めぽっく21 | 初めての手術 |
mepoch とは、 me (自分) + epoch (新しい時代) |
一浪して入った大学で、びぃはのびのび、1年間思いっきり勉強しました
|
何気なく おへその下に 手をやると |
? これは なに ? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
すぐ思い出したのは、前年の中学のクラス会 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
確か 臨床検査技師を 目指す友人が 言っていた |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
親に相談しても、 「放っておいていいんじゃない」「なんでもないよ」 わが子が若くして病気になるなんて考えられなかったのでしょう
びぃは一人でかかりつけ医に行きました ふじんかあ??! 「そんなところへ行かなくても」 親はそう言いました ・・・行ってみるよ 紹介状を持って、また一人で近くの総合病院へ 婦人科の医長先生は、おなかを触るなり
初診日に手術日を決められてしまいました |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
もちろん帰ってすぐ言いました 泣きわめきました
この二人には頼れない 親にあたり散らしたのは3日ほど、 それからも夜はふとんの中で泣きましたが、 20才になっても夢見る夢子 だったびぃも、ずいぶん強くなりました もしかしたら生命が途切れるかもしれないという現実を突きつけられたら 限られた時間を有効に使わざるをえません 入院の準備など、しなくちゃならないこともあります 昼間はいろいろ動き回って、それで不安や恐怖が紛れました |
入院当日
びぃは高校3年の夏の夜、 腰の激痛に襲われ救急車で同じ病院に運ばれたことがありました 4日ほど検査入院しましたが、原因はわかりませんでした 前回同様、入院してしまうと 医師や看護師の指示で次から次へと動かされて 思い悩むことも少なくてすみました 今回入院当初につらかったのは、婦人科が産科と同じ病棟だったこと 病棟の取っ付きには新生児室があり、用事のたびにそこを通らざるをえません 同じ年代で出産のため入院している人たちともすれ違います 夜ふけには遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました でも、ふだんはコワイと評判の主治医も、看護師も、同室の方も、 とても気づかってくださいました 父も母も入院してからは、日に何度も足を運んでくれて、 びぃもわがまま放題ふたりに注文を付けました ここまできたら結果を待つよりしかたがないという気持ちも強くなり、 手術までの何日か、日ごとに落ち着いてきました 手術前夜には、中学・高校の友人二人がケーキを持って来てくれたので ベッドの上にひろげて三人で食べました |
||||||
面会時間が終わり、友だちは帰っていきました | ||||||
就寝前に、眠れるようにと看護婦(当時)さんが渡してくれた薬を飲みました | ||||||
でも 消灯時間をはるかに過ぎても眠れません 月明かりを眺め ときおり看護婦さんの足音が近づいては遠ざかるのを聴きながら ぼんやり 20年の人生を考え始めました |
||||||
私はいじけっこだったけど、自分のやりたいことは結構果たせてきた気がする | ||||||
あと2ヶ月で21才 命が限られるとしたら |
||||||
<こころのこり> は なんだろう |
||||||
そうだ |
||||||
私は人と本音で話をしてこなかった | ||||||
もし 命が続くようなら これからは 友だちに 自分の本当の気持ちを伝えよう びぃはベッドの上で誓いました |
でも この決意は あらたな困難の始まりでした |
行政の相談サービス利用 |