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cold rain




雨。

激しい雨。



巴里の土を叩きつけるように、雨が降る。


グリシーヌは、屋敷に帰る途中だった。


前方に見慣れた銀髪を見つける。


雨に濡れた、ロベリアだった。

傘も差さずに、天を見上げ続ける、ロベリア


それをみて、グリシーヌは思わず立ち止まって、ロベリアをずっと見ていた。


視線を感じたのか、ふと、ロベリアが、顔をこちらに向けた。


(・・・・・泣いている・・・のか?)


雨らしき雫が、ロベリアの頬を伝う。


いつも、悪口を吐いては、ニヤッと笑う下品な女。

その彼女の影が、今は見えない。


その水滴は、天からではなく、瞳から零れたものではないのだろうか。


(…何だ…あれは…ロベリア、なのか?)


虚ろで、消えそうなその姿に、グリシーヌは、思わず手を伸ばしかける。


「おい・・・。」


ロベリアは、グリシーヌに気がつくと、くるりと背を向けて歩き出した。


放って置けなくなったグリシーヌは、走って追いかける。


「おい、ロベリア!」

やっとの事で、追いついて、声を掛けるが、ロベリアは無視を決め込んだ。

「・・・・・・。」

「ロベリア!」

声を掛けられ、チラ見してロベリアは、視線を上に戻した。

「この私を2度も、無視か…良い度胸だな。」

嫌な奴に見つかったという表情を浮かべて、ロベリアは渋々答える。

「はぁ……何の用だ?」

「傘はどうした。」

「見りゃ解るだろ。」

あれば、とっくに差しているという意味だろう。


髪も、コートもぐっしょりと濡れて、長時間、雨に降られたのが

ありありとわかった。


「…入れ。」

グリシーヌは傘を差し出す。


「…残念ながら、お優しい貴族様と、相合い傘する趣味はないんでね。」


「私の機嫌が良いうちに入れ、ロベリア。」

「命令される筋合いは無いね…大体、目的地が違う。」

「では、これはお前にやろう。」

「…こんなもんで、恩着せる気か?」

「”こんなもの”で恩を着せようとする程、私は、愚かではない。」

「アタシは、こんなの慣れているからね、要らないよ。」


「…いいから、持て。」

「嫌だね。」


「持て。」

「しつこいね…嫌だと言ってるだろ。」


「…持たないなら、こっちに寄れ。差しにくい。」

「…断る。」


・・・話し合い、と呼べるかどうかは疑問だが、両者の話は平行線をたどった。



そこで、グリシーヌは溜息を一つして、傘を畳んだ。



「これで、対等だ。」


「…アンタ、バカだろ。」


「ずぶ濡れの人間を隣にして、自分は傘を差してなど、歩けん。」


「好きにしな。」


ぶっきらぼうに言ったものの。

ロベリアは、心底、居心地の悪さを感じ、10歩程、歩いた地点で、根負けした。


「・・・チッ・・・わかったよ!貸せ!」


グリシーヌから、傘を奪い取ると、ロベリアは傘を広げた。

長身のロベリアが、傘を差し、グリシーヌは腕組をして、その隣を歩く。



「…また、BARか?」

「また、説教かい?」

「私が質問しているのだ。」

「…答える義務は無い。」

「質問を変えてやろう。そんなに濡れるまで、何をしていた?」

「……散歩。」


素っ気無く、いつでも喧嘩出来そうな、棘のある会話。


これは、いつも通りの会話。


しかし、どこかが違うと感じていたのはグリシーヌだった。

会話の内容ではない。


ロベリアの様子だった。


よく見ると、ロベリアの肩は傘から出ていた。

二人は傘に入りきらないとはいえ、傘の角度はいささかグリシーヌ側にかかり過ぎている。


「…傘も差さずに、散歩か?」


グリシーヌは、何も言わずにロベリアとの距離を縮めた。


「…元々、傘はそんなに…好きじゃない。」


ロベリアは、決まり悪そうに答える。


「くだらん好き嫌いで、体調を崩されては困る。…ショーに穴を開ける気か?」

「…質問多いよ、アンタ。そら、ご立派な屋敷だよ。」


「…貴様は、どこへ行く?」

「…散歩の続き。」


傘をグリシーヌに押し付けて、ロベリアは目線を合わさずに言う。


「屋敷に寄って行け。」


グリシーヌは傘を持たずに、ロベリアの袖を掴んだ。


「…遠慮しとく。」


グリシーヌの手を、そっと袖から離し、ロベリアは断った。


「雨が上がるまで、だ…どのみち、その格好で帰す気はない。

 風邪を引く。」


今度はぐいっと腕を掴まれ、半ば引きずられるように、ロベリアは、屋敷に連れて行かれる。


「…チッ…」

(何か、盗んでいってやろうか…!)







「シャワーでも浴びろ、服は暖炉で乾かしてやる。」

「へいへい。」

屋敷の中に入るなり、使用人達の冷たい視線で出迎えられた。

だから嫌だったのに、とロベリアは思った。

しかし、グリシーヌはそれに構う事無く、どんどんロベリアを屋敷の奥へと引きずっていった。


(…調子狂うな…)


ロベリアは、グリシーヌがいつもより自分に優しく接する事に

疑問を感じつつも、言うとおりに従った。


「…ロベリア、タオルだ。ココに…」


使用人に持って行かせようと思ったが、相手がロベリアだ、と思うと

どうにも、自分が行かないといけない気がしたグリシーヌ。

「あ?」

バスタオルを持っていくと、そこには、全裸のロベリアがいる。


「あ…す、すまないっ!!!」


グリシーヌは、慌ててシャワーカーテンを引く。

いつものグリシーヌなら、カーテンを引かずに浴びている方が悪いと考えるだろう。


「…どうした?」


ロベリアが顔をカーテンから出す。


「タオル、だ…」

「ああ。」


ロベリアは、グリシーヌの動揺振りに、ニタリと笑って言った。


「・・・・・・そんなに、珍しいか?」

「…な、何がだ?」


「女の裸。」


「ッ!私も女だ!馬鹿者!!」


クックックと喉で笑い、シャワーを浴びるロベリアに、グリシーヌは、ドカドカと足音を立てて出て行く。


いつもの彼女の態度に、腹を立てながらも

グリシーヌは、先程の雨の中の彼女との違いが、妙に心に引っかかった。



「止んだか?」

バスローブに身を包んだ、ロベリアがタオルで髪を拭きながら、窓に向かう。


窓の外は、激しい雨。



「…ああ、まだだな…激しくなってきた所だ。」

「…フン…。」


グリシーヌの一言と、窓の外の様子に、ロベリアは忌々しそうに、嫌な表情を浮かべた。




グリシーヌは、座れと、暖炉の傍のソファを指差す。


「そう苛立つな、飲め。温まる。」


差し出されたのは、ウィスキー。

ドカッと、ソファに座り、ロベリアは、薄く笑う。


「気が利くじゃないか。」

「一杯だけだぞ。」

間髪入れず、グリシーヌは”お代わり拒否”を宣言する。


「…ケチ…」

ボソッと、本音が出る。


「何か言ったか?ん?」

「別に。」


グリシーヌの怒りに触れたくないロベリアは、そっぽを向いて、知らん振りをする。


ウィスキーを一飲みし、物足りない顔をしながら、ロベリアは、ソファに肘を突いて、暖炉を見つめている。


「…こんな日に、どこへ行くつもりだったのだ?」


グリシーヌは、向かいのソファに腰掛け、本を読んでいる。


「しつこいね…だから…」

「”散歩”は嘘だろう?」


あんな顔で、雨の日に出歩くのが、散歩など誰が信じるか、というのが

グリシーヌの見解だった。


「…だったら、なんだってんだ。」


ロベリアは、嫌な顔をしながらも、くつろげる体勢をとる。

ソファに片足を上げて座るので、白い太ももがバスローブの隙間から見える。

グリシーヌは、視線をチラリとロベリアに向けたかと思うと、すぐ本に戻した。


「…椅子にくらい、ちゃんと座れ。」


咳払いをしながら、そう言うので、ロベリアは”変な奴”と思い、憎まれ口を叩く。


「育ち悪いモンでね。」

「その…だから…見える…」


そう言う、グリシーヌの頬が少し、紅潮している。


「あァ?」


「だから!見えていると言っているのだ!!」


顔を真っ赤にさせて、怒るグリシーヌに対し、”ははぁん”と納得したロベリアは

「スケベ。」

と一言で止めを刺す。


鼻で笑いながら、そう言い返されたら、


「何だと貴様!!」


とグリシーヌが、引っ掛かって来るのを解っていて、ロベリアは言葉を放っている。


「やるかァ?」


いつもの様に、喧嘩となる。と思っていたのだ。


”早く、屋敷から出る口実”が欲しかったのだ。


しかし、グリシーヌは、一呼吸おくと

「…いや、止めて置こう。」と言った。


「…調子狂うな…」


ロベリアの計画は、見事にこけた。



「せっかく…こうして話せる機会が出来たのだ。

 くだらん口喧嘩は、控えたい。」


「ほう…?」

(アタシは、別にいらないんだけどね…)

溜息をついて、ロベリアは、足を組んで、一応”見えない”ように工夫した。



「…貴様、泣いていなかったか?」



「はあ?」

「さっき、雨の中、空を見上げながら、泣いていなかったか?」

「……フン…雨だろ。」


少し間があった。


「…何か、あったのか?」

「仮にあったとしても、アンタに話す義理はない。」

「…私は、真剣に聞いている。

 先程の貴様は…なんというか、消えそうに見えたのだ。」

「……」


ロベリアは、黙っている。


「…雨に、何かあるのか…」

「……」

なおも黙る、ロベリア。

視線は、暖炉の炎の向こう側だ。


「…私より…エリカや隊長の方が、話しやすいなら、話せばいい。」

「…そこで、何故、その名前が出るかな…特にエリカ。」


グリシーヌの勘違い発言に、ロベリアは苦笑いせざるを得ない。


「私と貴様は、仲が悪い。」

「ああ、極限にな。」


喜んで同意してやるとばかりに、即答する。

しかし、グリシーヌは、視線を下に落としてから、ロベリアの目をキッと真っ直ぐ見つめて言った。



「でも、私は、お前の事は嫌いではない。

 お前は、その…言動や行動に問題はあるが…

 まあ…初めて会った時よりは、悪くないと思う。」


褒めているのか、けなしたいのか、わからないその言い草に

(…ケンカ売ってんのか?この貴族は…。)

と、ロベリアは思う。


「…私は、同じ巴里華撃団の隊員として、お前の事をもっと知りたいのだ。

 しかし、普段は…エリカや隊長のように、お前と話す機会がない。

 だから、何かあるのならば、一人で考え込まずに、だな…」


「・・・・・・・。」

(…なんか、聞いてるコッチが恥ずかしい…)


いつもと違う態度、しかも普段絶対見せないモジモジした態度で喋り続けるグリシーヌに

それを聞いているロベリアの頬が紅潮する。


「しかし、出来れば…その…私が…

 お前の力になりたい。」



真剣なグリシーヌに対し、ロベリアは

「…そうだなぁ、力になって欲しい事……金くらいかな?」

とニヤリと笑う。


「…茶化すな。

 先程の貴様は…いつもの貴様では、なかった。

 誰にも言わぬと誓おう。言え。」


先程、話しにくいのなら、と気を遣った割には、最終的には命令口調。


「…懺悔室に、”言え”と命令する神父はいないよ。」

と思わず、呆れ笑いを浮かべて言った。


「懺悔?」


その直後、ロベリアは、ハッとした。


(…アタシは、バカか!)


本を閉じて、グリシーヌは前へ乗り出す。


「…なにか、懺悔したい事でもあるのか?」


(ああ、面倒臭い…)


いつもなら

”今度は何をしでかした!?この悪党!”

と怒鳴るだろうグリシーヌが、何故か怒鳴らない。


だから、面倒くさい。


…私、心配してます、という表情を浮かべて、真剣にこちらを見つめてくるので

ロベリアはますます、げんなりしていた。


「いや…今のは…別に…」

とは言ったものの、もう、遅い。


自分のヘマだと思って諦めようと、ロベリアは溜息をついた。





「…もう一杯飲ませろ、そしたら話してやる。」




ロベリアがそう言うと、グリシーヌは、駆け足で、ウィスキーを”瓶ごと”持ってきた。


そんなに聞きたいのか、と半ば呆れながらロベリアはウィスキーをグラスに注いだ。


ウィスキーを一口含み、ロベリアはこう切り出した。


「…この話を、誰にも言うな。」

「勿論だ。」

「この話は、1度きりだ。いいね?」

「わかった。」


グリシーヌは、真剣に聞く姿勢をとった。

ロベリアは、そんな彼女に向き合うように話を始めた。





「…つまんない話さ。楽に聞け。


 そして、さっさと忘れてくれ…



―昔、ガキの頃だった。


どんよりした雲が広がっている日だった。


ガキが一人で歩いていると、ろくな事がない。


人買いか、ただのそういうシュミの男か…


まあ、追いかけられて、街を逃げていたら、運良くドアが開いている家があった。

身を隠して、金を少し取ったら、逃げるつもりだった。

中に入るとそこには父親・母親・子供の三人家族が、食事してた。


アタシとは縁のない、裕福で幸せな家庭さ。


どうやら、息子の誕生日みたいだった。



空腹で、追われ続けて、ボロボロだったアタシには、酷な風景さ。



ハッピーバースデーなんて、歌が聞こえる。

こっちは血や泥でボロボロで、ちっともハッピーなんかじゃないのにね。


さっさと取るもん取って、逃げようと、台所へ入り込んだ。

食い物を取ろうと思ってね。


だけど、先客がいた。


ケーキの箱持った男だった。


アタシには気が付かなかったみたいで、箱を置いたら、黙って

裏口から出て行った。

箱からする、匂いで、アタシには、すぐわかった。


火薬の匂い。


『爆弾だ』とね。




アタシは、ガキなりに考えた。



この箱の存在を、家族に知らせるか。

この箱をアタシが、どこかに始末するか。

このままにして、逃げるか。


あの家族にしてみれば、アタシは、コソ泥だ。

家族の前に顔を出すわけにはいかない。

爆弾は、いつ爆発するかわからない。


アタシは、箱に近づいた。


開けると爆発するタイプだとわかった。

開けなければ大丈夫だと思った。



これなら、いけると思った。

箱に手を掛けた瞬間だった。


『誰!?』

『…どうした!?どこから入り込んだ!?』

『泥棒!!!』



こうなると、話なんか聞いちゃもらえない。

当たり前だけど。


アタシは、逃げた。


捕まるわけにはいかなかったからな…。



父親に襟を掴まれたが、蹴り飛ばした。

その時”財布”が落ちたのを見た。

とっさに、そいつを拾って、家から飛び出した。


その時、ちょうど…今日みたいに雨が激しくふっていたんだ。


必死で、雨の中を走った。


そんで、走ってる途中でさ、広場の時計の音で思い出したんだ。


…バカだよな…


『爆弾』の事。


ちょうど、あたしがあの家の方角に振り返った瞬間

遠くの方から、爆発音がした。


煙が上がっていた。


アタシは、助かった。

あの家族は全員死んだ。




残ったのは、アタシが盗って来た”財布”


中身は思ったより入ってた。


ご丁寧に、写真も入っていた。



家族写真がね。




雨が、強くなってきて…いつもより冷たく感じた事を覚えている。


もし、アタシが、ヘマをやらずにあの箱を持ち出せていたら。


もし、アタシが、逃げずに、爆弾の事を話せていたら。


未来は変わっていたかもしれない。


一瞬だけ、そう思った。

あくまでも、一瞬だけだ。


その後、こう思いなおした。



コレは、アタシのせいじゃない。



爆弾は、アタシのせいじゃない。


あの家族を殺したのは、アタシじゃない。




雨の勢いが更に増して…雨が当たったトコに痛みが走った。


どんなに、逃げても、犯した罪は、自分自身に刻まれる。






まるで、雨が



『これは、罰だ。

 この罪を忘れるな。』


って、言ってるようでね…。


確かに罪さ。


中途半端な真似をして、アタシはあの家族を

見殺しにしたんだから。


それを教訓に…だ。

アタシは、自分が生きる為だけに、行動を専念しようと決めた。




だから雨の日は、たまに


ワザと雨に濡れて…初心に帰る。





・・・めでたしめでたしっと。」


ロベリアは、最後を不釣合いな言葉で飾ると、グラスのウィスキーを飲み干した。



「ホラ、つまんない話だろ?」


グリシーヌは、ロベリアを見た。


「…それで…泣いていたのか?」


ロベリアにとって、今のグリシーヌの表情は不快でしかなかった。


”同情””哀れみ”…そんな言葉しか浮かんでこない表情。


しかし、ロベリアは怒りはしなかった。


「…泣いてはいないさ、アンタの見間違いさ。

 ただ、思い出しちまうだけだ。激しい雨の日は、な。」


ロベリアは、動かずにそういった。


「…後悔…しているのか…救えなかった事に…」


「…さあな…

 そもそも悪党が、人助けなんてするもんじゃないって事なんだろうよ。

 それに、どんなに泣こうが喚こうが、過去は変わんないさ。


 …アンタの権力も、アタシの過去にまでは、届かないだろ?

 だから、アンタが、アタシの力になるなんて無理なんだよ。

 フン、残念だったね。」


その瞬間、グリシーヌは顔を伏せた。

ロベリアは、今度こそ斧が出るだろうと、身構えたが、何も起きはしなかった


「…何故だ?…何故…一人きりで背負う?

 私は…貴様の…」


そこで、グリシーヌの言葉が止まる。

続けるべき、さっきは言えたハズの言葉が、出ない。


『私は…ロベリアの……なんだ…?』


ロベリアは、グリシーヌの表情を観察すると、フッと、顔を背けた。


そして、グリシーヌの顔を見ないように、ロベリアは背中を向けてソファに寝転がる。


「…話し疲れた。寝かせろ。

 雨が上がったら、起こしてくれ。」



グリシーヌは、黙って、元の位置に戻った。


読みかけの本を開く。


めくっても、めくっても、雨の音にばかり、集中力が分散される。




そして、やっと本の文字が、頭に入らない事に気付く。




ロベリアが寝返りをうった。


まだ少し濡れている銀髪が、暖炉の炎を浴びて、時折、揺れる。


寝顔は、もっとだらしないかと思っていたが

(…綺麗、だな。)

とグリシーヌは、素直にそう思った。


ロベリアの白い肌は、動くたびに、姿を現していく。

すらりと長い右足。

左肩、鎖骨。

少しだけ、開いた口元。


暖炉の炎が、肌をオレンジ色に照らす。


妖艶。


たぶん、そんな言葉が似合う。


「…しかし…これでは、屋敷に連れて来た意味が無い…」


ロベリアの乱れたバスローブを直そうと、グリシーヌは立ち上がる。


「風邪を引かせては意味が無い…」


間近で見ると、一層その美しさが解る。

足を閉じさせる。

左肩をローブで覆う。

「…ん…」

吐息がかかる。

ウィスキーの匂いだ。


雨は、まだ降っている。


『アタシは、助かった。

あの家族は全員死んだ。』


『これは罰だ。』


(…その罰を、雨の度に受け続けて、どうなる?)


刑務所に入り、大人しく罰を受けているロベリア。

それは、己の自業自得で、グリシーヌは当然だと思っていた。


だが、今はどうだろう。



仲間として接している、現在。

そして、この話を聞いてしまった、今。



雨が降る度に、ロベリアは少なからず、過去に苦しんでいると感じた

グリシーヌには、何故かいつものように”当然の報いだ”とは思えなかった。



ロベリアの頬に伝う雫を、グリシーヌは見た。


しかし、それはロベリアの髪の毛から落ちた、ただの水だ。


「…貴様は、もう十分苦しんだだろう…」


指で、それを拭う。



(…ロベリア…。)


いつも悪口雑言を振りまいては、喧嘩になるくせに


人前では決して、あんな表情は見せないくせに


こうして、問い詰めないと、ロベリアは何もかもを隠し続ける。


(何故、早く私に、言ってくれなかった…)


自分に何が出来るかわからない。


ただ、ロベリアの苦しむ姿は、雨の中のあのような表情は


見たくない。



『さあな…どんなに泣こうが喚こうが、過去は変わんないさ。』


確かに、その通りだった。

過去は変わらない。

刻まれた罪も、消せはしない。



「…それでも、辛いのであろう?」



だからこそ、傍にいたい、とおもう。

彼女を抱き締めたい、とおもう。

彼女の全てを、受け止めたい、とおもう。

彼女の苦しみを取り除いてやりたい、とおもう。


「…ロベリア…」



それは偶然か



頬を伝う雫を拭い、下ろしたグリシーヌの指が、ロベリアの下唇に触れた。




それは衝動的としか言いようの無い、行動。



グリシーヌは瞳を閉じて、ロベリアの唇に、くちづけた。


柔らかさと、温かさが伝わる。


この一瞬、ほんの少し触れている部分だけが

自分とは対照的な彼女と自分を繋いでくれている。

そんな気がした…



”ガタン!!”



「ッ!?」


「テメエ…何をしている…!」


ロベリアが、グリシーヌの腕を取り、床に組み伏せるまで、一瞬の事だった。



「…ぁ…!」

ギリッと力を入れられ、グリシーヌは、声も出せず、苦痛に顔を歪ませる。


「…お嬢様には、そういう”シュミ”が、おありかい!」


頭の上から、冷たい悪魔の声。


「くうっ…!」


「…なるほどね…アタシに…親切にしたのは

 こういう事かっ!?」


「違…う…!」


腕が離される。

痺れる腕を、押さえてグリシーヌはロベリアに呼び掛ける。


「ロベリア!話を聞いてくれ!」


ロベリアは、自分のコート・ズボンを触り、素早く着替えだした。


「…アンタに話すんじゃなかったよ…」


”失望”にも似た声。


「ロベリア!!」


窓を開けて、また雨の世界に飛び出していくロベリアに

グリシーヌは手を伸ばしたが、届かなかった。





次の日


「…ロベリア、どうしたの?顔、怖いよ…」


まず、コクリコが、その異変に気が付いた。


「なんでもねえよ。」

「でも…」

「構うな」


ロベリアの様子が、雰囲気が変わった。


出会った頃の、あの凶暴な”巴里の悪魔”

「どうしたんですか?コクリコ」

「あ、花火・・・ロベリアがいつもより怖いんだ…

 ギャンブルに負けたとかそんなんじゃないよ、あの顔…」

「どうしたんでしょうね…」


心当たりがある人物は、辛そうにその会話を聞いていた。



レビュー終了後


シャワー室で、その人物は彼女に再会した。


「ロベリア…」

グリシーヌは、ロベリアの後をつけるように、シャワー室に入った。

「・・・・・・。」


無言で、ロベリアはシャワーの蛇口を捻る。

多分、グリシーヌに気づいている。

だが、何も言わない。


「ロベリア、あの…この間は、すまなかった。」


グリシーヌも蛇口を捻る。


「……」


ロベリアがそれに答える事は無かった。


「…言ったであろう。

 私は、同じ巴里華撃団の隊員として、貴様の事をもっと知りたい。

 その気持ちに、嘘偽りは無い。

 あの話を聞いて、私は…貴様の苦しみを今も苦しんでいる事も…理解出来た…」


「…理解…ねぇ…」


やっと言葉を発したロベリアは、頭から湯を浴びたまま、ろくに動かない。


「だが…私は…取り返しのつかない事を…してしまった。
 
 寝ているお前に、あんなマネ…

 ただ、私は…いや、言い訳はよそう…」


グリシーヌは、申し訳なくて、隣に視線を向けられずにいた。


「……。」


「許して欲しいとまでは言わない…全面的に私が、悪いのだから。」

「……。」

「ただ、コクリコ達には、当たらないでやってくれ…

 同じ、仲間として…」



「仲間、ねぇ…」

ロベリアの発する言葉には、全て感情というものがなかった。



「…あの時は…本当に、どうかしていた…
 
 すまなかった…ロベリア…」


ロベリアの頭が僅かに、上がる。


シャワーの音だけが響く。


長い沈黙の後―


「…じゃあ、最初からするんじゃないよ。」


不意に、ロベリアの声のトーンが穏やかになった。


「…本当に、すまなかった…」


ロベリアは蛇口を閉めると、脱衣所に向かった。


グリシーヌは、それを見送った。


(コレは、一応、許してもらえたのだろうか…)







グリシーヌは、考えにふけるばかりで、背後の存在に気が付かなかった。







ガシャン!



「…痛ッ…ゥ!!」


突然の痛み。


突き飛ばされた。


両手首を鎖で縛られ、下に引っ張られる。




金髪を鷲掴みにされ、無理矢理、上を向かされる。


シャワーの温かいハズの湯が



雨のように、冷たい。




グリシーヌの目の前に、銀髪が揺れる。


「本当に、話すんじゃなかったよ、アンタなんかにな!」


雨を浴びた、銀髪の隙間から、彼女の瞳が見える。


「……!!」


鎖が、容赦なくグリシーヌの手首を締め付ける。


「そういや、アンタ言ったな…

 アタシの”力”になりたい、と。」


ぞくり、と寒気がグリシーヌを襲う。



「…なって貰おうじゃないか。」



「…ロ…」


名を呼ぼうとしたが、唇は、彼女の唇に塞がれた。


「ンゥ…ッ!?」


鎖が、手首に食い込み、髪の毛を引っ張る力は、強く


抗えない。


(ロ…ベ…リ…ア…)


瞳をこじ開け、グリシーヌは、彼女を見る。


(何、故…だ…?)



ロベリアの瞳は開かれたまま



そして―



どこも見てはいない―





グリシーヌの意識に、突然、セピア色のヴィジョンが映る。




銀髪の少女。


外で、突っ立ったまま、下を向き、雨に打たれている。


茶色い財布を手にしたまま、雨に濡れている。


写真が、財布から少し、出ている。


少女の目は、見開かれて、硬直する。


ゆっくりと、地面に目を下ろす。



返さなければ。



― ドコノ ダレニ? ―


震える手が、財布を地面に落とす。


肩で息をしながら、少女は、落ちた財布を、拾おうとした…



― カエセナイ ―


『あ…』


― ホントウ ハ ワカッテイル クセニ ―


持ち主は、死んでいる。


少女は、金だけ抜き取り、財布を捨てた。


ゆっくりと手をかざし、財布を発火させる。


財布は、彼女の炎に焼かれていく。






あの幸せそうな家族の微笑みは、炎で歪んだ。



その瞬間―




―アノ カゾクハ ダレガ コロシタ ?―





雨の音に紛れて、ハッキリそう声が聞こえた。



―コロシタノハ オマエダ ロベリア―



そして、炎が写真を


黒く


黒く染めた。





叫ぶ彼女を叩きつけるように、雨は、振り続けた。


天に向かって、少女は言葉にならない何かを叫ぶ。





そこで、ヴィジョンが途切れる。




(今のは…?)


うっすらと、グリシーヌの青い瞳が開かれた瞬間―


唇から、ぬるりと舌が押し込められる。


ヴィジョンから、一気に現実世界に引き戻される。


「う…ゥン!?」


力が、一層強くなる。

手首、頭、唇…グリシーヌを支配する。

シャワーの雨に紛れて、唾液が混ざり、身体を伝い、流れ落ちる。

「ン…ッ…ゥ…」


呼吸が満足に出来ない。

唇しか、彼女と触れていない。


(何故、こんな事…!)


雨に紛れて見える、彼女の瞳。

ヴィジョンで見た、あの少女の瞳が重なる。

光が見えない、深く、黒い瞳。


(ロベリア…?)


哀しみに濡れ、絶望に浸りきった、瞳。


(こんな事をして、お前は…逃れているのか…?)


彼女の頬に触れようと腕を伸ばそうとするが、鎖がそれを許されない。


『お前は、何が目的だ?』


そう、ロベリアの瞳が告げる。


(違う…私は…ただ…!)


唇の自由は完全に奪われ、思考も途切れ途切れになる。


足で蹴り飛ばそうと思えば出来るが、しない。



「ロベ…」


名前を呼ぼうとするが、すぐに唇と舌でふさがれる。


『お前なんかに、アタシがわかるハズがない』


そう言うように、ロベリアの瞳が一層冷たく感じた。


グリシーヌの髪の毛を掴む力が、一層強くなり、痛みが皮膚に走る。


顎は上を向かざるを得ず、彼女の舌は、深く入り込み

絡み付いては、離れていく。



『力になりたいなんて、嘘だろう?

 お前に何が出来る?


 今のお前は、アタシに支配された、ただの女だ。』



ロベリアの物言わぬ瞳から、嫌と言う程、メッセージが飛んでくる。


自分の身体を、ロベリアの方に寄せても、つき返される。


まるで”唇以外、触れるな”と言うように。


(何が…貴様を、そうさせる…?)


潤む瞳と、乾いた瞳がぶつかり、唇が離れる。


「…何故…こんな真似を…!?」


グリシーヌは、震えていた。


鎖を外した征服者は、壁に手をついて、唇を歪ませて笑ってみせる。


「…アンタが、物欲しそうな顔してるからさ、お嬢様。」


感情のない、瞳。


「何、だと…?」


「おや?ずっとアタシの力になりたいと言うから

 てっきり…そうして欲しいのかと思ったぜ。」


そう言って、ロベリアは、嘲笑った。




”パシンッ!!”




乾いた音が、シャワー室に響く。


「…貴様は…どこまで…ッ!」


グリシーヌが、睨みつけると、ロベリアは満足そうに笑った。


「悪いね…どこまでも、悪党で。」


いや、口は笑っているのに、目には殺気に似た闇が宿り続けている。


「…私は、貴様に謝りたかっただけだ…それを…!」


「そうか、そんなにアタシを口説き落としたいのか。

 ”あの日”みたいに…寝込みを襲いたいのか?」


「―違うッ!!!!」


声がかすれる。


「あれは…違う…」


「何が違う?同情したんだろ?

 カワイソウな女をみて、慰めのつもりでキスしたんだろ?

 じゃなけりゃ……やっぱり、そういうシュミだったって事かい?」


”挑発”している、とグリシーヌは感じた。


ロベリアが、何に怒っているのか、この時のグリシーヌには、知る術もない。


だが、至近距離で感じる、彼女の”怒り”は、皮膚を通り越して、心臓まで届きそうだった。


「・・・さっき、貴様の幼い頃のヴィジョンを見た…

 たぶん、霊力がリンクしたんだろう…

 銀髪の少女が、茶色い財布を持って、雨に濡れているヴィジョンだ。

 貴様が、雨の日に思い出すと言っていた”財布”の…」


「…!」


「幼い貴様は、雨の中で泣いていた…!

 未だ、その苦しみが忘れられないのだろう…?

 わたしは、ただ…

 ずっと、そうして、一人で辛い顔をして生きて欲しくはない

 それだけだったんだ…!」


「…そら、みろ…やっぱり、そうじゃないか。」


フッと鼻で、彼女は笑った。


「…言っただろ。霊力で、何を見たかは知らないが

 泣こうと喚こうと、過去は変わらない。

 歯の浮くような台詞で、偽善ばかり吐きやがって…
 
 
 犯罪者の過去の傷見つけて、同情して、理解したつもりになって、

 優しさ振りまいて…」



”だがなぁ”とロベリアは呟くと、突如、激昂した。



「…そんなものは、ただの自己満足だッ!!

 アタシはな!お前と違って、自分の手を汚して、一人で生きてきたんだ!

 もう、構うな!アタシが、苦しもうと、のたれ死のうと構うな!

 余計、惨めになるんだよ!

 お前みたいなヤツに『一人きりでカワイソウ』と思われるのが一番気にいらねぇんだ!」


ロベリアの眼光が更に鋭くなる。


「一人で、自分の人生背負って何が悪い!?

 所詮、人間は一人で生きて、一人で死ぬんだよ!」


”一人”という単語に、グリシーヌは反応し、反論する。


「…今の貴様は、私にとっては、犯罪者ではない!!
 
 巴里華撃団のメンバー・ロベリア=カルリーニだ!!!」


叫んでから、グリシーヌの声は、少しトーンを落とす。


「……だから、一人で…苦しむのはもう、やめてくれ…!」


「まだ、言うか…!」


ロベリアの過去の苦しみを知って、同情心が沸いたのは事実だった。


しかし、だ。


何故、その苦しみを今も背負うのか。

何故、自分に最初から話してくれなかったのか。

何故、素直に辛いと、言ってくれなかったのか。


単純に、彼女が、目の前で苦しむ事が、自分にとって辛いのだ。


この気持ちは、同情が原点なのかもしれない。


けれど…例え、自己満足といわれても



「…お前の”全て”を、受け止めたい。

 もう、一人で傷を隠して生きるな…

 私が、傍にいて、受け止める…」



ロベリアが、冷たい雨と共にしか、泣けないという事が

グリシーヌはたまらなく、歯痒い。





―ロベリアの涙を、受け止めてあげられる人間は、自分ではないのか?―


―自分では、ロベリアを救えないのか?―





(…ロベリア…貴女を、一人にしたくない…。)






「…傍に、いさせてくれ…」


いつの間にか『傍にいて受け止める』から

『傍にいたい』に変わっている。


「…フン…。」



ロベリアは、それを鼻で笑うと

後ろを振り向き、コートを濡れた衣服の上から羽織った。


「…そんな事したって、アンタには、何にもならないだろう。」


彼女の言うとおりだ。


しかし。

たとえ、何にもならなくても・・・




(そう、だ…この、気持ちは…同情じゃない…)




「ロベリア」



呼び掛けに応じることなく、彼女のブーツの音が、ゆっくりと遠ざかる。










「…お前が、好きだ。」









靴音は、一度だけ止まり、またコツコツと遠ざかる。



「嘘ではない…っ!」


グリシーヌは叫んだ。



しかし


小さくなる靴音と、ドアの閉まる音が、聞こえた。




グリシーヌが、自分の両手に目を落とすと、手首には鎖の痕が残っていた。



「…ロ…べ…リア…ァ…!!」



グリシーヌは、それを3秒見つめて、糸がぷっつり切れたように

自分の身体を抱きしめて、泣いた。




シャワー室からの叫びに似た声を聞き駆けてきたのは、花火だった。



「…どうしたの!?グリシーヌ!?」

「花、火…!」


全裸で泣く親友に、花火は驚くが、シャワーを止めて、タオルを身体に掛ける。








「すまない…」

脱衣室の椅子に腰掛けさせられ、グリシーヌは、ぽつりと呟く。

「さっきから、そればっかりよ、グリシーヌ」

花火は、その隣に座る。

「…すまない。」



「…ロベリアさんと、何かあったの?」



「!!」


「…貴女の声が聞こえる前に、廊下ですれ違ったから…

 違っていたら、ゴメンナサイ…」


「…いや、その通りだ…」


「…話せる?」

「…いや、全ては無理だ。すまない…」


「…いつもの喧嘩、ではなさそうね…」

花火は、どうしてこうも自分の事を理解してくれるのだろう、とグリシーヌは驚く。

花火のように理解力があれば…彼女も理解できるかもしれない

そう思うと、また自分が嫌いになった。

…ふと、グリシーヌは、花火に問いかけた。


「花火…身分や考え方の違う人間の気持ちを…

 理解しようと…助けようとすることは、ただの…自己満足なのだろうか?」

少し、悩んで、花火が答える。

「…そう…言える場合と…言えない場合があるわ。」


「それでは、答えになっていない。」

答えを急ぐ親友に、花火はゆっくりと語りかける。


「…グリシーヌにとって、大切なものと

 ロべ…人それぞれ大切なものは違うでしょう。

 例えば、その大切なモノを失った時

 同じモノをもっていない人、失っていない人から

 ”気持ちは解る”と言われても…納得できる?」


「…しかし!…私は…!」


「理解したい、助けたいという貴女の気持ちは、大切よ。

 それが、その人に近づく為の一歩。

 だけど、それを…押し付ける形になっては…

 自己満足と取られてしまうかもしれない。


 ”正しい事”が、その人にとって”良い事”とは限らないように…」


「…!」 


少し、間を置いて友人は優しく、言った。



「…グリシーヌ、もう一度、話してみてはどうかしら?」


そういって、ニコリと笑った。


「…しかし…」


「…大神さんやエリカさんなら、きっと何度でも…そうするわ。

 そう、何度でも、そうすると思う…。」


頷くグリシーヌの目に、光が戻ってきた。

・・・決意の光。



「…花火…お前の助言、心から感謝する。

 お前は、本当にすごい人間だ…。」


「…いいのよ、グリシーヌ…」

親友の言葉に、花火は頬を染めて、謙遜する。










「…チッ、また雨か…」


ロベリアは、忌々しそうに呟いた。

濡れて歩くと、そのずぶ濡れ具合に、誰もが振り向く。

彼女自身は濡れて歩く事に、何の抵抗もなかった。


『どのみち、その格好で帰す気はない。風邪を引く。』


どこかの貴族に、言われた言葉を思い出す。


強引に腕を引かれて、屋敷に連れ込まれ

温かいシャワーに、温かい暖炉、ウィスキー


くだらない懺悔を、知らなくてもいい人間に聞かせた。


それから…


『…貴様は、もう十分苦しんだだろう…

 …それでも、辛いのだろう?』


本当は、あの時、起きていた。

グリシーヌが、近づいて来た時、気配で気付いていた。



まず、突き放す事を考えた。



挑発するか

因縁フッかけて、滅茶苦茶な事言ってやろうか

いっそ、何か盗んでやろうか…


そんな事を考えていたら


唇が触れた。



驚きや嫌悪感よりも先に、”ああ、チャンスだ”と思った。


それは、安堵。


コイツの優しさから、逃げられる。


コイツに優しくされる覚えはない。


赤の他人だし、悪党だと何度も罵られたし…


唇が触れた事で…遠慮なく、グリシーヌを拒絶する理由が出来た。


(しかしまさか、年下の貴族に唇、奪われるなんてな…)


「…落ちぶれたもんだ…巴里の悪魔と呼ばれた、このアタシが…」



幼い頃から、”裏切り”と”孤独”には慣れている。


そして、孤独になれば、集団から孤立せずに済む事も覚えた。

元々、一人ならば、失うものはない。


ただ、罪が増えていく。


失うものなど、金か命くらいで良い。


グリシーヌが、同情ではなく、本当に自分を心配している事は解っていた。


…認めたくなかっただけだった。


自分が集団の中にいる事。

自分を想っている人物がいる事。


失う悲しみを忘れた、孤独な大悪党には


”いずれ失うモノ”が増えるのは、重荷であり


苦痛でしかない。




自分が護れるハズ、だったモノを失ったあの日から。




(どうせ…アイツも…

 もうアタシに、あんなマネしねえだろ…)



丘に着くと、濡れた地面に大の字に寝転ぶ。

雨が全身に降り注ぐ。


心地良くなどは無い。


灰色の空が、心まで濁らせていく感覚。

雨の雫が当たっても、痛むはずの無い皮膚。


だが、雨が当たると、痛む。



(良心の呵責ってヤツか?……まさかな。)




これは、”罰”だ。



(助けようなんて、関わった事がそもそもの間違いだった。

 結局、助けられなきゃ、殺したのも同じだ…)



結果、あの家族を殺したのは自分だとロベリアは、今でも思っている。



自分で罪だとは思っていても、刑期が増える事はない。


刑務所に入っても、過去は消えない。



これは、”罰”だ。



救えなかった事への罰―


誰かを傷つけてまで、孤独を保ち続けた事への罰―



これは…





「風邪を引く。」


優しい声が、聞こえる。


そして、ロベリアの視界に、傘を差したグリシーヌが、入る。


「……何の用だ?」


「私は、お前に、嘘をついた。」


「…あァ?」


グリシーヌは、こちらを穏やかな顔で、ロベリアを見つめて言う。


「…ホントは、お前の苦しみを、理解しきれていないのだ。

 今も、お前が何を考えてるのか、半分も解らん。」


「…話が見えないね。」


「花火に言われたのだ。

 ”正しき事”がお前にとって”良い事”になるかわからん、と。」

 
「はあ?」


「お前を苦しみから救う事が、正しいとおもっていた。


 だが、私の本心は、最初から違っていた。


 私は、お前を苦しみから救いたいのではなく

 私自身が、お前の辛い表情を見たくないだけ、だったんだ。


 それはお前の言うとおり、私のわがままで”自己満足”だ。」


「…安心しろ…もう、お前に、そんなツラ見せないからさ。」


「…辛い事があれば、遠慮なく私に言えば良い。

 私は、その時、お前の話を聞きたい。

 お前は泣きたい時に、泣けば良い。

 私は、その時、お前に胸を貸したい。」


「…なんだ、ソレ…」


「無理に、お前の苦しみを変えようなど、思わぬ。

 お前は、私の知らぬ世界を知っている。

 例え、相容れぬ、理解できぬ世界であっても…

 ただ、私は…それを少しでも”知りたい”のだ。」


コイツ、本当にグリシーヌか?と思うほどの言葉。

理解、しているつもりも、何もない。


知らないから、教えてくれと

理解したいから、教えて欲しいと


…あの、グリシーヌが。


「…知ってどうするんだよ…」

理解できたとしても、相容れること無いだろう。

ロベリアはそう思っている。

しゃがみ込んで、グリシーヌはより近い距離で、ロベリアに言う。

「ロベリア…

 私は ”大切な人を受け止めたい”だけだ。

 そのために、お前を少しでも理解したい。

 だから、傍にいたい。


 …それを、言いに来た…。」



だからなんだ?とロベリアは思う。


それで、何が変わる?と思う。



(コイツが、傍にいたら…アタシは…)


そこで、思考を止める。

止めなければ、いけないと、思う。


「…あぁ…もう、わかってないね…」


イラついたような口調のロベリアに対し、グリシーヌは冷静だ。


「ああ、だから教えろ。何を解って欲しいのだ?」

「そういう意味じゃ…ああ、もういい…傍に来るな…」

「それは、私が嫌だ。」

「何故だ…」

「だから、先程言ったであろう?私は ”大切な」

「うるせぇ。」


言葉を遮り、単純な言葉で会話をぶち切るロベリア。

それでも、グリシーヌは冷静、いや穏やかだった。


「聞け。ロベリア。」

「やだ。」

「聞け。」

「やだ。」

「聞け。」

「やだ。」


子供のように、ロベリアは”やだ”を繰り返す。


グリシーヌは、瞼を閉じると、溜息をついて


「私は、お前が、好きなのだ。」


と言った。



「………」

このタイミングで言うなんて、センスの無いヤツだと

ロベリアは呆れた。


呆れ顔のロベリアと、あくまで冷静なグリシーヌ。

両者は黙って、お互いの顔を見つめ続けた。



しばしの沈黙の後。


口を開いたのは…


「…自分で言ってて、恥ずかしくないのかい?」


曇った眼鏡をかけたまま、ロベリアが言った。

グリシーヌは、フッと笑った。


「…恥ずかしいに決まっているだろう。」


「…バーカ…」


そう呟くロベリアの額に、グリシーヌの手が添えられる。


「…馬鹿で構わん。今はな。」


「…ホント、最近のアンタには調子を狂わされっぱなしだよ…」


巴里の悪魔が情けないね、と呟きながらも、ロベリアはいつものように

ニヤリと笑う事はなかった。




「ロベリア。

 お前の傍にいさせてくれ。



 雨の日は、ずっとお前の隣で傘を差していたいのだ」


「・・・・・・好きにしな。」



これは、罰……なのだろう…とロベリアは思った。




(ああ…面倒くせぇ…)



グリシーヌの存在は、ロベリアには、罰だった。



(…なんて罰だよ…)



自分を”大切な人”と呼んでくれる人


未来で、失ってしまうかもしれない、自分にとっても”大切な人”が現れること。



失わないように、守らなければならなくなる。


そう、せざるを得なくなる。



その人を失った後の孤独感を考えるだけで、途端に怖くなる。



失いたくない、人が…隣にいる。



そんな”罰”が、これから毎日続くのだ。





「……チッ…」




雨というヤツは、本当に、冷たい。



ロベリアに今まで通りの罰を与えず、代わりに拒み続けたモノを

いとも簡単に、彼女に与えようとする。



(…全部、雨のせいだ…)



「グリシーヌ…」

「…なんだ?」


「なんか…寒くなってきた…」


「だろうな…馬鹿者が。」


ロベリアは、眼鏡を外した。


冷たい雨は、グリシーヌの傘のせいで、彼女の頬には当たらない。



「あぁ、そうだ…」


「…なんだ?ロベリア。」



純粋な、温かい雫だけが、彼女の瞳からこぼれる。



「…胸を、貸してくれ、グリシーヌ」




青い瞳は、”ウィ(YES)”と答えた。



― COLD RAIN  END ―





あとがき


グリシーヌの誕生日に、なんて憂鬱なSSをUPしたんでしょうか。(苦笑)


悪乗りSSが多い中、シリアスな(?)ものをやってみました!

…ええ、時代とか過去とか、設定とかもう無視してるッぽい話で…

なんかもう・・・スイマセン…創作で(苦笑)


こういう正反対のカップリング…私は、やっぱり好きですね。この2人。

肝心な時に、ちゃんとお互い認め合えるのって・・・やっぱり、愛ですよ!(たわけ。)


…一気にやった作品なので、誤字脱字ある…かもしれないので、またこっそり直します…。


…こ、今度はもう少し甘いの、を…?