precious-delicious



 リョーマは怒っていた。
 とても怒っていた。
 どれくらい怒っていたかというと、病気の恋人の家に押しかけた途端、労わる言葉よりも先に罵声が出てしまったくらいに。

「すまん」
「部長のバカ」
「…この埋め合わせは必ずするから」
「バカバカバカ。オレが言ってんのはそんなことじゃないっ」
「……じゃあ、なんだ」
「それくらい、自分で考えれば?」
 プイ、とそっぽを向いてしまったリョーマに、手塚は深く溜息を吐く。その熱く長く漏れる吐息が熱の高さを告げていたが、リョーマは敢えて気づかない振りをした。

 部活のない休日は大抵ふたりで過ごす。いわゆるデート。
 今日も例にもれずその予定だったのだが、手塚が流行りの風邪を引いてしまい、中止になってしまったのだった。
 見舞いに訪れたリョーマが不機嫌な理由なんて、デートがパァになった以外に何があるというのか。そもそも本来あまり気が利く方でない手塚には、思い当たることがまるでない。それでもなんとかして恋人の心理を読み取ろうとするものの、如何せん風邪のせいか高熱がその思考を端から崩していく。ベッドに横になっていても尚、軽い目眩を感じて手塚は目を閉じた。

 ギシ、という音がしてベッドの片側が沈む。
 手塚がゆっくりと目を開けると、リョーマが枕元に手をついて手塚の顔を覗き込んでいた。睨むようなその眼差しは、けれど微かだが不安そうに揺れている。眼鏡を外しているとはいえ、それがはっきりと見て取れるくらいリョーマの顔は近くにあった。その距離は今の手塚には危ういもので、手塚は視線を顔ごと逸らす。
「近寄るな。風邪がうつる」
「うつんないよ……部長がうつるようなことしなきゃ、ね」
 冗談混じりの挑発的なその台詞に、手塚は再び深く溜息を吐いた。
 リョーマはよくこうして手塚をからかう。自分の挑発になかなかのってこない恋人を半ば楽しんでいる節がある。それと、こうした誘惑にも負けないお堅い部長に、実のところは安心しているのだろう。
 二人は恋人同士ではあったが、まだいわゆる『深い関係』ではなかった。
 キスは何度か交わした。アメリカ帰りのリョーマはキスに抵抗がない。しかも好きな人間に対してなら尚更だ。ねだることもあれば自分から仕掛けることもある。しかしリョーマはまだ優しいキスしか知らなかった。自分の髪を撫でる優しい手しか知らなかった。包み込まれる温かさだけしか知らなかったから……
 だからリョーマは安心して手塚に甘えることができるのだ。
 しかし、普段であればそんなリョーマに苦笑しながら答える余裕も今の手塚にはなかった。顔を背けたまま掠れた声で短く告げる。
「もう、帰れ」
 途端にリョーマがむくれた。
「何それ!せっかくお見舞いに来たのに!」
「オレが頼んだわけじゃない」
「………っ、絶対帰んないっ!」
 ムキになっていることは二人とも分かっていたが、止められなかった。加えていつもの手塚ならこのリョーマを更に逆撫でするようなことはけして言わなかっただろうに、それを押さえられなかったのはやはり熱のせいなのか…。

「これ以上、おまえの顔を見たくないんだ」

 言ってしまってから手塚はすぐにしまった、と思った。だが遅かった。リョーマの気配が一瞬固まったかと思うとスッ、と遠のいていく。慌てて身体を起こして見れば、リョーマがリュックを掴んで部屋を飛び出そうとしていた。
 しかし次の瞬間、バン!と音が鳴ってリョーマの開けたドアがぶつかるように閉じられる。いつの間にかベッドから降りてきた手塚の手によって。そしてそのまま手塚はリョーマを後ろから抱きすくめた。
「放せよっ!」
 身を捩って逃れようとするリョーマを手塚は更に力を入れて抱きしめた。
「悪かった…」
「――――……っ」
 リョーマの手からリュックがすとん、と落ちる。リョーマは空いた手で、自分を抱く手塚の腕に触れた。手塚の腕に震える感触が伝わる。
「オレの顔…見たく、ないんだろ…っ」
「…違うんだ」
 手塚の言葉にようやくリョーマが肩ごしに顔を上げた。先程と同じ、睨むような目付き。しかし今度は確かに涙で滲んでいて、手塚は己の失言を後悔した。
「見たくないんじゃなくて、見られたくないんだ。オレの方が…」
「……なんで?」
「こんな情けない姿は、見られたくなかった…」
「………情けないって、風邪が?風邪なんか誰でも引くじゃん…」
 訳が分からない、というようにリョーマが首を傾げる。そんなリョーマを今度は正面から抱きしめて、手塚は答える。
「体調を崩すのは、自己管理のできていない証拠だ」
 あまりにも、あまりにも彼らしい台詞にリョーマは呆れてしまう。わかっていたけど、この恋人は自分に厳しすぎる。もちろん他人に対してもだけど。
 思わず笑いを零しかけて、リョーマはハタ、とそれを止める。そして思い出したように顔を上げて目の前の恋人に訊ねた。
「だから、『来るな』って言ったの?」
 リョーマの問いに今度は手塚が首を傾げる。
「オレがお見舞いに行くって言ったら、来るなって言ったじゃん」
 今朝、手塚がかけた電話のことを言っているのだ。
 手塚は溜息をひとつ吐くと観念したように答えた。
「………そうだ」
「バッカじゃないの…」
「ああ……」
「部長のアホ」
「すまん」
 手塚はリョーマの憎まれ口を大人しく聞いていた。しかしふと思い当たり、リョーマのその責めるような拗ねた口調に、もしかして…と呟く。
「…まさか、それでずっと怒ってたのか?」
「……部長、ニブすぎ」
 ハァ、と溜息を吐きながらリョーマはぼふっと手塚の胸に顔を埋めて、その広い背中に両手を回した。
「大体、何?情けないって誰が?部長は情けなくなんかないよ、風邪引いてたってかっこいいじゃん」
「……………」
「それにオレは、部長のかっこ悪いとこだって見たい。隠してないで、全部見せてよ…」
 言いながら次第に照れて赤くなっていく自分に気づかれたくなくて、リョーマは顔を擦り付けるように手塚の胸に埋めた。
「オレばっかり見せてるみたいで、ズルイ」
 ぎゅっ、と背中に回した手に力を入れる。それに答えるように手塚もリョーマを抱く腕の力を強めた。
「………あまり、オレを煽るな」
「……?」
「そんなに可愛いことを言われたら……歯止めがきかなくなる」
 途端にリョーマの顔がカッ、と赤くなった。そして可愛いと言われたことに対して慌てて反論しようとしたが、強く抱きしめられてそれは叶わずに終わる。
「只でさえ、熱でおかしいんだ、今のオレは。だからおまえに会いたくなかった。自分が何をするか分からなかったから……」
「……べつに、何されたって、いーよ」
「だめだ。必ずおまえを傷つける」
「そんなこと…っ」
「これ以上、オレを煽ってくれるな……」
 そう熱く耳元で囁いて手塚は、きつくリョーマを抱きしめた。
「………っ」
 それは、今までにない熱さと激しさを秘めていて。
 その腕の強さに、リョーマは今まで手加減されていたのだと初めて気付いた。途端に身体が強張ってしまうのを止められない。
 ぴくん、と震えたリョーマの身体をもう一度強く抱きしめてから、手塚はゆっくりとその抱擁を解いた。
 そして、二人の視線が絡まる。
 手塚の切れ長の瞳の奥に風邪のせいだけではない熱を感じて、リョーマはらしくなく怯んだ。
「帰るな?」
「…………」
 リョーマは帰りたくなかった。このまま自分の怯えを認めてしまうのは悔しくて嫌だった。けれどリョーマは今、手塚の激しさを知ってしまったから。その想いの深さを感じてしまったから。それに歓喜する反面、僅かだけれど不安を感じてしまったのも本当だから……
 自分が傷つくとは思わない。たとえ傷つけられたってかまわないとも思う。だけどもしそうなった時、手塚は自分自身を責めるのだろう。許せないのだろう。結局はそんな風に優しすぎる恋人をリョーマはよく知っていたから………だから。

「…帰るよ………今日のところはね。それに、部長の本音なんて珍しいのも聞けたし」
 強がるように言った台詞は嘘ではない。
 普段は寡黙過ぎるほど寡黙な手塚があそこまで本心を曝け出してくれたのだ。それはもちろん風邪の熱も手伝ってのことだけれど。
「…そこまで、送っていく」
 リョーマの台詞には敢えて答えず、手塚は机の上に置いてあった眼鏡をかけてコートを手に取ろうとする。慌ててリョーマがそれを止めた。
「いいよ!部長、風邪ひいてんのに!」
「かまわん」
「何言ってんだよ!風邪が悪化したらどーすんの?オレのせい?」
 これは効果があった。手塚の足がピタリと止まる。
 しかしそれでも玄関まで、という手塚をリョーマは、いいから!と押し止め、無理矢理ベッドに寝かせた。
「病人は寝てればいいんだよっ」
「しかし……」
「それとも何?添い寝してくれなきゃ眠れない?」
 ニヤリとリョーマが笑う。からかうような口調のそれはすっかり元のリョーマだ。さっきまで、怖がらせてしまったかと懸念していたのだが、余計な心配だったようだ。手塚は苦笑すると大人しくベッドに横になった。

「じゃ、帰るけど……」
「ああ……」
「そうだ、部長。なんか食べたいものとか、ない?」
 突然のリョーマの問い掛けに手塚は不思議そうに視線を向ける。
「だって、オレお見舞いに来たのに…何も持ってこなかったし」
 それもこれも来る時はただただ怒りにまかせて押しかけたからなのだ。その原因は手塚にあるのだから見舞いの品も何も思い浮かぶはずがない。しかしその怒りも解けてしまうと、手ぶらで来たことがリョーマを少しバツの悪い気持ちにさせるのだった。
「何、食べたい?オレ買ってくる」
「……特にないな」
 リョーマは頬を不満そうに膨らませた。手塚の返事がお気に召さなかったらしい。そんなリョーマを見て、手塚は苦笑しながら続ける。
「…して欲しいことなら、ひとつある」
 途端にリョーマの表情がパアッと明るくなった。何々?と先を促すリョーマを、手塚は瞳を細めて愛しげに見つめる。

「風邪が治ったら……キスさせてくれ」

 リョーマは頬が熱くなるのを感じた。
 キスなんて今までいくらでもしている。けれど今の手塚の言葉は今までとは違うキスを指しているに違いない。その優しくて熱い視線からリョーマはそれを確かに感じ取ったのだ。
「………やだ」
 リョーマの拒否の言葉に手塚は落胆の色を隠せない。もちろん、そうとは気付かれないくらいだが。しかしリョーマはその言葉とは裏腹にとても嬉しそうに笑っていた。それを見て手塚は微かに眉を顰める。そんな手塚を見てリョーマは更にくすくすとおかしそうに笑った。
「キスだけじゃ、やだよ」
 悪戯っぽく答えて、手塚が横になっているベッドの傍らまでゆっくりと近付く。
「全部欲しいって、言って」
 リョーマの挑むようなその眼差しを、手塚は眩しそうに受けとめて。

「……おまえが欲しい、リョーマ」

 掠れた声で告げられたその言葉と手塚の真剣な瞳に、リョーマは高鳴る心臓を押さえ、満足げににっこりと笑った。
「まるごと、あげる」
 そう言って、ちゅっと手塚の唇に唇を触れ合わせた。
「約束のキスね」
「………風邪が治ってからって言っただろう」
 眉間に皺を寄せる手塚に、リョーマは再びくすくすと笑った。

「キス以上のことは、ね」





そう、風邪が治ったら
うん、風邪が治るまでに
もう少し大人になるから待ってて
だから風邪が治ったら
まるごと食べていいよ

大丈夫、そんなに待たせやしないから
それはきっとすぐ、なんだ

だって恋してるんだから……




fin.






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『precious-delicious』 song by 知念里奈
大好きだって言わないけどちゃんとわかるでしょ?
大好きかって聞かないけどちゃんとわかるから♪
私の中の代表的塚リョソングv
でもちょっと王子が乙女すぎたかも。

2001.2.12 あいりん