「コレクション正当化論」

 コレクションには、様々な形態があり、その楽しみ方も十人十色である。しかし、ここに一例として、コレクションの楽しみ方というものを分析してみたい。

 コレクションとは、「情報収集」→「店頭での発見・購入」→「パッケージ開封・組立」→「鑑賞・評価」→「コンプリート」→「整理・収納/ディスプレイ」・・・という、一連の行為全てではないだろうか。それぞれに楽しむ要素が満ち溢れていると思う。

 「物を集める」ということに執着していると、大半の人は「全部揃えたい」という『完全主義』に、いつの間にか陥りやすいものである。「揃えてどうするのか?」と問われたり、自分でも考え込んだりする時があるが、揃えた時の充実感だけでも大きいものである。それは、美味しいものを食べた時の満腹感にも共通するもので、美味しかった味を回想することは、コレクションの道のりを回想することにも通じるところがある。要は、お金の使い方の違いということなのかもしれない。ましてやコレクションは、結果的に資産として手元に残るもので、所有欲を満たす。つまり、満腹感が持続するのである。学者が、研究室の書棚に並ぶ専門書を、自らの自信に繋げているのと同様、コレクターにとって、収集物は自我の誇り以外の何物でもない。

 しかし、それだけでは終わらない。棚に飾ったり、時折、引っ張り出しては何気なく触って見てみる。収集物のパッケージングを考えながら何度も整理を繰り返す。また、付属リストや外箱等も丁寧に収納する。それでどうするのか?ではなく、その時間を楽しんでいるのである。コレクションは、何時までも完結しない。さらに、思い立って一部の収集物を手放すこと、例えばオークションへの出品も楽しみ方の一つではないか。自分のコレクションの形を、いつまでも固めておく必要はないだろう。フレキシブルな楽しみ方も、また面白そうである。

 コレクションの究極的な楽しみは何か。それは他人に見せたり話したり、すなわち自慢することだろう。実は、趣味というものの醍醐味は、そこにあるのである。例えば、芸術サークルや個人活動が、展覧会を催して楽しそうに接客している光景は、それを物語っている。

 コレクションを、もっと楽しみたい。しかし、昨今の販売ラッシュの中で、今は集めることに精一杯かもしれない。それにしても、もう少し、ゆとりが欲しい。そのためには、コレクションを十分に味わうことである。そうすることによって、自分にとって、次に何が必要なのかが、はっきりと見えてくるのではないだろうか。

 2002.4.13