ある夜の風景


「ごちそうさまでした」
 手塚は箸を揃えてテーブルに置くとそう言って、目の前に置かれた湯飲みを手に取った。一口飲んだそれは満足のいくものだったので、思わず口元が緩む。そんな彼をお茶を入れた不二も嬉しそうに見ていた。
「部長〜みかん食べる?」
 そこへ今度は横からリョーマが、みかんが山盛り入った籠を差し出した。
「ありがとう、越前も食べるか?」
「もちろん!不二先輩も食べるよね?」
「食べるよ。でも僕は食器を洗浄機に入れちゃってからにするから、先に食べてて」 
「了解」
「いつもすまないな」
「いいよ、君たちに手伝われたら、その方が余計に大変だから」
 そう言いながらキッチンに消えて行った不二の言葉は、笑いながらではあったがとても真実味があるものだった。
 残されふたりは押し黙って、みかんをそれぞれ手にとり、むき始める。
 3人で一緒に暮らすようになった当初は、家事は分担してやろうとしたこともあった。けれどおおざっぱなリョーマに家事能力のない手塚では、何かする度に不二の神経をさかなでる結果になり、そのうちにふたりはいっさい手を出すな、と不二に言明されてしまった。
 だいたいこのマンションは不二のものなので、家具や食器は彼の好みのものが揃えられている。相当高価な皿やらカップを無造作に割られては、神経の休まる暇もないだろう。
「このみかん、うまいな…」
 最後の一房を口にいれ、咀嚼して飲み込んで手塚がぽつりと言う。
「俺の後援会が送って来たんすよ。けっこう有名な農園のみかんだって」
「なるほど…。確かにうまい」
 リョーマの説明に頷きながら、手塚はもうひとつ手に取るとむき始めた。それを見て、リョーマももうひとつ手に取る。
「そういうばこの間の林檎もうまかったな…」
「あれは部長の後援会から貰ったんでしょ?」
「そうだったか?」
 そんな本当にたわいのない話をしているふたりの元に、不二が戻ってきた。
「不二、お前も食べろ。このみかんはなかなかうまいぞ」
「やっぱり日本人に生まれたからには、冬はこたつでみかんだよね〜」
「そうだな」
 そんな和やかな会話を交わしていたふたりの会話を、不二の地獄のそこからわき上がってくる様な声が、遮った。
「君たち……」
「不二?」
「先輩?」
 みかんを手にしたまま、手塚とリョーマは恐る恐る不二の方を振り返る。
「…………それは何?」
 そんな彼らに不二は聞いたことがないほど冷たい声で、そう訪ねた。
「それ?」
「何って?」
「そのみかんの皮だよ!!」
 怒りに顔を引きつらせて怒鳴った不二に、ふたりは自分たちがむいたみかんの皮を見た。
 けれどそこにあるのはただのみかんの皮で、いったい何がそんなに不二の逆鱗に触れたのかが判らない。確かに、そこにあったみかんの皮は全てばらばらで、けして美しいという状態ではなかったのだが。
「これがどうかしたのか?」
「何か問題あったっすか?」
「君たち気にならないの!?」
「何を気にするんだ?」
 手塚がそう言うと、咄嗟に彼の後ろに隠れたリョーマが大きく頷いた。
「みかんの皮がバラバラじゃないか!」
 もう信じられない!と憤慨している様子に、ふたりは思わずぽかーんとして不二を見る。
「バラバラって…どこかおかしいのか?」
「気にならないの!」
 恐る恐る聞いた手塚に不二は噛みつくように叫ぶと、ギロっとダイニングテーブルの上に散らばった、みかんの皮を睨む。
「どうなの!」
「俺は…あまり気にならないが…越前はどうだ?」
「お、俺もあんまり…」 
「そう…君たちは気にならないんだ…」
 額に汗を浮かべてふたりが交互に言うと、不二が低い声でそう言って、くるりと背を向けた。
「不二…」
「先輩…」
 額に冷や汗を浮かべながらふたりが口々に不二を呼ぶ。けれど彼はそれには応えず、すたすたと寝室に行ってしまった。

 残されたふたりは暫く無言で、みかんの皮を見ていた。いったいこれがどうしてあそこまで不二を怒らせたのか、ふたりには理解できない。けれどこれが原因だということは明らかだ。
「部長…どうしよう」
「どうしよっといっても…」
 手塚はため息をつくと、原因になったみかんの皮を片付け始めた。それを見て、リョーマがゴミ箱を持ってくる。
「待て、そこに捨てたら怒られないか?」
「あ、そうっすね。みかんの皮はやっぱり生ゴミっすよね?」
「そうだ、生ゴミだ。キッチンのゴミ箱の方がいいだろう」
「了解っす」
 これ以上不二を怒らせたら更に大変と、いつもは面倒くさがるリョーマも素直に従った。その背中を見送りながら、手塚はため息をついて立ち上がると寝室に向かう。
 とにかく不二に機嫌を直してもらわなければないらない。そしてなんであんなに怒ったのか理由を聞かねば、また同じことを繰り返すことになる。
「不二、入るぞ…」
 一応、ノックをしてドアをあけるとそこで不二がベッドに座って、こちらを睨んでいた。
「何の用?」
「いや…その………すまなかった」
 思い切り不機嫌な声を聞いて、手塚はとにかく頭を下げる。自分たちの行為が彼を不快にしたのだから、これは当然だ。
「僕がなんで怒ったのか、判ったわけ?」
「いゃ、それは…」
「判らないのに、なんで謝るんだよ!」
 怒声とともに枕が投げつけられる。さすがにそれは避けたものの、手塚は次の瞬間にそれをとても後悔した。
「何だよ!何で避けるんだよ!」
 きぃ!とヒステリックな声を上げて、再び枕が投げつけられる。因みに最初の枕は手塚のもので、二個目の枕はリョーマのものだ。
「やめろ!不二!」
 それをキャッチした手塚は床に投げつけると、更に三個目を手にした不二に突進していった。そして彼をベッドに押し倒す。
「落ち着け、不二」
「何すんだよ!僕を犯す気?」
「!!」
 思わず絶句する。今更、犯すも犯されるもないだろうと、手塚は思った。何しろいつも、犯されている様なのは手塚の方なのだから。
「あ!何してるんすか!」
 しかもそこにリョーマがやってきたものだから、更に事態は悪化した。
「ずるいっすよ!俺も仲間に入れてくれなきゃ」
「越前くん、助けて!」
「助けって…人聞きの悪い」
 脱力した手塚は不二の上から退くと、ため息をついて床に直に腰を下ろした。そんな手塚の様子をちらりと見たリョーマは、不二に問いかけた。
「それよりも、もしかして不二先輩って、みかんの皮をちゃんと繋いでむくタイプの人っすか?」
「そうだよ…っていうか、それが人として普通じゃない?」
「人としてって…」
「君たちがあんなに粗雑な人たちなんて、思わなかったよ。ちゃんとみかんの皮もむけないなんて、どうかしてる」
「………悪かったな…」
 思わず手塚がぽつりと呟くと、不二が彼に向かって軽蔑した様な視線を向けた。
「だいたい君、お祖父様に何も言われなかったの?」
「特に言われた覚えはない」
「ふーん、そうなんだ?でも君ってさ、本当に相変わらず鈍感って言うか、テニス以外はバカっていうか…」
「先輩、それはしかたがないっすよ。何しろ部長だし…。でもそんなに先輩が気になるんだったら、俺、これからちゃんと繋いでむくようにするっすよ」
「越前くん!」
 ため息混じりのリョーマの言葉に、不二は漸く笑みを浮かべた。リョーマもそれに安堵した様に笑う。
「だから機嫌直してください。部長もこれからは気をつけるよね?」
「あぁ、約束する…」
 手塚がそう言ったものの、その言葉を不二は聞いていなかった。リョーマに抱きついて、熱いディープキスなどをしていたから。
 そんな光景に手塚はため息をつく。
 どうしてみかんのむき方ひとつでこんな騒動になるのかと…
「あ、部長がぐれてるっすよ」
「もーしかたがないね、手塚もおいで」
 そしてそんな彼にハニーズが手を差しのべる。
 それはいつもの光景だった。


fin.

written by もーりん

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