めぽっく21<あなたのまちの住民力は?>平塚市紹介

旧横浜ゴム平塚製造所記念館 八幡山(はちまんやま)の洋館

八幡山公園に移築・復原され

2009年4月1日、市民の憩いのサロンとして開館しました


旧横浜ゴム平塚製造所記念館

八幡山の洋館 公式ホームページ

平塚市より指定管理者として管理運営を受託している
旧横浜ゴム平塚製造所記念館運営管理共同事業体』が開設しています


2015年4月26日 洋館の植栽と第42回緑化まつり共催イベント紹介

八幡山の洋館のバラについては
  こちらをご覧ください   





こんなかわいらしい洋館ですが

実は、20世紀前半の<軍需都市>平塚の遺構です


21世紀によみがえった洋館を、市民の手で

平和のシンボルにしていきましょう


↓戦災復興事業完成記念碑          八幡山公園西口  







                               ↑平和の慰霊塔

                                        写真撮影 びぃ


旧横浜ゴム平塚製造所記念館 沿革

当時の用途・呼称 所有者など
1905(明治38)年6月 日本火薬製造株式会社(日本海軍と英国3社の合弁会社)設立
9月 製造所の建設工事開始
英国人支配人執務室として創建されたものといわれている
 1906(M39)年か07年 落成と考えられる
07(M40)年 日本爆発物製造株式会社と改称
11(M44)年  火災で焼失
12(M45)年  再建
1919(大正8)年4月 高等官クラブ
横須賀水交社
平塚集会所

日本火薬製造株式会社設立時の契約に基き、日本海軍が全て買収、海軍火薬廠を開設
水交社とは、日本海軍の少尉候補生以上の武官と高等文官をもって組織された親睦団体)
1923(大正12)年  関東大震災による復旧工事
 その後も改修工事がたびたび行われる
1945(昭和20)年8月 終戦とともに海軍火薬廠廃廠、進駐軍が接収
1950(S25)年8月 応接室および会議室 横浜ゴムが跡地の一部(25,800u)と建物の払い下げを受ける
1955(S30)年  相当程度の修改築
創立100年を経過し、老朽化
2004(平成16)年4月 横浜ゴムから平塚市に寄贈
同年7月23日 旧横浜ゴム平塚製造所記念館 歴史的建造物として国の登録有形文化財(産業第2次)に登録
保存・活用のため、旧所在地(平塚市追分2番1号)から八幡山公園(平塚市浅間町1番1号)内に移築し、復元工事を行う
2009(H21)年4月1日 旧横浜ゴム平塚製造所記念館(八幡山の洋館) 公民館に準ずる公共施設として開館


館内入り口 入ってすぐ左 受付窓口前
上の年譜は
旧横浜ゴム平塚製造所記念館
解説マニュアル
および館内の案内パンフレット
(平塚市作成)をもとに
作成しました
解説マニュアルを
提供してくださった
土井浩館長
元平塚市博物館館長
平塚の歴史の生き字引!!
なので
お見かけしたら
どしどしお話を伺いましょう

館内の職員も案内してくださいます
気軽にお声かけしてみてください

びぃは15年ほど前
ミニコミ誌を作っていたときに
当時博物館の学芸員だった土井さんから
懇切丁寧なご指導を受けました
このページもチェックしていただいてます

でも


上の沿革を辿れば辿るほど、疑問は深まります



どうしてこの記念館は

<旧横浜ゴム平塚製造所>という名を冠しているのでしょうか?


ユニークな管理運営形態−

市の施設である旧横浜ゴム平塚製造所記念館の管理運営を
民間メンテナンス会社と市民団体が協同で代行しています

平塚市ビルメンテナンス業協同組合が指定管理者として管理運営を代行し
ハード面を
日通サービスが、ソフト面を
この建物を保存・復元利用するのに尽力してきた市民団体、
水交社の保存と利用をすすめる会が担っています
(ひらつか市民活動センターHP 市民活動団体情報ファイルへ)



ひろばの会 会報 『ひろば』 第347号 2009年3月24日発行より




ご存知ですか?

八幡山公園は

戦争を忘れず、平和を祈念するための平塚市のメモリアルパークです

園内にはすでに戦没者慰霊碑
平塚空襲殉難者慰霊碑
平和の慰霊塔

戦災復興事業完成記念碑が建てられています



平和の慰霊塔













明治以来の戦没者慰霊碑


1945年7月 平塚空襲殉難者慰霊碑

1967年建立 平塚戦災復興事業完成記念碑



当サイト管理人びぃは、三十代後半に同い年の友人4人と
平塚・三十代・専業主婦がまちづくりを考えるミニコミ誌
めぽっく(1993-95)を編集発行していました
中で、当時平塚市博物館学芸員(のち館長)だった
土井浩記念館館長のお世話になって
<平塚の空襲と戦災><戦後の復興>をご紹介しました
ミニコミ誌
めぽっく
1994年4月
第2号 平塚市の合併前後
平塚の空襲の記録は?
平塚の空襲と戦災を記録する会
歴史を引き継ぐ世代として
同年8月 第3号 平塚の空襲 なぜ平塚は空襲されたのか
平塚攻撃(米軍の「作戦任務報告書」より)と平塚の被害日本側の記録
1995年1月 第4号 戦災復興土地区画整理事業(1946年〜1967年)
  区画整理前(昭和21年)と完了後に様変わりした
  平塚駅周辺の地図をご覧ください
 

旧横浜ゴム平塚製造所記念館 建築規模



構造:木造平屋、塔屋付
規模:建築面積225.90u
仕上げ:屋根 平鉄板葺、外壁 ドイツ下見張
基礎:石造り及び煉瓦造(一部コンクリート造)
施設内容:記念館(応接室、会議室2、展示室、厨房、廊下)
管理棟(事務室、トイレ3室、倉庫、エントランス) 

                                 -解説マニュアルより-

















応接室 南東正面 (上の写真では左側面部)





煉瓦積基礎の遺構


       
建築的特徴  −解説マニュアルより-

塔屋を戴く南東部の主屋
約6m四方の正方形一室からなり、他2室に比べ狭いが
意匠的密度は濃い

★★主屋(応接室)

塔屋は古典主義建築のドームの
ミニチュア

窓の上部に
手の込んだコロネット(小さな王冠)

窓台部分に横帯を通す



下部にはエプロン風の飾り





軒下の方丈の繰型が柔軟な曲線

他部分
(2会議室など)

第1会議室


単純な矩形(長方形)の
上げ下げ窓







主屋以外の軒下の繰型は
1955年の修改築時に
付加した可能性あり

 


   
           主屋(応接室)

    ★★★第1会議室北側
      八角形平面のベイウィンドウ




天井は
周囲に格縁を廻した
縁甲板張り
主屋以外は
棹縁を通している







壁は漆喰塗り







床は
リノリウムシート張り
上の説明はすべて
旧横浜ゴム平塚製作所記念館
解説マニュアル
より
抜粋させていただきました


旧横浜ゴム平塚製造所記念館は見学だけでなく

5人以上で団体登録すれば、どなたでも

第1会議室第2会議室厨房が利用できます(有料)

<軍需都市>平塚のメモリアルを

平和を願うあなたの手で

新しい文化創造の拠点にしてください


平塚市作成 案内パンフレット(実物はA4サイズ1枚)
                            記念館入り口左手にあります

案内パンフレットより
部分転載

                                切り貼りをお許しいただきありがとうございます





歴史的建造物(国の登録有形文化財)を傷めないよう

見学やサークル利用に際して気を配りましょう



最初の利用団体は 

平塚ふれあいハーモニカクラブ
さんでした

                   
平塚市文化財団が3期開いたハーモニカワークショップ
参加された方々が
そのときの講師楠光恵先生に指導をお願いして
2000年9月に設立 会員数19名

2009年11月3日 (10:00〜16:00)
第24回 国民文化祭
(浜松市)で、初めて開かれる
<ハーモニカフェスティバル>
神奈川県で選抜されて参加予定

(アクトシティ浜松 中ホールにて)


旧横浜ゴム平塚製造所記念館 第1会議室  2009年4月7日 夜間利用
 
平塚ふれあいハーモニカクラブ










               
                    知りませんでした
                          ハーモニカの楽譜は数字で表してあるって
                            取材にご協力いただきありがとうございました











       


         


















                                         写真撮影 びぃ

びぃのもう一つのサイト<びぃの部屋>にも
旧横浜ゴム平塚製造所記念館八幡山の洋館の写真を載せています
こちらからどうぞ

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