そもそも、最初から変だったんだ。
口約束で結婚なんて変だし。
母さんが死んだ以上、俺の面倒みるのも変だし。
所詮、紙切れだけの関係だし。
最初から、いなかったと思えばいいだけ。
そうやって何度も自分に言い聞かせるリョーマだったが、しかしいなかったと思うには痕跡が残り過ぎていた。主に、そう、冷蔵庫の中に。
冷蔵庫の中には、不二が作ったと思しき巻寿司や、いなり寿司、鶏の唐揚げなどが所狭しと入っていた。
……最後にご馳走を、と作っていったつもりなんだろうか。
それをリョーマは嬉しいとは思えなかった。
逆に、何だか腹立たしくさえ思える。
空腹のはずなのにそれらを食べる気は起こらず、リョーマはファンタのボトルを取り出して口に含んだ。冷たい炭酸を喉に流し込みながら、そういえばこれは自分が買った覚えのないものだと気付く。
ということは、不二が買って冷蔵庫で冷やしておいてくれたのだろう……リョーマの一番好きなグレープ味。
「っ、ゲホッ」
飲み違えて、リョーマは咽込んだ。ケホケホと数回咳き込み、ようやく気道を確保して大きく息を吐く。
「……ちくしょー」
自分でもよく分からない憤りの言葉を呟いたその時、
カタン、と、どこからか音が聞こえた。
今の音は、もしかして――
反射的にリョーマは玄関に向かって駆け出していた。けれど門灯すら点け忘れていた玄関は真っ暗で、もちろん人影もない。
「………っ」
もしかして不二が帰って来たのかもしれない、なんて一瞬でも期待した自分が悔しくて、リョーマは拳を握り締める。
けれどそこへ、カタ…と再び音が聞こえた。
玄関からではない。その物音は、奥の部屋……不二が泊まった和室の方から聞こえてくるのだ。
唐突にリョーマは思い出す。そういえば、あの部屋には不二のパソコンが置いてあった。
出ていく時に忘れていったか、ここへ運んだこと自体を忘れていたのか知らないが、どちらにしろ、取りに戻って来たに違いない。
でも、だからってこんな風にこそこそと戻ってくるなんて、まるでもう顔も合わせたくないとでも言っているようで。
「〜〜〜っ」
そんな思い通りにいかせてたまるか、と無性に腹立たしい気持ちをぶつけるように、リョーマは和室の襖をスパーンと勢いよく開けた。
何故か部屋は真っ暗で、けれど外の街灯で人影があるのは分かる。
「? 灯りも点けないで何して…」
「チッ、ガキがいたのかよ」
「―――!?」
不二の声ではなかった。不二ではない、誰かが、部屋にいた。
そのことに驚くと同時に、暗くてはっきりとは分からなかったが荒らされた部屋を見て、リョーマはようやく何が起こったのか気付く。
泥棒……!!
あまりのことに驚いて、咄嗟に叫び声も出せない。
そんな風に立ち竦んでいるリョーマに構わず、男は素早い動きで窓から出て行こうとした。アテが外れたぜ、と捨て台詞のようなものが聞こえる。
―――家が古くて大きいので勘違いされやすいが、そもそもこの家は金持ちなんかじゃないし、大体この部屋は昨日まで使ってないくらいだったから、金目のものなんてほとんどなかったに違いない………
身動きが出来ないくらい驚いているわりには、頭のどこかでそんなことを冷静に考えているリョーマだったが、しかし男の持っている紙袋から尻尾のように垂れ下がっているコードを見た途端、その頭も真っ白になった。
どうせ被害もほとんどないのだから、このまま見過ごした方がいいのだ。下手に抵抗して居直り強盗に豹変された方が厄介だ。そんな世間の常識も、吹っ飛んだ。
あいつのパソコン…!
「うわっ」
それまで大人しかった子供が突然自分に飛び掛かって来たので、男は驚いた。だが所詮は大人と子供。男は唯一の収穫であるノートパソコンを守りつつ、リョーマを一撃で振り払う。
しかしリョーマは諦めなかった。
盗られるわけにはいかない。あれは不二のパソコンだ。小説家だという不二の、大事な仕事道具のはず。そのくせ出ていく時に置き忘れてったわけだけど……、でも何よりも一番にここへ運んでくるくらい、大事なものなのだ。
勝手に押しかけて来て、勝手に出て行くような、本当に勝手な奴だけど。
それでも、あいつの大事なものなんだから……っ!
リョーマは必死で男の手からパソコンを取り返そうとした。今度は振り解こうとしてもなかなか離れないリョーマに、男は舌打ちする。
「このガキ! 離れねえと痛い目みるぞ!」
そう言って懐から取り出した携帯ナイフを光らせた。街灯の微かな灯りでもわかるくらい、すぐ目の前に刃を突きつけられ、リョーマの身体が反射的に震える。
けれどそれは一瞬で、それでもリョーマはパソコンから手を離そうとはしなかった。
「くそっ」
男がナイフを振り上げ、リョーマはぎゅっと目を瞑った。
その瞬間―――
「リョーマくん、伏せて!」
突然掛けられた声に、驚いた。
けれど再び、早く!と急かされ、リョーマは慌てて言われた通りに頭を屈める。直後、その頭上をひゅんっと何かが通り抜けた。
「ブフッ」
男の妙な呻き声がした。かと思うと続いて、ガン、と何かがぶつかる大きな音がして、リョーマの隣りに男がドサッと倒れ込んだ。恐らく窓枠にでも頭を打ちつけたのだろう、気絶したらしい男の顔面は真っ白だった。顔色が、とかではなくて……これは……生クリーム?ケーキ?
「リョーマくんっ、大丈夫!?」
屈んだまま、倒れた男を検分していたリョーマは、覆い被さるように声の主に抱き締められた。
そういえば、初めて会った時もこんな風に言われて抱き締められたっけ…
『リョーマくんっ、大丈夫!?』
『パパがリョーマくんを守りに来たよ!』
まさか本当に守りに来るなんて。
「リョーマくん?」
くくっ、と突然笑いを零すリョーマに怪訝そうな声を掛けながらも、どこも怪我してやしないかと手足や肩をゆっくりと辿る暖かい手……
その両手がリョーマの頬に辿り着き、そっと包み込みながら上向かせる。
心配そうに覗き込む瞳と、目が合った。
「…周助」
そう呼ぶと、不二はようやく安心したように微笑んだ。
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2004.4.6
