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それは、いつもと変わらない夜だった。

いつも通り、街のネオンは色とりどりに輝いていた。

ある人には世界は眩しく映り、ある人には世界は忌々しく映るだろう。




その少女は、自分が法を犯しているという自覚を持ちながら、目の前で妖しげに微笑む女に話をしていた。

慣れないアルコールのせいで、視線は宙をうろつき、話題は起承転結も条理もなくなっていた。


1時間以上、少女の支離滅裂な話に笑顔で付き合い続ける女をウェイターの女は不思議に思ってはいたが

”ここは、そもそもそういう場所だったな。”と思い直し仕事に戻った。


誰かに話を聞いて欲しくて、誰かに必要とされたくて人を求め、無防備に酒に飲まれていっても自分だけは大丈夫と虚勢を張る客。

そんな客の心の隙間を読み取り、一時の優しさでするりと入り込み、内側から荒らしていく…空き巣のような客。


それでも、互いの利害は一致している。

だから、ウェイターの女は何も言わずに、酒を置いて立ち去った。




『願い事があるの。願えば叶うかな?』と少女はふと、そんな話を始めた。


『願うだけじゃ叶わないわね。叶える為に動くしかない。』と女は微笑みを崩さず、そう言った。




『それでも、叶わなかったら?』


『・・・願うしかないわね。

泣いても笑っても動いても、どうしても叶わないから、人は願うのよ。

願う、というより、自分の中に思い留めるのよ。

それ以上大きくなると今の貴女みたいに切ない想いをするから。』



『願いを自分の中で留めるの?…でも、それじゃ…そのままじゃ、叶わないじゃない。』



『そうよ。だから言ったじゃない。”どうしても叶わないから、願う”んだって。』



『じゃあ・・・私の願いは・・・。』



その時、少女は何を思ったのだろう。

願いは所詮叶わない、という絶望だろうか。

それとも・・・。



願い、と一言で言っても色々ある。


自分でどうにも出来ない運の問題なら、願うしかない。

そして、確かに願っても叶わない時だってある。




だから”願いは、叶わないから願う”…そういった意味では、”願いは願っても叶わない”、と言えるのかもしれない。




・・・でも、願わずにはいられない事はあるじゃないか。

叶えばいいな、程度の願いだったら諦めもつく。



しかし、誰にだってあるじゃないか。

どうにもならないからこそ、願わずにはいられない事。



叶わないって解ってるからこそ、願うだって?

…馬鹿馬鹿しい。


美味そうな団子を目の前にして、腹が減ってないから食べない、それにその団子はきっと不味い、と決め付ける子供のような言い訳だ。

人間の限界や条理を解りきったような人間ほど、その願いや欲に対する執着は強いものなのだ。

大体…叶わないからって願いも胸に抱かず生きるなんて、つまらないと思わないか?


願いが叶わない時は確かにある。

だが、願いが全く叶わない、なんて事こそ、あり得ないと思えないか?




何故あり得ない、といえるか、だって?





願いを叶えた事があるからさ。




それに、知っているか?

願いを叶えるには”条件”がある事を。




それは―――。






「無い。あり得ない。」





「蒼ちゃん、そんなに膨れないの。」と君江さんは、私を嗜めるように言った。


「・・・・・・。」


私は何も答えなかった。

というか、答えるのもムカつくって感じで。


赤い軽自動車の中、私は後部座席に体育座りで反抗の意を示していた。



「お嬢様だって、あの桐生社長の事を好いている訳じゃあ無いのよ?

あの人は、人付き合いが上手くて気持ちが良い位サバサバしている権力者なんだけどねぇ…。

何か、だらしないっていうか、サバサバしてるというより…うーん、どう言ったらいいかしらね…。」



君江さんはブツブツ言いながら水筒の蓋を捻り、マグカップに温かい紅茶を注いだ。





(気に入らないったらないわよ…だって、あの人…!)




夜に突然、家にやって来て…


『いや〜最近、火鳥が女もイケるようになったって聞いてさぁ〜。あたしにもチャンス到来かなって。』


お姉ちゃんの事を口説いて…



『うーん…よし、決めた!3Pにしよう!あたしと火鳥と蒼ちゃんで、な?二人まとめて面倒見るよ!』



しないもん!!

ていうか、変な事ばっかり言って…!



『実はちょっと困った事になってなぁ。

お前の協力と、お前の飼っているお嬢ちゃんを借りたいんだよ。』 



私の事、お姉ちゃんに飼われているペット扱いして!




『ん?ああ…それな。実は、ミラージュを探して欲しいんだ。』





篠原先輩の事があるし、ミラージュを探すのは構わない…のだとしても…ッ!!




『正確には…ミラージュを勝手に名乗っている偽者を、だ。』


『・・・待って。どうして、偽物を?というか、本物を知ってるんですか?』


『何故って…ミラージュって名前を使ってるのは、あたしだからだ。』




ミラージュ(ダサい偽名)こと、桐生泰子社長、本人から偽物のミラージュを探せって言われた挙句…!



『実はな…お嬢ちゃん位の女の子が、あのクラブで時々姿を消しているんだ。恐らく、この年代が…偽物のミラージュの好みなんだろう。

お嬢ちゃんの容姿も・・・少し細すぎるが、十分いけるだろう。』


誰が、小●製薬の糸ようじよ!!

※注 言ってない。



『つまり、蒼を餌に使って、ミラージュの偽物を釣りあげろ、と?』


『ま、そういう事だ。成功報酬は…。』



二人共、サッサと話を進めちゃってさ…!

肝心の私の意見なんか…ちっとも聞いて無くってさ…!


しかも…



『偽物のミラージュ探しなんて、貴女の部下や探偵、便利屋…色々いるでしょう?何故アタシなんです?しかも、蒼まで…。』


『ダメなんだよ。女しか入れない会員制のクラブにヤツは出没している。火鳥、お前を一度連れて行っただろう?』




『ええ、覚えてます…そこで犯されそうになりましたっけね。』




きいぃいぃぃーっ!!(心の中で奇声を上げる主人公)




大体…大体ね…





「飼われているとか囮の餌にしてもOKって…どういう事よッ!ばかぁっ!!」



思わず大声で叫んだ。

お姉ちゃんもお姉ちゃんだ。あんな新キャラの言う事をスンナリ聞いちゃって!



いつもの強気なお姉ちゃんなら


『フン…くだらないわね。蒼はアタシの所有物なの。アンタに言われてホイホイと餌にする訳がないでしょ?

興味も無いし、とっとと還ってくれない?…土に。』


とか言うべき所じゃないの!?


 ※注 蒼ちゃんから見た火鳥さんは、そういう感じらしい。



「蒼ちゃん…さあ、落ち着いて。」



君江さんが、飲みなさいと紅茶を差し出す。

私は両手で紅茶の入ったカップを受け取り、抱えて持つ。



「だって…君江さん、聞いてたでしょ?あのデカ女の暴言の数々!!」

「ええ、ええ…聞いてましたとも。相変わらず、ロクでもない問題ばかりお嬢様に持ってきて…。あと、口が悪くなってるわよ、蒼ちゃん。」


「前からあんな感じなの!?あの桐生って人!!」


私が刺すように聞くと、私をなだめていた筈の君江さんがスッと表情を曇らせ、少しだけ間が空いた。


「……そうね。」


お姉ちゃんはあまり自分の事を話してくれない。

過去に色々あったらしいのに、未だに下の名前も教えてくれないし。

大体、大の人嫌いだし、他人を信用していない。

そんなお姉ちゃんの他人に対して捻くれ曲がった思考は、お姉ちゃんを取り巻く環境…お姉ちゃんの周囲にいた人達に問題があったとしか思えない。

正直、桐生さんみたいな人達ばかりと一緒にいたら、そうなるに決まってる。


好いている訳じゃないのに桐生さんみたいな人と一緒にいなければいけない、なんて…。

何か他に理由があるのだろうか?脅されてるとか?(あのお姉ちゃんが脅される、なんて考え付かないけれど。)



「何か、あるの?あの人と。」


私がそう聞くと、やはり君江さんは少し間を置いて、苦笑しながらこう言った。



「…いいえ。ただ、いつも急にああいう揉め事を口実にしてお嬢様に会いに来るのよ、あの人。」

「ふうん…。」



そうは答えたものの、納得…出来るわけないじゃない。


紅茶を飲みながら、車の外を見る。

外…空は夜の色なのに、横の景色は光や人達の会話でギラギラしていた。

目がチカチカして痛くなる程のキツイ光。



(明日の学校…どうしようかな…。)



今朝は、やっぱり微熱が出た。

色々あって疲れたんじゃないかって、診察にきた忍先生はそう言って笑っていた。

点滴をしながら、私はそのまま学校を休んだ。


入学式の次の日だというのに、休んだ。

お姉ちゃんが休みなさいと言ったからだ。


直に表現すると、ミラージュの偽物探しの仕事をする為に、私は学校を休んで体力を温存しなければならなかったのだ。

なんだかんだで、昨日のクラスメイト達と誰一人、メールアドレスも電話番号もLINEも何も交換していない。


(篠原先輩も…昨日の今日で大丈夫かな…。)


出来れば、篠原先輩ともう少し話をしてみたかったな、と思っていた。

ミラージュを探して真相を暴いて、篠原先輩が桜井先輩の死とは関係ない事を証明するからって言って…安心して欲しかったのに。

別に、ミラージュ探しは嫌じゃない。

篠原先輩や篠原先輩に関係する人達の悲しみを払拭する為に役立つなら、と私は探す気は満々だ。


ただ…依頼主が、あの人なのが嫌なのだ。

廻り回って、桐生さんの為になるのが…




『嗚呼火鳥!やっぱり火鳥!お前は最高だ…!さあヤろう!今ヤろう!3人でヤろう!!』


陽気に大きい声で笑いながら、大きい体を広げて、お姉ちゃんと私を捕まえに来るんだわ!

ああ、嫌!嫌だ!!褒められるのは好きだけど、あの人は嫌ッ!!


”コンコン。”


「あ。蒼ちゃん、来たわよ。」

君江さんは、私を”ミラージュの偽物が現れる会員制クラブ”まで送り届け、お姉ちゃんが来るまで待機する役目。

「は、はい!」


慌てて車から降りると、眼鏡をかけた黒いスーツの女の人が立っていた。


「あ・・・れ?」


どなたですか?と聞こうとした矢先、女性は聞きなれた声と仕草を出した。


「…アタシよ。じっと見れば分かるでしょ?」と腕組みして、顎を上げて、私を見下ろすのは…他でも無い、火鳥お姉ちゃんだ。

「あ、そっか。」


お姉ちゃんが黒いスーツを着て立っていた。


(珍しい…赤じゃなくて黒なんて。)


髪の毛も肩の下までの黒いロングヘアー。多分、ウィッグを着けてきたんだろう。

眼鏡までかけているから、完全に別人だ。


私もお姉ちゃんから”仕事着”を渡されて、着替えたばかりだ。

縁が無さ過ぎて着たいとも思ってない格好を私はしている。


大きめのニットは良いとして…中に着てる、Bガールみたいなシャツとか…描かれてる髭の男の人、知らないんだけど…!

今にもお尻見えそうなショートパンツ。タイツ履いてるから良いけど…。

これで、ミラージュ惹きつけられるのかな…。



なんか、落ち着かない…。(主に服が)




それに…なんだろう?このドキドキは。


初めてお姉ちゃんの仕事を手伝うから?いつものお姉ちゃんの雰囲気が違うから?余計ドキドキする。


「具合は大丈夫?」

「うん、平気。熱は下がったから。」


お姉ちゃんの手が、私の頬に触れ、顎を少し上にあげる。

今、流行の”顎クイ”をここでされるとは…!確かに、少し…シチュエーションが整えばドキドキするかも。


「蒼…少しメイクの練習もすれば良かったわね。」


メイクは、自分用のをまだ買えてない。

私、結構肌弱いし、荒れたらと思うと必要だなんて思えなかったもの。


「…ん、別に…私、まだ…。」


そう…そうやって、じいっと見られつつ、ドンドン距離が詰められていくと、本当にドキドキす…


「そうね…変に小細工しない方が、野暮ったい少女らしさが出ていいか。」

そう言って、お姉ちゃんはスッと離れた。


「素朴とか自然の良さって言ってくれないかな!?お姉ちゃん!(怒)」


「さ、行くわよ。ミラージュとやらが、すんなりとバカ面を拝ませてくれると良いんだけど…。」


「聞いてる!?(怒)」


怒っていたのもつかの間。

お姉ちゃんの後をついて階段をゆっくりと降りる。

黒くて重そうな扉をお姉ちゃんが、開く。



「いらっしゃいませ……これは、火鳥様。」


扉の前にいたのは、スーツ姿の女性二人組。

美人なんだけど、サングラスの中の目は私を刺すように見ている。

スーツの上からでも分かる筋肉。手の節がゴツゴツしていて、怪しい素振りを見せたらきっと骨の一本二本ぽきっと簡単に折られそうだ。


「サインをお願いします。」

そう言って、書類を書いているお姉ちゃんはふと顔を上げて二人に言った。


「…連れが怯えるわ、もう少し歓迎してくれないかしら?」


(そーだそーだ。)

※注 蒼、心の声。



「これは失礼しました。」

「まさか、あの時の火鳥様がお連れ様といらしてくれるとは思わなかったもので。」


あの時って…



『ダメなんだよ。女しか入れない会員制のクラブにヤツは出没している。火鳥、お前を一度連れて行っただろう?』


『ええ、覚えてます…そこで犯されそうになりましたっけね。』




ぎいぃいぃぃーっ!!(心の中で奇声を上げる主人公)




「アタシは、野獣に喰われる方じゃないの。喰らう方なのよ。」

そう言って、お姉ちゃんはニヤッと笑った。


「「・・・納得しました。」」

二人組は私を見て、納得したように笑った。



(いや、何で納得したの!?むしろ、納得しないで!何!?)



…私って…そんなに、餌っぽいのかな…。



「それでは、素敵な華の夜を…。」


扉がゆっくりと開く。

薄暗い店内。目が慣れるまで私は思わず、お姉ちゃんの服を掴んだ。




初めての夜の街の雰囲気に圧倒された私にとって、会員制クラブっていう場所がハードルが低い…訳がなかった。



(何…ココ…!)



深い赤の絨毯が足音を消し、紫色のライトが妖しく光って僅かに周りを照らす。

赤いソファが見える。通路らしき所を歩く人…多分、女性。

それから…お香の匂いがすごく強い。咽るような強い香り。


(酔いそう…。)


ピアノのゆったりとした音に混じって、話し声が聞こえる。

どうやら、もうお客さんはいるらしい。でも、何人程いるのだろう?

人の気配はするけれど、ハッキリ顔が見えない。


(この中に…ミラージュがいる…?)


「お姉ちゃん、こんなに暗いと探せないんじゃない…?」


初めての場所な上、こんなに暗いなんて思わなかった。


「目が慣れるまでの辛抱よ。」


そうは言っても…慣れる頃には別の不安が襲ってきそうだ…。



「あら、美味しそうな子。」



そんな台詞とクスクス笑い声が…。


(ん?)

おいしそうって…人に向けての台詞?


「見ない顔ね…一曲お相手願いたいわ。」

「やだ…浮気しないで……4人で代わる代わる、とか、どう?」


(どう?じゃないわよッ!!)


…正直、帰りたい気分でいっぱいになった。


「ねえ、お姉ちゃん…どこまで行くの?(私達、狙われてますけど。)」

「まずは適当に座って、様子を見るわ。(発情した雌猿なんか放っておきなさい。)」


お姉ちゃんは眼鏡をくいっと指であげると、私の手を握ってソファに放り投げるように座らせた。

赤いソファは…ふっくらした手触りで、座るとじわりと沈み込むほど柔らかいベッドみたいなソファだった。


円を描くように、人一人分が出入り出来るようにC型に配置されたソファ。小さなテーブル。うっすらと透けている(ような気がする)霧のようなカーテン。




「…ここなら、まあまあ客を見渡せるわね。」


お姉ちゃんが私の隣に座った。

左側が更に沈み、私は自然とお姉ちゃんにしなだれかかるような体勢になる。


「…ミラージュの特徴、何かないのかな?」

「さあ?名乗ってくれるのを待つしかないわね。」

「そん…な…っ!?」

お姉ちゃんは私の肩に手を回し、私の頭に顔を近づけた。

「…アタシ達はヤツを見つければいい。それだけよ。だから、堂々としてなさい。」

頭蓋骨を通してお姉ちゃんの言葉が聞こえる。

「う、うん…。」


ちらりと周りを見る。

誰かから見られている。


よく解らない複数の方向から、複数の視線を感じた。

好奇心と性的興味。

舐めまわすように、私とお姉ちゃんを”観賞”しているのだ。


「見られてるよ。」私はお姉ちゃんにそう教えた。

「その中に、当たりがいるかもね。」お姉ちゃんがそう答えた。


私…何か、アクションを起こした方が良いのだろうか?

こう…”私、こう見えても女大好きオーラ”…みたいな…。


(…って、出ないよ、そんなオーラ…。)



何かしようと思ったけれど、結局お姉ちゃんにしなだれかかる位しか出来ない。


初めての囮捜査(?)初めてのいかがわしい店…お姉ちゃんとこんな場所で、こんなことをしている…。


(病気だった頃と比べたら…なんだか、嘘みたい…)


私には、病気だけが傍にいて、きっとこのまま何も出来ないんだって思っていた。

何も出来ないまま、一人で死ぬんだって思っていた。


あの時、出来る事が例えあったとしても、それをやろう、それを達成しようとする気力は無かった。

やれる気もしなかった。


お姉ちゃんは違う。

病気になっていないっていう事以前に、お姉ちゃんはやると言ったらやる人だった。


この人にしかない強さだけれど、私は…お姉ちゃんに会ってから、この強さが欲しい、と思った。



ああ、それって…”私の願い”、なんだろうか…?





「蒼。」

「え?・・・あ。」


名前を呼ばれた直後、私は押し倒された。


「ちょ・・・!」


沈み込むソファ…。背中の感触が心地良くて、このまま眠れそうな程。

急な出来事に、跳ね上がる心臓の鼓動。


きっと、このソファはこういう事がしやすいように作られているんだ、とわかった。


「…安心しなさい。真似事だから。」


お姉ちゃんは、小声でそう言った。

お姉ちゃんの目は渋々感でいっぱいで、冷め切っていた。


私もあくまでこれは演技なんだ、と思ったら、急に冷めてきてしまった。


「…今日、ミラージュが現れなかったら、毎日ココにくるのね…。」


そう思わず、ぼやいてしまった。


「ああ、ここは週に2度しか営業しないのよ。」

「…そうなの?」


「ええ。でも、それはつまり…週に2回しかチャンスは無いって事。

もっと言えば、一回でも失敗すれば…偽物は警戒して、アタシ達は二度と偽物にお目にかかれない。

一回一回、それなりに真剣にやっていかないと、逃すわよ。」


声は小さくても、鋭い言葉だった。


「そっか…。」


思っていたよりも、大変な仕事を引き受けてしまったみたいだ。


(じゃあ、今日は…あんまり来て欲しくないかも…。)


心の準備は出来ているつもりだったのだけど、揺らいできている。

こんな時に…



「お楽しみの所、失礼致します。」



女性の声。



き…きた…!?


短い黒髪のタキシードを着た女性が白いお皿を置いた。


「チョコレートの盛り合わせです。」

テーブルに置かれたのは、お盆みたいな大きさの白いお皿の上にピラミッドのように積まれた、大量のチョコレート。

高そうな匂いがする。お酒の匂いもするから、あんまり食べられないな。


「あら、気が利くわね。」


それを見たお姉ちゃんの頬が少し緩んでいる。


「あ、でも待って。コレ、注文した…っけ?」


座ったばかりで、何もしてない筈・・・だけど。

すると、女性が丁寧にこう言った。


「いいえ。これは、あちらのお客様からでございます。」


「えぇッ!?」


バーで飲んでると、頼んでもいないカクテルが来て、これ頼んでませんけどってバーテンダーさんに言ったら

”あちらのお客様からです”って言われて、その人がすごいイケメンで”一緒に飲みませんか?”みたいな流れになるやつだ!

ドラマでしか見た事無いシチュエーションが早速起こった!


(も、もしかしたら早速、ミラージュがかかったのかも!)


女性の手の方向を見て、チョコレートをくれたという”あちらのお客様”を確認し…


(あれ、かな…?)


薄暗くって顔が見えない…けど、奥に座ってる人…手を振ってるみたい。

手を振り返そうと思った矢先、タキシードのお姉さんが言った。



「あと、ご伝言がございます。…”早く乱れた貴女達がみたい”と。」



み、乱れた私達!?



「は!?な、何ソレ…!?」


焦って手を引っ込めて聞き返す私に、当然の事のようにタキシードのお姉さんは言った。


「ここはそういう場所、ですから。ここでは、自由な愛を自由に語っていただく場所です…火鳥様もご存知ですよね?」


”自由”って響きがなんとなく嫌な感じ。


「そうね。」


お姉ちゃんは興味なさげに、チョコレートを口の中に入れた。

・・・虫歯になってもしらないんだからね。



「もし、他のお客様が気になるようでしたら、奥のお部屋にどうぞ。VIPルームがございます。それでは・・・。」



チョコレートに夢中なお姉ちゃんに小声で聞く。


「ねえ・・・お姉ちゃん、ここって・・・。」


小声で私が質問しようとすると、素早くお姉ちゃんは私の肩に手を回し、小さい声で言った。


「蒼。気付いているとは思うけれど、この店では女同士が何をしようが”自由”。

裸になっても女しかいないから問題は無いし、連れと一緒に来て、相手を取り替えて何をしようとも、店は経営に支障がなければ、何も言わない。

そういう店だから、自分から絡みに来たり、こうやって贈り物をして他人同士が絡み合うのを安全な場所で見る専門のヤツもいるの。

さしずめ、このチョコレートの贈り物でアンタとアタシが絡み合ってるのをジロジロと愉しもうって魂胆ね。

早めに一回押し倒しておいて良かったわ。お陰でそれなりに注目されてるし。」



それが狙いで押し倒したのか…。

確かに、私達を品定めするような、ニヤついた視線が増えた。


「…ホント、嫌な店…。」


心底帰りたい気分でいっぱいの私。




「蒼、もうすぐアタシはここから一時的に離れて、様子を見てるから。」


「…え?」



「アンタに声を掛けてくる女の中で、店の外に行こうとか、奥の部屋…つまりはヤリ部屋に行こうとか誘うヤツが出てくる筈よ。ソイツが…」

「ちょ、ちょっと待って!今、何て?」


ヤリ部屋って言った!?今…!

た、確かに…この店内…さっきから、そういう気分を高めるような雰囲気だし…!


それで、奥に連れて行かれたら…!


「ま、待って…ちょっと、待って…!」


「落ち着きなさい、蒼。」


「だ、だって…ッ!私…ッ!」



確かに、囮なんだし。

私にとっても、大事なお仕事だ。



それは解ってる、つもりだった。



初めての場所で、一人きりにされると思うと…どうしようもない不安が襲ってきた。

もしかしたら、私…他人にいいようにされてしまう、かもしれない。



「お姉ちゃんは・・・私が、何かされても、いいの・・・?」


馬鹿な問いかけをしている、って言ってしまってから気付く。

何かされるのを承知の上での”囮”なのだ


それに。

お姉ちゃんは他人に興味も関心も無い。


「てっきり、アタシはアンタが囮の意味を理解してるもんだと思っていたんだけど…違うようね。」


お姉ちゃんの突き放すような言い方は、いつも通りだ。

甘えるようにしなだれかかる事をお姉ちゃんは望んではいない。



「……解ってるよ…でも…私…」



・・・解っては、いたんだ。


でも。


お姉ちゃんに言って欲しかった。


”大丈夫だ”って。

”アンタはアタシが守る”って。


信じていない訳じゃないの。

ただ…私は、貴女に…



「・・・・・・あのねぇ」


浅い溜息をついて、お姉ちゃんは手にしていたチョコをポイっと皿の上に投げて、何かを言いかけた時。



「は〜い失礼致しま〜す☆柿ピーの盛り合わせでぇす☆」


…タイミングの悪い…。


「だから、頼んでないし、大体柿ピーの盛り合わせって…げえっ!?」


私は、ツッコミをキャンセルせざるを得ないほど、驚いた。


赤いタキシードマスクをつけたタキシード姿の君江さんが柿ピーを持って立っていたからだ。

変装、してる…つもりなの!?バレバレなんですけど!違和感半端無いんですけど!!



「き、きき、君江さん…だよね?」

「いいえ、私は、新人のタキシード・ラ・スモーキング☆ボンバーですっ♪」



「「・・・。」」


私達は真顔で言葉を発する事無く、君江さんを見つめた。


「あら?ダメでした?」


「た、確かに…一応潜入しておいてとは言ったけど…それ…。」


苦い顔をしたお姉ちゃんがその表情を隠すように手を額にあてた。


「浮いてます?」


君江さんの浮き具合ときたら・・・


「「それはもう、ふわっふわ!!」」


私達の言葉に、まだ半信半疑な態度の君江さんは「あらあら☆」と、くすっと困ったように笑った。



「「・・・え?え?ええ?それだけ!?」」


それで済ませるの?この違和感を!!


「お二人共、私は、いつでもヘルプに参りますからね・・・あら、お客様だわ。テーブルご案内しま〜す。」

「いやいやいやいや!”ご案内しま〜す”じゃないわよ!何プロ意識芽生え出して……ああ……」


お姉ちゃんのツッコミもスルーして、君江さんは仕事?に戻っていった。


「ねえ、お姉ちゃん…」


引きつった表情で私は思った。

今日の作戦、多分失敗するな、と。


「初陣がこんな形で終わるとはね…ま、焦る必要は無いわ。」


お姉ちゃんの中ではもう”終わってる”みたいだし…。


(・・・でも、少し気が楽になったかも。)


こんな店で一人にされる心配も消えたし。

失敗できないって思ってたけど、最初から失敗なら何も考えなくても……



「こちらのお席で〜す。」

君江さんがタキシード姿で客を案内している。堂々と。

あまりに堂々としすぎる態度に、周囲も”ああいうウェイターもいるよね”って認め始めている。


(君江さん、凄い…徐々に溶け込み始めてる…。)


あの家政婦さん…本当に只者じゃないんだなぁ…。


「…あ。」

君江さんの後ろを歩いている女性二人を視界に入れた瞬間、私は思わず声を漏らしてしまった。

サングラスを掛けた細身の茶髪の女性…肩を抱かれて俯いて歩いているのは…。


(篠原…先輩…!?)


人違いかと思ったが、やはり間違いはなかった。


どうして…篠原先輩が…!?

まさか…自分で桜井先輩の事を調べるつもりで、ここに来たの?


「お、お姉ちゃん…!あれ…あれ!」


私は、小声でお姉ちゃんを呼びながら袖を引っ張った。


「ああ…あの子、車で送った子ね………面倒なことになったわね。」

お姉ちゃんが険しい顔をして、そんなことを言った。


「な、なんで”面倒”だなんて言うの?篠原先輩だって、やっぱり桜井さんの事調べたかったんだよ!だから…」


「だから、それが面倒だって言うのよ。」

「・・・え?」


お姉ちゃんは険しい顔のまま、その訳を口にした。


「彼女は桜井の関係者な上、ミラージュの存在も知っている。

あの子が先にミラージュを見つけた所でどうするつもりなのか知らないけれど、無謀にも程があるわ。

もし、ミラージュが桜井が死んだ事に関わっているのだとしたら、自分の事を知っている彼女を生かしておくと思う?」


「・・・あ・・・!」


言われてみれば、確かにそうだ。

篠原先輩を一人にしたら危ないって事だ。

そして、私なんて囮よりも篠原先輩にミラージュが食いつく可能性がぐんと上がってしまうわけで…。


(ど、どうしよう…!篠原先輩が危ない…!あ、そうだ!!)


「…だけど、ここは会員制のクラブよ?彼女、一体どうやってココに…」


考え込むお姉ちゃんの隣で、私はポケットから小さいペンを取り出し、紙のコースターの裏にメッセージを書いた。



「とにかく!篠原先輩に危険だって知らせなきゃ…君江さ…じゃなくて、ウェイターさ〜ん!!」


「はいはいはい…お呼びでしょうか?…蒼ちゃん、お腹空いたの?軽くおにぎりでも握りましょうか?」


ウェイターというよりお母さんみたいにやってきた君江さんに私はメモを渡しながら言った。


「ううん。さっき案内していた人のテーブルに何か差し入れて欲しいの!で、こっそりこのメモを渡して欲しいの!私に近い年齢の方に!」


こう言わないと君江さん、勘違いしそうなんだもの。


「蒼?何する気!?」

「篠原先輩に知らせるの!危ない時は逃げてって!」


こんな事しか出来ない。

直接会って知らせたいけれど、色々ここまでの経緯や説明が難しい。

篠原先輩に、貴女こそ何故ココにいるのかって問われたら、苦笑で誤魔化すしか出来そうもない。



「ちょっと勝手な事しないで…!」とお姉ちゃん。


「もしや、あの子は蒼ちゃんの…学校のお友達?んまあ〜こんな所に?こんな時間に!けしからんッ!」


君江さん、怒るべき所は…合ってるけれど、今はそんな場合じゃない。


「いや、今はそんな問題じゃなくて!差し入れはなんでも良いから、早く渡して!」


「だ〜か〜ら〜余計な真似を…」


「わかったわ、任せて!とりあえず…鮑でも」

「や゛め゛て゛ッ!!!」


なんか、よくわからないけれど、明日篠原先輩に顔向け出来なくなる気がしたので全力で止める。


「冗〜〜談よ♪わかったわ、青少年に健全な道具を差し入れるわね!」

「道具って何!?嫌な予感がするからやめて!普通の食べ物でお願い!」


「・・・・・・・。」← ツッコミ疲れた火鳥。




「鍋焼きうどんでいい?」

「よりにもよって鍋焼き!?な、なんかダメッ!!」


「じゃあ、カレーうどん?」

「何故うどん推し!?もう、ホント普通にフルーツとかでお願いッ!!」


「オッケーオッケーカラオッケー♪」


古いんだかなんなんだかよく解らない君江さんに不安を覚えながら、私は呟いた。



「…大丈夫かな…。」


お姉ちゃんは顔に”どう考えても大丈夫じゃないでしょ”と言いたげに座っていた。

篠原先輩がどうして、ここに来たのか…。


また、視線を感じる。

複数の視線。

興味、娯楽の対象にされているのは確か。


あまり良い気分がしない。

この独特のねっとりとした雰囲気や妙な香りが漂って、時間の感覚を鈍らせる気がした。

何より、ここには、窓も無い。


お姉ちゃんの部屋なら大きい窓があって、空や街が見えたのに、ここにはそれが無い。


ここには、人が住んでいる、生きているっていう安心感が無い。

退廃的かつ、一過性の感情が行き来して、そのままフッと消えていってしまうような場所のように感じてしまい…。


つい、怖いな、と感じる。

それは、心の底からの恐怖じゃない。


ただ、ここにずっと居続ける事が怖くなってきていた。



「ねえ、お姉ちゃん…ここにいる人達って…女性が、好き、で…ここにいるんだよね?」


もしかして篠原先輩も、そうなんだろうか?と思い、私は確認するようにお姉ちゃんにそう聞いた。

お姉ちゃんはそんな事を見通すように答えた。


「まあ、大半はそうね。でも、表立ってソレを出せないヤツ、桐生社長みたいに表に出ても平気で単に釣りに来てるだけのヤツ…色々いるのよ。

彼女は、前者でも後者でもなさそうだけどね。」


(どっちでもない、か…)


「じゃあ…お姉ちゃんは?」

「は?」


「お姉ちゃんは…人嫌いになる前にさ……。」


そこで一旦、私は口をつぐんだ。

正直、今、お姉ちゃんにコレを尋ねるべきか迷ったのだ。


でも、お姉ちゃんは変わらず私をジッと見たまま、言葉を待ってくれていたので、私は口を開いた。



「あの、お姉ちゃんは、人を好きに…大事な人は、いる?」

「…それは、前者と後者じゃ意味合いが全然違うでしょ。」


それは、予想していた答えとは違っていた。

…てっきり『くだらない質問しているんじゃないわよ』とか言われるかと思っていたのに、答えは違っていた。


私にとっては、好きな人は大事な人だから。

お姉ちゃんにとっては、好きな人と大事な人は違うらしい。


「それに、”こんな店”の中でする質問じゃないわね。」


「どうして?」


「ここはね、好きとか大事とか、そんな精神的な繋がりを只の鎖だと考えている人間が、欲望に忠実に都合良く身体を弄り合える便利な場所よ。

ただ、それだけなのよ。」


それは、好きとか大事に想う事が邪魔だとでも言いたげな表現だった。

そういう気持ちが”重い”ってヤツか。


この店に来る女の人達は、恋愛関係を結ぶ相手を求めて来る訳じゃないらしい。


「大人になると、そういうのが必要、なんだ?」


煩わしい事抜きで快楽だけサックリ頂くなんて、私には理解できません、という意味合いで私が言うと、お姉ちゃんは少し険しい顔で言った。


「…所詮は、他人のする事だから、アタシにはヤツらのやる事為す事全て理解に苦しむわ。

他人との快楽の共有なんかで、満たされる事なんてないんだからね。」


そう言い終わるとお姉ちゃんはスッと席を立った。


「お姉ちゃん?」


どこへ行くのか聞いても、お姉ちゃんは背中を向けたまま

「ちょっと、行って来るわ。知り合いの事は君江さんに任せて、アンタは最低限、自分の身を守るのよ。」

…とだけ言い残しただけだった。


「・・・はーい。」


やっぱり、お姉ちゃんって、他人と自分を隔ててる感じがあるなぁ。

一緒に住んでいたら、もっと打ち解けられるんじゃないかな〜と思ったけれど、お姉ちゃんは平常運転だ。


”人嫌い”なんだから、当たり前といえば当たり前なんだけど。


ああやって、きっちりと他人との境界線を張っているのだから、うっかり領土を侵したら、きっと怒られるだけじゃ済まないだろう。

唯一、お姉ちゃんと友好関係(?)にあった水島のお姉ちゃんだって…少し前は互いに争っていたらしいし。


(…お姉ちゃんの境界線を無理矢理越えたのって、水島のお姉ちゃんくらいじゃないのかな…?)


争っていた割には二人は仲良さそうに見えたけど、お姉ちゃんの人嫌いはもっと昔から、だから…。

それ以前の人間関係で、何かあったんじゃないかな?


それで人間不信になって…。



「…でも、結局何も喋ってくれないんだよね…お姉ちゃんって。」


全ては想像でしかない。

君江さんもお姉ちゃんの小さい頃の話はしてくれるけれど、過去に何があって、ああなったのか核心の部分を話そうとはしない。



「こんばんは。」


「へ?」


声を掛けられ、私が顔を上げるとシャパングラスを持った女性が立っていた。

スーツ姿で、淵無しの眼鏡をかけて、髪の毛を後ろで留めた30代くらいの女の人。

太陽の下で会ったなら、真面目そうに見えるのに、この店の雰囲気のせいか、どうにも”私、イヤラシイ欲望を持ってます”という感じに見え、構えてしまう。



「お隣、いいかしら?」

「え?あ…はい。」


ゆっくりと落ち着いた口調に思わず、私は”はい”と答えてしまった。

すると、座ると同時に女性は留めていた髪の毛を解いて下ろしてしまった。



(キ、キキ…キタ――――ッ!!)



首をゆっくりと横に振って、髪の毛を解く仕草は、ものすごく色気があった。

その人の髪の毛からは、お姉ちゃんとは違う、甘い香りがした。


頬に手をあてて、私を下から覗き込むように女性は私を見つめた。


(ど、どうしよう…!き、来ちゃった…!)


不意を突かれて、私はすっかり動揺してしまっていた。

女性は”犀島 晴海(さいじま はるみ)”と名乗った。



「さっきから、貴女を見ていて可愛いなと思ってたの。」

「え?…あ、ありがとうございます…。」


な、ナンパされてる…!

こんな、大人で綺麗な人に可愛いなんて…!


いや、落ち着くのよ!私!ここにミラージュがいるかもしれないんだから!

あくまで囮なんだから!この人がミラージュなら、未成年に冷酷残忍なヤツかもしれな…



「貴女のカノジョは…今日は乗り気じゃないみたいね?」

「へ?カノジョって…お姉ちゃんの事、ですか?」


傍から見ると、私とお姉ちゃんってそう見える、の?


「あら、可愛い。”お姉ちゃん”って呼んでいるのね、ますます良いわね。」


そう言いながら、犀島さんは私の膝に手を乗せた。ごく自然な仕草で。

気付いた時には、膝上まで手は上ってきていた。


「あ、あの・・・ッ!?」


急すぎる!!



「そのお姉ちゃんは…こんな事してくれる?」


そう言うと、ゆっくり女性は身体を沈めて…私の膝に唇をつけ…タイツの上からでも解る程、ねっとりと舌を這わせてきた。

ゾクッとしたが、私が膝を勢いよく跳ね上げたら、この人の顔面を蹴ってしまう訳で、それ以上抵抗が出来なかった。

そのまま、女性は私の足を執拗に掌で撫でながら言った。


「我慢、してるのね……ますます、可愛いわ…。貴女、未開発ね?」


そう言いながら、私を見る女性の目は、妖しげに笑っているように見えた。

数秒前に名前を知った人間にこんな事を許すなんて、私…何をしているんだろう。


「み、かい、はつ?」


「お姉ちゃんに、ナニもされていないって意味。そもそも…お姉ちゃんは、興味が無いのかしらね?」



その言葉がやけにクッキリと私の耳に届き、心にブスリと刺さった。


そもそも、興味が無い。


同性愛に?それとも…私に?


いや、お姉ちゃんは人嫌いだから、人に興味は無い。


お姉ちゃんは、学校の正門から車で侵入して、皆にどう思われようとも跳ね除けられるし、そんな事をそもそも気にもしない。

他人がどう思おうとそれに染められ、自分を曲げるのは、馬鹿のする事だから。


『蒼、背中を伸ばして堂々と歩きなさい。』


誰かが眉をひそめようと、お姉ちゃんには関係が無い。


『良いのよ。アンタは、アタシの家の者なんだから。それに、このアタシと一緒にいるんだからね。』


お姉ちゃんは、私の事を自分の家の者と言ってくれた。


お姉ちゃんの家の者って事は、他の誰よりも少しは近くにいられる事だって、少しは特別な位置にいる人間なんだって、思っていた。


けれど、どうしてなのだろう?

興味が無いんじゃないか、と一言言われただけで、そうなのかも、と自分でも揺らいでしまう程の関係性の薄さは。



このままで、十分だって思っていたのに。

物足りない、と思っている自分のこの気持ちのやり場が見つからない。


名前しか知らない女性にこんなにも身体を触られているのに、お姉ちゃんはこんな事しなかった。

この女性は、私を可愛いと言ってくれて、私の身体が欲してくれている。




…私は…お姉ちゃんの境界線の内側にいるのかな…それとも、外側?


私は、お姉ちゃんの…



「どうやら、貴女のお姉ちゃんは…貴女に色をくれなかったようね?」


「色、ですか?」


「心にも色があるのよ。本当に貴女の心が満たされていたら…

貴女の大事な人が、貴女に色をくれていたのだとしたら…

そんな顔出来るはずが無いわ。」


…心の、色…?


「…私…今、どんな…?」


「真っ白なキャンパスのまま…何色にも染まっていない。」





白。



真っ白。



真っ白な壁。




病院のあの真っ白な壁の色。




(いや…白は…嫌…ッ!!)






「だから、私が…貴女を染めてあげる。」




犀島さんが妖しく笑って、私のショートパンツのチャックに手をかけた―――その時。






「高見さんッ!!」



悲鳴に似たような声が、犀島さんを私から引き剥がした。



「え!?」


その声は、篠原先輩…!?


篠原先輩は私と犀島さんの間に割って入って、私の方へ振り向いた。


「らいひょーぶ!?ひゃかみさ…もごもごもご!ずるるるる…ッ!!」

 ※注 『大丈夫!?高見さん!一体どうしてこんな所にいるの!?』と言ってます。


しっかりとうどんの器を持ち、口いっぱいにうどんを頬張った篠原先輩が…。



「うどん食ってるううううう!?!?!?!?!?」


どうして、篠原先輩がこんな所にいて、このタイミングでやってきて、うどんを食べているのか!

ツッコミが…追いつかないッッ!!前作の水島さんシリーズみたいにいかないッ!!



「(もぐもぐ、ゴクン)…あ、さっき、高見さんのテーブルから”フルーツ盛り合わせうどん”を差し入れてくれたんですって?」

「いや、先輩そういう場合じゃ…。ていうか”フルーツ盛り合わせうどん”!?フルーツだけで良いでしょうよ!

どんだけ、君江さんうどん推しだったの!?フルーツの要素入れても”うどん”で台無しだよッ!!」


「サラダうどんもある事だし…これは、なかなかイケる!」

「あ、それなら良かった!いや!篠原先輩!そんな場合じゃなくてッ!!」




「あらら…もう一人、お姉ちゃんがいたのね?」


残念そうな口調でも、妖しげな笑みを浮かべたまま、犀島さんは私達を見下ろしていた。

篠原先輩はうどんの丼をテーブルに置いて、犀島さんを睨みつけて聞いた。



「あの…桜井美雪をご存知ですよね?」


ご存知ですか?ではなかった。



「・・・・・・。」


桜井という名前を聞いて、犀島さんの顔から笑みがスッと消えた。



「…ああ…あの可哀相な子の事?」と一言。



「やっぱり、知っていたのね…!!」と言った篠原先輩は、今にも犀島さんに掴みかかりそうな勢いだった。



桜井先輩の事を知っている…。


(え?え!?じゃあ…もしかして、この人が偽ミラージュ!?)


囮、成功!?

いや、そんな事に少し喜んでいる場合じゃない!



「ああ…勘違いしないで頂戴。助けを求められたから、私は手を差し伸べたのよ?」


犀島さんは片手を振りながら、苦笑しながらそう言った。


「助け、ですって!?」


「そう。ずっと想いを寄せていた子に拒絶されて、目の前が真っ暗で、寒くて寒くて…彼女は私に女の温もりを求めたの。」


「―――!!」


犀島さんの話を聞いて、篠原先輩の目は見開かれた。



「彼女は、私に抱かれながら、何度もイって、何度も呼んでいたわ…ミドリ…ミドリ…って。」


私は犀島さんと篠原先輩を交互に見た。


「…ッ!!」

奥歯をぎりっと噛み締めて、篠原先輩は歯痒そうに犀島さんを黙って睨む。


「…篠原、先輩…?」




「もしかして、貴女が…美雪が言ってた、”温室姫のミドリ”ちゃん?」


そう言うや否や、犀島さんはケラケラと笑い始めた。


(温室姫?)


「あははは!光と水で育つレタスの傍にず〜〜〜っといる、”一人ぼっちの温室姫のミドリ”ちゃん!あはははは!」


犀島さんの嘲け笑う声に篠原先輩は固まったまま、動かなかった。


「ああ、貴女が温室姫!…そう、そうなのね…!光と水とレタスだけがオトモダチだった所を美雪に拾ってもらって!

美雪に友達になってもらっておきながら!美雪に散々依存しておきながら!美雪が貴女を求めた時、彼女を拒絶して孤独に陥れた冷酷無比な女!」


(え!?篠原先輩が・・・!?)

優しい篠原先輩の一面を知り、私は、どんなリアクションをとっていいのかわからなかった。

私にとっては優しい先輩。犀島さんからは冷酷無比な温室姫。


「ミドリちゃんがどんな女の子なのか、少なからず興味はあったのよ…。

真面目だけど、少し間の抜けている天然の・・・残酷な女ってねぇ・・・」


犀島さんの笑いながらの一言一言がナイフのように感じた。

自分の事を言われている訳でもないのに、こんなにも心が痛くなる。


「で?ミドリちゃん的には、死んだ美雪のどこがイケなかったの?…”その子”ならイケるんでしょ?」

その子、とは…私の事だ。

「ち、違います!この子は関係ない!」


篠原先輩は顔を犀島さんから背け、辛そうな横顔を見せた。


「み…美雪が…私の事をそう言ったのなら、そうなんでしょう…!でも、貴女は私達の事を何も知らないでしょう!?

私と彼女にしかわからない事や知らない事だってあるんです!」

キッと前を睨みつけ、篠原先輩は反論したが、犀島さんは余裕の態度で言い返す。


「”私達”?貴女に、美雪と自分を一緒に括れる権利なんてあったの?拒絶したクセに。だから、彼女は死んだんじゃないの?」


「…み…美雪を殺したのは…私だって、言いたいんですか…!」


「それは、自分が一番よく解ってるんじゃない?」


トドメの一言で、篠原先輩は沈黙してしまった。



「少しでも、美雪の死が自分のせいじゃない、と確認したくて来たんでしょう?本当は女に興味も無いのに、こんな所まで罪悪感を払拭しに来たのね…」


スラスラと出てくる無数の言葉のナイフが、先輩に一本残らず刺さっていく。


篠原先輩は黙っていた。いや、もう、それ以上言葉が見つからないのか…。



「ああ、そうだわ。このクラブは会員制だから…店の前で、売春婦のように声でもかけたのかしら?ホント必死ねぇ?」

「・・・・・・・・・。」


篠原先輩は耐えているようだけれど、私はもう耐えられない。



「やめてくださいッ!」


店の中なので、大声は出すまいと思っていたのに、声に出すとやっぱり大きかった。

それでも、犀島さんは余裕たっぷりで笑っていた。



「あら、可愛い妹がお姉ちゃんを庇ってくれてるのね。」


「そうやって煽ったり、けなしたり、馬鹿にして笑ったり…!自分がされて嫌な事は他人にしちゃダメなんですよ!!」


まだからかうような口調の犀島さんに向かって、私は、思った事を言った。

だけど、犀島さんはちっとも怯む事も黙る事もなく。



「…ぷっ!あはははは!かわいいわねぇ〜。そんな時期、私にもあったなぁ…。

後先考えないで、つい行動しちゃうのって、一度も深い罰を受けていない未経験者だからこそ出来るのよね。」


犀島さんは、噴出して大笑いした。


「「・・・・・。」」


私、篠原先輩の味方しようとして…また、失敗した…!


(確かに、後先考えずに口を開いちゃったけれど…!この人、人の事馬鹿にしすぎ!)


ムッとする私に対し、犀島さんはボソリと独り言を呟いた。


「まあ、いいわ…罪悪感の強いお姉ちゃんと正義感の強い妹、どっちがおいしいか…食べ比べもいいかもね?」


それは私達二人にクッキリと聞こえる大きな独り言。


「「え!?」」

「私に因縁をつけておいて、何のお咎めもなく、許されると思ってたの?…だとしたら、子供以前にお馬鹿ちゃんよ?」


犀島さんが指を鳴らすと、先程、店入り口の傍に立っていたスーツ姿の女性が入ってきて、私と篠原先輩の腕を掴んだ。



「な、何をするのッ!?」

「先輩ッ!?離し…むぐッ!?」



口を塞がれ、私と篠原先輩は…強引に奥に連れて行かれた。

赤黒い扉が、どんどん近くなる。



(お、奥の部屋…!)



『アンタに声を掛けてくる女の中で、店の外に行こうとか、奥の部屋…つまりはヤリ部屋に行こうとか誘うヤツが出てくる筈よ。ソイツが…』



私と篠原先輩くらいの年代の子を狙っていて、奥の部屋を利用する人間。

それがミラージュ…の偽物!


(犀島さんが…偽ミラージュなの…!?)


やっと収穫があった。

囮としては上出来だけれど…。




「入ったら、鍵閉めてくれる?3人で貸し切るわ。」


「「かしこまりました。」」




完全に捕まったーッ!!




(こ、この後、どうするのおおおおおお!?…お姉ちゃん!私…ッ!)



「う、わああ!?」


私達が放り投げられた先は、ふかふかで立とうとすると足が沈むような大きなベッドの上。

痛くは無いけれど、沈みすぎて上手く動けない。

「こ、これ・・・!」



扉が閉まり、カチャンと鍵が閉まった。

弱いスポットライトが、ベッドの上の私達と入り口からゆっくり歩いてくる犀島さんを照らす。

部屋のその他の部分は暗くて、まるでベッドと私達と犀島さんしかいない世界のようだった。

そのシチュエーションは、いやらしい、というよりも恐怖しか感じない。


「さあ…悪い子ね…懺悔なさい…。」


犀島さんは、さっきと変わらず笑っているように見えるのに、どうしてか心臓が危険を知らせるようにドクドクとなる。

(ヤバイ・・・これ、多分・・・いや、絶対ヤバイ・・・!!)


篠原先輩が私を庇うように、手を広げて犀島さんの前に出た。


「待って!わ、私だけでいいでしょ!彼女は、身体が弱いのッ!命にかかわるの!帰してあげてッ!!」


そう強く言う篠原先輩の手は、震えていた。


「ああ…私ね、そういうの嫌いなのよ。」


顎に指をつけて、考える仕草をしながら、犀島さんはそう言った。



「え?」

「だって、それだと…”貴女達の記憶に焼きつかない”じゃない。」



「な…何、言ってるんですか…!?」


私は思わず、そうたずねてしまった。

こんな状況を、記憶に焼き付ける?


すると、犀島さんはまたニッコリと笑って言った。


「私はね、人の記憶に自分が残りたいの。

貴女達が死ぬ間際に、しっかりと”私”という存在を人生の一部として走馬灯に登場させたい位、しっかりと。

だから、貴女達の記憶に、より強く私を描き込む為に…

貴女の”救えなかった”という罪悪感が更に強くなるように…その子から先にするわ。」


そう言って、一歩ずつ私の方へ近付いてくる。

ジリジリと後ろに下がる私と篠原先輩。



「く、狂ってるわ…ッ!!」


「ああ、そうそう!そうなのよ!皆、そう言いながらもあんあんとよがって、泣きながらイッちゃうのよねぇ…。」




(この人に、話し合いは通じない…!)






ダメだ…このままじゃ…!





「お、お姉ちゃん…お姉ちゃああああん!!」




私は胸を押さえながら、お姉ちゃんを呼んだ。

私にとって、いつも私を助けてくれるのは…いつだって…。





 『―――願うかい?』





またなの…?いい加減にしてよ…!

そんな場合じゃないし!





『悪かったね、お姉ちゃんじゃなくて。でも、タイミング的にはバッチリな気がするよ?』



タイミングの問題じゃないし。

ていうか…何で、いつも”私だけ助けよう”とするの?




『そういう契約だから。願い主は、お前さんだけ。

だから、死なれたり、心の底からの願いを言えないような状況には出来ないのだ。

それで、私はお前さんが肉体的、または精神的に危機的状況下あった際、こうして願いを聞きにくるワケだ。


正直、危ないぞぉ?』




・・・ヤダ。願わない。




『お姉ちゃんは、遅れて来るかもしれないぞ?…お前さんの”信じてたのに…”って涙を見るハメになる。』



それでも、願わない。



『ふうん…それこそ、不思議でならないよ。色を私によこすだけで、願いがあっさりと叶って、生き易くなるのに。

何をそんなに…』




・・・だからよ。



『ん?』






ソイツは、いつも私がピンチの時になると願い事のオーダーを取りにやって来る。


私にしか見えないし、話も出来ない。


最初は幻覚とか病気を疑ったけれど…アイツはこう言った。




 『私は君の願い事を叶える事が出来るが、”神様”じゃあない。むしろ、化け物の方だ。


 何故なら、見返りとして、お前さんから”色”を貰わなければならないからだ。神様はやたら欲しがったりしないだろう?


 私は、この世界の色を感じる事が出来ない。それ以外は、大抵なんでも出来るが…この世界の美しさを知らない。

 私は、知りたいんだ。感じたいんだ。色が欲しい。


 だから 願いがあるなら、言ってごらん。


 心の底から、お前さんが感じた色で良い。それを私に…くれさえすれば…。』








始めは、試しに色をあげようかなって思ってた。

だって、なんでも願いが叶う訳だし?



・・・でも、そんな都合の良い話があるワケないでしょ。




それに、私の願いはとっくに叶ってしまっているのだ。

私は、アンタに出会う前に何度も何度も願っていた事があったの。




もっと生きたいって。

病院から出たいって。



でも、あの時、何度願っても、それは叶わなかった。

死ぬって解って、キスもあんかけ料理も何も出来ないまま、ないないづくしで死ぬ所だった。





 「は!?あんかけ!?」





そんな時に、私の願いを叶えてくれたのは…




 「我侭言うのは子供の特権。それを使わないなんて、馬鹿のすることよ。」





私に色をくれたのは…





 「蒼、染まるんじゃないわよ。」






貴女が、私に色をくれて、私の世界はカラフルになった。

その人が言ったのだ。


決して、他人に染まるなって。



だから、私は…








『…なるほどねぇ。そいつは何とも皮肉な事だな…。』







ヤツは、意味深な事を言うとまたフッと消えた。

大体、こんな感じなのだ。

ヤツが現れてから、私は時々こうして時間が止まった世界で、アイツと押し問答をしなくちゃいけなくなった。

願い事(オーダー)はいつだって、無い。

でも、時が止まってくれたおかげで、私は冷静に戻れる。そこだけは幸運かも。



止まった時間は動き出し、私は現実の世界に引き戻される。







犀島さんに物凄い力で押し倒され、服に手が掛かっている・・・現実の世界に。


あ、ヤバい…。

対策考えるの、忘れてた・・・!!






「お、お姉ちゃああああああああああああん!!!」





「高見さぁんッ!!」






両手を動かし、何か掴めるモノで殴ろうとするが、生憎何も無い。

捲り上げられる服。空気に触れたお腹を撫でる嫌な手の感触。

さっきお姉ちゃんに押し倒された、”ごっこ遊び”とは全く違う危機感を通り越した何か。


息が詰まる。

けれど、私は、抵抗を止める気はなかった。




(私は…何にも染まらない…!)



その一心で、ジタバタと動いた。

もしも、これで私の心臓が再び不具合を起こしてぽっくり逝ってしまっても、このまま嬲られるよりマシだと思った。

そう、マシなだけで…ちっとも良い事ではないんだけど…。




「失礼致しまぁす。」

”ドロロロロ…ベチャ…。”


中年女性の声の後に、ドロドロとした白くて長い何かが…犀島さんの頭から降り注ぎ、べちゃべちゃと汚い音を立てて、ベッドに零れ落ちた。




「「「 ――ッ!? 」」」



(・・・これ、山芋と・・・うどん?・・・まさか!!)




「こちら”流しとろろうどん”でございまぁす!」



目が血走った君江さんが、犀島さんの背後に立ち、うどんの丼をひっくり返していた。



「き、君江さん!?ていうか、またうどん!?」


私がそう言うと、君江さんはウィンクをした。


「茹でたてよ☆」

そういう問題じゃないし!そんな事も聞いてないッ!!



「な、何をするのよ!この部屋には誰も入れないでって…!」


「これは失礼致しましたぁ。あちらのお客様からでぇす。」



君江さんがそう言った先にいたのは…



「全く…世話が焼けるわね…囮が食われたら意味無いでしょうが。」


腕組をして立っていた火鳥お姉ちゃんだった。

タイミングよくスポットライトが当たって、いつものお姉ちゃんの目つきがより鋭く、カッコ良く見えた。



「火鳥お姉ちゃん!!」

「お姉ちゃんじゃないわよ…はい、アンタはどいて。邪魔よ。蒼、帰るわよ。」


いつも通りの口を叩きながら、お姉ちゃんはスタスタと歩いて、ベッドの上も歩き、犀島さんを突き飛ばし、私の腕を掴んだ。


「む、無理矢理だったんだもの!仕方ないじゃない!お姉ちゃんこそ、どこ行ってたのよ!!」


「別に…。」



ふと、犀島さんを見ると、彼女は呆けていた。

とろろとうどんが髪の毛にべっとりとついて、ボトボトと落ちていたけど、犀島さんはじっとお姉ちゃんの顔を見ていた。

それが異様に見えて、笑えなかったというか…逆に怖かった。



「……カトリ…?…か…火鳥!」



犀島さんは、お姉ちゃんの苗字を呟くように何度も口にした後、込み上げてきた笑みをこちらに向けた。

とろろとうどんが相まって、一層気味の悪さを引き立てた。




「ああ、何てことなの!久々じゃない!かと…」


お姉ちゃんを知っていたのか、犀島さんが口を開こうとしたのだが…。


「ごめんなさいね、”覚えてないわ”。」


そう言うと、お姉ちゃんは私の腕を掴んでさっさと歩き出した。

君江さんは篠原先輩の背中を押しながらドアへ向かっていった。


ちらりと横目で犀島さんを見ると、物凄い形相でお姉ちゃんを見つめていた。

犀島さんの唇が”許さない”と動き、私は背筋がゾクッとした。







ドアが閉まり、お姉ちゃんは足早に店の外へと向かっていく。

篠原先輩も君江さんにどんどんと押されて、後についてくる。



「お姉ちゃん…あの犀島って人が、偽ミラージュなんでしょ?」


私が腕を引かれながら、お姉ちゃんにそう聞くと、お姉ちゃんは答えた。



「違うわよ。」


――― え?違う?



「だって、あの女…”犀島”って名乗ったんでしょ?」

「う…!そうだけど…。でも…!」


「さっき、偽ミラージュの特徴を聞き込んでたの。君江さんもウェイター達に。聞いてた特徴と一致しないわ。

アレは、只の犀島晴海という名の変態よ。」


そう言いながら、カウンターに無造作に紙幣を置いて、お姉ちゃんはドアを開けて店の外へ出た。


(…じゃあ、偽ミラージュは…犀島さんじゃ、ないの…?)



「じゃあ…囮は…」


「囮作戦は失敗。」


「失…敗?」


あんな思いまでしたのに…!?(泣)

絶望を胸に抱きつつ、私は車の後部座席に乗せられ、篠原先輩も押し込められるように乗せられた。

運転席に君江さん、助手席にお姉ちゃんが乗り、車は有無を言わさず走り出した。



「あ、あのッ高見さん!?あの、皆さん…あの、皆さんは、何者なんですか!?」



篠原先輩はそう言って、私達の顔を見た。


「「「・・・・。」」」


なんて説明しようか私は悩み。

別に説明の必要も無い、とお姉ちゃんは黙り。


君江さんは「安心して下さい。うどんですよ。」とうどんの入った丼を後部座席に向けた。



「君江さん!もういいよ!そのうどんのくだり!!」







「あの、篠原先輩…これには事情が、ありまして…ですね…」


どう説明しよう…?

まず、偽ミラージュを探していたって事を話そうか…?

そうなると桐生社長の事も話さなきゃいけないけれど…!


「あの…もしかして、高見さんとお姉さんは…そういう…?」

おずおずと先輩は聞きにくそうに言った。”そういう”って・・・そんな関係に見えちゃったの!?


「え!?…い、いや…え!?そ、そう見えます!?」

「あ…いいえ、あの店に入るって事は…そう、なのかなって…」


「それは、貴女にも言える事なんじゃないかしら?」と君江さんが言った。


「蒼ちゃんはお嬢様や私が付き添っていたから、ああなっても助けられたわ。でも、貴女は違うわよね?

一人でどうやって、あの店に?」


「・・・あの、犀島さんの言うとおりです。この店の前で、この店の会員らしき人に声を掛けて入れてもらいました。」

ぐっとスカートを握り締めながら、篠原先輩は悔しそうに言った。

「そこまでして・・・どうしてかは・・・おばちゃん、聞いても良いかしら?」

君江さんは、やんわりと世間話でもするかのように聞いた。


やっぱり桜井先輩の事、なのかも。



「…私が、悪いんです。」



篠原先輩は、ぽつりとそう言った。

車内の私達は黙っていた。



「美雪が、あの店に行くようになったのは…私が、あの子の気持ちを拒否したからです。…ホント、犀島さんの言うとおり。」


車はゆっくりと走り、誰も何も言わなかった。

ただ、篠原先輩の次の言葉を待っていた。


「私…美雪の事、ずっと友達だと…思ってました。

実習の教室に入り浸って、影で温室姫なんて呼ばれていたのも知ってました。

一人ぼっちで寂しいのを実習室で作業をする事で、誤魔化していた私に…声を掛けてきてくれたのは、美雪だけでした。

美雪だけ、だったのに…。」



 『温室姫なんて気にしないでいいんだよ。翠はさ、姫みたいに綺麗なんだから。ホラ、実習室の水と緑色が、よく似合う。』



「美人で成績も優秀で性格だって明るくて友達も多かったのに、私といつも一緒にいてくれて…。

そんな、ある日…思いつめた顔をした美雪が……」



 『翠…。』



「誰もいない、光と水と葉に囲まれた実習室で…」



 『私じゃ・・・ダメ、なのかな・・・?』



「美雪は、私の事が好きだと言って……キスを……。」



篠原先輩の肩が震え始めた。



 『・・・どうして?いつも一緒にいてあげたじゃない!!』



「キスだけじゃ、終わりませんでした…美雪は…それ以上の事も求めてきたんです…もう、私びっくりしちゃって…。

私…すごく抵抗して…”友達とそんな事は出来ない”って言ってしまったんです。」



光と水の音…一面の青々とした緑色。

その中で、篠原先輩は…辛い想いをしたのだ。





「篠原先輩…。」


「それからなんです…美雪が、人が変わったように、同じ思考の人間を探し始めたのは…。」


「それで、桜井先輩は、あの店に辿り着いて、ミラージュに会ったって事ですか…?」


「…そもそも、美雪がミラージュって人に会うキッカケを作ったのは、私…。だから、美雪が死んだのは…」






「そうね、アンタのせいね。」




「「!!」」





お姉ちゃんがそう言った瞬間、私と篠原先輩は固まった。





「そう言ってもらった方が楽?…それとも、耳にタコが出来る程、貴女のせいじゃないって言って欲しいの?」

「お、お姉ちゃん!」



犀島さんに「死んだのはおまえのせいだ」と、あんなに言われて、その上お姉ちゃんにまで言われたら、篠原先輩の心はズタボロだ。


・・・そう思って止めようとしたのだけど・・・。


「ちゃんと自覚してるじゃない。”自分は桜井美雪の死に関わっている”って。だから、アンタは行動したんでしょ?

誰かの責任云々言っても、彼女は戻ってこない。それも解ってるわよね?」


「・・・・・。」


篠原先輩は黙り、お姉ちゃんは、そのまま続けた。


「”友達とそんな事は出来ない”アンタはハッキリと自分の意志を伝えた。それが間違いだとアンタは本気で思ってるの?

傷つけるのが怖くて、そのまま自分の身体を友達に捧げてしまうのが、アンタの思いやりなの?

…違うでしょ?アンタの意思は、ハッキリと出ていた。”桜井は友達だ”ってね。」



「……。」



「ただ…後ろめたさがまるでなかった、とは言えないわね。

自分には不釣合いかと思う程の良く出来た人間が”友達”として、いつも一緒にいてくれていたのだから。

出来る限り、彼女の期待には応えたい。だから、桜井の気持ちには気付いていたけれど見てみぬフリをして、友達をなんとか続けていた。…違う?」



お姉ちゃんの淡々とした言葉に、篠原先輩は噛み締めるように答えた。


「……そう、です…。」



「多分だけど…桜井もそうだったんでしょうよ。ある時、それが桜井の方が先に爆発して…アンタに友達以上の事を求めてしまった。

それが、引き金になり…あの店に桜井美雪を向かわせた。


・・・それで、全部よ。」




「「・・・・・・。」」



静かな車内で、君江さんが口を開いた。



「今まで…お互い、さぞやしんどい想いをしたんでしょうに…。

これ以上、貴女も美雪ちゃんも自分を責めたりしちゃ、かわいそうよ。」



「でもッ…美雪は…ッ…苦しんでたッ…!私が…ッ私がなんとかしなきゃ、いけなかったのに…ッ!」



「それは、違います…篠原先輩…。」

「高見さん…?」



「桜井先輩の想いは篠原先輩に向けられた想いだから、篠原先輩にしか受け止められないとは思います。

…篠原先輩にしか出来ない事では、確かにありますけど…!

でも!それ…”なんとかしなくちゃいけないモノ”じゃないですよ!人の好きって気持ち、そんな風に感じたら、嬉しくないじゃないですか!!」


「!!」


「桜井先輩も…きっと、それが分かっていたから…!

だから、自分をもっと楽に受け入れてくれる人を探していたんじゃないですか!?


あの店は…”好きとか大事とか、そんな精神的な繋がりを只の鎖だと考えている人間が、欲望に忠実に”…とにかく!

あの人達に”都合良い”っていうか…!そ、そういう場所ですから…!あの…だから、何が言いたいかって言うと…!」



ツギハギだらけで、お姉ちゃんの言葉を借りる事になってしまったけれど、私は最後まで言った。



「だから・・・もう、自分一人だけを責め続けるのは・・・やめて、下さい・・・!」

「・・・・・・。」



私は、すぐに”偉そうな事言ってすみません”と先輩に謝罪した。

桜井先輩も桜井先輩なりに…どうしようも無い気持ち、どうしようもない願いを、なんとかしようとして・・・ああなってしまったのではないだろうか。


あの店…私は好きにはなれそうもないけれど、確かに、誰かにとっては必要なのかもしれない。


どうにもならない、どこに向けていいかもわからない気持ちをぶつける場所が…大人になると必要なんだってわかったから。


解ったら、涙が出た。



それは、きっと誰もがモヤモヤしていて・・・。

理解者がいないから、孤独で・・・。

このどうしようもない想いや願いは、叶わないだろうって思って・・・。



願っても、叶わない事っていくらでもあるから。

どうにもならない事もたくさんあるから。


そう言い聞かせたりして。

仮に、あっさりそれが叶ったとしても…それが、自分の思っていたモノと全然違っていたりするから。





一昨日、テレビでニュースを見た時。

桜井先輩が死んだ事に関して、何も感じなかった。

同じ学校の先輩が死んでしまっているのに”ああ、そうなんだ”としか感じられなくて。


桜井先輩がどんな人だったかは、今もよくわからない。

なのに。


少しだけ桜井先輩の事を知り

篠原先輩が心から桜井先輩の死を悼んで泣いているのを見ていただけなのに


私は、また泣けてきた。



もしも。


あの化け物に、願い事を叶えてもらったのだとしたら

桜井先輩を生き返らせて!なんてふざけた願い事をしたらどうなるのだろう?



一瞬だけチラリと考えたけど、すぐに消えた。

・・・願いが叶ったら、何もかも変わってしまう気がしたから。


勿論、桜井先輩が死んでしまって良かった、という訳じゃない。

ただ、漠然と私は”安易にそんな事は願ってはいけない”気がして、願う気にならなかったのだ。




「ありがとう…高見さん…泣いてくれて…。」


私は、そのまま篠原先輩と一緒に泣いた。

篠原先輩は目を真っ赤にしたまま、家に送り届けた。




私とお姉ちゃんが帰宅した時、深夜2時を過ぎていた。

君江さんは、私達を送り届けると、そのまま”用がある”と走り去って行ってしまった。


(この深夜に、何の用事だろう…?)


「ふ、ああああ・・・あ・・・。」

夜風を浴びながら、私は伸びをした。


「行くわよ、蒼。玄関のオートロックかかっちゃうわよ。」

お姉ちゃんは相変わらず、スタスタと歩いて先に行ってしまう。

後についていって、エレベーターに乗り込む。


「ねえ、お姉ちゃん。」

「ん?」


「もし、私があのまま何かされちゃったら、どうしてた?」

「はあ?」


「囮だから仕方ないって言いたいんでしょ!?でも!本当に危なかったんだよ?」

「貫通前までには間に合ったでしょうが。」

「か、かん・・・!」


言葉が、えげつない!



「…さっき途中で言いかけたけれど。あのねぇ、アンタ、アタシを誰だと思ってるの?」

「え?」


「アンタに何かあったとして、このアタシが何も出来ないでぼうっと突っ立ってる女だって思う?」

「ううん。」


「・・・見くびらないで。アンタ一人くらい…五体満足で守りきってみせるわよ。」

「・・・見くびってないよ。」


お姉ちゃんがそっぽを向いて黙り込んだ。私も黙った。

妙な気恥ずかしさがエレベーター内に漂った。



(・・・ただ、その一言、もっと早く欲しかったものですな。うんうん。)




結局、偽ミラージュは捕まえられなかった。




お姉ちゃんは別の手を考える、とだけ言って、面倒そうにシャワーを浴びに行った。

私も、軽くシャワーを浴びる事にした。(膝のあたりは特に入念に洗ったけれど)




今日は二人同時にベッドに横になった。



「…ねえ、お姉ちゃん…」

「ん?」



「心にも色があるって聞いたんだけどさ。もし、そうなのだとしたら…私は、何色なのかな?

何色だったら…私…心が満たされるんだろう…?」





『心にも色があるのよ。本当に貴女の心が満たされていたら…

貴女の大事な人が、貴女に色をくれていたのだとしたら…

そんな顔出来るはずが無いわ。』



私は、ふと犀島さんの言葉を思い出した。




『どうやら、貴女のお姉ちゃんは…貴女に色をくれなかったようね?』


『色、ですか?』




『…私…今、どんな…?』


『真っ白なキャンパスのまま…何色にも染まっていない。』




白だけは、嫌だなぁ…って思ってたから。


私は、お姉ちゃんに色を決めて貰おうとしていた。


まるでどこかの願いを叶える代わりに、色をくれと要求する化け物みたいに。






「フン…何言ってるのよ。何色も何も、自分で決めていいのよ。

誰かの言われるがままに、染まるのだけは…絶対許さないからね。」




そう言って、お姉ちゃんは私の額に手をあてながら、うっすら笑っていた。



「うん、わかった。」




(ああ、そうか…。)






『お姉ちゃんに、ナニもされていないって意味。そもそも…お姉ちゃんは、興味が無いのかしらね?』



お姉ちゃんは…確かに、興味が無いのかもしれない。

私の心に、隙間があったとしても…きっと…。



『…所詮は、他人のする事だから、アタシにはヤツらのやる事為す事全て理解に苦しむわ。

他人との快楽の共有なんかで、満たされる事なんてないんだからね。』





快楽だけで満たそうなんて、この人は絶対思わない。









・・・だから、私、好きなんだ。この人の事。












  ― フルカラ 緑 編  END ―



蒼ちゃんが主役だと、火鳥さんが本当に良い人っぽく見えますね!


・・・全然違いますけどね!!!(笑)


えー…一時期データが消え、更新が遅れに遅れた上、緑要素が名前とレタスな感じしかなかった事、反省しております。

ゆっくり更新で申し訳ありませんが、水島シリーズより、まったりと。

かつ、百合っぽさ1.5倍でなんとか書いていきますので、よろしくお願いいたします。