第5回日本山岳耐久レース<長谷川恒夫CUP>
奥多摩全山71.5KM〓24時間以内
1997年10月10日(金)15:00〜11日(土)15:00 両日晴れ |
日本登高研究会10/15 '97記録 | ||||
エントリー | 1,316 名 | |||
選手名 | 惠川 佐和子 | |||
ゼッケンa@ | 1086 | |||
チェックポイント | 通過時間(24) | 順位 | ||
第一関門 (浅間峠) |
20時 10 分 | − 位 | ||
第二関門 (月夜見) |
4時 55 分 | − 位 | ||
第三関門 (御岳山) |
10時 27 分 | − 位 | ||
ゴール |
13時 36 分 | 706 位 | 所要時間(22時間36分28秒) | |
食料計画: 持参した食料全てと 数量を書いてください |
バナナ3本 /ミカン4個 /ウイダーイン2個/ チーズ3個/
ミニクロワッサン7個 醤油団子3本 /みそニンニク1パック /サンドウイッチ1個 ヨーグルトレーズン /ぶどうのキャンディー |
食料計画はどうだった? |
昨年の「おにぎり」は食べられず失敗だったので今回は、はずす。 持参したものは、ほとんど食べてしまった。途中でなくなったらどうしようと思った。 |
予定と違った事は? |
月夜見でてっきりエネルゲンをくれるのかと思っったのに、だたの水だった。当てがはずれた。 |
飲んだ水の量は? | 3,000 cc (月夜見で補給) |
今回の作戦は? |
昨年は時間がなかったので日の出山からすべて走って左膝の裏の筋を伸ばしてひどい目にあった。 今回は走るのを止め、故障せずに完走する。 |
ルート上で 嫌だったところは? |
第一関門まで、三頭山の登り、下り、鞘口峠の下り、御前山の登り、大ダワの手前の下り |
体の故障は? | 左膝の裏の筋(前回のがぶり返した) |
故障に対して 今後の対策としては? |
はじめからサポーターをしていたのは正解。 サポーターがずるずる落ちていやだった。これを何とかする方法は? 左膝の故障対策→耐久レースには出ない。 |
前回とここが違う作戦だ! |
前回は緊張のおかげで全く眠くなく、ただただ歩き、最後は走った。 今回はおそらく眠くなってしまうだろう。でも、絶対に横にならない! それに、一週間前から 前回の膝の故障がぶり返してきたようなので、下りで走るのはやめようと思った。 |
反省&感想 |
前回は時間の都合で日の出山から全て走り、左膝の裏を伸ばしてしまい、 しばらく医者通いを強いられ、しかも後遺症で暑くなるまで膝の裏の突っ張り感は取れなかった。 今回もここの所の冷え込みでその感覚がよみがえり、 よほど棄権しようかと考えるほど膝の裏の突っ張り感は取れなかった。 しかし、スタートにたった。 弱気になっていたせいか体調もいまいちで、非常に辛く、リタイヤしようかどうかと迷っていた。 第一関門で休んでいると市川さんがいた。 リタイヤ・・と言うと ”何言っているの!惠川 さんなら行ける!” と励まされ、 とにかく西原までは一緒に行こうよ!と尻をたたかれる。 三頭山の登りは二人とも遅々とし、頂上では寒さに震えたが、 月夜見に到着したのが昨年の時間より早かったので すっかり前向きとなり、先を急いだ。 しかし、私の心の中にはまだ「リタイヤ」という文字が残っている。 次は大ダワだ!夜が明けてくると睡魔が襲ってくる。歩いていて寝てしまいそうだ。 幾度ものだるい登りを終え、日の出山に到着すると、ようやくもしかすると完走できるかもしれない! という期待が沸き起こり心が弾んだ。しかし、下りを走るのは厳禁!! 昨年はあと5キロの地点からとてもとても長かったけれど、 二人でおしゃべりをしながら降りてきたのであっと言う間だった。 舗装道路に出てから、走るのを止めようね。 と言っていたのに自然と走り出してしまった。T字路に出ると、榎本さんが手を振っている。 今まで待っていてくれて、時間を見計らって迎えに来てくれたんだ・・ちょっぴり涙ぐむ・・ 走るの止めよう!といいながら走り続けて、そのまま二人でゴールをくぐった。 今回は市川さんのおかげで完走できたと思い深く感謝したい。 ・・・ 市川さん本当にありがとう! |