恋人の距離 前編



秋空高き日本晴れ―――



そんなある晴天の空の下、伊角の通う公立高校では体育祭が催されていた。
既に午前中の競技は終わり、今は午後一番に始まる応援合戦のため、大多数の生徒がその準備に追われている。
年間行事の中でメインにあげられるこの体育祭は、全学年通してクラス別対抗となっており1年から3年までが力を合わせてクラスの優勝に望む。とりわけ点数の高い応援合戦はこの体育祭の目玉で、ほとんどの生徒が殺気立っていた。


そんな中、3年C組出席番号2番の伊角慎一郎は一人、うろうろとお昼を食べる場所を探していた。
珍しいことに、応援団やその準備の任を要領良くすり抜けた伊角は、立て看板係としての役目を前日までに果たしている。同じ係の者は応援団と共にスクラムを組んで盛りあがっているが、闘争心の薄い伊角は早々に抜け出し、「今日は暑いなァ」と呑気にタオルで汗を拭っていた。

暦の上では秋とはいえ、まだまだ日中は暑い。
肘まで折り曲げていたジャージをやはり脱ごうかと、弁当の包みを手近の水飲み場の上に置いた。
辺りを見回せば、半袖どころか中にはタンクトップ姿の生徒もいる。
苦笑しながらジャージの袖を抜くと、「伊角さーん」と自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り返るとタンクトップの生徒が伊角に手を振って駆け寄ってくる。
生徒だと思ったのだが……その人物を正しく認識したところで、伊角は頭を抱えた。

「伊角さーん、お疲れ様!」
「和谷……何しに来たんだ」
「伊角さんの応援に来たに決まってんだろ!」
なんだよ、嬉しくないのかよ、と頬を膨らませて和谷は抗議する。
「いや、そうじゃなくて。今日、平日だろ。学校はどうしたんだ」
「サボった」
伊角は更に頭を抱え込んだ。

「だって今日は伊角さんの高校最後の運動会じゃん。ぜってー来たかったんだ」
それに誰も応援に来ないって言ってたしさ…と続ける和谷に、伊角はため息をつく。
確かに誰も応援には来ないがそれは伊角の家に限ったことではなく、高校生にもなると応援・見物に来ようという父兄は少ないのだ。平日だということもあるが。
恐らく誤解した和谷は、じゃあ自分が伊角の応援にと駆け付けたのだろう。
(まったく…)
そう呆れつつも、そんな早とちりの恋人の気持ちを嬉しく思ったのも事実だ。
伊角は小さく笑いながらジャージを脱ぐと、和谷の肩に羽織らせた。
「伊角さん?」
「先生に見つかると怒られるからな。気をつけろよ」
「うん!!」
和谷は満面の笑みで頷くと、伊角に抱きつこうとその手を振り上げたが。
その途端、手にした紙袋がガシャガシャと鳴るのに気づいて「やべえ」と降ろした。
「何?その袋は」
さっきから気になっていたが和谷はふたつの紙袋を下げていた。
伊角の問いに、和谷は少し照れたように笑って。
「伊角さんのために、弁当作ってきたんだ!」
誇らしそうに紙袋を掲げてみせた。







「ホントに和谷が作ったのか?」
「そうだぜ!早く食べてよ伊角さん!」
そう言う和谷は、既に伊角の弁当を口に運んでいる。


屋上にある少ない日陰で、二人は弁当を広げていた。
本来は立入禁止なのだが、伊角はサボリの常習犯のクラスメイトに鍵の開け方を教えてもらっていたのだ。
他に人影はなく、部外者の和谷とお昼を食べるには格好な場所だったのだが…

「……………」
伊角はおそるおそるといった風に、和谷手作りのおにぎりを一口頬張った。
いびつな形のご飯に海苔がベタベタと巻き付かれていて、その海苔を食いちぎろうとする端から、握りが甘かったらしいお米がボロボロと崩れ落ちる。
「あーあーあー…」
和谷が箸を止めて、情けない声を出す。
伊角は無言で、というか話せない状態なので、必死に両手でご飯を抑え、なんとかひとつ食べきった。
手についたご飯粒を食べていると、和谷がシュンと頭を垂れて呟く。
「ごめん、伊角さん…」
「いや…食べにくいけど、美味しいよ」
伊角の答えに和谷は顔を上げて「ホント?」と尋ねる。
「うん」
実はもっと恐ろしい味を想像していた伊角は、形はともかく意外とまともだったおにぎりに胸を撫で下ろしていたのである。
和谷は顔を輝かせて、「これは梅干しで、こっちはおかかで」と、どう見分けているのか知らないが嬉しそうに具の説明をしている。そんな和谷を伊角は目を細めて見つめた。

「でも、塩がききすぎだったかな。ちょっと塩っ辛い」
「あ!じゃあ伊角さんこれ飲んでよ!」
そう言って和谷が紙袋から取り出したのは、CCレモンだった。
おにぎりにジュースはどうかと思ったが、わざわざ伊角の好きな飲み物を選んできたんだろう。
苦笑しながらいっそう目を細める伊角の視線には気づかず、和谷はプルトップを引く。
途端に勢い良くジュースが噴き出した。
「うわっ」
二人同時に叫んだ時には既に遅く。
頭からジュースを被った和谷を見て伊角は、そういえばさっき和谷はこの紙袋を振り回していたなァとぼんやり思い出していた。



「ほら、タオル」
伊角が差し出したタオルを、和谷はバツが悪そうに受け取って顔を拭う。
「このタオル…」
「ごめん、汗くさいだろ」
「伊角さんの匂いがする」
恐らく無意識に呟かれた和谷のそのセリフに、伊角は目を丸くした。
和谷は嬉しそうにタオルを握り締めている。
(…自覚がないんだから、困るよな)

誘っているという、自覚が。

「和谷」
呼びかけると同時に片腕を掴んで引き寄せ、和谷の唇に自分のそれを重ねる。
突然の行為に和谷が驚いて抗議しようとする前に、その口付けはいともあっさりと解かれて。
伊角は自分の唇をペロリと舐めてから、悪戯そうに笑った。
「レモンの味」
「…っ、そんなの、当たり前だろ!!」
和谷は顔を真っ赤にさせて、タオルでその顔を隠すようにゴシゴシと乱暴に拭う。
笑いながら伊角は、ふたつ目のおにぎりを取った。

「和谷、そのジャージ脱げよ」
「えっ!」
「バカ、違うって。ジュースで濡れただろ」
おにぎりと挌闘しながら伊角がクスクスと笑うと、和谷は更に顔を真っ赤にさせて怒ったようにジャージを脱ぎ捨てた。それでも一応、その汚れたジャージを見て「ゴメン…」と呟く。
「いや、そんなのは気にしなくていいけど」
でも、と少し困ったように伊角は首を捻った。
「これ着てれば、和谷があまり目立たずに済むと思ったんだけどなァ」
ジャージが乾く頃には体育祭は終わってしまっていることだろう。

「ま、ここから見てればいいだろ?」
「やだ!伊角さんの近くで応援する!」
「そんなこと言っても、校庭でウロウロしてたら先生に見つかってつまみ出されるぞ」
「大丈夫だって!そのためにコレ持ってきたんだから!」
和谷は紙袋をバンと叩いてみせた。お弁当が入っていたのとは違う、もうひとつの方である。
「…そっちには何が入ってるんだ?」
伊角が尋ねると、和谷は「内緒」と言って紙袋を後ろに隠す。
「とにかく大丈夫だから!伊角さんの応援の時だけバレないように降りてくから!」
いいだろ?と上目使いにお願いされて、断れる伊角ではない。
「…くれぐれも目立つことはするなよ」
ため息混じりに言って、伊角は残り少ないジュースを飲んだ。
和谷も自分の意見が聞き入れられたのを嬉しそうに、残りのお弁当をかき込むとウーロン茶を一気に飲み干した。
直後、喉につまって咳き込む和谷の背中をポンポンと叩く伊角の脳裏に。
不安がよぎるのは当然のことだったに違いない。





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