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おっとCHI・KA・N! |
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そしてまた翌朝。 彼らは昨日と同じバス停で、同じバスを、同じように待っていた。 ただ違うことと言えば、メンバーに乾が増えているということと、女装をしているのがリョーマではなく不二だということである。 「…あのさ、手塚」 「何も言うな、乾」 不二の姿を見て何か言いたそうな乾を遮り、手塚は軽く頭を振った。くらくらする。寝不足のせいだろうか。 こめかみを押さえ、横目で不二をちらりと見遣って、そしてまたくらくらした。 昨日のリョーマと同じように女子の制服を着た不二は、しかし昨日のリョーマが被っていたものとは違うカツラを着けているようだ。さらさらと長いブラウンの髪をかきあげながら、不二は手塚に気付いてにっこりと笑う。 「どう? 可愛いでしょ」 「………」 昨日と同じセリフを今日は自分に対して臆面なく使用する不二に、しかし手塚は昨日と同じく否定する事は出来なかった。何故なら目の前で微笑んでいるのは完璧な美少女だったからである。 無言で固まっていると、リョーマがひょいと二人の間に顔を出し、今度はリョーマが昨日の不二と同じセリフを口にした。 「部長、欲情してる?」 「な…っ」 「オレはしてるっスよ。だって不二先輩可愛いんだもんv」 「やだな、昨日の越前くんだって可愛かったよv」 え〜やだ〜ホントにぃ〜などと女子高生のような(←偏見)会話をしながら、不二とリョーマは肘で身体をつつきあってきゃぴきゃぴと戯れている。昨日はカップルに見えた二人も、さすがに今日はせいぜい仲の良すぎる姉弟にしか見えないのが、せめてもの救いだろうか。 しかしそれでも手塚の頭痛を誘うには充分で、今日こそ、今日こそは痴漢を捕まえなければ自分の頭がもたない、何としても捕まえるのだ…!と、手塚は黄色い太陽に誓った。 バスに乗り込み、今日は不二がひとり離れた場所に立つ。 昨日と違ってちゃんとその姿は確認できるものの、女子にしてはやや身長があるせいか、それともその見事な美少女ぶりっこのせいなのか…恐らく後者だろう…やたらと目立っているような気がして、やっぱり手塚は昨日と同じくハラハラしていた。 「見えないー」 手塚の隣に埋もれて、リョーマがじたじたしている。 「ちゃんと俺が見ているから、お前はじっとしてろ」 「えー」 リョーマは不満そうな声を漏らしたが、しかしどう頑張っても自分の身長では隣の人間くらいしか確認できない。仕方がないので八つ当たりと実益を兼ねて、手塚の腰にしがみつくことにした。 「お、おい、じっとしてろと言っただろう」 「じっとしてるっスよ。吊革に手が届かないんだからしょーがないじゃん」 「う…」 確かにそうだ。手塚は観念して大人しくされるがままにしておいた。しかししばらくも経たないうちにリョーマは大人しくしているのに飽きたのか、もぞもぞと顔を上げる。 「ねえ部長、痴漢していい?」 「ば…っ!」 危うく大声で怒鳴りつけそうになったが、手塚は何とか思いとどまった。 「…いいわけないだろう! 大人しくしてるんだ!」 「だって退屈なんだもん。いいじゃんちょっとくらい」 「いい加減にしろ! 大体昨夜散々しただろうが!」 「うん、昨夜いっぱいしてくれたから、だからそのお返し」 「馬鹿なことを言ってるんじゃない!!」 一応小声で繰り広げられている会話なのだが、もちろん隣にいる人間には丸聞こえである。 「……おい、お二人さん」 隣に居た、すっかり存在を忘れられていただろう乾が、その長身を屈めて二人の会話を遮った。 「いちゃつくのはいいけど、他所でやってくれよ」 「だ、誰がいちゃついて……っ」 「乾先輩、仲間外れにされて寂しいんでしょ」 「その通りだ。だから寂しい男の前では控えてくれると助かるな」 「…仕方ないっスね」 いちゃついているつもりなど毛頭なかった手塚だが、乾のお陰でリョーマの気が変わったのは実際助かったと安堵の溜息を吐く。そしてすぐに本来の目的を思い出し、慌てて不二の所在を確認すると、不二は涼しい顔で吊革に掴まっていた。とりあえず、まだ異変はないようだ。 「ところで乾先輩、バスに乗る前に不二先輩に何渡したんスか?」 手塚への痴漢行為は自粛したものの、未だその腰にしがみついたまま、リョーマが乾に向かって訊ねる。その質問に、乾は眼鏡を光らせて答えた。 「ああ、カラシ玉を数粒ね。ワサビや唐辛子や胡椒を練って丸めたものだよ」 「うわー。それを痴漢に食べさせるわけ?」 「命に別状はないんだろうな…」 「ちゃんと量は計算してあるんだから毒じゃないって。何なら食べてみるかい?」 毒ではないと言うものの、痴漢撃退用という目的からして恐らく命ギリギリの辛さであろうと思われるそれを、もちろん二人は慎んで辞退した。 「野菜汁の辛いバージョンみたいなもんスか?」 「越前は何か誤解してるな……俺の野菜汁は健康にいいものばかり入っているんだぞ? ああ、そういえば昨日作ったスタミナ強化バージョンを手塚に勧めたら断られてしまってね…」 「おい、乾」 「え、何それ何それ。部長飲んでよ」 「ああ、まだ人体での試飲データを取ってないから是非とも協力して貰いたかったんだが…」 「お前はそんなものを勧めたのかー!」 そんなこんなで話が盛り上って(?)いるうちに、次は青春学園前…というアナウンスが聞こえて来た。 慌てて手塚が再度不二を確認すると、不二は視線に気付いたのかこちらを見てにっこりと笑う。どうやら今日も痴漢は現れなかったようだ。 やがてバスが緩やかに停車し、乗客が降り始めた。 「あれ?」 乗降口の近くにいる不二が、バスを降りずに道を譲っている。不審に思っていると、不二が『先に降りてて』と口だけ動かして伝えて来たので、手塚達は後ろの乗客に急かされたこともあり、先にバスから降りることにした。 「どうしたんだろ、先輩」 「…わからん」 「ふむ、もしかしたら…」 三人が、次々降りてくる乗客を見送っていると、最後に不二が少し駆け足でタラップを降りてくる。そんな足取りでさえもいっそ優雅で思わず見惚れていると、バスの中から何やら小さな呻き声のようなものが聞こえてきた。しかし同時に扉が閉まり、バスが走り出してしまったので、何が起こったのか分からない。 走り去るバスと不二を交互に見ている手塚達に向かって、不二がにっこりと微笑みを浮かべて言った。 「降りる直前に口に放り込んでやったから」 今頃じっくり味わっているだろうね、と乾に向かって例のカラシ玉が入っていたピルケースを投げ返す。それに驚いたのは手塚とリョーマだ。 「えっ、先輩、いたの? 痴漢?」 「どうして先に教えないんだ」 「だってあんな満員じゃ、君達が捕まえに来てくれる前に気付かれて逃げられちゃうでしょ」 「………」 確かに不二の言うことももっともである。 しかし手塚は、不二にしては謙虚な物言いが気になった。虫も殺せないような顔をして、大の男一人くらい簡単に締め上げることが出来る握力があるのを、手塚は身を持って知っているからである。いくら乾特製のカラシ玉をお見舞いしたとはいえ、それで満足したとは到底思えない。不二にしては処置が甘いような気がするのは、果たして気のせいなのか…… そんなことを考えて眉間に皺を寄せた手塚だが、不二が内ポケットから取り出したそれらを見て仰天し、そしてやはり今の自分の考えが気のせいでなかったと納得させられた。 「ハイ、これは乾にあげるよ。昨日の50周の恨みを存分に晴らしてね」 「ああ、任せてくれ……名刺が2枚と学生証1枚、計3人か」 「さすがの僕も手は2本しかないからね。あ、その透かしの入った名刺のヤツ、しつこかったから、念入りにヨロシク」 「了解」 「………」 不二と乾の会話をやや呆然と見守っていた手塚は、やがて重い溜息を吐く。 要するに、なんと痴漢は3人もいたということである。 確かにいくら不二でも3人同時に捕まえておくことは無理だったのだろう。そしてその代わり、カラシ玉を放り込んだ隙に相手の名刺等を奪い、後でゆっくりじっくり報復しようという手段を選んだ…というわけだ。 不二と乾のコンビネーションにより、痴漢共は恐らく警察に突き出されるよりも遥かに恐ろしい酷い目に遭わせられるのだろう……想像して思わず身震いし、ほんの少しだけ同情する。しかし痴漢は痴漢だ。しかも一応、仮にも、いや仮でなく、自分の恋人に痴漢を働いたのだから、情けをかけている場合ではない。だが、不二と乾がどんな報復措置を取ろうとも黙って見ているしかないというのは、それこそ犯罪行為を黙認しているような気がして、何だか落ち着かない手塚だった。 そんな手塚の隣で、リョーマはというと何やらすっかり黙り込んでしまっている。気付いた不二が乾との会話をやめて、リョーマの顔を覗き込んだ。 「どうしたの?」 「………」 「越前くん?」 「……痴漢、捕まえたかったっス」 「ああ…ごめんね、僕が捕まえちゃって」 正確に言うと捕まえたわけではないのだが、結果的に見ればそうなるのだろう。 囮作戦が不二で成功したわけだから、負けず嫌いなリョーマとしてはやはり悔しかったのだろうか。そう思って不二が苦笑していると、リョーマがぽつりと呟いた。 「俺ってミリョクないのかな」 「は?」 「だって先輩は痴漢3人も引き寄せてるのに、俺は乾先輩ひとりしか引っ掛からなかったし…」 ちょっと待て俺は痴漢じゃない、とすかさず抗議しようとした乾だが、不二の”僕達の話を邪魔したら許さないよ”的オーラを察知して、慌てて引き下がった。 「…何言ってるの越前くん、君はとっても魅力的だよ」 「だって…」 「昨夜だって、手塚があんなに興奮してたじゃない」 「でも部長は不二先輩にもすごく興奮してた」 「手塚はムッツリだからシュチュエーションで萌えるんだよ」 「それもそうっスね…」 乾の視線を感じて、手塚は無言で両手と首をぶんぶんと左右に振る。 とにかく…、と不二がリョーマの肩に両手を置いて、顔を覗き込んだ。 「…本当はね、君の身体に僕と手塚以外の男が触るなんて許せなかったんだから。いいんだよ、これで」 「……俺だって嫌っス」 不二がリョーマを他の男に触らせたくないのと同様に、リョーマだって不二を他の男に触らせたくないのだ。恋人として当然の心理である。 そもそも不二の独占欲の強さは周知の事実だが、リョーマだって相当なものなのだ。ちなみに手塚も実は人並み以上の独占欲を持ってはいるのだが、顔や態度に出にくいうえ、それを発揮する前に不二とリョーマに逆に独占されてしまうことが多いので、あまり知られていないだけである。 それはともかく、どうやらリョーマは囮として不二に負けたことが悔しかったというより、不二が痴漢に触られたことに、そして何よりその痴漢を自分の手で直接やっつけられなかったことに怒っているらしかった。 リョーマが不機嫌だった本当の理由に気付いて、不二がくすくすと嬉しそうに笑う。 「ごめんね」 「…べつに先輩が悪いわけじゃないけど」 そもそも囮になると言い出したのは自分達なのだから… しかし、そうは言いつつもどことなく拗ねたままのリョーマに、不二がまたくすりと笑ってそっとリョーマの前に身を屈める。 「じゃあリョーマくん、消毒して?」 「………」 「ね」 悪戯っぽく首を傾げる不二を、きゅ、とリョーマが無言で抱き締めた。身長差があるので、抱き締めたというよりしがみ付いたという方が正しいかもしれない。不二の首にしがみ付いて、ぎゅ、ぎゅ、と何度も身体を触れ合わせてから、リョーマは不二の顔を正面から見て、そしてようやく笑顔を浮かべた。 「やっぱ先輩可愛いv」 言いながら、不二の頬にちゅっとキスを贈った。同時にキャーと歓声が上がる。 そう、ここは青春学園校門前なんである…。 我に返った手塚は、周囲に昨日と同じような人垣が出来ているのに気付き、慌てて生徒達に登校を促した。 「お前達も! こんな所でそういったことをするんじゃない!」 「口は避けたんだからいいじゃん」 「そうそう、それに今は僕、女の子だし」 おかしくないよねー、と今度は不二がリョーマの頬にキスする。 「おい!」 ちゅ。 ちゅ。 「……っ」 一般生徒には充分通用する手塚の恫喝も、この二人にとっては子守歌にもならないのだ。手塚はぐったりと肩を落として、抱き合ったままの二人についに懇願した。 「……頼むからさっさと着替えてこい…」 二人はひとしきりいちゃいちゃして満足したのか、はーい、と揃って良い返事をして昨日と同じように仲良く手を繋ぎ部室へ向かう。ツーステップでも踏み出しそうな二人の後ろ姿に手塚がぐらぐら目眩を感じていると、隣りにいた乾が思い出したように訊ねてきた。 「手塚…いいのか?」 「……何がだ」 「あの二人、あの調子で昨日の1限目サボったらしいぞ」 「……っ」 初耳だった手塚は慌てて二人の後を追って部室へ向かった。二人の今日のサボリを阻止するべく、なのだろうが……恐らくそれは99%の確率で不可能だろう、と乾は予測する。 「加えて手塚が今日の1限目をサボる確率も99%…」 サボると言うよりサボらされるのだろうが、まあ結果的には同じ事だろう。 病欠とでも言って貸しにしておくか、ああ例の強化バージョンを不二にでも渡しておけば良かったな…そうそうこいつらへのお仕置きをどうしようか…とりあえず個人データを引き出して……と、乾は楽しそうだ。 不二から受け取った名刺類を胸ポケットに入れると、頭の中で様々なシュミレーションを繰り広げつつ、乾は昇降口へと歩いていった。 「――まさかホントに痴漢が出るとはねえ」 昼休みのテニス部部室。 不二とリョーマが仲良くお弁当を食べていると、そこへ乾がやってきて、もう充分気が済んだから返すよ、と不二に例の名刺類を渡した。そして、いかにして例の痴漢共を陥れたか云々と、もしも手塚がこの場にいたなら犯罪行為をやはり見過ごしてしまった己を激しく責めるに違いない…そんな会話をひとしきり楽しんでから、不二がぽつりとそう呟いたのだ。 「…やっぱり、例の投書は不二が書いたんだな」 「あ、なんだ乾、知ってたの?」 「え? そうなんスか?」 「あれ? 越前は知らなかったのかい?」 「知らなかったっス」 言いながらもぐもぐとおにぎりを食べているリョーマは、しかし特に驚いた様子を見せない。 「怒らないの? 越前くん」 「べつに。楽しかったからいいっス。可愛い先輩も見れたし」 「もう越前くんたら! それはこっちのセリフだよ!」 不二が満面の笑みを浮かべて、きゅーっとリョーマに抱きつく。ついでにリョーマの頬についていた御飯粒もぱくっと口で摘んで食べる。 「可愛い越前くんも見れたし、痴漢ごっこも出来たし、手塚公認だから大人しく手塚も付き合ってくれたし…」 満足満足、と至極御機嫌な不二である。 「不二先輩こそシュチュエーション萌えなんじゃない?」 「男のロマンだからねえ……今度はお医者さんごっこでもしようか?」 「部長が患者役なら、してもいいっス」 「じゃあ僕達は看護婦さんね」 うきうきとお楽しみ計画を立てるハニーズ。今頃手塚は生徒会室で悪寒を感じてくしゃみでもしているに違いない。 ちなみに乾は自分の存在を忘れられていることも気にせず、ひたすらノートに何やら書きつけている。そんな乾に、不二はリョーマを抱き締めたまま、先程の会話を続けた。 「で、乾。何で僕があの投書の主って分かったの?」 「ああ…さっき、生徒会室で手塚に見せてもらって、その筆跡でね」 本当は冷やかしに行くだけのつもりだったんだけど…と続けた乾の言葉に、不二はくすくすと笑う。 「僕達宛てのラブレターが凄いらしいね」 そう。あの二日間の朝の騒ぎの後、どうやら女装姿の不二とリョーマに一目惚れしてしまった男子生徒達が多数いたらしく、青春学園の生徒だということ以外何一つ正体不明の謎の美少女宛てに、大量のラブレターやその問い合わせが生徒会室へ殺到しているのだ。 『生徒会の関係者らしい』という噂を頼りしてのことらしいが、生徒会室備え付けの御意見箱が今や郵便ポストと化しているこの事態、加えてその内容――美少女が二人とも生徒会長のお手付きって本当ですか?――などと言う質問に到っては、生徒会長の眉間の皺がびきびきと増えているらしい。 「怒りたくても、痴漢を退治した僕達には怒れないもんね」 「しかしあの投書を書いたのが不二だと分かれば怒ると思うぞ」 「もちろん言わなかったよねえ、乾?」 「ああ…後が怖いからな」 にっこりと確認されて、乾は冷や汗を掻きながら頷く。 「そう、ありがと。じゃあ8割で許してあげるよ」 「え?」 「僕達の写真の売上代」 「……っ」 咄嗟に胸ポケットを押さえてしまった乾は迂闊だったと言えるが、不二相手なんだから仕方がない。はあ、と溜息を吐きながら、大人しく万札を数枚渡す。さすが謎の美少女の隠し撮り写真は恐ろしい売上額だったようである。 「じゃ、越前くん、これで帰りにナース服でも買っていこうか♪」 「俺、聴診器が欲しいっス」 「あ、それなら僕の家にあるから」 何故一般家庭に聴診器があるのか、乾もリョーマも取り立てて追及しようとはしなかった。 かくして痴漢騒ぎは一件落着したものの、その余波で心労と過労と謎の悪寒に襲われた手塚は早退しようとしたところをハニーズに拉致・連行され、そのまま看病という名のお医者さんごっこに無理矢理付き合わされたらしいが、それはまた別の話である。 |
fin. |
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written by あいりん |