その日は暑かった。
それはそれは、それは暑かった。
まだ梅雨も明けていない筈なのに、いや、だから蒸し暑いのだろうか。
乾のデータによれば、なんでも気温は36度を越えているとかいないとか……
「あつい……」
部活が休憩に入り、リョーマは水飲み場までやってくるとバシャバシャと顔を洗い始めた。
さすがのスーパールーキーもへこたれそうな暑さである。これが試合中と言うのならまた話は別だが、今はただの練習中である。練習とはいえ事をおそろかにするつもりはまったくないが、しかしやはり練習ごときで体力の限界まで挑戦しようと思わないリョーマであった。
「ふーっ」
顔を上げ、プルプルと左右に振って水を払う。それは、その時ちょうど隣にやってきた桃城の顔にかかった。
「おい、越前!水かけんなよ」
「あー……スミマセンね」
全くもって誠意の感じられない謝罪だが、いつものことなので桃城は気にしたりはしない。だがその代わりに水道の蛇口を捻ると、指でその口を押さえて隣のリョーマに水をかけてやる。それは見事リョーマの頬に直撃した。
「お返しだぜ」
そう言ってニヤリと笑う桃城だったが、しかしそんなことをされて大人しくしている王子様ではなかった。リョーマの辞書には『やられたらやり返す』というハムラビ法典が掲載されているのだ。ちなみに『3倍返し』という追記がされていたりする。
「おわっ」
桃城はその身のこなしでリョーマの水攻撃を素早く避けた。だがそれで諦めるリョーマではない。そのまま桃城の動きを先読みして、足元を狙いその動きを止めると、思う存分標的に水をかける。桃城はあっという間に全身びしょ濡れになってしまった。
「おいおい、ここまですることねえだろ〜!」
「最初にやったのは桃先輩でしょ」
「何言ってんだ!最初はおまえがかけたんだろ!」
「わざとかけたのは先輩が先ですから」
「なんだと〜!?」
口でも言い負かされてしまった桃城は、叫びながら再び蛇口に手をかける。
「お返しのお返しのお返しだあっ!」
「!!!」
繰り出された桃城の豪快な水攻撃はさすがのリョーマも避けきれるものではなく、結局は二人してずぶ濡れになってしまった。
「いやー、こりゃなかなか気持ちいいなっ」
リョーマを水浸しにして満足すると、桃城は自分にも水をかけながらケラケラと笑う。リョーマはやれやれと溜息を吐いた。
たしかに水を被ったせいで皮膚の温度は一気に下がり、涼しくはなった。しかしずっと流水を浴びているならともかく、この気温ではすぐに水滴の温度も上がってしまうのだ。
ウェアが身体に張り付く不快感にリョーマが顔を顰めた途端、例によって例の如く、もはや既に聞き慣れてしまった怒声が響きわたった。
「何をしているんだ、お前達は―――!!」
お馴染みのセリフでもって現れたのは、手塚部長と大石副部長である。
ちなみに他のレギュラーや部員達は、桃城とリョーマの争いをその被害の及ばない距離を充分にとってしっかりと見守っていた。しかし二人が何をしていたかなんて一目瞭然なので、当人含む周りの人間は敢えて誰も説明したりはしない。
そして誰もが大人しく次に続くセリフを待った。それこそお馴染み中のお馴染み『校庭10周!』である。
……だがしかし、いつまでたってもそのセリフが聞こえてこない。
該当者である桃城は、不思議に思いながら恐る恐る顔を上げた。するとその発言予定者の手塚が口を開けたまま固まっていたのだ。その姿に桃城は、一体我らが部長に何事が起きたのかと手塚の視線の先を辿った。
そして、それを見つけた途端、桃城の口も同じく開いてしまったのだった。
リョーマがびしょ濡れになったウェアを脱ぎ捨てて、なんと上半身裸になっていたのである。
惜しみなく晒されたその白い裸体は、陽の光を受けキラキラと輝いている……ように見える。というのは実はただ、身体に張り付いた水滴が反射しているだけのことなのだが。しかしその思いもかけないサービスショットに、どこからか軽い口笛が上がり、どこからかは言うまでもないがノートにカリカリとメモをとる音が聞こえた。その他、赤面したり鼻血を堪えたり口を開けたままだったりと反応は様々であったのだが、リョーマのまさに水も滴るセミヌードに見惚れているというのは皆共通である。
しかし、その中で一人だけ違う行動を起こした者がいた。
「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」
彼は突如叫び声を上げたかと思うとリョーマに駆け寄り、その手にあった生渇きのウェアを頭からずぼっと被せると、そのままリョーマを横抱きにかかえて走り去ってしまったのだ。
その間わずか数秒。あまりの早業に、残された面々はしばし呆気に取られてしまう。
だがしかし、皆が正気に返るのもすぐのことだった。一番最初に立ち直った人間が、ぽつりと呟いたのだ。
「そう、やっぱりそういうことなんだ………さてと、どうしてくれようかな……」
ふふふふふ、とまるで地獄の底から響くような笑い声は、夏だというのに辺りの気温を一瞬にしてマイナスに下げ、周りの人間の背筋をも凍りつかせた。
そして誰もが、この男に恨まれるのが自分でなくてよかった、と心底思う。もちろん皆、リョーマを連れ去った彼を恨み妬みはしたものの、しかしこの時ばかりはその彼に同情の気持ちさえ寄せてしまったことも、また事実だったのである。
大石秀一郎は息を切らして部室に飛び込むと、はあ〜〜〜…と盛大に溜息を吐いた。
片やまるで小荷物のように運ばれてきたリョーマは、目を丸くしてキョトンと彼を見つめている。まるで何もわかっていないらしいその様子に、大石は更に脱力した。それでもとりあえずタオルを取り出して、リョーマの濡れた頭をゴシゴシと拭いてやることは忘れない。
「………越前」
「何すか」
珍しく些か乱暴な仕草でタオルを扱う大石に、しかしリョーマは大人しくされるがままに頭を預けている。
「頼むから、ああいうことはやめてくれないか」
「ああいうことって?」
「……あんな風に皆の前で裸になることだよ……」
「人を露出狂みたいに。ちょっと着替えようとしただけじゃないすか」
「あんなところでするなって言ってるんだ!」
思わず声を荒げると、リョーマの元より大きな瞳が更に大きく見開かれる。それを見て大石は慌てて言葉を繋げた。
「あ、いや、だから」
「……………」
「つまり、お前はその、人気があるから……。あまり、皆を煽るような真似は……」
「……………」
リョーマはじいっと黙ったまま大石を見つめている。その強い視線はまるで自分の心を全て見透かしているようで、大石は少し躊躇った後、小さく溜息を吐いて謝った。
「……ごめん」
「………」
「本当は、オレが他の奴等に見せたくないだけなんだ……」
ようやく本音を告げた大石を、リョーマは再びまじまじと見つめてからクスッと笑った。
「そこまで独占します?」
その一言に、大石は相当あせった。
そういえばそうだ。今の自分の一連の言動は醜い独占欲以外の何ものでもない。
この自由奔放でとことんマイペースな子供を束縛することなど、誰にもできやしないのに。そんなことは誰よりもよくわかっていた筈なのに…
ベンチの上に座り込んで大石が海より深く反省していると、いつの間にか濡れたウェアからTシャツに着替えたリョーマが面白そうにその様子を眺めていた。
「ねえ、先輩」
先程のタオルをパサッと頭に掛けられ、大石は顔を上げる。目の前にはどこか不敵に微笑むリョーマが立っていた。
「オレは誰にも縛られたりしないよ?」
「…ああ、わかってるよ」
「オレは、オレのしたいことをするんです」
「ああ、わかってる………よ…?」
言葉が途切れてしまったのは、突然リョーマが大石と向かい合うようにその膝の上に座ろうとしたからだ。
「え、越前?」
よいしょ、と大石の膝に座ってしまうと、リョーマはタオルの両端を掴んで大石の頭を引き寄せた。
「言ったでしょ?オレはオレのしたいことをするって」
息の触れ合うくらいまで顔を近づけて、リョーマは悪戯そうに笑った。そして大石の胸にぽすっと寄りかかる。
「縛られるのはゴメンだけど……独占したいって言われるのは嬉しいから」
「…そうなのか?」
「うん、なんか気持ちいい」
そう言って擦り寄るリョーマを大石は優しく抱きしめた。
「でも、独占させてはくれないんだろう?」
「そ。オレが独占するの」
リョーマが顔を上げて再びタオルを掴む。ふざけて首を絞める真似をすると、大石が目を細めて笑った。
そう、リョーマはまるで猫のように自由で気位が高くて気まぐれで。
けれど猫のように自分にだけは甘えて擦り寄ってきてくれるのだ。
そう、恋人である自分にだけは……
リョーマのおかげで落ち込んだ大石は、しかしまたリョーマのおかげで立ち直る。こんな風に振り回されてばかりだけど、それでもやはり大石は幸せだったのだ。
そんな大石の微笑みに、ふと、リョーマがゆっくりと瞳を閉じる。まるでそれに引き寄せられるようにして大石の手がリョーマの頬に伸びた。
が、しかし。
唐突に大石はここがどこであるかを思い出して慌てて手を引っ込める。
さすが視野の広い副部長であるとでも言うべきなのか……リョーマは片目をチラリと開けて、悪戯が失敗した子供のように舌をペロリと出した。
「やっぱ、ダメだったか」
「…当り前だろ、ここは部室なんだぞ」
「うん、部室だけど。ねえ、どうして部室だとダメなんでしたっけ?」
「それは………」
言いかけて大石は言葉に詰まった。
「皆にナイショだから、だったよね?でももう手遅れだと思うけど?」
その通りである。
つい我慢できず咄嗟にしてしまったこととはいえ、皆の前、しかもほとんど部員全員の前でリョーマを拉致するという真似をしでかしたのだ。あれでは内緒も何もあったものではない。自らバラしてしまったようなものである。
大石は先程の自分の行動を反芻して、盛大に頭を抱え込んでしまった。
「先輩って、ホントはうっかり者?」
「……呆れたか?」
恐る恐る大石が訊ねるとリョーマは、まさか、と言ってくすくす笑う。
「嬉しかったって言ったでしょ?」
「あ、ああ、そうだったかな……」
「それにオレはどっちでもいいんだし……でも先輩が困るんだっけ」
「いや、困るって言うか……」
できるならば、できる限り平穏無事な学園ライフを送りたいだけである。
そして何よりも、大切なリョーマを守りたいだけなのだ。
………ただ、できれば要領よく。
しかしこれからは、恐らくそんな甘いことは言ってられないだろう。
思わず溜息を吐くと、そんな大石の心情をどこまで理解しているのか、リョーマが笑って大石の腕にしがみつく。
「大丈夫、オレが守ってあげるよ」
リョーマのセリフに大石は苦笑した。
しかしあえて反論せず、そのままもう片方の手でリョーマの頭をくしゃ、と撫でる。先程まで濡れていたはずの髪は既に乾いていて、さらさらと音が鳴った。
「じゃあ、これからは皆の前で秀一郎って呼んでいいの?」
リョーマが不意に訊ねると、大石は少し難しい顔をして首を振った。
「ダメだよ。部活中のけじめはつけないと」
「ふーん?だったらこういうのは?」
そう言ってリョーマは大石の腰にぎゅっと抱きつく。大石は抱きしめ返したくなるのを必死で堪えると、やや情けない声を出した。
「ダメだ……できれば、その、あんまり皆を煽らないようにしたいんだけど」
「………なんか、今までと何も変わんない気がする……」
唇を尖らせて不満を告げるリョーマに、変わるんだよ……と内心思いながら、しかし大石は口に出すことはなかった。これ以上リョーマの前で情けない真似はしたくない。
そう、少なくとも大石の置かれる環境は大きく変わるのだ。まず、出し抜きの刑は間違いないだろう。そしてそれからどんな嫌がらせや妨害を受けるのか。考えただけで思わず遠い目をしてしまう。
「先輩?」
しかしそれでも、こんな風に自分を見上げるリョーマの側にいたいから。
「先輩ってば」
こんな風に甘えて擦り寄ってくるリョーマを、決して離したくはないから。
「じゃあ、ここでキスして」
たとえ、こんな風に無茶を言われても………
「あのな、だから今は部活中で」
「何なら皆の前でしてもいいけど?」
「………ここがいいです……」
大変聞き分けのいい返事をすると、大石はひとつ大きく深呼吸した。
リョーマの恋人になった時から、既に安穏な人生は終わっていたのだ。それ以上に、自分は大切でかけがえのないものを確かに手に入れたのだから……
だからこれは、部室の様子を伺っている部員達への精一杯の恋人宣言。
大石は腹を決めると、瞳を閉じて待っている恋人の願いを叶えるべく、ゆっくりと顔を近付けていった。
二人が口付けを交わしたその時、ちょうど全国的に梅雨明け宣言が発表されたことなど、もちろんこの時の二人は知る由もない。
しかし大石秀一郎は、確かに感じていた。
自分にとって、熱い熱い夏が今、始まりを告げたのだということを……
fin.
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副部長、情けない・・・(ホロリ)
一応頑張ってラストは男らしくしてみたんですが・・・これでも(笑)
あんまりダラダラと時間をかけ過ぎたので、途中何かを見失いました(何ですか)
色々とツッコミを入れたいですが、虚しいのでやめ。
でもひとつだけ。
何故くそ暑い中いちゃつけるんですかあなた達〜!
答え:部室は冷房完備ということで!(んな馬鹿な)
ちなみに総受けベースの話は多分これで終わりです。
展開が毎回ワンパターンなので(誰とは言いませんが)
でもどうせうちのコンセプトは基本が総受けですからv(笑)
タイトルはプリプリから♪(古)
2001.8.19 あいりん
