「……………ただいまっ」
自宅の玄関の扉を開けるという日常動作を、リョーマはやたらと気合を入れて行った。
何故ならば、油断するとすぐに不二にからかわれてしまうということを、さすがに昨日と今日で学習したからである。今度こそ自分のペースを保たなくては…!と気合を入れるリョーマは、その態度こそが不二のペースに流されているということに気付いていない。
しかし、リョーマの帰宅を告げる声に返事はなく、家の中はシーンと静まり返っていた。
「………」
いないのかな?
………なんだ…緊張して損した、と肩を落として溜息を吐く。同時に手の中の弁当箱がカランと音を立てた。
リョーマの好物ばかりが入れられていた弁当箱は、綺麗に空っぽである。ピンクのハートには文句のひとつも言ってやりたいが、やはりここはお礼も言うべきだろう。リョーマは複雑な顔をしながら空の弁当箱をキッチンのテーブルの上に置いた。
自分の部屋に向かう途中、念の為に昨夜不二が泊まった和室を覗いてみる。
「………」
やはり不二の姿はなかった。畳の上にノートパソコンが無造作に置かれている。
そういえば、午前中にこれを運んだとか言ってたっけ。
「じゃ、他の荷物でも運びに行ったのかな…」
きょろきょろと、他には何もない部屋を見渡して、恐らくそうだろうと納得する。
言ってくれれば手伝ってあげてもよかったのに……。そう思いかけて、ハッと我に返り、慌てて頭をぶんぶんと振った。
「ダメだ! 情けは禁物!」
そもそもしばらく様子を見るだけだと昨日誓った筈である。どうしてそんなやつの引っ越しの手伝いなんてしなければいけないのか。
そうだそうだ、と自分を説得しながら、リョーマは和室を出て自分の部屋に再び向かう。
「あいつが勝手に引っ越してきて、勝手にここに住むだけなんだから…」
冷たく素っ気無い言葉のわりには、その足取りは軽かったけれど。
しかし、夜になっても不二は帰ってこなかった。
いつの間にか居間でうたた寝をしてしまっていたリョーマは、薄暗い部屋の中、掛け時計が鳴る音をぼんやりと数える。
―――10時。
いくらなんでも、遅すぎる。
こんな時間まで帰ってこないなんて、何かあったんだろうか。
リョーマの頭に浮かぶのは、まだ真新しい…嫌な記憶。母親の事故。
「…んなワケ、ないしっ」
嫌な考えを消すように、ぶんぶんと頭を振る。寝起きと空腹も手伝ってくらくら目眩がしたリョーマはそのまま机に突っ伏した。
「〜〜〜にゃろう…」
帰ってきたら怒鳴ってやる。
そんでもって晩御飯作らせてやる。お腹減ってるからこの際メニューは何でも許すけど。好物じゃなくても許すけど。好物じゃなくても……
ぐぐー。
食べ物のことを考えてしまったせいか、リョーマのお腹から空腹を訴える音がした。
ぐー。きゅるるる。
「……………」
ダメだ。あんな奴の帰りなんて待ってられない。
そもそもこんな時間まで何も食べずにいられたのが奇跡なのだ。(寝ていたせいもあるが)
リョーマは溜息を吐いて立ち上がると、キッチンへ向かった。たしか戸棚の中にお茶菓子くらいは入っていた筈である。
灯りを点けると、気のせいかキッチンの中がやけに眩しく思えた。もしかしたら不二が掃除したのかもしれない。今朝の、まめまめしく働いていた不二の様子を思い出して、リョーマはくすりと笑った。
本当に、父親なんだか母親なんだか分からない。ご飯はともかく、弁当まで作ってしまうんだから。
そう思って、テーブルの上に置いたままだった空の弁当箱を見る。
そして、それを学校まで持って来てくれた時のことを思い出してみた。
……何か、言っていたっけ?
今夜遅くなるとか、どこかへ行くとか。
しかし記憶を探っても、そんなことは言っていなかった気がする。弁当を渡してくれて、たしか父親の話をして、お茶もくれて。そうして帰って行っただけだ。
『じゃあ、僕、帰るね』
『バイバイ、リョーマくん』
なのに、帰ってこない。
どうして?
疑問を浮かべながら、突然思い出したのは、不二の俯いた顔。
こんなのママゴトみたいだって言ってやった時の、思いがけず寂しげだった不二の顔……
もしかして。
帰るのはこの家にじゃなくて―――
自分の家に帰るってこと………だった?
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2004.3.17
