だから、今を



『もっと早く生まれたかった』
『こんな年下じゃやだ。同じがいい』
『早く大人になりたい』
『もっと大人になりたい』


 そうすれば―――――










 第2土曜日、日曜日、月曜は祭日で3連休。
 棋院の研修日は毎週日曜日と第2土曜日である。それは連休初日の今日も例外ではなく、いつものように畳の空間には碁を打つ音だけが変わりなく響いていた。


 対局が終わって廊下に出ると、小宮英二はため息をついた。
 それは今の手合いに負けたことから出たものなのか。
 それもある。でもそれだけが理由じゃないこともわかっている。
 再びため息を漏らしながら休憩室に入ると、先客がひとり、いた。

「和谷」

 声をかけると和谷は一瞬ピクっと肩を揺らしたが、顔を上げると明らかにほっとした表情をして呟いた。
「なんだ小宮か」
 なんだとはなんだよ、と苦笑しながら和谷の持っていたウーロン茶を奪う。しかしその重さに少々驚いた。
「おまえ、全然飲んでないじゃん」
 まったくと言っていいほど缶の中のお茶は減っていなかった。
「…………」
「どうしたんだよ、負けたのか?」
「……勝ったよ」
「それにしちゃ景気の悪い顔してんな」
 そう続けた小宮も負けず劣らずの顔をしていたのだが、そういった機微に疎い和谷はそれに気づいた様子もなく、手持ち無沙汰そうに手を組み替えて、ため息をついた。
「なんだよ、元気ないじゃん」
 いつもは必要以上に元気なのに、とさっきまで自分が同じようにため息をついていたことを棚に上げ、小宮はからかうように言った。
 しかし和谷は別段怒る様子もなく、自分のウーロン茶を口に運ぶ小宮をチラリと見て、再びため息をつく。

「早く大人になりたい…」

 ぶほっ

 和谷の小さな独り言を耳にした瞬間、小宮は噴き出した。
 それを見た和谷が焦って言い直す。
「小宮!おまえ誤解してんだろ!オレが言ったのは精神的にって意味だぞ!!」
 顔が赤いのがなんとも疑わしいが、とりあえず小宮は信じることにした。

「なんだよ、恋の悩みか?」
「べつにそんなんじゃねェよ。ただ…」
「ただ?」
「もう少し早く生まれればよかったなって、思ってただけだ」
「…和谷の付き合ってる人って年上なんだ?」
「〜〜〜なんで知ってるんだよ!?」
「知らないよ。なんだ、当たってたのか?」
 仰天して立ち上がった和谷を飄々とかわしながらも、実は小宮は和谷の付き合っている相手の年どころか本人を知っていた。
 と言うより、院内では公然の秘密として知られているのだ。和谷と伊角が友人以上の関係であるということは。気づいていないのは恐らく本人達くらいのものだろう。

「でも年の差なんて、どうしようもないじゃん」
「わかってら、そんなこと。でもそう思うのは仕方ねェだろ」
 開き直ったのか、和谷は椅子に座り直すと大きく背もたれにもたれて話し続ける。
「同じ年だったら、同じ学校に行けたりとか、もっと一緒にいれたりとかさ。それに…相手の気持ちとかも、今より もっとわかるかもしれねェじゃん…。だから絶対ケンカも少なくて済むと思う」

 なるほど、ケンカをしたのか。

 どおりでいつもの迫力がないはずだ、と小宮は思った。
 そして少し考えてから、
「相手ってさ…いくつ?」
 返ってくる答えを知りながらも、小宮はワザと尋ねてみた。
 すると和谷は少し戸惑いながらも、「18だけど…」と思った通りの答えを返す。
「和谷が15だろ」
「…だから、なんだよ」
 少し顔を赤くして睨み上げてくる和谷に小宮は少しも怯むことなく、同じ年もいいけどさ、と続ける。


「15の和谷と18のその人にしか、できない恋愛ってのがあるじゃん?」


 例えばそれは18の和谷と18のその人にはできないことで。
 他の誰にもできないことで。
 今、その二人にしか、できない恋愛。

「だからケンカなんてしてたらもったいないぜ?」

 小宮のセリフに、和谷は「なんでわかんだよ…」とふて腐れたように呟いた。
 わかるって、とクスクス笑いながら小宮はウーロン茶を口に含む。
 そんな小宮を和谷は上目使いに一度睨んでから、大きく息を吐いた。

「…そうだな。もったいねェよな」
「そうそう、もったいない」
「考えたって年の差はなくならねェし」
「そうそうそう。どうせなら思いっきり利用しなきゃ」
「利用?」
「甘えるとかワガママ言うとか」
「〜そんなこと、しねェよっ!」
 真っ赤になって和谷は否定した。  普段、自分が伊角に対してどれだけワガママなのか知っているからこそ、あえて。
 もちろん小宮はそんな和谷の嘘を知っているのだけれど、とりあえず気づかないフリをする。
「いいじゃん、ワガママでも。年上の恋人は、なかなか思い通りになってくんないからなー」
 和谷が目を丸くして小宮を見上げる。
「小宮、おまえも年上と付き合ってんのか?」
「…………さ・あ・ね」
「なんだよっ、ズルイ!教えろよ!オレにだけ喋らせといて!」
「和谷が勝手に喋ったんじゃん」
「なんだとォ!」
「あ、伊角さんだ」
「!!」

 和谷が驚いて振り向くと、休憩室の開いた扉から伊角の姿が見える。
 しかし、伊角は和谷の視線を外して、無言で通り過ぎようとした。

「……っ」
 伊角を呼び止められずにいる和谷を、小宮がコツンと後押ししてやる。
「伊角さんと一緒に帰るんだろ?いっちまうぜ?」
「…おう!」
 そう言うと、和谷は勢いよく休憩室から飛び出していった。



「伊角さんっ、今日一緒に帰ろうぜ!」
 何気ないセリフのわりには肩に力が入っている和谷を見て、伊角は苦笑する。
「……当たり前だろ?」
 その答えに和谷は嬉しそうに伊角に走り寄り、その腕に絡みついた。


 そんな二人の姿を休憩室の窓から覗き見た小宮は、ふぅとため息を吐く。
 あれでバレてないつもりだからスゴイよな。
 やれやれとウーロン茶を一口飲んでから、そういえばコレを返すのを忘れた、と思い当たる。
 …ま、いっか。アドバイス料だ。

 ホントはオレがもらうモンじゃないんだけど。



『25のオレと16のオマエにしかできない恋愛があるだろ』



 あの人の言葉を思い出す。


 もっと早く生まれたかったと言う自分に。
 同じ年がよかったと駄々をこねた自分に。
 早く大人になりたいと言った自分に。

 あの人は、優しく自分を抱きしめて、そう言ってくれた。

『それって、どんなレンアイ?』
『それを、これから一緒にしてくんだろ』

 ふたりで。

 ふたりだけで。


 確かにあの人はそう言ってくれた。

「そうだよ…」
 和谷に言ったセリフは全て自分に言い聞かせる言葉。
 ケンカなんてしてたら、もったいない。
 今のオレは、今のあの人は、今この時にしか、いないんだから―――




 ふいに小さな電子音のメロディーが辺りに響き渡った。
 小宮は慌ててポケットから携帯電話を取り出すと、相手の確認もせずに電話に出る。
 何故なら、このナンバーを知っているのは、これを小宮に買って渡してくれたあの人しかいないから。

『オレだ。今、いいか?』

 聞きなれた低い声が、小宮の耳をくすぐる。
「…うん。そっちこそ、仕事中じゃないの?」
『休憩中だ』
 同時にカチッとライターを鳴らす音が聞こえ、フゥと煙を吐く微かな気配が受話器越しに伝わる。
『明後日、そっちに行くから』
「え……?だって、仕事じゃ」
『休み、取ったんだよ』

 誰かさんがワガママ言うからな。

 言外にそう言われて、小宮はぐっと詰まる。
『機嫌、直ったか?』
「…うん。ゴメン……でも」

 会いたかったから、嬉しい。

 そう告げると、電話の向こうから少しの沈黙が流れて。
『オレも、会いたいんだよ』
 滅多に聞かない甘いセリフに、小宮は驚いた。
 いつも、こっちがねだらないと何も言ってくれないくせに。
 そう言うと、「顔を見てなきゃこれくらいは言える」と小さく笑って返された。

「顔を見てても、言ってよ」
『会いたいって?』
「そう、他にも」
『他にって?』
「好きだとか…」
『愛してるとか?』
「〜〜〜それ、ゼッタイ明後日にも言ってよね!」
『言えるか、バカ』
 クスクス笑う気配に小宮は赤い頬を膨らませて、「じゃあね!」と告げると「おう」と電話は切れてしまった。


 やっぱ、素っ気無いじゃん…。
 電話を見つめて小宮は思う。
 でも、休みを取ったということは多分他の日に詰めて仕事をするんだろう。
 そう考えると小宮の中にはすまないという気持ちと、でもそれ以上に嬉しいと思う気持ちが溢れて。
 幸せな気持ちでいっぱいになる。

 そうだ。
 明後日、あの人にウーロン茶を奢ってあげよう。

 空になった缶をゴミ箱に放り投げながら、小宮はそう考えて。
 そして入ってきた時とはまったく違う、晴れやかな気分で休憩室を後にしたのだった。







『もっと早く生まれたかった』
『こんな年下じゃやだ。同じがいい』
『早く大人になりたい』
『もっと大人になりたい』


 そうすれば、何もかもがうまくいくと思ってた。

 でも、ケンカして、すれ違って、仲直りして。

 その度にどんどん大きくなる恋が、今はわかるから。

 あなたが好きになってくれた今の自分を、大切にしたい。

 そう、今は、思えるんだ。





fin.

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