TOPにもどる

注釈付きなかがわ達の奇妙な冒険(あくまでもフィクションです)

1.はじめに

この記録は2000年1月14日夜から16日にかけて行なわれた旅行の記録である。その距離実に1600キロ以上をほぼ2日間で走破した勇者達の生き様をいつもの日記の特別編として作ってみました。が、あくまでフィクションであることを念頭にご覧下さい(笑)。

おもな登場人物

なかがわ…本編の主人公。が、この旅行では何もせず(ひたすら喋るか食べる&呑むを繰り返していた)、ひどい事に出発前も呑んでいた註1。某市役所の水道局に勤めるもうじき27歳(男)。

・MD…他の二人の調停者にしてドリームキャスト党員。愛用のドリキャスが壊れるとういう不運を胸にこの旅行に参加する、自称「ジェントルメン」註2。インプのワゴンとプジョーを愛する頼りになるオトコ(いつも迷惑かけてます)。

MAD…本旅行の提唱者にして伝説の「暴れソアラ」註3のオーナー。その武勇伝は数知れないが本旅行での活躍でさらに一つ加わったことは言うまでもない。そんな彼も上の二人の前ではさすがに大人しかった?みたい(笑)。

註1…殿下と某サークル3回生のS君そしてMADと一緒に某沖縄料理店でお食事会をしていた。なかがわは泡盛の古酒(クースー)を呑んで上機嫌だった。

註2…その行いからは非常に疑問のつく「闇の紳士」ぶりを発揮した(笑)。とくに「広島山中赤デミオ事件」は「暴れソアラ」伝説の1ページ飾るほどの非道ぶりで他の同乗者から非難を浴びた(笑)

註3…今回は大したことも無かったみたい。「道後温泉軽自動車路注事件」ぐらいだもの。

1月14日(金)

あわただしく旅行のスケジュールも決まりついに旅行が始まった!今回のメインは温泉と高知での「闘犬」見学とYAZさん註1のところに遊びに行くことだ。また1日目はしまなみ海道の大島の民宿で1泊し、海の幸を味わいたいものだ。そうした野望と希望を胸になかがわは一路京都へと向かった。京都では「暴れソアラのオーナー」MAD君と待ち合わせ場所の提供者、殿下くん註2、そしてサークルの後輩S君と地下鉄四条烏丸で合流したあと沖縄料理に舌鼓をうち、旅行に備えた。が、ここにもう一人の参加者「ドリームキャストの」・MD氏とは殿下の下宿で直接待ち合わせていることから悲劇は起こった。なんと沖縄料理のうまさになかがわ達は心を奪われ、10時ぐらいには来ると言っていた・MD氏の意向をそっちのけに料理に集中していたのだった。そして10時になっても食事は行なわれ、・MD氏は殿下の下宿の下のコンビニで待つことに註3…。その後大幅に遅れて「赤い顔をした」なかがわ達が到着した註4。殿下くんの下宿でTVを見ながら第1目的地、松山への到着時間を逆算し註5、1時30分ごろに殿下の下宿をあとに3人は「暴れソアラ」で出発したのだった註6

註1…なかがわ達の先輩にして、サークルのOB合宿の常連メンバー。島根県在住。

註2…なかがわ達の後輩。なかがわは学生時代面識は無かった筈なのだが、わりと会ってたりする。「来年卒業予定の」4回生。

註3…その間数十分か?誠に申し訳ないです。

註4…さぞ心中で思うことがあるでしょう。ホント申し訳ないです。

註5…このMADとなかがわの計算が全然違っていたことが後に明らかになる。

註6…京都南のインターに至るまでにケッコウ迷った(笑)

1月15日(土)前半

なんとか高速に乗った我々は一路松山を目指し名神〜阪神〜山陽道と進んだ註1。MAD君が運転し・MD氏は仮眠に入った。酔っ払ってテンションが高かったなかがわは道中MAD君と昔の話註2や、サークル員の卒業後の様子等を情報交換したりして盛り上がった(笑)途中寄ったPAで予定を変更して先に瀬戸大橋を渡り、高松道、高知道経由で桂浜に行くことに変更。だいたい到着時間を10時ごろと読み註3、まず闘犬を見ることに計画を変更した。が、「暴れソアラ」は快進撃を続け註4、休憩等もしなかったため註5、高知には6時過ぎにはつくことになった。(仕方が無いので)なかがわの主張により、一行は桂浜で幻想的な日の出を見物し、太陽神イェルムに旅行の無事を祈願した。闘犬の初回は12時過ぎかららしいので、一行は近くにある龍河洞温泉に行くことにした。桂浜で高知県の観光マップを入手したのだが、なぜかこの地図と実際の道とが違っていて註6なかなか目的地にたどり着けなかったのだが・MD氏の野生のカンと我らが「赤の女神」のお導きで、何とかたどり着き一行はここで旅の疲れを癒した。ここまで無事に来た我々だったが桂浜に戻ってきた我々には今日は闘犬を行なう予定が無いというショッキングな報せが届いた。さらに1泊目を予定していた民宿が予約が取れなかったため断念することとなった。悲報が相次ぐなか(笑)、我々は気を取り直し高松にうどんを食べに行くことにし、なかがわが高松で単身赴任中の父親に連絡をとって情報を仕入れることとなった。結局場所がややこしいこともあってなかがわの父親と合流した我々は高松でうどんを食べ、一路、道後温泉に行った。道中MAD君の海外旅行での体験談などを聞きながら移動し、松山に着いたのは夕方となった。ここで一息ついた我々だったが無慈悲にも悲劇は起こった。そう「道後温泉軽自動車路注事件」註7がである。「暴れソアラ」が起こした悲劇についてはここでは取り上げないことにするが、一行の心の中にはこれからの旅に漠然とした不安感が湧き上がった(笑)のであった。

註1…やっぱり迷いました(笑)

註2…古きよき時代のことやその後の激動の時代のことです。

註3…どういう積算基準だったのか覚えていないがMADと二人で決めました。

註4…リミッタの175キロも体験しました(笑)速い車は凄いね。

註5…ご苦労様でした。

註6…国道と線路の位置とかが全然違っていたらしい。

註7…その瞬間あたりは静寂につつまれたという(笑)

1月15日(土)後半

続いて我々は今夜の宿泊場所をYAZ先輩の所と定め註1、しまなみ海道〜中国道〜浜田道経由で島根県は益田の地を目指した。松山から今治までの道が非常に込んでいたため何時につくのか非常に不安註2だったが、そんなこととは別にゲームや音楽の話で盛り上がっていた註3。ここで奇跡は起こった。そう警察が覆面で張っていたのだがドライバーの・MD氏の日頃の行いにより(笑)そのワナを偶然にも註4くぐり抜けたのだった。その日は高松道でも2件捕まっていたので我々は気を引き締め旅の安全を心に誓い「赤の女神」に加護を求めた(笑)。無事しまなみ海道を渡った一行だったが、中国道に乗りそこなったので、三原市を北上しそこから乗りことにした。ここで第2の悲劇、後の世に名高い「広島山中赤デミオ事件」註5が行なわれたのである。ここでは詳しくは述べないことにするが、「ジェントルメン」・MD氏の偽りの部分が剥ぎ取られ(笑)その本性が牙をむいた出来事であることは、意見が一致するところである。その後は快進撃を続け、中国道から浜田道に乗り註6無事にYAZ先輩のお宅にたどり着いたのであった。深夜についた我々をYAZさんは歓迎してくれ、非常に楽しいひと時を過ごすことが出来た。ここでもなかがわはYAZさんの用意してくださったビールを呑んでいたことは記録しなければならないだろう(笑)。3時間ほど話した後、休むこととなった註7

註1…事前に・MD氏が連絡してくれていた。

註2…仮計算では深夜12時ごろの予定にしていた。

註3…HゲームならGREENとかラブエス、音楽だったらミスチルやスピッツなんかで…。

註4…前のクルマが捕まったので「暴れソアラ」は助かったのだった(笑)

註5…かわいそうだったなぁ(笑)

註6…浜田道で濃霧に襲われ一面が白かった。なかがわは半分寝ていたので良く覚えていないが…。

註7…とても楽しかったです。またOB合宿でお話したいです。

1月16日(日)前編

YAZさん宅を8時30ごろ出発した註1なかがわ達はは今日の第1目的地である出雲大社註2を目指して国道9号線を日本海沿いに東へと進んだ。「ドリームキャストの」・MD氏の運転で道中は順調に進み、ローカルなコンビニチェーン「ポプラ」の店を眺めながら途中で適当な温泉が無いか物色註3していた。事前に相談したところ、温泉津(ゆのつ)温泉なる所が良さそうだということになってとりあえず寄ってみることにした。現地に到着するとなかがわと・MD氏は「暴れソアラの」MAD君を車に残し註4温泉街を探検することとなった。その地は山が迫った海辺にある温泉街で寺や神社の大きさから、また石見の銀山のすぐ近くにあることからもその昔はとても栄えた所であったことは容易に想像がつくところだった。しかし、時の流れは残酷なもの註5でいまでは「立派に」さびれた寂しい温泉街でしかなかった。あまりの寂れ具合に恐れをなしたなかがわ達はここには入ることを諦めおとなしく出雲大社を目指すことにしたのだった。その後は順調に進み、昼前には出雲大社の着くことが出来、すぐそばの蕎麦屋で昼食となった。蕎麦を食べた後なかがわ達は参拝に出かけた。始めて見る大社は観光地ながらナルホド重厚な感じがあり、畏敬の念を(すくなくともなかがわには)感じさせた。一行はまずお守りを買い註6続いて本殿を見に行った。ここでなかがわは習慣でいつものように「2礼2拍1拝」とやり、この旅行最大のミスをしたのだった。なぜならここ出雲大社は全国でも珍しい「2礼4拍1拝」の形式をとる神社だったからである(笑)。事前に知っていたのに何ともマヌケな話であり、あとで考えても恥ずかしいことで註7あった。

註1…行く前にYAZさんの愛車「R34」のスカイラインを見せていただきました。

註2…ここでなかがわはとんでもない醜態をさらすことになる(笑)

註3…海を離れて中国山地のほう入るといろいろあるみたいだったがなるべく近くが良いと思っていた。

註4…温泉津に着くまでは寝てるみたいだったので…。

註5…・MD君のことば

註6…他の二人は「交通安全」だったが、なかがわだけは「縁結び」お守りを買ったことは秘密である(笑)

註7…なかがわはいつものように高らかに「パンパン」と拍手を打っていた。知ってる人がいたら笑えたと思う。

1月16日(日)後編

続いてなかがわ達は次の目的地である松江城を目指して国道431号線を東へと進んだ。道中は宍道湖のほとりを進み順調に流れた。しかしなかがわ達には不安があった。それは段段と減ってきたガソリンのことだった。昨日高松でリッターあたり100円で給油註1はしたものの「暴れソアラ」の燃費は良くは無かったのでそろそろ次の給油を考えなくてはいけなかったのだった。が、このあたりのガソリンスタンドは値段の表記が無く、あってもハイオクは110円前後の価格になっていたのだ。なかなか給油に踏み切れないまま松江城についたなかがわ達は城見物したあと公園内の喫茶店?で軽く食べた後、お土産を近くの観光センターで物色したのである。ここでもなかがわは土産屋の兄ちゃんに勧められるまま地酒を飲み、絞りたての原酒註2を勧められるままに買ったのだった。またもや赤い顔をとなり、ご機嫌になったなかがわは他の2人のひんしゅくを買ったのだった。つづいて一行は玉造温泉にある公共の温泉「ゆのゆ」註3にはいり旅の疲れを癒した。ここでも食事をしたなかがわ達はMAD君の運転註4で京都に帰ったのであった。こうして我々は無事に旅を終え2日で1600キロの旅を終えたのである。その後も色々と事件はあったのだが註5ここでは触れないこととする。おぉ赤月の帝国に栄光あれ!(おしまい)

 

註1…高知及び高松では同業者組合に加入している所としていない所では値段がリッターあたり10円ほど離れているのだ!

註2…アルコール度数19〜20度のどろっとした日本酒です。

註3…綺麗な設備と入湯料(600円)の安さでとても良心的なところでした。ただサウナには200円余分に払わない入れないのが他の2人には少し不満だったみたい。

註4…雨の中ご苦労様でした。

註5…なかがわは「暴れソアラ」にCDのファイルを忘れた。また帰りの電車の中でも・MD氏とは愉快な話で盛りあがったのである。