電車の中は満員だった。
恐らくこの中にいる殆どの人は、この路線沿いにある先日オープンしたばかりのアミューズメントパークがお目当てなのだろう。不二とリョーマもその内の一組だった。
乗り込んだ時はさほどでもなかったのだが、各駅に停車するたびにどんどん人が増えてきて今や身動きを取るのも難しい。不二はリョーマを扉側に立たせて、囲うように扉に手をつく。長身とは言い難い不二であったが、とりわけ小さなリョーマを庇うには十分であった。
「何でこんなに混んでんだろ……」
「皆、暇なんだよ」
「……オレ達も暇人ってこと?」
「まあ、そうだね」
「……あと、どれくらい?」
「…5駅くらいかな」
そんな風にして他愛無い会話をぽつりぽつりとしていたのだが、やがて会話が途切れる。元々リョーマが話題を切り出す方ではないので、不二が話さなければすぐに二人の間には沈黙が流れるのだ。けれど特にそれが苦痛と言うわけもなく、しばらくリョーマは静かに外の景色を眺めていた。
しかし突然、不二がリョーマの背後に覆い被さるようにしてきたので驚いて振り向く。
「先輩?」
訝しむリョーマの耳元に不二がフッと息を吹きかけた。
「っ!?」
思わず上げそうになった声を慌てて飲み込み、リョーマは耳を手で押さえる。
「感じた?」
楽しそうにくすくすと笑う不二を、リョーマは少し赤くなった顔で睨み付けた。そしてできるだけ小声で釘をさす。
「……痴漢ゴッコならお断り」
「残念」
不二は目を細めて小さく笑った。
それは、いつも通りの綺麗な微笑みだったけれど。
「………?」
何故かリョーマは違和感を感じる。何が違うとはハッキリ言えないけれど、でも確かに何かが気になった。それまで怒っていた眼差しを訝しげなものに変えて、リョーマは訊ねてみる。
「先輩…どうかしたの?」
「………え?」
不二が少し驚いたように目を見開いた。しかしすぐに、どうもしないよ?と答えて先程と同じ顔で笑ってみせる。リョーマは不満そうに口を尖らせた。
「嘘。なんか……違うもん」
「違うってどこが?」
「どこって……」
自分でもよくわからないけれど、でも気になるのだ。
リョーマが難しい顔をして考えていると、不二がくすっと笑って再びリョーマの身体に寄りかかる。
「変なリョーマくんだね」
「ちょ、先輩……何すんのっ」
「んー、ちょっとこのままで…」
耳元で囁かれて、思わずリョーマは身体を硬くして身構えた。てっきり、不二がまた痴漢の真似でもしてくると思ったのだ。
しかしリョーマの思惑とは裏腹に、不二はそのまま自分にもたれかかっただけでそれ以上何もしようとはしなかった。
……やっぱりおかしい。
べつに、痴漢行為に及んで欲しいわけではないのだが、それでもやはり不二らしくないような気がする。決して決して、そんな真似をして欲しいわけではもちろんないけれど。
「……………」
いつまでも自分に身体を預けたまま一向に離れようとしない不二を、さすがに訝しく思ってリョーマが様子を伺う。そして振り向いて不二の顔を見ると、その額にうっすらと汗が浮かんでいるのに気づいた。
確かに車内は冷房が効いているとはいえ、これだけの人数がいるとさすがに多少蒸し暑い。しかし不二は体質なのか何なのか、真夏の炎天下での練習にも汗ひとつかかず涼しげな顔をしていて、リョーマに「人間じゃない」と言わしめたこともあった。もちろんリョーマ以外の人間がそんな口を聞こうものならそれこそ「人間じゃない」報復措置を取られることは間違いないので、誰も口には出すことはなかったが。
そんな不二が僅かとはいえ汗をかいているのだ。リョーマが己の不審を確実なものにした途端、次の停車駅を知らせるアナウンスが車内に響いた。
「すいません、降りるんで通してください」
「リョーマくん?」
驚く不二の手をぐいぐいと引っ張って、リョーマは強引に人波を押し分け始めたのだった。
ホームのベンチに座っている不二の額に、リョーマは濡らして来たハンカチをぺたりと張りつける。不二は礼を言うと大人しくそれを手で押さえて、ふうと息を吐いた。
「…酔ったんだったらそう言えばいいじゃん」
「ごめんね」
「……べつに」
べつに謝って欲しいわけではない。怒っているわけでもない。ただ心配だっただけなのだ。けれどそんなことを正直に口には出せなくてリョーマは黙り込んだ。
「ありがとう」
「………」
そんなリョーマの心を見透かしたように不二が微笑む。いつものことだけれど、嬉しいような悔しいような複雑な心境でリョーマは口を尖らせた。
「電車に酔うって言ってくれれば、タクシーでもよかったのに……」
当初、不二がタクシーで行くことを提案したのだが、リョーマが反対したのだ。不二に任せておいたらおよそ中学生のデートの範疇というものを越えてしまう。デートコースにおいてもそうだがとりわけ金額において。特に倹約家というわけでもないリョーマだが、使わずにすむお金をわざわざ使うことはないと思っている。いくら不二が負担すると言っても、そういう問題ではないのだ。
でも、だからといってちゃんとした理由があるのなら話は別だ。それなのに……
「実は、満員電車に乗ったのは初めてだったんだ」
「………お坊ちゃんだね、先輩」
驚きつつリョーマが皮肉めいた笑いを浮かべた。不二の方もやんわりと目を細めて微笑い、敢えて否定する気はないようである。そういうリョーマの方とて帰国子女で寺の一人息子でお坊ちゃまと呼んで差し支えのない環境なのだが、こちらは不二と違ってまったく自覚が無いらしい。
そんなわけで二人のお坊ちゃまはしばらく並んでベンチに腰掛けていたのだが、やがてリョーマが立ち上って大きく伸びをした。
「じゃ、帰ろ。下りの電車は空いてるみたいだし」
「え?」
やはりまだ車酔いの症状から完全に立ち直ってないのか、どうも反応が鈍いな、と不二は自分で思う。そんな不二を見下ろしてリョーマは溜息を吐いた。
「体調悪い先輩と遊びに行ったってつまんないじゃん」
「僕ならもう平気だよ」
「オレがやなの。先輩が倒れても、捨ててっていいならいいけど?」
些かきつい口調はリョーマなりに不二の身体を気遣ってのことである。ひねくれた心配の仕方に不二はただ苦笑した。
「わかりました。大人しく帰ります」
慇懃に不二がそう言うとリョーマが満足そうに笑って頷く。
「ちゃんと家まで送ってってあげるからね」
「それはどうも。ついでに添い寝もしてくれれば、すぐに元気になると思うけどな」
「……なんか、もう元気じゃん」
「そうだよ。予定通り行こうか?」
「………いい。ダメ。帰る」
調子の悪い不二という滅多にないものを見てしまったせいか、リョーマとしては柄にもなく慎重な意見を通した。
「先輩の家でゲームしよ」
不二の家にはリョーマの為に一通りのゲーム機にソフトが揃えられているのだ。しかしアミューズメントパークのゲームよりかなりのスケールダウンは明らかで、不二は他の人間には決して見せないだろう殊勝な顔でリョーマに謝った。
「ごめんね」
「いいってば。帰りにケーキ買ってくれるでしょ?」
「店ごと買い占めるよ」
「もう……」
不二の冗談とも本気ともつかないセリフにリョーマは怒ったように、けれどくすくすと笑う。
元々、怒ってなんかいないのだ。そりゃあ、オープンしたてで話題のスポットにも行きたかったけれど、でも不二と一緒だからこそ行きたかったからで。不二と一緒なら行き先がどこでも構わなかった。こんなことは死んだって口にはできないけれど……
「リョーマくん?」
呼びかけられてリョーマはハッとする。知らずに不二の顔をじっと見つめていたらしい。慌てて何でもない、と少し赤くなった顔を左右に振ると、ちょうど下りの電車が到着する旨のアナウンスがホームに流れ始めた。
「電車来たよ、周助」
誤魔化すように言って不二の手を取る。珍しく名前で呼ばれ、不二は微笑んだ。
「ねえ、リョーマくん」
リョーマに手を引かれながら不二がゆっくりとベンチから立ち上がる。
「リョーマくんには悪いけど……僕はこうして君と手を繋いでいけるなら、どこでもいいなって思ってるんだ」
遊園地でも学校でも。例え天国でも地獄でも。
そう続けられてリョーマは驚いた。ついさっき自分が考えていたことをそのまま不二が言ってのけたのだから。でも不二のことだから、リョーマの考えていることをちゃっかりと読んだ上でのことかもしれない。だけどもしかしたら、もしかしたら不二も本当にそう思っているのかもしれない。
「……………」
答える代わりにリョーマは繋いだ手にぎゅっと力を込めた。死んだって口にはできないけれど、これくらいなら。だけどこれだけで、この恋人には伝わってしまうのだろう。案の定、一瞬の間を置いて不二の手がリョーマの手を優しく握り返した。
やがて電車がホームへと滑り込み、舞い上がる風がふたりの前髪を揺らす。リョーマの髪を微かに赤くなった耳にかけてやりながら、嬉しそうに不二はそっと囁いた。
「今夜は天国に連れていってあげる」
途端に真っ赤になってしまったリョーマの手を今度は不二が引いて電車に乗り込んだ。鼻歌まで歌い出しそうにご機嫌な不二の隣で、リョーマはバカバカヘンタイと不二に向かって悪態を吐く。
調子に乗り過ぎなんだから、だから言いたくなかったのに。
拗ねた素振りでそっぽを向きながら、でも、それでも。繋がれた温かな手をけして振り解こうとはしないリョーマだったのだ。
fin.
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最近、人間らしい不二先輩がマイブームです。
らしいって人間じゃないんですか不二先輩は・・・え?今更?(笑)
そんなわけで車酔い(正しくは電車酔い)の不二先輩。
某Nさんが「新幹線で酔ったー」というメールをくれたのでそこからいただきましたv
そんなわけでこれは某Nさんへ勝手に捧げます☆(ウチの不二リョの大半はNさんのものだな)
実は痴漢ゴッコをメインに書きたかったというのは秘密です。
2001.9.9 あいりん
