガサゴソと探し始めた。しかしなかなか見つからないらしい。赤野はやれやれと頭をかくと、そんなもんはサインでいいんだ、と手近にあったボールペンを掴んで再び玄関へ向かった。
宅配便に罪はない。
とはいえやはり不機嫌のオーラを隠せず、配達員がビクビクと見守る中、伝票にサインをした赤野だったが、何気なくそれを目にした途端、思わず唸り声を上げて配達員を更にびびらせた。
新庄のヤロォ……っ!!!
送り主の名は『新庄幹靖』とあった。
それだけでも赤野の怒りを煽るには充分だったのだが、しかしそれだけではないのだ。
伝票には『配達時間午後9時指定』と記入されてあった。ちなみにこれが一番遅い時間らしい。思わずバキ、とボールペンを握り潰した赤野に、配達員は受取印さえもらえればそれでいいとばかりにあたふたと退散した。依頼人の要望を忠実に果たすため残業勤務だった彼には、運が悪かったとしか言いようがない。
「拓さん、誰からだったと?」
いつの間にか赤野の後ろに立っていた弾道が、くいくいと赤野の服の裾を引っ張りながら訊ねる。幸いにも愛しのダーリンのチンピラっぷりは見ていなかったらしい。どうやら今まで印鑑を探していたようで、その手には結局使われなかった印鑑が握られていた。
「ああ……新庄からだ」
「先生?」
弾道が顔を輝かせて嬉しそうに笑う。その笑顔、自分だけに向けてくれればいいものを…などと心の狭いことを赤野が考えていたとは、弾道には知る由もないのだ。
「ねえ、開けてよか?」
「まっ、待て、ダンドー!」
爆弾だったらどうする!……と続けようとして赤野は我に返った。そして、どうもかなり動揺しているらしい自分に気づいて苦笑する。そうだ、落ち着け、考え過ぎだ。たかが、ちょうどホワイトデーの、ちょうどタイミング良く、ちょうど邪魔するように荷物が送られて来たからといって……
「…………………」
「拓さん?」
何やら考え込んでしまった赤野の手元の伝票を、ひょいと弾道が覗き込む。
「お菓子だって!ね、開けていいよね拓さん!」
「あ、ああ……」
やや上の空な返事ではあったが、赤野の了承を得て早速弾道がガムテープをびりびりと剥がし出した。しかし、菓子が入っているにしては巨大なダンボールを前にして、嬉しそうな弾道とは裏腹に赤野の不安は募る一方である。
(菓子型の爆弾とか……)
未だに密かに動揺している赤野を余所に、既にダンボールの封を開けた弾道はキラキラと顔を輝かせていた。箱の中には膨大な量のお菓子が所狭しと入っていたのだ。
うわー、うわー、とただ感嘆の声を上げる弾道だったが、不意にあるものを見つけて取り出すと、それを赤野に渡す。
「はい、拓さんにだって」
「?」
弾道が差し出した封筒には、確かに『赤野さんへ』と書いてある。まさか脅迫状じゃ…とどこまでも赤野の被害妄想は止まらない。しかしこの場合、あながち外れていなかったとも言えるだろう。
『バレンタインデーは素敵なプレゼントをありがとうございました。
これはほんのささやかなお礼ですv』
赤野は、目の前ににっこりと微笑む新庄が見えた気がした。もちろん気のせいだ。しかし、カードからは確かに冷気が漂っている気がする。数秒後に、それはドライアイスのせいだということが判明したが。
(畜生、やられた……)
赤野は先月のバレンタインデーのことを思い出す。やはりいくら困っていたからといって新庄にチョコを押し付けたのは拙かったのだ。でもあの時はそうするより他なかったし、だけど、でも。
「拓さん、何て書いてあったと?先生からでしょ?このお菓子もらっていいの?」
「な、な、な、何でもねェ!いつも世話になってる礼だとよ!食ってくれって!!」
赤野のいかにも何でもなくないような受け答えに、しかし弾道は疑いもせず素直に喜ぶ。内心で溜息を吐きながら赤野は新庄を呪った。
(こんな手紙をダンドーに読まれた日にゃ、何て誤解されるか…っ)
想像しただけでも血の気が引いてしまう。
そんな、顔色の悪くなった赤野に向かって、再び弾道が訊ねてきた。
「ねえ、拓さん。何でこのお菓子、全部『WhiteDay』って書いてあるの?」
弾道の言う通り、ご丁寧にも箱の中の菓子は全てひとつひとつに『WhiteDay』という文字が入った包装紙に包まれていたり、シールが貼ってあったりした。
(新庄〜〜〜〜〜!!!)
赤野は思わず手紙を握り潰した。しかし、何とかして上手い返事を考えようとするその努力がとても痛ましい。
「そ、それはだな……そう、そうだ!今の時期はやっぱそれしかないだろう!?」
「ホワイトデーだから?」
「ああ、きっと今の菓子屋にはそういう包装紙しかないんだ!」
「そうかなあ…」
「そうだ!!」
そんなわけはない。
しかし弾道は、赤野の強力な勢いにとりあえず納得した様子だった。そして引き続き、箱の中のお菓子を物色し始める。赤野はどっと疲れを感じていた。
どうしてこんなことになるんだ…と脱力しつつも、しかし原因がまったく自分にないとは言い切れず、何だか妙にやるせない。
畜生、このヤロウ、と誰に向かうでもなしに赤野がぶつぶつと文句を呟いていると、その服の裾を弾道がくいくいと引っ張る。どうもちょうど引っ張りやすい位置にあるらしい。
「ね、このお菓子、TVで宣伝しとったやつだよ!」
「…おー、そうか」
「こっちのも見たことある!美味しそうだったばい!」
「ああ、よかったな。いいぞ両方食っても……いや、やっぱ寝る前だし、ひとつにしとけ。歯も磨けよ」
我ながらどの面下げて保護者みたいなことを言ってるんだか、と赤野はおかしくなった。けれどこうして弾道の世話を焼きたいと思うのも本心だ。大切だから、大事だから、すべてのものから守ってやりたい。もちろんあまりかまい過ぎると、子供扱いしないでとたまに怒られてしまうのだが。
そんな風に赤野が苦笑していると、案の定、弾道がその頬を膨らませていた。
「もー、ちゃんと歯磨きくらいするばい!」
「ああ、ちゃんとしろよ」
「うん。あ、それにね、拓さん。このお菓子は今日は食べんよ」
言いながら弾道が両手に持っていた菓子を箱に戻す。首を傾げる赤野に弾道はくるっと振り向くと、
「だって一番最初に食べるのは、拓さんにもらったやつだもん!」
そう笑って、赤野の腕にぎゅっと抱きついた。そして嬉しそうに赤野を見上げて更に微笑む。不意打ちの笑顔と殺し文句に、赤野は情けなくも狼狽えてしまった。
「そ、そ、そうか」
「……あ、でも」
「ど、どうした、ダンドー」
平静を装いながら訊ねた赤野に、弾道は表情を曇らせる。
「やっぱり、拓さんのやつは大事に最後までとっておきたいかもしれん…」
うーん、と手を口に当てて悩むその顔はまさに真剣そのものだ。赤野は思わずプッと噴き出してしまった。
「拓さん?何で笑うと?」
「ああ、悪りィ、何でもねェよ」
そう言って赤野は弾道の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。髪を乱された弾道は、困った顔をしながらもどこか嬉しそうだ。それは、赤野がとても嬉しそうに笑っていたからなのだけれど。
そしてふたりはお互いの笑顔を見て、幸せそうにまた笑うのだ。
fin.
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