大石・菊丸と表札が並んだ部屋から、主の一人である菊丸が扉を開けて珍客を出迎えた。
リョーマ達が住んでいるところと比べれば2ランクくらいは下がるだろうけれど、それでも大学生が暮らすには充分水準をクリアしている、小奇麗で快適そうなマンションである。
そんなマンション中に響き渡る勢いでピンポンピンポンピンポンと狂ったようにインターホンを鳴らしたのは、息を切らせて駆け込んで来たリョーマだった。
「どしたの、おチビちゃん? 久しぶりだね〜、ひとり?」
菊丸と仲の良い不二ならば、一人でもここへ遊びに来ることがあるけれど、リョーマが単独でここに来るのは珍しい。加えて、リョーマの様子も何だかおかしい。
何かあったのかにゃ?と察知しながらも、取り立てて詮索はせずに、菊丸はいつも通りの明るい態度でリョーマを部屋に招き入れた。
「ま、入って入って。まだ大石帰ってないからさ〜、ちょーどヒマして、とうあっ」
語尾が妙な奇声に変わったのは、リョーマが菊丸のシャツの胸倉を掴んで、強引に引っ張ったからである。
「おチビっ、何するにゃ〜」
「菊丸先輩! オレと浮気してください!!」
「………へ?」
突然のリョーマの爆弾発言に、思わず菊丸は思考と動作を一時停止してしまう。
そんな菊丸に構わず、リョーマは掴んでいたシャツの釦をぷちんぷちんと外し出し、ついには面倒臭くなって残りを力任せに引き千切った。そこでさすがに再生ボタンが押されたのか、バタバタと菊丸が暴れ出す。
「お、お、おチビっ、落ち着け! 落ち着くのだ!!」
「先輩……オレのこと嫌い?」
リョーマの必殺上目遣い、しかもやや潤んだ瞳で見上げられて、嫌と言える男はいないだろう。
「そっ、そーゆーわけじゃないけど〜っ」
「じゃ、問題ないっス」
そう言って、菊丸の腰にがばっと抱きつく。その勢いでバランスを崩した菊丸はそのまま後ろに倒れ込み、まさしくリョーマに押し倒される格好になってしまった。
「おチビー! こんなことしたら不二と手塚が悲しむぞーっ!!」
だからやめなさーい!と、まるで人質を連れて立て篭もっている犯人を投降させんとする刑事のような口調で、菊丸が叫ぶ。そんな必死の訴えが心に響いたのだろうか、リョーマの動きがぴたりと止まった。
「不二先輩が悲しむ……?」
菊丸の上に乗っかって、顔を伏せたまま、リョーマが呟く。
「そ、そう! もちろん! 泣くよきっと〜!!」
自分の説得が通じてホッと胸を撫で下ろした菊丸の腹の上で、リョーマの顔がクッと揺れた。かと思うと続けてクックックッと笑い出すではないか。
「望むところっスよ……」
ふふふふふ、と暗黒のオーラを背負ってリョーマが微笑む。
ああ…おチビってば不二に似てきたなあ……などと思わずその邪悪さに意識を失いかけた菊丸であったが、カチャカチャと自分のジーンズのベルトを外される音が聞こえて、何とか正気を取り戻した。
「おチビっ、待てっ!お願い待ってっ!!」
「大丈夫、オレ巧いっスよ」
「ううううまくてもダメー!!」
「いいからじっとしててください」
「イヤー!! ていうかオレが下なのっ!?」
「べつにどっちでもいいっスけど」
「どっちもよくないですう〜!!!」
どったんばったんと激しい攻防戦が始まったところで、突然玄関の扉がガチャリと開いた。
「英二? 玄関先で何を騒いで……」
帰ってきたその部屋のもう一人の主は、そう言い掛けてフリーズする。その手から、ドサッと荷物が落ちた。
「あ、副部長、おかえりなさい」
「大石〜! 助けて〜〜犯されるぅ〜〜〜!!」
半裸の菊丸がリョーマに押し倒されているという、目の前で繰り広げられているあまりの光景に思わず頭が瞬間冷凍してしまった大石だが、ふざけあっているだけにしては危機迫る菊丸の悲鳴が聞こえ、慌てて我に返る。
「な…っ、と、とにかく降りろ、越前っ」
さっぱり訳が分からないが、このまま恋人が剥かれていくのを黙って見ているわけにはいかない。
とりあえず大石は、菊丸の上に乗っかっているリョーマを引き剥がした。テニスの腕はとうに敵わないが、力や体格はまだまだ大石の方が上なのだ。
「た、助かったあ〜……」
ようやく貞操の危機から逃れられた菊丸は、心の底から安堵の息を漏らした。その目には涙さえ滲んでいる。
リョーマはというと、大石に両腕を掴まれたまま、実に不機嫌そうな表情をしていた。しかしこうして大人しく従っているということは、本気ではなかったのだろう。それこそリョーマが本気だったら、いくら腕力が上回っていようと自分が止められるわけがない、と大石は思う。
「越前、何があったんだ?」
プロになったとは言え、今でも大事な後輩には違いないリョーマに対して、大石は優しく訊ねた。副部長健在である。
だがしかし、天衣無縫なルーキーも同様に健在であった。
「浮気しに来たっス」
「………は?」
大石の気の抜けた隙に、リョーマは自分を捉えていたその腕を振り解く。
「そうだ。べつに副部長でもいいっスよ」
「………は?」
間抜けな返答を繰り返す大石の腰に、リョーマが抱きつく。その途端、すぐ側で悲鳴が上がった。
「ダメーーー!! 大石はオレのーーー!!!」
言いながら、菊丸がリョーマにタックルする。二人分の体重+αを受けて、当然大石は後ろに倒れ込んだ。
「菊丸先輩、重いっスよ。どいてください」
「ダメーーー!! 大石はオレのーーー!!!」
同じセリフを繰り返しながら、菊丸は必死でリョーマにしがみ付いている。ふたりに押し倒された大石はというと、展開についていけずにやはり呆然としている。大石と菊丸に挟まれた格好になったリョーマは窮屈そうに顔を顰めていたが、しばらくして大きな溜息を吐いた。
「…仕方ないっスね」
リョーマの、観念したようなそのセリフに、ようやく分かってくれたのかおチビ…!と菊丸がうるうると半泣きの顔を上げ、今だよく分からないが大石も事態が収束しそうな様子に安堵しかける。
だが、それは甘かった。
「じゃ、3人でやりましょ」
「へ?」
「は?」
3人で?
何を?
目的語を敢えて理解したくない大石と菊丸は無理矢理思考を一時停止させてみたが、リョーマは容赦なく繰り返そうとする。
「だから3人でセッ…」
「「わーーー!!!」」
分かっているけど聞きたくない単語を、ふたりして途中で遮る。
「おおおおおチビっ!?」
「ええええ越前! 何言ってるんだお前はっ!?」
揃って顔を赤くさせたり青くさせたりと激しく狼狽する二人に、リョーマは無情にも平然と告げる。
「大丈夫、オレ慣れてるから」
「「ぎゃーーーーー!!!!!」」
この世の終わりのような悲鳴がマンション中に響き渡った。
そんな大騒ぎの中、リビングにある電話がコールを受けて鳴り出したのだが、当然ながら玄関先でドタバタと取っ組み合っている三人の耳には届かなかったのである。
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