極一部の人間を除いてではあるが、誰もその人物のすることには口出しできないのである。
だから部活が終わって皆が着替えている最中、彼が突然リョーマの服を脱がせ始めた時もただ呆然と見守るしかなかった。
「何すんですかっ!?」
「いいからちょっと大人しくしてて」
にっこりと笑って言われて、これが普通の人間だったなら即座に言う通りに従っただろう。しかしそういう意味ではリョーマは普通ではなかった。リョーマは不二に逆らえることのできる極一部の人間なのだ。ただ不幸だったのはその一部の残りの人間―――いわゆる部長とか副部長とか―――がこの場にいなかったことであろう。唯一いたのは菊丸英二であったが、彼は不二に口出しはするもののどちらかといえば同調することの方が多かったりするのである。
「英二、そっち押さえて」
「ほいほい」
「ちょっとっ、離せーっ!」
ここで他に助けを求めないのがリョーマらしいといえばらしいのだが、正確には助けを求めても無駄ということがわかっていたからだろう。実際、桃城は最初にリョーマを助けようとした勇敢な戦士であったが、不二の一睨みであっさり凍りつきそのまま動かなくなってしまったし、乾は例の如くノートを開き、これから何のデータが取れるのかとどこか嬉しそうに(一見無表情だが)成り行きを見守っている。そして河村や海堂、その他部室に居合わせてしまった不幸な部員達はひたすらオロオロしたり見ない振りをしたりと、とりあえず自分の身を守るのに精一杯だったのである。
「ところで不二〜」
「何、英二」
「おチビちゃん剥いてどーすんの?」
「見てわからない?」
わかんないからきいてるんだけどにゃ〜、と呟きながらも菊丸の手はちゃんとリョーマが動けないように見事にホールドしている。不二は力仕事は菊丸に任せ、悠々と自分の作業を続けた。そしてリョーマの背中をすっかり顕わにしてしまうと、うーん、と顎に手をあてて何やら考え込んでいる。
「わ〜、おチビの背中しろくてスベスベ〜」
言いながら頬擦りしかねない勢いの菊丸を不二が押し止めた。
「セクハラはダメだよ、英二」
今までの行為はセクハラじゃないとでもいうのか――!?
と、その場にいた全員が思ったが口に出すものは誰一人としていなかった。やはり命は惜しい。
しかし命の惜しくない強者が約一名いたのだ。
「セクハラはアンタだろっ、いい加減に離せってば!」
まさに被害者本人、越前リョーマである。しかしリョーマは不二の中で他の人間とは明らかに違う位置に分類されていて――要するに好かれていたし、リョーマ自身も一応それを自覚していたので、命の心配はしていなかった。それよりも今は貞操の方が心配だ。
そして不二の方は不二で、たしかにリョーマの言動にも不興を被った様子はない。だがそれとは別で不二は些か不機嫌だった。というか不愉快だった。分かる人間にしか分からなかったが、彼の周りを黒いオーラが漂っていた。
ちなみにこの時点で既に部室の中は人数が激減していた。巻き添えをくっては堪らない、と賢明な部員達は早々に退場したのだ。残っているのはレギュラー+乾だけである。彼らを支えているものはやはり青学レギュラーとしてのプライドなのだろうか。
「さてと」
呟いたのは不二である。どこか冷気を含んだその声に、リョーマは悪寒が走った。けして寒いからではない。たしかに背中を剥かれた状態ではあるのだが。
「リョーマくん、これは何かな?」
「あっ」
不二がリョーマの背のある部分に細い指先で触れると、リョーマの身体はビクリと震え、その口からは高い声が零れ出た。その声を聞いたある者は「う…っ」と呻き、ある者は鼻血を堪え、ある者はノートにペンを走らせる。
辺りで様々な反応が起こる中、もちろん不二も例外ではない。ふふ、と笑うと楽しそうに再び指を這わせた。先程は不意を突かれたリョーマも今度は唇をぎゅっと噛んで堪えたが、それでもその度に身体が反応するのは止められなかった。
「……おチビってば、色っぽ〜い」
「うん、ここが性感帯みたいだね」
「えっ、どこどこどこ?」
菊丸は獲物を見つけた猫のように目をキラキラさせてリョーマの背中を覗き込んだ。だが不二の指差した箇所を見た途端、その輝きを曇らせてしまう。
「不二〜、これってましゃか……」
ふにゃ〜、と一転して沈んだ声を出しながら菊丸が『それ』に触れようとしたその時。
部室の扉がガラリと開いた。
「!!!」
手塚部長と大石副部長の登場である。これで青学レギュラー一同(+乾)が揃ったわけなのだが今はそんな感慨に耽っている場合でもないし暇もない。
部室の中の惨状を目にして、部長は眉間の皺を一気に3本増やし、副部長は「あああ」と叫んで頭を抱えた。ちなみに両者の目にはしっかりとリョーマの白い背中が焼き付けられていたりするのは言うまでもない。
「部長っ!」
叫んだのはリョーマだった。本来、人に頼ることをまずしないリョーマだったが、その声には明らかに縋る気持ちが込められていた。何故なら、役に立たない他のレギュラー(リョーマ談)と違って部長ならば助けてくれる、という確信があったからだ。更に付け加えて言うならば、部長という立場がなくてもリョーマは手塚を頼っただろう。そして手塚にはそれに応える義務と権利があった。リョーマの恋人だけが持つことの出来るそれを。
「何をしているんだ、お前達は!!」
部長としての威厳とリョーマの恋人とのしての立場を如何なく発揮して、手塚が恫喝を響かせる。しかし菊丸はともかく不二は全く怯む様子もなく、にっこりと笑ってさえみせた。
「それはこっちの台詞だよ、手塚」
それはまさに氷の微笑というものだった。向けられた手塚の隣にいた大石が余波をくらってピキーンと凍りつく。
「まだ君達からそんな雰囲気はしなかったから安心してたのに………全く誤算だね」
「手塚ってばズルイ〜〜〜」
「……何の話だ」
「とぼけてもダメだよ」
「そうそう、見ちゃったもんね〜、おチビの背中にキスマークが」
「「「「ええええっ!?」」」」
菊丸の発言を遮るように驚きの声が一斉に上がった。たしかに手塚とリョーマは付き合っている。しかし部長という立場上や彼の性格を考えて、未だプラトニックな関係だと信じていたのに!……とは全員の心の声である。
「手塚って、そんな顔して……意外に手が早かったんだね」
ふふふ、と笑いながらも目は笑っていない不二の方こそ顔と性格が恐ろしく反比例していたのだが、そんなことは今更なので敢えて誰も突っ込んだりはしないのだ。
一方、リョーマは菊丸が手を離したのをこれ幸いと、急いでシャツを着ている最中だった。
ロッカーに向かって着替えていたので誰も気づかなかったようだが、一体何を焦っているのか釦がうまくかけられず、実は悪戦苦闘している。
「越前」
背後から手塚の声がしてギク、とリョーマの肩が揺れる。そして恐る恐るリョーマが振り向くと、すぐそこに何だか難しい顔をした手塚が立っていた。リョーマの背中を密かに冷や汗がつたう。
「越前、背中の『それ』はどうしたんだ……?」
その手塚の台詞に誰もが首を傾げた。
「…って、え〜もしかして手塚じゃないの?おチビにキスマークつけたの」
全員の疑問を代弁するように菊丸が言った。途端にまさか…、と全ての視線が不二に集中する。しかし不二はにっこり笑って否定した。
「残念ながら僕じゃあないよ。うん、ホントに残念だけどね……」
そう言ってちらりとリョーマを見る。合わせて皆の視線もリョーマに移動した。
「…………え?」
全員に探るような視線で見つめられ、リョーマは後退りした。が、すぐロッカーにぶつかってしまったのでそれ以上の後退は難しい。リョーマはだらだらと冷や汗を流した。
「え?じゃないよ、おチビ〜!もしかしてもしかして浮気っ?」
「し、してないってば!!」
「じゃあ背中のアレは何かな?」
「こっ、これは―――」
「これは?」
ズイ、と手塚や不二を筆頭に詰め寄られてリョーマは思わず襟元を押さえた。そして、ええと、あの、と彼にしては珍しい歯切れの悪い言葉をいくつか紡いだ後。
「………む、虫に、刺されたんっス………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………あの…」
全員の沈黙が痛くてリョーマが再び口を開こうとしたが、それを遮ってまず最初に動いたのは不二だった。
「ちょっとリョーマくん、もう一度背中見せて」
「あ〜、オレもオレも〜〜!」
「あれはどう見ても……」
「オ、オレも見せてくださいっ!」
そして不二に便乗して次々とリョーマに群がろうとする。しかし各々の手が標的に届く前に、手塚の一喝がそれを制した。そして、ぴたり、と止まった各人の中、最初に復活したのはやはりというか何というか不二だったのである。
「…手塚が一番気になるんじゃないの?仮にも恋人なんだし。仮にも、だけどね」
にっこりと笑いながら、『仮にも』をやたらと強調して不二が手塚を挑発する。それに煽られた訳でもないだろうが、手塚は不二をギロリと一睨みするとリョーマの正面に向き直った。
「越前……」
「な、何」
「……………」
無言の圧力がリョーマを襲う。手塚の言いたいことはひしひしとリョーマに伝わってきた。
「―――だから、虫だってばっ!部長は、オレが信じられないわけ?」
ついに奥の手を出してきたリョーマに、さすがの手塚も狼狽えた。しかしそれでもどうにもやはりスッキリしないのは無理もない。
「…何の虫だ」
「だ、だから……っ」
「だから?」
「だ、だ、………………………ダニ……」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「ダニ【ダニ類】:種類は1万種くらい知られている。幼虫は6本足だが成虫は8本足で実はクモの仲間。体長は1cmに達するものから0.1mm以下のものまで様々。主に畳やカーペット等湿った場所に生息する。鼻炎の原因になったり、刺されると激しいかゆみを生じ、体にシミが残ることもある……」
と、ノートを見ながら事細かに解説してくれたのは、当然の事だが乾貞治先生である。
「シミ、ねえ……」
不二が意味ありげな眼差しで手塚を見た。それに気づいているのかいないのか、手塚は相変わらず眉間の皺を深くさせ、深い溜息を吐いてリョーマを見ている。
「……とにかく、だ。それならそれで手当が必要だろう」
「いらないっス」
「いいから服を脱げ。背中を見せてみろ」
「やだ」
「越前」
「やだったらやだ!部長のえっち!!」
そう叫んでリョーマは鞄と上着を抱えると、硬直した手塚の横をするりとすり抜けて部室を飛び出して行ってしまった。
開け放たれた扉から風が吹きこみ、沈黙の降りた部室にヒュウ〜…と風の鳴る音だけが響く。
「……『部長のえっち』……と」
乾が呟きながら何やらノートに書き留めた。
「…やっぱまだこのヒト達は何もないね〜〜」
「まあ、手塚に甲斐性があるなんて変だとは思ったんだけどね」
「うっわ〜、不二ってばヒドイ」
本当にそう思っているのか、いや思っていないだろう、にゃはははと菊丸が笑う。ふふふ、と不二も笑う。そしてつられて、ははは、と渇いた笑いを零した者は、手塚にギロリと睨まれた。
「こんのダニ親父ーっ!!!」
寺の本堂に続く障子を蹴り倒しかねない勢いでリョーマが現れた。南次郎はいつものようにいつもの如くエロ本を読みながら引っくり返って煙草を吹かしている。
「おいコラ、お父様に向かってなんてクチききやがるんだリョーマ。帰ってきたらまずは三つ指付いてだな。『ただいま帰りましたお父様』つっただろ?」
南次郎の戯言に「shut up!!!」と叫んで中指を突き立てるリョーマ。些か下品だがそれも致し方ないことなのである。何せ生まれた時からこの南次郎と付き合っているのだから。
「あれほどアトつけんなって言ったのに何だよコレはっ!!」
そしてまるで遠山の金さんのようにがばっと肌蹴られたリョーマの背中の眩しさに、南次郎は一瞬目をぱちぱちと瞬かせた。
「……しょーがねえなあ、まだ夕飯も食ってねえってのに」
よっこらせと身体を起こし、いそいそと黒い僧衣を脱ぎ出す南次郎をリョーマは冷ややかな目で見下ろした。
「…何してんのアンタ」
「ん?誘ってんだろ?」
「人の話を聞けってんだ、このエセ坊主が――っ!!!」
叫びながらリョーマが南次郎の顔面を狙って蹴りを繰り出した。それをひょいっと避けながら南次郎は咥えていた煙草をその辺にあった灰皿に押し潰す。やれやれ腹減ってんのによう、と言いながらも南次郎は嬉しそうだ。もちろんそれがリョーマを余計に怒らすことになるとわかっていても、である。
そうして心温まる父子のコミュニケーションが始まった。
ちなみに戦いのゴング代わりになろうかという境内の鐘は鳴らなかった。何故なら鐘を撞く坊主がここにいたからだ。その代わりとでも言うようにカルピンがホア〜、と退屈そうにひとつ欠伸をしたけれど。
そして、ダニの正体に気づいている者がいないわけではない。
「リョーマくんちのダニにも困ったものだねえ」
「……お前が困る必要はない筈だが」
「そうかな?手塚がまだリョーマくんに手を出していないなら……まだまだ僕にもチャンスはあるってことでしょ」
「……いい加減に諦めろ、不二」
「諦めるには隙があり過ぎるんだよねえ、君達」
「……………」
「それにリョーマくんの感度の良さを知っちゃったら尚更ねえ……。ま、手塚はゆっくりダニ退治でもしててよ。その間に僕がリョーマくんを口説かせてもらうから」
「そんなことはさせん」
「僕はやると言ったらやるんだよ」
「忘れるな。越前が選んだのはオレだ」
「……………」
「……………」
と、手塚と不二の間に熱くも冷たい火花が飛び散った同時刻。
噂のダニと格闘中だった噂のリョーマはくしゃみをひとつした隙に返り討ちに遭い、あえなく押し倒されてしまったのであった……
fin.
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ダニはダニ●ースですかキン●ョールですか。
しかしどちらも効きそうにありません、ヤツには。
これは塚リョと見せかけた父リョですか?父リョでいいんですか?
最初、塚リョに分類しようとして、あまりにも部長が可哀想だったのでやめておきました。
しかも何だか今にも不二先輩に寝取られそうです・・・
いいか、総受けだし。
2001.5.17 あいりん
