マルキオンとマルキオン教徒のブリソスからの追放、流浪の後、皆がともにか、それとも散り散りにかは定かではないが、彼らは激怒の海を渡りセシュネグへと達した。
以下の文章で私がブリソス人、マルキオン教徒という用語を伝統的な感覚に元に用いている事に注意すること。すなわちブリソス人はブリソスに住む無神論者であり、元となったマルキオンの論理の法には従うが、マルキオンが後になって示した予言的啓示を拒絶した者たちである。一方マルキオン教徒は預言者の新たなる啓示に従い、流刑となった彼に付き従い、ブリソスを後にしたブリソス人異端者たちである。混同無きよう。
肉体の慰めは、マルキオンがその新たなる法の中で示した秘密である。この秘密により、人々はみずからを悩ませる間題から解き放たれるために、世界の資源を扱うことが可能になった。たとえ欠陥や愚考がこの世界に満ちていたとしても、マルキオンの法に従う者はその肉体が滅びた後に、栄光の慰めという魂の楽園において、完全なる保護と永遠とを得ることができるのである。肉体の慰めとは、この世には唯一度の生以上の何かが存在することを教えている。それは、正義と共に生涯を歩む者はこの世界から完全に消え去ることはないという教えなのである。
ブリソス人は慰めの本質と存在への必要性を拒絶していた。ブリソス人の宗教-ブリソスの教え-は死後のいかなる生をも否定しており、同時代人の大半の解説は(はなはだ粗雑な形ではあるものの)生き残ったものを事後検討するという形で解釈を試みている。
"マルキオンの得た大いなる啓示は慰めに関するもので、これは見えざる神の信仰者が肉体的な死の後、完全ある生命を得られるという内容を、最も幼稚な(そして最も理解しやすい)かたちで知らせることになりました。"−『ジェナーテラ;プラーヤーズ・ブック』
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ブリソス人は「元の形の慰めを忘れ去った」のではなく、彼らはそれを耳にしたものの、それに納得しなかったのである。
肉体の慰めとは以下のことを意味している。「汝のカーストのに従うを者に適用される法の言葉に従って振る舞いなさい。そうすれば創造主はあなたの死後、あなたの面倒を見てくれる。」これはブリソス人にとっては耳を傾ける必要のない類のものである。そして結局のところ、それがマルキオンへの啓示であるとするならば、ブリソス人にとっては論理的な終結点たり得なかったのである(そしてそれ故論理の王国の法体系の一部でもあり得ないのである)。肉体の慰めに身を置くということは、特定の事象を考えたり信じたりする必要のない状態である。それは日々の生活、儀式的な規律のための信仰であり、信条、信仰、良心などの割り込む余地のないものである。説明的な「肉体の」という言葉はフレストル以後の、後になってからの付加事項であり、以前から存在した事柄の状態を規定したものにすぎない。これに関して問題が生ずるとすれば、当時マルコンウォルの幸運な住人が、みずからの法をいかに解釈するか教えることのできる、予言者自身と交流する手段を常に手にしていた事である。
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