Full Moon Night 1
そろそろ、この街を出なければ………
穏やかだった陽射しも、次第に眩しく感じられる季節。
そんな太陽の光を、ガラス越しとはいえ存分に浴びていられる自分を不思議に思う。
(吸血鬼のくせに……)
長い間―――それこそ本当に長い間生きてきたからか、それとも長い間生きていくためなのか、自分の身体はこの世の中に順応してきているらしい。
しかしそれもある程度のこと。
時の止まったこの肉体と、時折訪れる喉の渇きは、けして癒されることはないのだから。
「伊角さんってば!」
焦れたような声に振り向けば、向かい側に座っていた和谷が怒ったようにこちらを睨んでいた。どうやら自分はしばらくの間ぼーっと窓の外を眺めていたらしい。
「ごめん。何だった?」
「何だったじゃねえよ。食べねえの?冷めるぜ、それ」
伊角の手元のトレイに乗ったハンバーガーを指差して和谷が言う。そういう和谷のトレイには既にくしゃくしゃにされた包みの山が乗っていた。伊角は苦笑しながら和谷の前に自分のハンバーガーを差し出す。
「よかったら、食べるか?」
「いいの?」
空になったジュースの氷を噛み砕きながら、一応お伺いをたててはいるものの和谷の手は既にハンバーガーに伸びている。
いいよ、と答えて伊角はジュースを一口飲んだ。カラカラと氷の鳴る音がして、目を閉じてそっと耳を傾ける。涼しげな音は、少しだけ自分の渇きを癒してくれるような気がするのだ。実際は全くの気休めであったけれど……
喉が、渇く。
それは氷を噛んでも満たされない渇き。
不意に、視線を感じて伊角は顔を上げた。
「和谷?」
「…伊角さん、なんか顔色悪いぜ?やっぱちゃんと食べた方がいいよ」
そう言って開きかけた包みを戻そうとする和谷を、伊角は笑って押し止めた。
「いいって。和谷が食べろよ」
「……じゃあ、コレあげる」
和谷が自分のポテトの袋を伊角のトレイに移した。数本しか残っていなかったが、伊角はありがとう、と言ってそれを摘む。しばらく心配そうに伊角の様子を伺っていた和谷も、とりあえずは目の前のハンバーガーにかぶりついた。
そんな和谷を伊角は頬杖をついて優しく眺めていたが、それでも少しすると出来るだけ不自然でない風を装って窓の外に視線を移した。
やはり、今日は会わない方が良かったかもしれない。
和谷の顔を見ていると、身体の奥からある衝動が湧き起こる。もちろんそれは初めて和谷に会った時から常に感じていることではある。だが普段から伊角はそれをコントロールしていた。そう、満月の夜を除いて……
しかし満月まではまだ日数があるにもかかわらず、今日に限って抑え切れないのは何故なのだろう。
(まずいな……)
そんなことを考えていると再び和谷の視線を感じた。
肩を竦めながら振り向くと、案の定怒った顔をした和谷が口を尖らせている。
「なんで窓の外ばっか見てんだよ」
「いや、いい天気だなって」
「嘘だ。美人でも歩いてたんだろ」
そう言って和谷は残りのハンバーガーを一気に口に入れた。
伊角は和谷のセリフに目を丸くして、更にその拗ねたような仕草に思わず微笑んだ。
「和谷」
「………」
もごもごと頬を膨らませて食べている和谷は、返事の代わりに視線だけをちろりと伊角の方に向ける。伊角はそんな和谷の口元に手を伸ばし、そっと触れた。
「!?」
驚く和谷に構うことなく、伊角は和谷の口の端を親指で拭ってやる。そしてその指先をそのまま自分の口に運んでペロリと舐め取る。和谷は更に仰天して顔を真っ赤にさせた。
「酸っぱいな」
クスクスと笑う伊角に対して、やっとのことで口の中のものを全て飲み込んだ和谷が顔を赤くしたまま怒鳴った。
「ケチャップだから当り前だろ!」
「そっか」
「ったく……」
子供扱いすんなよな、と言いながら手でごしごしと口の端を拭う和谷を、伊角は目を細めて見つめる。
(ケチャップだから酸っぱい、か……)
当り前だ。自分は何を期待していたんだろう。
伊角は思わず苦笑した。
和谷の口の端の赤いものを見た瞬間、心臓が跳ねた。
我ながら、よく誤魔化せたものだと伊角は思う。
―――血だったら。
和谷の血だったら、きっと何倍も何十倍も甘いのだろう……
いけないと思いつつも甘美な想像は今日に限って止まることを知らない。
やはり、今日の自分はどこかおかしいのだ。
(喉が、渇く………)
間違いなく今夜は『食事』をしないといけない、と伊角は溜息を吐いた。
予定ではこの後も和谷と遊びに行く筈だったが、無理だろう。この調子では自分は和谷を襲ってしまいかねない。
それは、絶対に避けたかった。絶対に……
「和谷…」
店を出てから、言いにくそうに伊角が口を開く。そして、今日は体調が悪いからこの後は付き合えないと告げると、意外にも和谷は素直に頷いてくれた。伊角は安堵する反面、少しだけ寂しく思う。そんな自分に、内心呆れながらも。
「埋め合わせに今度は朝まで付き合ってもらうからな。どっか泊まりで遊びに行こーぜ!」
「ああ」
笑いながら答えつつ、伊角はそれが叶わないことを知っていた。
夜を一緒に過ごして、この距離を保てる自信が伊角にはない。
(それに……)
「たくさん食ってたくさん寝れば、すぐ治るぜ!」
「そうだな」
「じゃ、またな、伊角さん」
「ああ、電話するよ」
手を振って駆けていく和谷を、伊角は眩しそうに見送った。
あと、どれくらい。
自分はこうして和谷の姿を見つめていられるのだろう。
『この街を出なければ』
そう思い続けて、一体どれくらい経つのだろう。
そうしてしばらくその場に立ち竦んでいた伊角は、やがて何かを振り払うように軽く頭を振ると踵を返して歩き出した。
(喉が、渇いた、な…)
伊角は気づかなかった。
先程見送った筈の和谷が、自分の後ろ姿を心配そうに見つめていたことを。
気づいていたなら、あと少しはこの街にいられたかもしれないのに。
いや、もしかしたら、心のどこかではわかっていて。
わかっていたからこそ、気づこうとしなかったのかもしれない。
そうして、自分を追い込みたかったのかもしれない。
わかってはいるのだ。