めぽっく21 こころの リハビリ
初めての手術
mepoch とは、
me (自分) +
epoch (新しい時代)

 一浪して入った大学で、びぃはのびのび、1年間思いっきり勉強しました


ところが

4月から2年になろうとする、20才の春休み


自宅の縁側に寝そべって、晴れ渡った空を眺めながら                    

 
何気なく

おへその下に

手をやると
  
     
     ? これは なに ?

片手のひらいっぱいに、ぐりぐり 触れるものがありました



すぐ思い出したのは、前年の中学のクラス会
  
確か         

臨床検査技師を

目指す友人が

   言っていた





  どうしよう ・・・

親に相談しても、 「放っておいていいんじゃない」「なんでもないよ」

わが子が若くして病気になるなんて考えられなかったのでしょう

人と接するのは大の苦手、まして病院

できれば行かずに済ませたい

でも、友だちのあのことばが耳から消えない

病院に行かないといけないのでは・・・



人間、生命の危機に瀕すると本能が教えてくれるようです
やっぱり、お医者さんに行ってみよう


びぃは一人でかかりつけ医に行きました




ふじんかあ??!


「そんなところへ行かなくても」 親はそう言いました

・・・行ってみるよ 紹介状を持って、また一人で近くの総合病院へ


婦人科の医長先生は、おなかを触るなり

やっ、こいつは大変だ!

すぐに手術しなくては

初診日に手術日を決められてしまいました



病名は 卵巣のう腫

卵巣は本来親指の先くらいしかないのに、
びぃのはすでに握りこぶし大で、いつ破裂してもおかしくなかったとか
そうでなくても、よじれて大事に至る場合もあったとか・・・
                                                            
      
う〜ん 若いから
開けてみないとわからないなあ
 悪い病気では
  ありませんか?
 
                               内心蒼白 →
                              
                 でも →





                              

      ・・・
 親御さんは?
 

うちにいますけど 


  
    あ、そう   





説明するから
今度来るように
言ってね

もちろん帰ってすぐ言いました  泣きわめきました
病院に行かなかったら   どうなってたのよ もしがんだったら   この若さで 死んじゃうんだよ
  


母はおろおろするばかり 父は しかたないよ
運命だから


この二人には頼れない



親にあたり散らしたのは3日ほど、
それからも夜はふとんの中で泣きましたが、
20才になっても夢見る夢子 だったびぃも、ずいぶん強くなりました


もしかしたら生命が途切れるかもしれないという現実を突きつけられたら

限られた時間を有効に使わざるをえません


入院の準備など、しなくちゃならないこともあります


昼間はいろいろ動き回って、それで不安や恐怖が紛れました




入院当日

今回もなぜかひとり 手提げの中には
いつものお守り
     
←十代半ばから
  持ち歩いている
  クリアケースに入れた
  イタリア人テノール歌手の写真
     
くわしくは、<びぃの部屋>
『フランコ・コレッリ 歌うことは生きること』
をご覧ください



びぃは高校3年の夏の夜、
腰の激痛に襲われ救急車で同じ病院に運ばれたことがありました
4日ほど検査入院しましたが、原因はわかりませんでした

前回同様、入院してしまうと
医師や看護師の指示で次から次へと動かされて
思い悩むことも少なくてすみました

今回入院当初につらかったのは、婦人科が産科と同じ病棟だったこと 
病棟の取っ付きには新生児室があり、用事のたびにそこを通らざるをえません
同じ年代で出産のため入院している人たちともすれ違います
夜ふけには遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました



でも、ふだんはコワイと評判の主治医も、看護師も、同室の方も、
とても気づかってくださいました
父も母も入院してからは、日に何度も足を運んでくれて、
びぃもわがまま放題ふたりに注文を付けました

ここまできたら結果を待つよりしかたがないという気持ちも強くなり、
手術までの何日か、日ごとに落ち着いてきました



手術前夜には、中学・高校の友人二人がケーキを持って来てくれたので
ベッドの上にひろげて三人で食べました









面会時間が終わり、友だちは帰っていきました
就寝前に、眠れるようにと看護婦(当時)さんが渡してくれた薬を飲みました

でも 消灯時間をはるかに過ぎても眠れません












月明かりを眺め

ときおり看護婦さんの足音が近づいては遠ざかるのを聴きながら

ぼんやり 20年の人生を考え始めました



私はいじけっこだったけど、自分のやりたいことは結構果たせてきた気がする
あと2ヶ月で21才

命が限られるとしたら



<こころのこり> は なんだろう






そうだ
私は人と本音で話をしてこなかった


もし 命が続くようなら

これからは 友だちに

自分の本当の気持ちを伝えよう






びぃはベッドの上で誓いました









でも


この決意は


あらたな困難の始まりでした



次項 身近な人に支えられ (準備中です)

<自分のことを話しましょう> トップ 悩みを打ち明けるのはむずかしい
  居場所がない

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