今夜も眠れない



 朝練開始後30分。
 遅刻者が約1名。
 もちろん、それが青学テニス部1年生にしてレギュラーであり、スーパールーキーと同じく遅刻魔として名を馳せている越前リョーマであったことは言うまでもない。
 テニスコートに現れたリョーマの機嫌は、かなり悪かった。
 不機嫌な理由はふたつある。
 ひとつは大変寝不足であったこと。
 そしてもうひとつは、恋人の不二周助のせいである。
 しかしひとつめの理由「寝不足」も不二のせいであったので、それでいくと全ての理由は「不二周助」ただひとつなのかもしれない……




 今朝のリョーマの目覚めは最悪だった。
 恋人の部屋で眠って目覚める朝。いつもなら傍らにある筈の温もりが今朝はなかったために、ひどく寒い思いをしたし(それで目が覚めたのだ)、何よりも起き抜けに目に入ったメモ用紙のせいである。


  おはよう、リョーマくん
  僕は先に朝練に行くね
  君はゆっくりおいで
  なんなら休んでもいいよ
  昨夜は無理させちゃったからね
  でも君が可愛いすぎるのが


 そこまで読んでリョーマはメモをぐしゃ、と握り潰した。
 だから最後に「P.S.愛してるよv」と記してあったことには気付かなかったし、例え気付いたとしても変わらずにゴミ箱へ放り投げただろう。むしろ破り捨てたかもしれない。

 それくらい、リョーマは怒っていた。
(だから、朝練がある日は嫌だって言ったのに……!)
 今更そんなことを言っても手遅れだし、そもそも言う相手がここにいない。それが余計にリョーマの怒りを煽る。
 昨夜、散々自分を好きなように弄んだ恋人は優雅に朝練へ行ってしまった。
 自分を置いて!
 いかにも自分を気遣っているかのような文面を書き残してはいるが、そもそもこんなにした張本人は誰だというのか。
(周助のアホー!!)
 これが不二の嫌がらせであるということはリョーマも気付いていた。
 そして恐らく、昨夜のやり取りのせいであるということも……

『リョーマくん、僕とテニスどっちが好き?』
『……………テニス』

 睦言の最中に、あの返事は不味かったのだ。やはり。
 もちろんリョーマだって本気で答えたわけでも嫌がらせで答えたわけでもない。ただ、甘い雰囲気に流されるにはまだ理性の方が勝っていただけの話である。不二だってそれくらい分かっていた筈なのに。
 なのに当然の如くと言わんばかりにその後は自分の答えを散々悔やむ羽目にさせられた。
 しかもそれだけでは足りなかったのか、今朝のこの仕打ちである。
 これで自分からテニスを取り上げたつもりなんだろうか。それにしては幼稚な手ではあったがリョーマを怒らすには充分だった。
(ムカツク!)
 ベッドに倒れこんで、高そうな羽根枕をボスボスと叩く。
 そして時計を見上げて……数瞬迷ってから、リョーマは再び起き上がると、壁にきちんとかけられていた自分の制服を勢い良く剥ぎ取った。




 リョーマの遅刻は半ば恒例行事となっていたので、取り立てて誰も気にする者はいない。そんな中、リョーマは不機嫌ながらもとりあえずは部内の最高権力者である手塚部長の元へ形ばかりの挨拶をしに行った。
「……遅いぞ」
「っス」
 遅刻は校庭3周。
 いつものことなのでそう言われる前にリョーマは走ろうとしたが、突然後ろから呼び止められてその足を止めた。そして怪訝そうに振り向くと、いつにも増して難しい顔をした手塚がリョーマを凝視している。
「…………なんだ、それは」
「それ?」
「いや、その……だから………それだ」
「?」
 同じ事を繰り返されてリョーマは首を傾げた。
「何すか?」
「何って……おまえ………」
「オレ?」
「いや……………」
「……………」
 歯切れの悪い手塚にリョーマはイライラしていた。只でさえ遅刻してきたのだから、このままでは朝練の時間がなくなってしまう。さっさと走って練習に混ざって、不二にボールのひとつやふたつぶつけてやろうと思っていたのに。まさか部長までグルだとは思わないけれど……
「…………何でもないなら走ってきます」
 これ以上付き合っていられない、とリョーマはさっさと踵を返す。しかし再び止められて、更に今度は襟首を掴まれた。
「何すんですか!」
「あ、ああ…すまん。しかし、その……」
 慌てて手を離して謝罪しつつも手塚の態度は相変わらずで、リョーマは思わず声を荒げた。
「やっぱり部長もグルなんすか!?」
「………は?」
「言っとくけど、オレは思い通りになんかならないから!」
「ちょっと待て、何を……」
 何やら言い争いを始めた二人に、周りの部員達がざわざわと注目する。しかし普段よりも眉間の皺を深くしている部長と超不機嫌なリョーマの間に割って入ろうという勇気の持ち主は誰もいなかった。若干名を除いて。
「何なに〜どしたの二人とも〜〜?」
 その若干名の内の一人である菊丸英二が、いつものように軽い足取りで現れ、いつものようにリョーマを後ろから抱き締めた。ちなみに菊丸はけして勇気の持ち主というわけではなく、ただ恐いもの知らずなだけである。
「離してくださいっ」
「あれ、おチビご機嫌ななめ。あの日かにゃ?」
 そんな冗談は当然の如く無視して、リョーマは菊丸の腕を振り解こうとぶんぶんと身を捩る。菊丸もリョーマに嫌われたくはないので大人しく、しかし名残惜し気にリョーマを解放した。
「手塚〜おチビちゃんに何したのさ〜?」
「……オレは何もしていない」
「オレ『は』ってことは〜〜…」
 そう言ってリョーマの顔を覗きこんた途端、菊丸は素っ頓狂な叫びを上げた。
「何それっ!不二にやられたの!?」
 リョーマは咄嗟にバッ、と首筋を押さえた。いわゆる条件反射、というものである。

「…………………………」

 長い長い沈黙が降りて、3人は揃って顔を赤らめた。
 そういえば、とリョーマは今朝は急いでいたので鏡を見ていなかったことを思い出す。
(あれほど見えるとこにはつけんなって言ったのに……!)
 ちなみにリョーマが赤い顔をしているのは恥ずかしいからではなく、怒っているからである。
 しかし向かい合わせた手塚と菊丸は恥ずかしさと気まずさのためだった。
「あ…あのさ〜おチビちゃん〜〜その首んとこも確かに不二なんだろうけどさ〜〜〜」
「………?」
 他にもついているのか、とリョーマはウェアの胸元を覗き込む。
「え、越前!」
「わ〜〜!そうじゃなくて〜〜〜!!」
 キスマークを探すリョーマに、二人は盛大に慌てた。朝から刺激の強い真似はやめて欲しいのだ。そもそもこんなことをして『奴』が黙っている筈がない。
「恋人以外の前で肌を晒すなんて、いけない子だね」
「!!」
 噂をすれば影である。
 音もなくいつの間にかリョーマの背後に現れた不二はにっこりと微笑んだ。
「おはよう、リョーマくん」
「……………」
 対するリョーマは無言で睨みを返したが、それに堪える不二ではない。
「今朝は一段と可愛いねv」
 含みを持った笑いで言われて、リョーマは更に不二を睨み上げた。
「……何か、したんすか…?」
「え、別に何もしてないよ?」
「嘘を吐け。おまえだろう、こんなことをしたのは」
「こんなことってどんなこと?手塚?」
「そ、それは……」
 何故か言葉に詰まる手塚とにこにこ微笑む不二を交互に見てから、リョーマはくるりと菊丸へ視線を向けた。
「…菊丸先輩」
「えっ?え〜〜っとね〜、その…おチビちゃんのおでこにね〜……」
「?」
 リョーマは長い前髪を払って額を探ったが、何もおかしな感触はない。一体何なんだ、とムスッとして顔を顰めていると、不意に頭上から手鏡を渡された。
「……乾先輩」
「これを見た方が早いだろう」
「………どうも」
 いつからそこにいたんだろうとか何故そんなものを持ち歩いているんだろうとかその他の疑問はとりあえず内心に留めておいて、リョーマは乾の手からそれを受け取ると鏡を覗きこんだ。

周 助 命

 そう額に書いてあった。恐らくマジックペンで。これが不二の悪戯なのだろうか。
(なんだ、これ……)
 もしかしたら未だ漢字に弱い自分には知らない言葉があるのかもしれない、と意味が分からず考えこむようにしているリョーマに、乾が助言する。
「越前、鏡だから逆に読まないとダメだぞ」
「……………」
 うっかり失念していたリョーマは少しだけ顔を赤らめて再び鏡を覗き込んだ。しかし直後、更に一気に顔を赤くすることになる。

 周 助 命

「………っ!!」
 ようやく気付いて多大な反応を示すリョーマを見て、不二は可笑しそうに噴き出した。
「不二先輩!何すか、これ!」
「え?これって何かな?」
「!」
「何が書いてあったのかな?リョーマくん、教えて?」
 白々しい……、とその場にいた人間が全員同じ気持ちで不二を睨んだが、本人はまるで気にせず殊更嬉しそうににこにこと笑っている。
 一方リョーマは先程の手塚の態度の理由が分かり、どこか冷静な頭で心から納得していた。しかし怒っていることに変わりはなく、不二をギロリと睨みつける。
「そんな顔で睨まれても説得力ないんだけどな♪」
「誰がこんなにしたんだよっ」
 人前だというのに敬語を使うことを放棄したリョーマを、不二がくすくすと笑って見つめた。
「だってリョーマくんの口は素直じゃないから。身体はあんなに素直なのにね」
「なっ!!」
「昨夜だってあんなに……」
 とんでもないことを喋り出した不二の口を塞ごうとリョーマが掴みかかる。しかし胸倉を掴んだ時点で手塚に制止された。
「おまえら、いい加減にしろ!不二は校庭10周、越前は顔を洗ってこい!」
 これ以上痴話喧嘩をされてはたまらない、と手塚は二人に各々指示を出す。薄く笑みを浮かべる不二と、むぅと頬を膨らませるリョーマから、出来るだけ視線を逸らしながらではあったが。
 そして周りも、とばっちりを受けてはたまらないので早々にその場から退散する。リョーマも仕方なく不二から乱暴に手を離すと、手洗い場に向かってズンズンと歩き出した。
「越前。それは恐らく油性だからこれを使った方がいいだろう」
「…………どうも」
 途中、乾がそう言ってどこから取り出したのか『クレンジングフォーム』とやらを投げて寄越したが、リョーマには追及する気も起きなかった。



 バシャバシャと乱暴に顔を洗う。
 リョーマは、鏡も借りてこればよかったと後悔していた。ちゃんと落ちているかどうかわからないからだ、あの落書きが……
 思い出すだけで怒りがふつふつと湧いてくる。あんな悪戯をした不二には当然だが、それに気付かなかった自分にも怒れてくるのであった。
(くっそう……)
 絶対仕返ししてやる。
 油性マジックなんかじゃなくて絶対消えないような……乾に頼めばひょっとして何か持っているかもしれない。
 そう不穏なことを考えていると、不意に背後に人の気配を感じてリョーマは振り返った。
「はい、リョーマくん。タオルだよ」
「……………」
 まさに仕返しをしたい相手がそこに立っていた。リョーマは無言でタオルをひったくるようにして奪うとゴシゴシと額を擦る。
「落ちちゃったねえ」
 残念そうに呟く不二をリョーマはタオルの隙間からジロリと睨んだ。
「校庭10周なんじゃないんすか…」
「もう済んだよ」
 嘘つけ、と内心思いながらリョーマはそっぽを向く。
「ところで、リョーマくん。仕返しするなら『リョーマ命』って書いてね♪」
「!!!」
 驚いて振り向けば、不二がにこにこと笑っていた。リョーマは舌打ちしてタオルを不二に投げつける。
「誰がそんなん書くかよっ!」
 それはけして嘘ではなかった。
 そう、どうせ書くなら『fool(バカ)』とか『shit(くそったれ)』とか『asshole』『fucking』『son of a bitch』(過激なので和訳できません)とか書いてやる……
 そんなリョーマの思考を読んでいるのかいないのか、不二は少し考え込む仕草をしてから再びにっこり笑って言う。
「まあ、何を書いてもいいけど……リョーマくんが僕よりも遅くまで起きていられたらの話だね」
「……起きてるよっ、絶対起きてやる!」
「そう、頑張ってね」
 笑って答える不二にリョーマは少し拍子抜けしたものの、更に続けられた言葉に絶句してしまった。
「もちろん僕も君の夜更かしに付き合ってあげるから安心してね♪」
 それじゃ意味ないだろー!
 しかし、そう言葉にする前に不二が目の前まで近付いて来たかと思うと。
「今夜は眠らせないよv」
 そう言って不二はリョーマの前髪をかきあげると、擦れて少し赤くなった額にちゅっとキスをした。



 ちょうどそれを目撃してしまった手塚が更に校庭10周追加の刑を下そうとしたが、生憎と予鈴がなってしまったので渋々諦めたということは誰も知らない。もしかしたら不二は知っていたかもしれないけれど。

 そしてその夜、リョーマが眠らせてもらえなかったかどうかは……二人だけが知っている。




fin.






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e-yan-kさんの不二リョ祭に参加させていただいた時のものです。
誕生日ネタは既に使ってしまったのでこんな話になりました(苦笑)
これを書くために「英語で悪口」を検索かけた自分が悲しい・・・
英語なんてわかんないんだもん。
でも英語で喋るリョーマさんは大好きvvv

2001.5.15 あいりん