「マイコンプリート道の勧め」 リアルチープトイ、いや「リアルチープ フィギュア」と呼んだらよいのだろうか。今や、"カプセルトイ"や"食玩"の類は、単純なカテゴリーでは扱いきれない世界となった。玩具売り場から抜け出したフィギュアは、スーパーやコンビニ、ドラッグストア等のあらゆるセクションへ進出している。こんな時代、次々と発売される魅力的な商品の獲得に私達は忙しい。そこに感じるものは、"半ば苦しみの伴う喜び"である。 ところで、そういうコレクションの渦の中で、私たちはひたすらコンプリートの義務に追われてしまってはいないだろうか。ここでは、敢えて“マイコンプリート道”を提唱してみたいと思う。 人がモノを集め始める時、当然のごとく気に入ったものを集める。そして、その所有欲を満たしていくのである。ところが、集めることに執着していると、さらに揃えたいという願望が生まれる。"集める"から"揃える"へ、これを私は完全主義への移行と言っている。ところで、「集める+α=揃える」であり、もしかしてαとは本人にとっては余分なものではないかと思うことがしばしばある。完全主義は、集める事に物足りなくなった時、あるいは自分の欲求に説明不要の到達目標を持ちたい時に生まれるだろう。それは、物事の一線を越えるということかもしれない。 私の過去を振り返ってみると、まさにその通りなのである。私の場合、HGはウルトラマンPART13との出会いによりマイブームとなった。具体的に言えば、その中でウルトラマンとアントラーは欲しかったが、ウルトラマンダイナやネオダランビアには魅力を感じなかった。200円も費やして、欲しくないものが出てきたらどうしようかと迷った。つまり、自分の気に入ったキャラクターがラインナップの中にあったからこそ、それを欲しいと思ったのであり、全部欲しいとは思わなかったのである。ベンダー販売の場合、そんなわがままは通るはずもないが、そういうことを手助けしてくれたのがインターネットであった。 しかし、ネットによるトレーディングの楽しみを覚え始めて間も無い頃、収集に臨むそれまでの姿勢は変化し始めた。恐らく、もっとトレーディングを楽しみたいと思ったのであろう。また、発売のペースより自分の購買欲が勝ってしまっていたことも原因かと思う。ついには、全部揃えてしまおうということになった。だが最初にそう思った時、少し決心が要ったのを覚えている。つまり、余分な事をするのだという意識が頭のどこかにあった。以来、この世界における「コンプリ」という概念に浸りきり、ひとつひとつの達成を喜びながらシリーズを揃えていくことになった。 HGのコンプリートといっても、イベント限定販売、書籍特典等もあって大変なことである。しかし、まだ平穏な方と言える。食玩をブレイクさせたという「チョコエッグ」は、第2弾よりシークレットなるものの存在が出現した。確立を極度に下げた特定種の混入は、確かにくじ引き的な楽しみを広げたが、獲得には一筋ならぬ困難が立ちはだかることになった。食玩界全体を見れば、続いてレアカラーなどのバージョン違いを混入させることも通例となり始めている。このような、消費を促すメーカーの商法と消費者の期待との関係は、実際には微妙なバランスで保たれている。 さらに最近の市場は、商品バリエーションが激増し、過剰・混乱しているといっても過言でない状況下にある。市場は、消費者に選択の幅を広く与えているかのように見えるが、私は逆に崩壊を迎えることになりかねないと危惧している。それは、通常の市場競争を経て淘汰されていく性質のものとは違い、フィギュアは生活用品でないために、先に消費者の心が離れていく可能性があるかもしれないという意味である。 私は今一度、初心を見直すよう努力している。欲しいと思ったものだけを買う。全部欲しいと思ったら揃えればいい。しかし、そう言いながら欲しいものは多いのだが…、まあ慌てる事はないと思うようにしている。これが、自分に素直な価値観でのコレクションスタイル、すなわち"マイコンプリート道"なのである。マイコンプリート道は、消極的な考え方にも映る。だが、勇気の要る積極的なコレクションスタイルだと考える。景気低迷の昨今情勢においては、やや寂しい考え方かもしれないが、マイコンプリート道から始まる消費者の選択は、市場をスリム化し商品のバリューを磨き上げ、継続の原動力になるに違いないだろう。いや、私たちがまず疲れ果ててしまわないよう、余裕をもって臨んで行きたいという姿勢でもある。 2003. 3. 4 |