秘密の恋だぜ!



「…っつ」

 他の人間だったらまず間違いなく無視されてしまうほど小さな、本当に小さな微かな叫びは、しかしそれを発した人物故に、誰も無視することができなかった。

「どうした、越前?」
「どしたの、おチビ?」
「どうしたの、リョーマくん?」
 等々、その他似たようなセリフや無言の問い掛け等が延々と続く中、当のリョーマは少しだけ顔を顰めて答えた。
「……何か、切ったみたいっス」
 まるで他人事のようにそう言ってペロリと唇を舐める。そんな仕草は、周りにいたリョーマに思いを寄せる男達を間違いなく煽ることになるのだが、そんなことはリョーマの知ったことではないのだ。一瞬だけ見せたその赤い舌で周りの人間を全て悩殺しておきながら、しかしリョーマはまるで何事もなかったように再び箸を口に運び始めた。

 今は部活の昼休憩に入ったばかり。
 いつものことだが寝坊して朝食をロクに食べていなかったリョーマは、休憩に入った途端、誰よりも早く弁当を開き一番に食べ始めた。そしていつものようにその周りへとレギュラー陣が続々集まり出した時に、それは起こったのだ。
 どうやら、リョーマの下唇にささくれた割箸が刺さったらしい。
 らしい、というのはリョーマが必要以上に何も言わないからである。しかし、とりあえずそれを察した男達が悩殺状態から何とか我に返ると、次々にリョーマに群がり始めた。
「越前、大丈夫か?ちょっと見せてみろよ」
「桃が見たって治んないよん。オレが舐めて治したげる〜」
「英二が舐めたら病気がうつるよ。ほらリョーマくん、お箸交換してあげる」
「不二ってばヒドイ〜!オレ、ビョーキなんか持ってないもん!」
「リョーマくんにお馬鹿がうつったらどうするのさ」
「とか言って不二先輩は何してんすかっ!?」
「ん?僕が舐めるなら問題ないでしょ」
「ダメ!不二はゼッタイ舌入れるぞ!おチビ、オレにしとき〜!」
 等々、あの手この手で我先にリョーマとの接触を図ろうとする。しかしそんな中にありながら、当事者である筈のリョーマは呑気に弁当を食べ続けていた。しかも不二と菊丸と桃城が牽制しあっている間に、ちゃっかりと河村がリョーマに麦茶を注いでやり、海堂がデザートのりんごを分けてやったりしていたので、それらを遠慮なく受け取りながら。
 しかし予想通りといえば予想通りであるが、邪魔者を見事押し退けたのは不二周助であった。そしてそのまま不二がリョーマの顎をくい、と持ち上げたので、さすがにリョーマは食事の中断を余儀なくされてしまう。
「うぎゃー!」
「うわーっ!!」
 周りが奇声とも言える悲鳴を上げる中、あわや不二の食事(?)が始まらんとしたその時。お約束とも言える、不二に言わせれば無粋でしかない制止の怒号が響いたのだった。

「何をしているんだ、お前達は―――!!」

 青学テニス部部長と副部長のご登場である。
 ワンパターンで申し訳ないが、肩書きを背負う身としてはやはり色々あるわけで……というのはともかく。自分達がいなければ一体この部は(というかリョーマは)どうなってしまうのだろうと、二人は一抹どころではない不安をひしひしと感じていた。そんな二人の苦悩をもちろん承知の上で、不二はにっこりと笑う。
「大事なレギュラーが怪我をしたら手当してあげるのは当然でしょ?」
 当然かもしれないが、間違っても不二はリョーマ以外のレギュラーにそんな真似をすることはないだろう。しかし言及するのは恐ろしいので敢えて手塚はそれには触れず、代わりにリョーマへと傷の具合を尋ねた。
「べつに、何ともないっス」
 そう答えながらリョーマが手の甲で、ぐい、と些か乱暴に口を拭う。しかしその途端、再び血が出て来たのかリョーマの唇が赤く滲んだ。
「ああ、大変」
「待て、不二」
 大変と言いつつ嬉しそうにいそいそとリョーマの頬に手をかけようとする不二を、手塚が制した。不二の為そうとしている手当の仕方には多いに不満があったからである。もちろんそれは手塚だけに限ったことではないのだが。
「邪魔しないでくれる、手塚」
「…そんなわけにはいかん」
 全国に誇る青学テニス部のナンバー1とナンバー2の間にバチバチと熱い火花が飛び散る。しかし戦々恐々と周りがそれを見守る中、そんな火の粉を潜り抜け、事の中心にいたリョーマの腕をひょいと掴んだ人間がいた。

「保健室に連れて行くよ」

 あっさりとそう言い放ったのは、副部長の大石秀一郎である。
 そして、言われてみればなるほど至極まっとうなその意見に、他の者も慌てて次々と便乗し始めた。
「はいはーい!オレがおチビを保健室に連れてく〜!」
「いや、オレがっ!」
 等々、手を挙げて名乗り出る者もいれば、無言で立ち上がる者もいたりして、相変わらず事態は収拾がつかない。しかしそんな争いに決着を付けたのは、当のリョーマ本人であった。
「大石先輩、それどうしたんすか?」
 突然のリョーマの言葉に、周りは一斉に大石に注目した。見れば大石の右手の甲にうっすらと血が滲んでいる。
「ああ、さっきフェンスでちょっとね。大したことないけど、これの手当も一緒にしてこようかなと思って…」
 苦笑しながら説明する大石を、リョーマはじっと見つめていたかと思うと、小さく溜息を吐いて立ち上がった。
「じゃ、行きましょうか」
 言ってスタスタと校舎の方へ歩き出す。
「あ、それじゃ、ちょっと行ってくるよ」
 そう言い残すと、大石も慌ててリョーマの後を追った。

 そんな二人を見送りながら、誰かがポツリと呟く。
「……こういうのってトンビにナントカって言うんだっけ〜」
「トンビにカラアゲっすか?」
「…油揚げ」
「うるせえ、ちょっと間違えただけじゃねえか」
「間抜けな間違いしてんじゃねえ」
「んだと、この野郎」
 何故だか唐突に2年生レギュラーの間で微笑ましい小競り合いが始まろうとしていた。しかし、どこからか微かな舌打ちの音が響き、更に辺りに薄ら寒い冷気が漂い始めたので、慌てて二人は姿勢を正すと大人しくそれぞれ自分の弁当をかき込むことに集中する。自分達も鳶にしてやられた側なのだが、鳶への怒りよりも双頭の鷹への恐怖が勝ったのだ。
 あの二人に恨まれるべきは大石ただ一人である。しかしその当人がいない今は矛先がどこへ向けられるかわかったものではない。
 そして果たしてそのせいなのかどうか分からないが、桃城と海堂は弁当を喉に詰まらせて二人仲良く目を白黒させる羽目になったらしい……






 日曜日の今日、保健医は休みなのだが、部活動の生徒の為に保健室は開放されている。
 リョーマを椅子に座らせると、大石は慣れた様子で薬戸棚を開けた。
「こんなの、舐めてれば治ると思うけど」
 そう繰り返すリョーマは無視して、目当ての薬を探す。そして口内炎用の軟膏を見つけると、それを手にリョーマの元へ戻り、その顎をくいと持ち上げて固定した。
「箸の刺は残ってないな」
 確認して、薬を人差し指に乗せるとリョーマの唇にそっと塗り始める。
「まったく……そんなこと言ってるから不二達に襲われそうになるんだぞ」
「ほほっへんふは?」
 口を開いた状態なので舌足らずになってしまったリョーマの言葉に、大石は苦笑する。
「別に、怒ってないよ」
「………」
「はい、終わり」
 そう言ってリョーマの唇から指を離すと、薬の蓋を閉めて元の位置へと戻しに行った。リョーマは薬を塗られた唇が気になるのか口を閉じたり開いたりしている。
「マズイ…」
「薬なんだから仕方ないだろ。あんまり舐めるんじゃないぞ」
 呆れたように大石が言うと、リョーマは不満そうに顔を顰めた。そんな様子に大石はやれやれと笑って顔を近付ける。
 そして再びリョーマの顎を摘むと、その唇に軽くキスを落とした。
「我慢してくれ」
「……………こんだけ?」
「……あのな」
 不意打ちのキスにリョーマはほんの少し驚いたように目を見開いたものの、しかしすぐにいつもの調子を取り戻すと不敵そうに笑う。そんな上目使いにクラクラと目眩を感じながらも、大石は何とかして踏み止まった。
「嘘だよ。先輩からキスしてもらうのも珍しいのにね」
 くすくすと笑うリョーマの言葉に、そうだったかな、と大石は多少考え込む。珍しいというか、ただ単に回数自体が少ないだけだろう。学校ではあまりこういったことはしないようにしているし。
「怒ってたんじゃなくて、妬いてたんだ?」
 考え込んでいる大石の顔をリョーマが覗き込む。
「だからキスしてくれたんだ?」
 確信を込めて重ねて問いかけるリョーマに大石は再び考え込んだ。
 そうかもしれない。皆の前では恋人であることを隠している為、迂闊な真似は出来ないから。
 だからこうして反動が出てしまうのかもしれない。
「じゃあ、オープンにする?」
 からかうようにリョーマが聞いてくる。大石は思わず誰かのように眉間に皺を寄せてしまった。
 堂々とリョーマと付き合っていると言えたらどんなにいいか。
 しかし副部長という微妙な立場もあるし、何より恋敵が山のようにいる。今は皆で皆を牽制しあっているからいいようなものの、これが自分だけを標的にされた場合一体何をされるか。考えただけでも空恐ろしい。
 それでも、自分だけならいいのだ。例えどんな目に遭おうともリョーマの為なら構わない。しかしそんな中で、リョーマを守りきれるかどうかが、どうにも自信がなかった。できることなら全てのものから守ってやりたいのだ。心配性が過ぎるのかもしれないけれど、それくらいこの恋人が大切で大切で仕方ないのだから……

 そんな大石の気持ちをわかっているのかいないのか。リョーマはいつもと同じ調子で頬杖を突きながら、大石の右手をついと指差して訊ねた。
「ねえ、その怪我わざと?」
「……わかったか?」
「なんとなく。もしかしたら不二先輩とかも気づいてたかもね」
「そうか…………」
 がっくりと肩を落とす大石に、リョーマは小さく溜息を吐いてみせた。
「先輩って気が小さいくせに、やること大胆だよね」
 大石はただ苦笑する。こんなに気弱になるのも、信じられないくらい大胆になってしまうのも、すべてはリョーマを想うが故なのだが、しかしそんなことを口に出したりはせずに。
「それより早く手当てした方がいいんじゃない」
 そうリョーマに急かされて、大石は傷口を洗い始める。そして左手で何とか消毒していると、いつの間にかリョーマが背後に立っていてこちらを覗き込んでいた。
「何でわざわざ利き手に怪我したの?」
「ちょっと焦ってたからな……」
 カムフラージュに傷をつけたはいいが、咄嗟のことで間違えたのだ。しかも加減が判らなかったので、派手にやってしまった。見た目ほど痛くはないのだが、それでも見ているリョーマは少し顔を顰めていた。

 こんな怪我、することないのに……

 リョーマには、こんな傷を作ってまで隠しておく理由がわからなかった。大石の気持ちが、わからなかった。
 だけど、こんな傷を作ってまで秘密にしておきたいのならそうしよう、とリョーマは思うのだ。大石がそうしたいのならば。だって彼はいつも自分の為を思ってくれている。それをリョーマはちゃんとわかっていたから。


 手当てを済ませた大石が後片付けを始める。リョーマは再び椅子に座ってぼんやりとそれを眺めていた。
「じゃあ、そろそろ行くか」
 パタンと戸棚の扉を閉めて振り返る大石を、リョーマは座ったままちょいちょいと手招きをして呼び寄せる。
「どうした?」
 そう言って律儀に近付いてきた大石を更に手招きして屈ませる。そして手の届くところまで屈んでもらうと、リョーマは大石のジャージの胸倉を掴み、それをぐいっと引き寄せた。
「!?」
 驚いた大石の唇をリョーマがペロリと舐めたので、大石は更に驚く。
「え、越前!?」
「だって」
 リョーマは自分の唇に人差し指を当てて、くすくすと笑った。
「だって皆にはナイショでしょ?先輩の口に、ついてたよ?」
 大石はようやくリョーマのとった行動の意味を理解して、その顔を赤らめる。唇を舐めると確かに薬の味がした。先程リョーマにキスした時に、ついてしまっていたのだ。
「やっぱ、マズ」
 べ、と舌を出して訴えるリョーマに、悪かった…と大石はがっくり項垂れる。そんな大石に向かってリョーマは悪戯っ子のように笑った。
「じゃ、口直しにファンタ買ってくれる?」
 もちろん大石に拒否権はない。それでも一応喜ぶリョーマに念を押すことは忘れなかったが。
「飲んだ後には、また薬塗るんだからな?」
「いいよ。先輩が塗ってくれるならね」
 そして隙を見て、今度は自分からキスしてやろう、とリョーマは思う。
 その後にまた、大好きな先輩の唇を舐めて、大好きなファンタをもう1本ゲットするのだ。
 こんなに楽しいのなら、秘密も悪くないかもしれない。




 だから、もうしばらくは、秘密の恋をしよう。




fin.






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大石先輩と言えば保健室!(何故)
ちなみに不二先輩と言えば図書室で、部長と言えば部室。
菊ちゃんはどこかな・・・(もういいから)
ちなみに最初に書いた副部長はラストの口直しにべろちゅーかましてたんですが(爆)
大石リョはもっと爽やかにいかなきゃ!という謎の信念の元、
ファンタに変わりました。
やっぱさわやかタマゴだから・・・?

2001.6.21 あいりん