「部長って、甘いの、好き?」
「…あ、ああ……いや、まあ………」
それは世にも珍しい、歯切れの悪い手塚国光だった。
しかしそれも無理はないのだ。何故かというと今日は2月14日だから。
『バレンタイン・デー』
名称はともかく、女性が好きな男性にチョコレートを贈るという、この日本独特の習慣をアメリカ帰りのリョーマが知っているとは思っていなかった。しかし教える人間ならいくらでもいるだろう。
……もしかしたら、リョーマは自分にチョコレートを用意しているのかもしれない。
そんな手塚の考えは決して自惚れたものではなかった。恋人のいる男ならば思って当然のことだろう。とはいえリョーマは男である。男である上にリョーマはあの通りの性格だ。バレンタインにチョコレートを、なんて殊勝な真似をするとは到底思っていなかったのだ。
だから手塚は返事に困った。今日、この日に「甘い物が好きか」というリョーマの質問。
もちろん、答えはノーだった。しかし、もしリョーマがチョコレートを用意していたら。いや、そんなことを訊ねてくること自体、やはり用意しているのかもしれない。だとしたら不用意に答えてしまった場合、傷つけてしまうのではないだろうか……
しかし、そんなことを考えて難しい顔をしている手塚にリョーマはあっさりと言い放った。
「部長って甘いのダメそうだよね」
「……………」
「オレは好きだけど、甘いモノ」
リョーマの言葉に、手塚は己の思考が何やら間違っていたらしいと気付く。そしてそれを裏付けるようにリョーマが続けた。
「だから部長、チョコ買って?」
手塚を見上げて大変可愛らしく笑う。その微笑みにかなり策略的なものを手塚は感じたが、けれどいっそ凶悪とさえ言えるその上目使いに、不穏な考えは全て吹き飛ばされた。
更に理性まで飛ばされそうになった手塚は、なんとかそれを堪えて訊ねる。
「………それは、今日でないとダメなのか?」
「当然」
にっこりと、しかしキッパリと答えられて手塚は眉間に皺を寄せた。
「だってバレンタインて好きな人にチョコあげる日なんでしょ?」
やはり、リョーマは知っていたのだ。そして更に得意そうに続ける。
「オレが部長にあげてもいいけど、部長甘いのダメでしょ?でもオレは全然平気だから、オレが貰った方がいいよね?」
「……………」
無言で返す仏頂面の恋人にリョーマは意地悪そうに訊ねた。
「ねえ、部長の好きな人は誰だっけ?えっと、この場合『本命』って言うんだよね?」
誰に教えてもらったか知らないが、リョーマのバレンタインの知識はそれなりに充実していた。
「部長の本命は、オレ、だよね?」
「………ああ」
「じゃあ、チョコ買って♪」
満足そうに笑って、可愛くおねだりされて、手塚が逆らえる筈がないのだ。
「…コンビニで、いいか?」
「んー…、そーだね、それで勘弁してあげる」
「……………」
何を勘弁してもらうのかわからなかったが、ここでそれを訊ねて要求をエスカレートされては堪らない。手塚は大人しく溜息をひとつ吐くだけにしておいた。
一方、恋人への悪戯を兼ねたおねだりが成功したリョーマは大変上機嫌で、手塚の少し前を足取りも軽く歩いている。そんなリョーマを苦笑しながら見つめていた手塚だが、不意に珍しくもリョーマに負けない悪戯心が沸き上がり、先行くリョーマを呼び止めた。
「何?」
「ホワイト・デーというのを知っているか?」
「White day?」
きれいな発音で復唱されたそれは疑問形で、故にリョーマが『ホワイト・デー』なるものを知らないことを示していた。
立ち止まって不思議そうに自分を見上げるリョーマに、手塚は眼鏡をかけ直しながら答えてやる。
「ホワイトデーというのは一ヶ月後の3月14日のことだ。その日はバレンタインにチョコレートを貰った者がくれた者にお返しを贈る」
「……お返し?」
「一般的にはキャンディやクッキーやマシュマロを返すんだ」
「ふーん………で、何?部長はキャンディとかが欲しいわけ?」
小首を傾げて甘いモノが苦手な筈の恋人を見上げる。そんな怪訝そうなリョーマに、手塚は「まさか」と言って意味深な笑みをその整った顔に浮かべてみせた。
「それらよりも……もっと甘くて、けれどオレが唯一食べることができる甘いものがあるだろう……?」
「………っ」
低音をきかせたその声がリョーマの背筋をぞくり、と震わせる。それを甘くやり過ごしてからリョーマは手塚をギロ、と睨んだ。
「何、言ってんだよ…っ、いつも勝手にいただいちゃってるくせにっ」
言ってプイッと顔を背ける。その頬が微かだが確かに赤い。
しかし、それで大人しく引き下がるリョーマではなかった。
「それに……今更、何言ってんだか………それとも、何?それまではオアズケにしていいってこと?」
やられたらやり返す。自分を動揺させたお返しだ、とでも言うようにリョーマが意地悪そうにふふん、と笑う。先に意地悪を仕掛けたのはリョーマの方なのだがそんなことは関係ない。
しかし手塚は片眉をぴくり、と上げただけでその表情を崩すことはなかった。
「リョーマ……3倍返し、という言葉を知っているか?」
「………何、それ」
言葉の意味はそのままだろうが、手塚の言いたいことは多分それではないだろうとリョーマは思い、聞き返す。
「ホワイトデーのお返しは本命相手になら3倍かそれ以上にして返すそうだ。つまり、いつもの3倍は楽しませてもらうということで、いいな?」
「―――!?」
涼しい顔でとんでもないことを言われたような気がしてリョーマは絶句した。しかし手塚が口の端を上げてニヤリと笑ったので、それが気のせいではないことを認識したリョーマの顔が一気に赤くなる。
耳まで真っ赤にさせながら噛み付くように反論しようとしたリョーマだが、それよりも手塚の口が開くのが早かった。
「おまえの本命は、誰だ……?」
「………っ」
手塚に先手を打たれてしまい、リョーマは言葉を無くす。悔しさにキリキリと唇を噛みしめて意地悪な恋人をキツく睨み上げた。しかし、そんなリョーマの鋭い眼差しに怯むことなく手塚は続ける。
「言ってみろ、リョーマ……」
確信を込めて先を促すその声は意地悪で、けれどとても甘やかで……
リョーマは観念してぼそっと呟く。
「オレの本命なんて……ムッツリ部長に決まってんじゃん」
そんな悪口混じりのその告白を、手塚は苦笑しながら受けとめたのだった。
「部長のバカ、スケベ」
延々と悪口を続けながらリョーマはスタスタと手塚を置いて歩き出す。しかし、ゆっくりと後をついて来た手塚の気配があるところでふと立ち止まった。
「リョーマ、ちょっと待ってろ」
振り返ると、手塚がちょうど通りかかったコンビニへ入っていこうとしていた。それを見て慌ててリョーマが呼び止める。
「…いらないよっ、チョコなんて!」
不貞腐れたようなリョーマの台詞に手塚は少しだけ驚いて、そしてニヤ、と笑った。
「遠慮するな。好きなんだろう?」
「………っ」
「いいから、待ってろ」
「………言っとくけどっ、……1個や2個じゃ許さないからね!」
「承知した」
頷いて、手塚は店内へと姿を消した。残されたリョーマはひたすら心の中で恋人の悪口を言い続ける。
普段、冷静すぎるくらい冷静な恋人をいつも通りにからかってやっただけなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
リョーマは顔を赤くしながら、悔しさに爪を噛んだ。
こうなったら。
こうなったら、手塚が買ってきたチョコを半分食べさせてやる。鼻血を出すまで無理矢理でも食べさせてやるんだから……
そんな物騒なことをリョーマが考えていると、キイと音が鳴り扉が開いた。そこには大きな袋を下げた恋人の姿。当然その袋の中身はすべてバレンタイン・チョコレートだ。やはりさすがに恥ずかしい思いをしたのか、その眉間には照れ隠しのせいでいつもより多くの皺が刻まれていて……
「ぷっ」
堪えきれずにリョーマが笑う。それに手塚はますます縦皺を深くさせてリョーマをジロリと睨んだ。しかしリョーマの笑いは止まらない。
手塚は溜息をひとつ吐くと、楽しそうに笑っているリョーマの目の前にチョコの入った大きな袋をズイ、と無言で差し出した。
「あ、ありがと…っ」
笑いながらリョーマがそれを受け取ると、今度は手塚がスタスタと歩き出す。その後を小走りに追いかけてリョーマが手塚のコートの裾を掴んだ。
「ねえ、部長?」
呼びかけるリョーマに、不機嫌そうな恋人がチラリと視線を寄こす。
「やっぱ、鼻血はやめといてあげるね」
「…………何の話だ」
そして手塚の眉間の皺が消えるまで、リョーマはいつまでもくすくすと笑っていた。
両手に一杯のチョコレートの甘い香りと、恋人の優しさを感じながら……
fin.
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塚リョでバレンタインです!
それにしても・・・うちのリョーマさんはチョコあげない人ですね(苦笑)
菊リョでもあげてないし・・・
ちなみにこの塚はちょっと不二入ってますね(爆)
困ったもんです、偽部長・・・(でも結構好き)
2001.5.25 あいりん
