ある朝、起きたら世界が変わっていた。
・・・冗談ではなく、不二周助は本気でそう思った。
何せ、・・・・・愛しい愛しい恋人が、起きた瞬間
「あ、周助起きた?おはよvv」
と言って、・・・・キス、をしてきたのだから。
思わず
「おはようv」
といつもの通りに笑顔で返してから、・・・・・・おやあ?と不二は首を傾げた。
不二にしては鈍い反応だったかもしれないが、これは彼が心底驚いたためである。
「ごめんね、まだご飯作ってないんだ。急いで作ってくるから待っててね」
そんな不二の様子を気にした様子もなく、リョーマが慌てたように不二の傍を離れようとする。不二は咄嗟にリョーマの腕を掴んだ。
「・・・?なに?」
「・・・・・・リョーマ、くん?」
「どうしたの?周助?」
「・・・・えっと・・・・」
「あ、俺が傍にいないの寂しいんだ?周助ってば甘えんぼなんだからv
しばらくの間だから、良い子にしててねvv」
花開くような笑顔で言うと、リョーマはちゅ、と可愛いキスを不二の頬に落とした。滅多に見られないリョーマの全開の笑顔に、不二が思わず見惚れてしまう。揺るんだ腕の中からリョーマはするりと抜け出すと――・・・ドアの前でばいばい、と手を振って、そのままドアの向こうへと姿を消した。
不二は己の頬を手でおさえた。残る感触は嘘でも幻でもなくて。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢、にしてはリアルすぎるね・・・・・」
どこか呆然と呟いた。
不二周助。この男を茫然とさせるなど、この世で越前リョーマにしか出来ないことであろう。
だがしかし、この朝のリョーマはあまりにも不二の知るリョーマとは違いすぎていた。
・・・・もしかして願望世界とか?
ふと浮かんだ言葉に不二は頭をひねった。
確かに可愛いリョーマは愛しくて愛しくてそれはもう、今すぐにベッドに押し倒してしまいたいほどではあるが、それは普段のリョーマも変わらない。不二は意地っ張りで素直じゃないリョーマも心から愛しく思っていたのだから。
ほんの少しだけそりゃ確かに「どこまでも素直で可愛いリョーマ」を見てみたい、と思ったことが無いとは言えないが、不二はリョーマという存在に1度として不満を持ったことは無い。
素直じゃなくてもリョーマはリョーマであり、不二が心から愛したただ一人の恋人だったのだから。
だがしかし。
・・・・じゃあ、今、不二が見たリョーマはいったい何だと言うんだろう。
「・・・・・やっぱり違う世界とか?」
まさかね、などと呟きながら、それでももしかして、と不二は再度頭をひねったのであった。
もしかして起掛けだったから寝惚けていたのかもしれない。
非常に寝起きが良く、今まで一度として寝惚けた記憶の持たない不二は、
そんな自分を誤魔化すような結論を出すと、手早く用意をすませて階下へと下りた。
だがやはり、さっきのは不二の幻でも願望でもなかったらしい。
覗いたキッチンでは、白いエプロンをつけたリョーマがそれはそれは手際良く、朝食の用意をしていた。
「・・・・・・・・」
リョーマが包丁を持ったところなんて、不二は一度として見たことが無い。
リョーマ曰く「全然料理なんてしたこと無い」であったし、不二としてもリョーマに料理させようなんて思ったことは無く、食事と言えば当然のように不二が用意してきた。
だがどうだろう、この目の前のリョーマは。
軽やかに包丁を動かし、手早く盛付ける。ガスコンロには調理中の鍋とフライパンが二つかかっている。どうやら同時に作っているらしい。
・・・・・不二は自分が見ているものが信じられず、キッチンの入り口で立ちすくんだ。
いくら不二の脳が他の人間に比べて少し明晰に出来ていようと、この現状を理解するにはあまりにこの光景は非現実、・・・・そう、非現実過ぎた。
「・・・・周助?」
「・・・・おはよう、姉さん」
「おはよう」
リビングにいたらしい姉が、不二へ声をかける。
とりあえず朝の挨拶を交わし合い、・・・それからおもむろに、不二家の長男と長女は顔を見合わせあった。
「・・・・ねえ、周助」
「・・・・なあに、姉さん」
「・・・・・・・リョーマくん、何だか今日、いつもと違わない?」
「・・・・・・・やっぱりそう思う?」
「ええ。だっていつもより笑顔が200%増、だし・・・さっきだって、
『おはようございます、お姉さん。台所、お借りしますね。いつもすみません』って・・・・
何だかいつも台所借りてるような口調で言われたわよ?」
少なくとも、私が見るのは初めてなのに。
不二の姉は首を傾げ、不思議そうに眉を寄せる。
不二はう〜ん?とぽりぽり頭を掻いた。
・・・・どうやら、自分は違う世界に来てしまったわけでもないらしい。
姉の反応を見ながら、どうやら常と違うのはリョーマの方であるらしい、と不二は判断した。
「・・・・どこかで頭でも打ったのかな・・・・・?」
不二のこの言葉はある意味とっても失礼ではあったが、今のリョーマを見れば誰もが頷いただろう。
この“リョーマ”はあまりにも不二の知る“リョーマ”とは違いすぎる。
それともこの“リョーマ”が普段のリョーマの中に眠る真実の姿とか?またはどっか違うスイッチ入っちゃったとか?
・・・・不二はそこまで考えて、しかし「いや、違う」と首を振った。
目の前のリョーマは、あまりにも手際よく料理をこなしていた。・・・こんなもの、料理をしたことがないリョーマが出来るはずが、無い。
と、いうことは必然的に今、目の前にいる“リョーマ”が、“リョーマ”ではないということになるが――・・・・
「周助、朝ご飯の用意できたよ」
「あ、うん」
「お姉さんの分も作りましたから」
「え、・・・あ、ありがとう」
「いえ」
にこぉ、とリョーマが笑う。
それは紛れもなく、・・・不二の知るリョーマではないかもしれないが、確かに“越前リョーマ”だった。
自分がリョーマを分からない筈が無い、という自負が不二にはある。
柔らかそうな髪、大きな瞳、ぷくりとした赤い唇、白皙の頬、小さな耳。瞬きに震える睫の長さまで、それは紛れもなく“越前リョーマ”だった。
・・・・・・違うとしたら、不二を見るリョーマの瞳が、これ以上は無いほど甘くとろけていること、だろうか。
不二は初めて見る“リョーマ”を、戸惑いながら見つめた。
恋する人間に、こんな視線で見られているのだ。嬉しくない男なんていないだろう。いないだろうが、しかし。
・・・・ここまでいきなりの変化を見せられて、戸惑わない男もいようか。(反語)
「周助ってば。・・・・恥ずかしいよ」
不二の視線に気付いたのか、リョーマがぽっ、と頬を染める。
その可愛らしさと言ったら、筆舌に尽くし難い!!!!!!・・・・・が、より確実に不二の知る“リョーマ”でないことが窺い知れた。
「ね、あったかいうちに食べて?」
「う、うん。頂きます」
表面上はどこまでも狼狽の出ない不二姉弟。にっこり微笑むと、彼らは同時に料理に向かった。
今日のメニューは、オムレツにキャベツの千切りにトマト。そしてご飯とおみそ汁、という何とも奇怪な組み合わせであった。
おそらく、ご飯とおみそ汁だけはリョーマとして外せないものであり、どちらかと言えば洋食派の不二のためにオムレツを作ってくれたのだろうと分かる。
オムレツは見た目、どこにも焦げ目は無く・・・とても綺麗に、そしてふわふわに出来上がっていた。
見た目だけでは120点である。
不二は、以前、目玉焼きを焦がしたリョーマを思い出しながら、オムレツを口にした。
「・・・・・・・・・・・」
しかしオムレツは美味しかった。
・・・しかも異様に美味しかった。
味もきっちり不二好みに仕上がっている。(タバスコがかかっているあたり、特に)
「・・・周助?美味しくないの?」
「・・・・ううん、とても美味しいよ?」
不二がリョーマに極上の笑顔で返す。
リョーマは嬉しそうに顔を輝かせると、僅かに不二の方へ身を寄せた。
「ん」
「え?」
リョーマの意図が分からず、瞬く不二にリョーマが不安そうな表情になる。
「・・・オムレツ、美味しくなかった?」
「・・・いや、美味しかったよ?」
「なのに、・・・それだけ?」
「え?」
「いつも、おいしいよ、って言ってくれた後、キスしてくれるじゃん。してくれないの?
それとも今日、そんなに美味しくなかった?」
自信作だったんだけど、と寂しそうに続けられる。しゅん、とするリョーマに不二は慌てて手を振ると、
「そんなこと無いよ、すっごく美味しい。ありがとう」
ちゅ、とリョーマの頬にキスをした。
リョーマの表情が至極幸せそうなものに変わる。
・・・それはとてもとてもそれはもうとぉっても!ほのぼのしくはあったのだけれど、
不二はあんぐり口を開けている姉と視線を絡めると――・・・これまた綺麗に刻まれたキャベツを箸に取り、無言で口へと運ぶのだった。
どうやらこの“リョーマ”は僕らの知っている“リョーマ”では無いらしい。
不二は自分の中の結論に、ひとり頷いた。
パラレルワールド、という言葉が頭に浮かんでくる。
つまり、この世界と良く似た平行宇宙から――何らかの原因で、リョーマが入れ替わってしまったのだ。
例えば今のリョーマと自分の知っているリョーマが同一人物だとしよう。ならば、リョーマは何らかの原因で人格が豹変したことになる。だが、不二の記憶には、昨日リョーマに悪いモノを食べさせた覚えは断じてないし、頭を打ったとリョーマが言っていた覚えも無い。
また、今のリョーマと不二の知っているリョーマが同じ人物ならばどうしても説明できない部分―例えば料理―ができてくる。
とすれば、答えはひとつ。
今の“リョーマ”と不二の知っている“リョーマ”が同じ人物で無い。
・・・と、いうことだ。
(ちなみに、このリョーマが不二の知っているリョーマのそっくりさん、という可能性を不二は排除していた。何故なら、この“リョーマ”はあくまでも“越前リョーマ”、であったのだから)
不二は己の中で出た結論に、きっとそうだ、と楽しげに微笑んだ。
このころになっていれば、不二は完全に開き直っていた。
「ま、本当のリョーマくんはいつか戻ってくるでしょv
それよりせっかくだから今の状況を楽しまないとね〜♪
何せ、僕のリョーマくんはこんなに人前でラブラブさせてくれないしv」
フフフ、とほくそ笑む不二は、実際はパラレルワールドであろうがあるまいがあまり気にしてないのかもしれない。
・・・やはり、不二周助はどこまでいっても不二周助なのであった。
開き直った不二は、そしてはた迷惑なほど世界最強であった。
ここぞとばかりにリョーマといちゃつき始める。
それは朝の登校に始まり、部活の朝練を通し、授業時間の間の休み時間を通し、昼休みを通し、放課後の部活を通し。
暇あらば隙あらばリョーマに近づき、いちゃつこうとする。
普段ならば、リョーマはそんな不二を一蹴しただろう。だが、この“リョーマ”は違った。
全くもって、嫌がらない。
時には恥ずかしそうに頬を染めながらも、不二の行動を全て受け入れていたのである。・・・・結果、周りにいた人間たちが唖然としてモアイ像と化し固まる、もしくは砂を吐くようなラブラブバカップルが結成されたのだった。
例1:
「リョーマくん、手を繋いで学校に行こう?」
「うん、周助v」
――――序の口。
例2:
「リョーマくん、僕のこと好き?」
「大好きv」
――――一歩。
例3:
「リョーマくん、キスしてもいーい?」
「・・・外なのに・・・・・」
「だめ?」
「・・・・・・・いっかいだけだよ?」
「うんvv」
――――三段目。
と、言う具合にである。この先は聞かぬ方が心臓のためだろう。
ちなみに例3に行われた会話の後、
「ここはグラウンドだ――――っっっっ!!!!!!!!!」
と、叫んだ手塚によって二人ともグラウンドを30周走らされていたりする。
可愛い余談である。
放課後になれば、さすがのテニス部員たちも異変に気付いてくる。
――いや、本当は朝に不二と手を繋いでやってきて、さらに「おはよーゴザイマス・・・」とにっこり微笑んだリョーマを見たとき既に、と言って良かっただろう。
だがしかし、朝練の間彼らはこの珍事を見ない振り、もしくは幻覚で押し通した。
しかし、聞こえてくる奇怪な噂や放課後も変わらぬリョーマの姿を見てしまえば、いつまでも現実逃避しているわけにもいかず・・・彼らは漸く現実を認識しようと調査に乗り出したのだった。
「不二。――お前、越前に何かしただろう」
まず、詮議は当然というか何と言うか、不二に向いた。
「やだなぁ、人聞きの悪い。僕がそんなことする人間に見える?」
思いっきり見える!
・・・・・・と、このとき不二の近くにいた人間は深く頷きたくなる衝動を抑えなければならなかった。
ここで頷いてしまっては人生の終わりだ、とばかりに必死で頷くことを堪えた彼らは、どうにか体勢を整えて不二に対峙しなおした。
「・・・・じゃあ、あの越前は何だ」
「何だって、何が?」
「おかしいだろう?不二、何か知っているんじゃないのか?」
「そう?おかしいかなあ」
「・・・・・・・いや、どう見てもおかしいッス」
「どこが?」
「どこがって言うか、ぜぇんぶおかしいじゃん!あんなのおチビじゃなーい!!」
「そうかな?いつもの可愛い可愛い僕のリョーマくんだと思うけどv」
「どこがだ・・・・!!」
「っていうか可愛すぎるじゃん!!」
「どう見てもおかしいだろう!?」
「気持ち悪いッス・・!!」
一斉に反論をする周りに、不二が噴き出す。あまりに予想通りの彼らの反応に、不二は腹を抱えた。
「何が可笑しい・・・・!」
「だって、あんまり想像してたとおりだったから・・・・・あははっ」
「不二!!」
「ね、みんなはパラレルワールドって信じる?」
「「「「「「はあ!??」」」」」」
「どうやら、リョーマくんてば違う世界のリョーマくんと入れ替わっちゃったみたい♪
今日のリョーマくんは、どうやら素直で可愛いリョーマくんのいる世界のリョーマくんみたい」
不二が悪戯っぽく周りを見渡す。
・・・・だが、周りは思いもしなかった言葉に呆然と立ちすくむだけだった。
パ、パラレルワールドだと!?そんなことがこの現実にあるわけが・・・・っ!!
いや、だけどそれならこの状況に納得はいく・・・・・・!!
えー!?ってことは他にも可愛いおチビがいっぱいとかっ!?欲しいっっ
パラレルワールドだってぇええええ!?・・・それって何だっけ・・・?
最後のは問題外として。
どうやらぐるぐる思考の波に巻き込まれてしまったらしい彼らを見て、不二は可笑しそうにプププッと肩を揺らした。もう一度噴き出した不二に、まず思考の波から抜け出した手塚がその額に青筋を立てる。
「不二!!!ふざけるな・・・・・っ!!」
「やだなあ、ふざけてなんかないってばv」
「ふざけているだろう!?なにがパラレルワールド・・・ッ」
「周助?」
激昂しかけた手塚のセリフに被るようにして高めの声がかかる。
変声期前のその声が誰のものであるか、もちろんそこにいる誰もが知っていた。
何せ、今まで話題になっていた、その本人であるのだから。
「・・・・・越前・・・・・」
いきなり全員に注目されたリョーマは、見つめられる視線に僅かに怪訝そうな顔をした。
が、「なあに?」と微笑んだ不二を見上げると、
「周助。ラリー、一緒にしよ?」
にこぉ、とそれはそれは愛らしく微笑んだ。
しかも、ね?とお願いポーズで小首を傾げ、指でちょい、と不二のジャージの裾を引っ張ったりなんかもしたりして・・・・・それらを目にした不二周助以外の人間は、それぞれがハンマーで頭を直撃された衝撃を味わった。鼻血を噴きそうなほどにこのリョーマは可愛すぎる・・・・っ!!!
「うん、もちろん良いよv」
笑顔で頷いた不二は、リョーマの手をとって輪を抜ける。リョーマの可愛さに頭を打たれようと、立ち直りが早く、かつリョーマへ応える手も早いのはさすが不二周助と言うべきか。
そして、不二はリョーマの手を握ったまま二三歩進むと、そこで振り返り、未だぼーっとしている彼らに嫣然と笑いかけたのであった。
「ね?だから言ったでしょ?」
リョーマは不二とコートへと向かいながら、見上げた先の不二が上機嫌に瞳を細めているのを見て、首を傾げた。
「・・・・どうしたの?」
「ううん、何でもないよ?」
不二の答えにリョーマは口を噤み、何かを言いたそうに瞳を上げる。
しかし、そのときの不二は背後で円になって真剣に話し合っている彼らが楽しくて、そのリョーマの視線には気付かなかった。
ラリーをしようと近づいたコートで、分かれようと不二がリョーマと手を離そうとしたとき、不意にリョーマは不二の手を引き止めた。
ぎゅうっ、と掴まれた手に、不二がリョーマに視線を落とす。
「リョーマくん?どうかした?」
「・・・・・・・・ん」
不二の手を握り、俯き加減で黙り込んだリョーマに不二の眉が寄る。本格的にリョーマの話を聞き出そうとしたところで・・・・リョーマは意を決したように顔を上げた。
「ね、・・・周助」
「なあに?リョーマくん」
「部長、今日機嫌悪いね」
「そう?」
身構えていた不二が、僅かに拍子抜けたような顔になる。
そんな話か、と不二はまた微笑を唇に乗せた。
「いつもは機嫌悪くないんだっけ?」
向こうの手塚は違うのかなあ、とこれはリョーマに聞こえないよう口の中で呟く。
リョーマは全然じゃん、と首を振った。
「だって、眉間に皺寄せてる。・・・・・あんなの、初めて見た」
「ぶっっ!!」
いきなり噴き出した不二に、リョーマが目を丸くする。
「・・・・周助?」
「ププッ、・・・あ、ごめんごめん、何でもないんだ・・・くっくっく」
訝しげなリョーマにフォローを入れながらも、不二が肩を震わせ続ける。リョーマの言葉によって、何を想像したのか。一度緩んだ笑いの綱はなかなか締め直せず、笑い続ける不二をリョーマは何とも言えない表情で見上げた。
「・・・・・・何か周助も、いつもと違うね」
「え?」
「・・・・・・・・・・・」
ぽつりと言った言葉に、不二が漸く笑いの発作をおさめてリョーマを振り返る。まだ笑いの欠片を目尻と唇に残した不二を、リョーマはじっと見つめると、やがて哀しげに俯いた。
「・・・・・リョーマくん?」
「不二!!越前!!何をしている、さっさとコートに入れ!!!」
リョーマの様子がおかしいことに気付いた不二が、リョーマを覗き込もうとした瞬間に手塚から声が上がる。
まるでタイミングを計ったようなそれに、思わず不二は軽く舌打ちをした。
その音に、リョーマがまた何とも言えない表情になる。
困惑が多く混じったそれに、不二は気付きながらもそのときは何も言えず、二人はネットを挟んで分かれたのだった。
――それから、リョーマの態度は急変した。
不二の言葉に怯えたように肩を震わせる。
微笑みに戸惑ったような顔をする。
抱きしめようとした腕には泣きそうな表情をして。
仕掛けたキスは小さな抵抗で阻まれた。
おかしかったのは、無論不二にだけでは無い。
眉間に皺を寄せたまま困ったように見つめてくる手塚や、そんなリョーマを真剣に案じている大石、心配そうに構う菊丸・・・・・つまり、テニス部全員に対しておかしな態度を見せるようになっていた。
リョーマは、漸く自分を取り巻いている環境がおかしいことに気付いたんだろう。
戸惑ったように困ったように、そして泣きそうに顔を歪めるリョーマに、不二は珍しく困り果てていた。
好きな子の、ましてや誰より愛しい恋人の、そんな顔を誰が見たいだろうか。ましてや自分を拒否するところなど。
例えこの“リョーマ”が、不二の“リョーマ”で無かったとしても、だ。
部活が終わるころにはすっかり塞ぎ込んでいたリョーマを、不二は心配そうな部員たちの視線に見送られながら自分の家へと連れ帰った。
連日お泊まりとはお盛んだな、などと冷やかしてくる南次郎を適当に交わし、泊まりの許可を得る。
その電話を端で聞いていたリョーマは、今日何度目かになる何とも言えない表情を浮かべていた。
「さて、と」
リョーマに向き直った不二に、リョーマがびくん、と身体を震わせる。
そのあからさまな態度に、不二は苦笑した。
だが、これは朝から避けられないと分かっていたことだ。・・・・少なくとも不二には。
不二は、ソファに座っているリョーマの前に膝を付くと、真っ直ぐその瞳を覗き込んだ。
「リョーマくん。・・・・もう、分かってると思うけど・・・・僕は君の知っている“僕”じゃない」
いきなりの直球の言葉に、リョーマの表情が泣きそうなものに変わる。
「ああ、泣かないで・・・君は僕の知っている“君”じゃないけれど、泣かれるとすごく辛い」
不二がリョーマの頬を撫でる。
その頬が不二の触れ慣れた感触と同じであるように・・・・リョーマにとって、触れてくる不二の手は自分の恋した者の手とまったく同じものであった。
払いのけて良いのか受け入れて良いのか分からず、リョーマの身体が固まる。
それに構わず、不二はリョーマを落ち着かせるように何度も触れると、小さなキスをリョーマの額に贈った。
「この世界は・・・君の世界とはどうやらちょっと違うようだ。・・それは、今日一日学校に行って、分かったと思う」
こくん、とリョーマが頷く。
「・・・・パラレルワールド・・・って、聞こえた・・・・・」
「ああ・・・手塚たちと話していたときだね?
うん。たぶん、そうだと思う。だって、君は“リョーマ”くんだもの。・・・でしょ?」
「・・・・・・・・・・周助も、周助だよ・・・・?」
「うん」
リョーマの言葉に、不二は穏やかに微笑んだ。
「・・・・・周助の笑顔がね・・・・」
「うん?」
「・・・・・・・・・俺の周助と、一緒・・・・・・・でも、違う・・・」
「そう」
「ん。・・・・・笑い方が、違う・・・・・・」
リョーマの小さな手が、不二の頬に触れる。・・・・それはこの“リョーマ”の不二のものと寸分違わず、そしてその笑顔も同じで、・・・・・けれど、間違いなくこの“不二周助”はこのリョーマの“不二周助”では無かった。
「・・・・どうしてこうなっちゃったの?」
「さあ?・・・・それは分からない。何が原因なんだろうね」
「もう、戻れない・・・・・?」
辛い想像に、リョーマの瞳からぼろりと涙が零れる。大きな瞳からぼろぼろと大粒の涙を零し、不二を見つめるリョーマに、不二は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。絶対に、戻れるよ」
不二の指が涙を拭う。
それはこの世界の不二にとって、初めての行為だったのだが――・・・リョーマは、いつもの不二と同じ行為に安心したようににっこりと笑った。
瞳を潤ませながら愛らしい微笑みを浮かべたリョーマに・・・不二はぞくりと背筋を震わせた。
熱い痺れが身体を走り、途端、下肢の一カ所に熱が集まり始める。
体験し慣れたそれに、不二は唇を吊り上げた。
リョーマの泣き顔を、不二は情事の時しか目にしたことが無い。そのせいだろうか。身体が素直に反応をしたのは。
――いや、このリョーマくんがきっと、可愛すぎるからだな。
不二はフ、と微笑み、リョーマの涙に濡れる頬をべろりと舐めた。
リョーマの身体がびくっと揺れる。
それまでの労るような触れ方とは違う、肉食獣が極上の餌にかぶりつく前にするようなそれに、リョーマは瞳を見開いた。
リョーマはそんな“不二周助”を知らなかった。本能的に感じ取った危機感に、じり、と身体が後ずさる。
不二が何をしようとしているのか分からない、と怯えに満ちた小動物のような瞳で不二を見上げる。その視線を受け、不二は小さく笑った。
普段のリョーマならば、僅かに怯えた感情を瞳に滲ませながらも強気な視線で不二を睨み上げる。
・・・・このリョーマは違う。違いすぎる。
あまりに純真で、可愛くて、綺麗で。
不二の“リョーマ”とはまた種類の違うそれらに、けれど不二は明確な食欲を覚えていた。
“リョーマ”でない、“リョーマ”。
だが、この“リョーマ”も、紛れもなく不二の愛した“リョーマ”なのだ。
「・・・・おいで」
「・・・しゅう、すけ・・・・?」
リョーマに向かい、手を差し出す。
「大丈夫。だから、おいで?」
その言葉も、その声も、そしてその差し出す手の角度さえ。・・・・リョーマの知る、不二と同じものだ。
でも――・・・・
リョーマを見つめる不二の瞳が、怪しく光る。
リョーマは、そんな不二の姿を見たことがなかった。ぞくん、と背を震わせて、今度は意図的に後ずさろうとした。
だが、身体が動いてくれない。
不二の瞳に魅入られたように硬直したリョーマは・・・・だがいつの間にか、その手を不二の手の中に滑り込ませていた。
力ずくで引き寄せられ、その腕の中に抱き込まれてからリョーマははっと我に帰った。
慌てて逃れようとしたところで、不二の唇がリョーマの唇に深く重なる。
いつもと違う。
何もかもが違う。
不二が自分の好きな“不二”でないことも分かっている。
だけど。
――自分に触れる、この唇も手も体温も、自分の知っているただ一人の恋人とまったく同じで――・・・・
感情の前に、身体の方が愛しいと嬌声を上げた。
恋人の背中にゆるゆると手をまわす。
リョーマは口腔を甘く犯す恋人の舌にうっとりと瞳を伏せると、
僅かに強張っていた身体の力を抜いて不二に全てを委ねた――。
翌朝。
・・・・周囲の予想に反し、“リョーマ”は正しい、彼らの知る“リョーマ”に戻ってきていた。
原因不明で引き起こった事故は、これまた原因不明の解決を果たしたようだ。
テニス部の面々は、現れたリョーマが
「・・・・・ッス・・・・」
と、ぶすくれた声で言ったとき、心底ホッとしたものである。
この“リョーマ”でない“リョーマ”は確かに素直でとてもとても可愛らしかったのだが、やはり彼らにとって“リョーマ”はこの生意気で強情で傲慢な“リョーマ”であったのだから。
・・・・同時に、不二とリョーマのラブラブビームを受け続けるかもしれない日々に各人恐怖と心労を感じていたという切実な本音があったりもするのだが、やはりこれは話を感動的にまとめるためにも黙っておいた方が良いだろう・・・。
「越前!戻れて良かったな」
「・・・・・そうッスね・・・・・マジでそう思います・・・・」
「?おい越前、何か顔色が悪くなってきたぞ?」
「・・・・・・・思い出すと、ちょっと・・・・」
「・・・・・・・・そんなに凄い世界だったのか?」
「向こうの世界ってどんなのだったんだ?」
「・・・・・・・怖かったッス・・・・・」
「怖かった?」
「だって、」
「だって?」
「・・・・・部長は菊丸先輩くらい話すし、大石先輩は何か笑顔に裏ありそうだったし、菊丸先輩は全然喋んないし、桃先輩は無愛想だし、海堂先輩は爽やかだし・・・・・」
「――つまり、今とほとんど逆だ、と」
乾の言葉にリョーマが頷く。リョーマを囲んでいたテニス部の面々は、それぞれ目を丸くして驚きを表したり、顔を見合わせて噴き出した。
「・・・・・だけど、何より怖かったのが・・・・・・」
そこで何を思い出したのか、リョーマはぶるりと身体を震わせる。
そして、口にするのも恐ろしいというように、血の気を失った顔でぽつりと呟いた。
「不二先輩が、心底ホワイトだったことッスかね・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
テニス部コートに沈黙が広がった。それはそのコートが出来てから、一番深く、そして広い沈黙であっただろう。
気の遠くなるような長い沈黙の後、顔色を真っ青にした彼らの中でどうにか数人だけが口を開いた。
「・・・・・・・それは」
「確かに、めちゃくちゃ怖いね・・・・・・」
一斉に頷いた彼らが、次の瞬間慌ててこれまた一斉に辺りを見回したのは、彼らだけの秘密である。
そのころ、話題の主はと言えば。
「うん、やっぱり僕はこっちのリョーマくんが好きだなぁ。ラブラブも素直なのもたまには良いけど、やっぱり素直じゃない方が可愛いしv」
と、どこか矛盾のある言葉を口にしながらにこにこと笑っていた。
その言葉の後に「素直にさせるのがたまらないんだよね・・・・フフフ」と、危険極まりないセリフが続いたことは・・・やはり、不二だけの秘密なのであった。
fin.
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深堂雫さんから戴きましたvというか奪ってきましたv(笑)
不二リョ祭の参加賞です♪
4つの小説があってその中からひとつだけお持ち帰り可だったので・・・
パラレル不二リョをチョイスvだってこれ最高です!
何が見たかったって、『爽やかな海堂先輩』が・・・!(爆)
是非『こっちのリョーマ』が行った『あっちの世界』が見てみたいようなやっぱ怖くて見れないような(笑)
雫さん、ホントにありがとうございました!参加してヨカッタ・・・(T▽T)
2001.5.15
