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イロガミ様のおまじないの色紙がいっぱい貼り付けてある社。

(ここは…何色の神様がいたんだろ…?あの頃、願い事はあったけれど、探そうにも、もう身体の具合良くなかったしなぁ…。)

健康祈願の為に社巡り、なんて…烏丸先生が聞いたら怒っただろうなぁ…。

『私の腕、信用して…ないのかしら?(ニッコリ)』

・・・怒ると怖いんだよね、烏丸先生って。




「んー…まあ、使えるっちゃ使えるわねぇ…。」

階段を軋ませながら、犀島が先に社に入っていく。

エーコちゃんの足が更に重くなって、進もうという意志も感じられない。

「どうしたのー?いらっしゃいよー。懐かしいわよー?」と社の中から犀島が誘いかける。

”懐かしい”…恐らく、昔ここでエーコちゃんに何かあったんだ、と思った。

古びて…いや、朽ちている社の外観や、いやに嬉しそうな犀島と怯えたようなエーコちゃんの様子で、ちっとも良い予感はしないのだけれど…。


(こんな場所、お姉ちゃん…大丈夫かな?わかるのかな?)


私に、この現状を完全に打破出来る力は無い。

お姉ちゃんが私のところへ来るまで、とにかく時間を稼ぐ事。

時間を稼ぐにしても、社の中へ入るまで牛歩で時間を稼ぐなんて高が知れてるし、何を考えているかわからない犀島を刺激するのも良くは無い気がする。


(だとするならば…)


「…気持ちは分かるけど、進みなさい。」

犀島から西方(にしかた)と呼ばれていた黒いスーツの女の人は、無表情だけどエーコちゃんを気遣うような言動をした。

「……。」

私は、改めて西方という人をよく観察する。黒縁眼鏡の奥にある目は細目で、口はへの字のままの無表情。

前髪を全て後ろに流し、髪の毛を一本にまとめ肩の下までの長さ。

身なりは、かなりきちっとしていたけれど、お姉ちゃんがいつも着ているようなブランド物ではないようだ。


「あの…ここって、イロガミ様の社なんですか?」

私は、試しに西方という女性にそう質問してみた。

「そういう噂があっただけ。黄色を司るイロガミ様がいた、と。只の噂。」

そうぶっきらぼうに言って、西方はチラリとエーコちゃんを見た。

エーコちゃんの呼吸は少しずつ荒くなっていった。何かに怯えるような…いや、何かを思い出して、それに怯えているのだ。


「エーコちゃん…!」

エーコちゃんの横について私が声を掛けたら、すぐに西方が間に入った。

「貴女は、後ろをついてくるだけで良いのです。あくまで…貴女は、餌なんですから。」

(餌って…まあ、そうなんでしょうけどね…。)


『犀島の狙いは、アタシよ。』


お姉ちゃんが言っていた通りだ。

だとするならば…余計、エーコちゃんがいる意味はない筈だ。


「…知っています。だったら、私だけで良いじゃないですか。エーコちゃんは関係ないんでしょ?」

と私が言うと、社から声が聞こえた。


「ふふっ…そう思う?」

社の柱に手をかけた犀島が面白そうにこちらを見ながら、そう言った。

チラッとエーコちゃんを見て、エーコちゃんはその視線にビクリと怯えた様子を見せた。

私は、犀島を睨みつけるように見て、声を張り上げた。

「…なんなんですか?一体、何がしたいんですかッ!?」

考えれば考えるほど、腹立たしくなって仕方が無かった。


「そ~んなに怒らなくても良いじゃない。今から、私が何をしたいのか、見せてあげるって言ってんだから。」

「目的は、お姉ちゃんでしょ!?え、餌はココにいるわ!エーコちゃんは離してッ!!」

時間を稼げって言われたけれど、やっぱりエーコちゃんだけは帰したかった。あんなに怯えてるのに、社の中で何かされたら…と思うと嫌だった。

そんな私の考えを見透かすように犀島は鼻で笑って言った。


「本当に火鳥の飼ってるペットとは思えない程、駆け引きが下手ね…はい、そーですかって言うと思う?」

「ペットじゃないわ!!」

「…確かに、私は貴女のお姉ちゃんに物凄く会いたいわ♪だから、蒼ちゃんを連れてきたんだしね。」


怒る私に対し、ニコニコ笑ったままで余裕の犀島はこう続けた。


「貴女がいれば、火鳥は来る。癪だけど、ねぇ…。西方!早く!始めるわよ!」

ニコニコ笑っていたかと思えば、いきなり西方を呼ぶ口調は厳しいものになった。

西方は言われたとおりに、エーコちゃんの腕を掴んで、強引に社に入っていく。

交渉は、やはり一筋縄ではいかないみたいだ。それどころか、あちらの方が何枚も上だ。


「ま、待って!」


慌てて追いかけるように社の中に入った私がまず目に入ったものは、社の中におびただしい程貼られた色紙と…薄汚れたマット一枚だった。

暗がりでも、床に転がったお酒の缶や、紙屑…SDカードが入ってただろうパッケージの…ゴミ。


この光景を見て、ドクンドクン、と心臓が…警告音のように私の全身に響いてくる。


ギシギシと音を立てながら、犀島は社の奥の蝋燭にライターで火をつけた。

「…さあて…どこまで覚えているかしら?彩は。」

「やめて、…くだ、さい…!」

西方に腕をつかまれながら、エーコちゃんはがっくりと腰から下に崩れ落ちそうになりながら、懇願した。

それを無視して、犀島はもう片方の隅の蝋燭に火を灯した。

「お願い…します…!」

エーコちゃんの涙声での訴えも、犀島も西方も何も反応しない。


「あとは~…あ、良かったぁ…まだあったわ…さて、と。」

そう言って、犀島はありがたそうに埃を被ったパイプ椅子に座り、鞄からタブレットを取り出した。

「西方ぁ、彩ちゃんを”ステージ”に座らせてあげて~?」

ステージと呼ばれたマットは、黒ずんでいて埃もかぶっていた。

そこにうなだれているエーコちゃんを西方は無理矢理座らせて、押さえつけた。

「ちょっと…乱暴な事…しないで…」

…自分でもビックリするほど、声が出ていないのがわかった。

社の中に入っただけ、それだけなのに…私は、もうさっきのように叫べなくなっていた。

それは、完全に犀島たちの領域に、ペースに巻き込まれてしまっていた証拠だ。


(どうしよう…時間を稼がなくちゃいけないのに…!)


ちっとも良い案が浮かんでこない。取引や交渉は無理。

話をして引き伸ばそうにも、目の前の大人二人が、何をしようとしているのかもわからないままで、何を話せば良いのか…


「さぁてと…今から、蒼ちゃんにもわかるように上映会をしましょう。」

「上映、会…?」

犀島はタブレットを膝に乗せて、ボタンを押した。

「ッ!!」

「動かないで。」

上映会、と聞いた途端、エーコちゃんが立ち上がり阻止しようとしたけれど、西方がしっかりと押さえ込み、顔を床に擦り付けた。


「乱暴はやめてッ!」

私がそう言うと、犀島はふふッと笑いながら止める気も更々なさげに言った。

「西方ぁ…元・ジュニアアイドルの顔は丁寧に扱いなさいよ。」

「元・ジュニアアイドル?」


『ではでは、津久井 瑛子(つくい えいこ)教室に入らせていただきまぁす☆おっはようございまーす☆』


普段の、あの喋り方は…まるで、一昔も二昔も前のアイドルのような喋り方は…その、せい…?

それを聞くなり、エーコちゃんは諦めたように黙った。


「あら、やっぱり知らないのね?結構、有名人だったんだけど…まあ、今は情報を規制しているからね。

そこにいる津久井瑛子は、元・ジュニアアイドル。芸名は”堂島彩”

最初の仕事は赤ちゃんのモデル…ほら、可愛いでしょう?」

タブレットに映し出されたのは、赤ちゃんがオムツをしてお母さんに抱っこされて笑っているCMだった。

「これ…エーコちゃん…?」

次々とCMや写真が映る…赤ちゃんから始まり、やがて幼稚園くらいの女の子になり、エーコちゃんの面影が見えてきた。

今は美人って感じだけど、この頃は物凄く…無邪気に笑っている…感じがした。

そして、今度は小学生…くらいだろうか…。


『♪素敵な~~私だけの~~おじ様~♪』


映像はかなり古い。衣装ではなく、動きやすいジャージで、歌って踊っているエーコちゃんがいた。

歌は…どこかで聞き覚えはあるんだけど、思い出せない…。どうやら、ミュージカルの舞台稽古みたいだけど…。


「知ってる?”あしながおじさん”…彼女、そのオーディションに受かったのよ。」

「あの有名な”あしながおじさん”のミュージカル?凄い…!」

こんな時に、素直な感想が出た。

有名なミュージカルの舞台だ。私でも知ってるもの。

無名な子役でも、このミュージカルの主役になれば、芸能人の仲間入りは確実って言われてる位…それだけ競争率も高いのに…!

知らなかった…エーコちゃん、凄い人だったんだ…!


「…でも、彼女は、この舞台には立てなかった。」

「え?」

「降板したのよね?彩。その理由は…」


その続きを遮るように、エーコちゃんが叫んだ。

「やめて…ッ!!お願いだからっ!蒼ちゃんにその先は見せないでぇッ!!」

西方が押さえ込んでいるのに、身体を何度も起こそうとして、必死に止めている。


『それから……これから、アンタは…津久井瑛子の見られたくないモノを見る事になる。』


お姉ちゃんは、確かにそう言っていた。

恐らく…次に流れるのが、その見られたくないモノなのだろう…。

そんなに嫌なら、私は見るべきじゃない。


「エーコちゃん…!わかった!私、見ないよ!止めてッ!もういいわッ!!」


私がそう言うと、犀島はぴっとボタンを押した。

タブレットに映されているのは、笑顔でポーズをとっているエーコちゃんの静止画。

私ホッと一安心したのも束の間だった。


「ねえ、本当に可愛いでしょう?当時の業界人から”天使”って呼ばれていたのよ。」

エーコちゃんは顔を横に振り続けていた。

「この容姿と身のこなし…何より抜群の歌唱力で…ジュニアアイドルのままではもったいない、と思われていた逸材よ。

…きっとご両親も、貴女の”才能”を見抜いていたからこそ…色々な方に”託した”んでしょうね?」


犀島が何を話そうとしているのか、話がまだ見えない…。けれど、これ以上、聞いてしまったら…!

「やめて…やめてぇッ!!」

私が聞き続けるだけで間違いなく、エーコちゃんを傷つける。こんなに、エーコちゃんが嫌がっているんだもの…!

「もう、やめて下さい。犀島さん。もうすぐ、お姉ちゃんが来るから…!」

私がそう言っても、犀島はエーコちゃんから目を逸らさずに話しかけ続ける。


「ねえ、彩…本当の事を聞かせてくれない?」


犀島が指でタブレットを”とん”とタッチした瞬間、タブレットの中の世界は…変わった。


「…貴女は、大人達に求められて、嫌じゃなかったでしょ?」


犀島の言葉なんて頭に入らない。


私は、息を飲んだ。


水着を着た小さな女の子が水鉄砲で遊んでいる。

幼い女の子に…面積のあまりにも小さい水着が着せられていて…エーコちゃんは笑顔なのに…この違和感はなんだろう…。

観ている私から見たら、違和感は計り知れない。


(これじゃ…まるで…。)


「ジュニアアイドルとして活動して、売れていく内に、平凡な家庭の金銭感覚が狂うのはよくある話だわ。

貴女のご両親も、その例外ではなかった。不釣合いな洋服と高級車で現場入りしてきた時、悪いけど、私笑っちゃったわ。貴女は普通にランドセル背負ってくるし。」


画面の中のエーコちゃんは、アイスクリームを食べたり、水をかけられたり…。

でも、映っているのは…エーコちゃんの胸やお尻ばかりで…更に水に濡れた水着は、エーコちゃんの肌の色をうっすらと浮かび上がらせた。

…なんだか気分が、だんだん悪くなってきた。


「可愛かったわねぇ…。ロリコンって、正直理解に苦しむって思ってた時期もあったけど、貴女は幼い顔で大人達の心の一部を理解していた。

大人への媚びの売り方、どうすれば大人の望む、無邪気で素直な子供らしく振舞えるのか、知っていたのよね?

そういう、背伸びをするのに必死な子供が…こうやって大人の玩具にされて、どんどん染まっていくのを観るのも悪くないかなって思うのよねぇ」


色んな衣装を着たエーコちゃんが次々と映し出される。

どれも笑顔だけど…ローアングルだったり、パンツが見えていたり…大人の欲望の対象としか映っていなかった…。


「大手の事務所に所属し続けていれば、この手の仕事を引き受けたりはしない。

彩の両親は、事務所にギャラを獲られるのを嫌がって、自分達で事務所を設立…それから、貴女への仕事は全て両親のご注文になった。

貴女は両親に言われるがまま、素直に…お前の仕事だ、と言われたら、何でも応えた。天使のように大人達の要望に笑顔で応え続けた…。」


…これ以上、見てはいけない、と全身が警告する。


「・・・それが、どんなに”汚いお仕事”でも。」


犀島の指がタブレットに当たった瞬間…私は、口を手で押さえた。

赤いベッドの上に堂島彩がいた。…裸だった。

私は、ほぼ全てを悟った。彼女がどうして、彩と呼ばれる事を嫌がったのか…。

「ぅ…ぇ…え……ぇ…!」

エーコちゃんの”やめて”という声は、小さい泣き声に変わっていた。


「で、これが最後の作品になる訳だけど…これは、今も結構売れてるのよねぇ…。」

嫌な予感がする。

「やめて…!もういい!もう、やめてあげてよッ!!」

飛びかかろうとした私の腕を西方が掴む。

「離してよッ!私は…ッ!こんなの見たくないッ!!!」

「”こんなの”?見てもいないのに、こんなの呼ばわりは無いんじゃない?一生懸命…彩はカメラの前で”頑張ってくれた”んだから…ねえ?」


歯を出して、犀島はタブレットに顎を乗せて笑っていた。


「…っ…!!」


目に入った映像に、私は声が出せなかった。

すぐに映像から幼い女の子の悲鳴が聞こえ、画面の外のエーコちゃんはうなだれて、動かなくなった。

見覚えのある…色紙が多数貼られた木の柱…蝋燭の光…白いマットの上の…女の子…。

(コレ…ここで…撮影、されたの…?)

だから、犀島は…ココにエーコちゃんを連れてきたの…?コレを見せて思い出させる為に?

映像は…間違いなく、この社で撮影されたものだった。


複数の大人に囲まれ、触られ、エーコちゃんは…画面の中でも泣いていた。

衣服は切り刻まれたらしく、お腹に少し赤い線が入っていて、それを舐められる度に、エーコちゃんは首を振って泣いた。

誰かが、髪の毛を引っ張り口を開けさせた。私は目を逸らした。

聞きたくない音が、声が…耳に侵入してくる…!片手で耳を塞いでも、もう片方から、聞こえてしまう。


(酷い…こんなの…酷すぎる…!!)


「ちゃんと観てあげてよ。コレは…正真正銘、彩の人生、一度きり…”初めて”彩が染まった記念日の映像よ?

人気ジュニアアイドルのレイプビデオ(無修正)…とか言われたけれど、レイプなんて人聞きが悪いわよねぇ…。

ちゃんと、ご両親(持ち主)の許可は得たんだもの。」


押さえつけている大人達の楽しむ声。エーコちゃんの声は、さっきまであしながおじさんの歌を歌っていた綺麗なモノだったのに、涙声で掠れている。


「あ…ほらほら!もうすぐ、私が貫通させるシーンよ!あははははっ!痛がってる痛がってるッ!この後も良かったのねぇ…音量もっと上げようか?」


私は、また画面を見た。本当に、目の前の犀島がコレに関わっているのか、確認したくて。

『じゃあ、彩ちゃん、大人になっちゃいまーす☆』

『『『いえーい!』』』

仮面を付けてはいるけれど、確かに犀島だった。ニヤついた口元は、隠れてなんていなかったから。

女の子の悲鳴は、すぐに流れた。

「っ…くッ…!!」

私は、怒りと悲しみで、全身の鳥肌が立ち、どうにかなりそうだった。

西方に片腕を掴まれているだけで、何も出来ないなんて…非力だ…!!

それでも止めたい。今すぐにでも、この映像だけでも止めたい。


「やめ…てえッッ!!」


私は咄嗟に片方の靴を足先から飛ばして、タブレットに当てた。

バランスを崩した犀島の膝からタブレットが落ち、鈍い音がして、音声もざらついたモノに変わった。


「あらら…値段の割には、耐久性がないわね、コレ…。」

「最ッ低ッ!!」


私は、肩で息をしながら、叫んだ。


「蒼ちゃん…現実はねぇ、いつだってこんなモンよ。最低で不幸な土台で構成された上に、幸福があるの…ただし、他人のね。

まあ、彩の場合は…無知で愚かな両親とその子供が招いた事よ。」

悪びれもしないで、犀島は足を組んでそう言ったので、私はすぐに反論した。


「ふざけないでッ!貴女が…仕組んだんでしょ!?こんな映像まで…ッ!よくもッ!」


「…そうでもしないと、彩の両親が作った借金は返済できなかったからねぇ。

勝手に事務所設立した挙句、マネジメントもスケジュールもド素人。ギャラの交渉だけ熱心で、干されるのは時間の問題だった。

…今だって、彩の家族は、コレで喰えてんのよ?たかがジュニアアイドルが犯されてるだけの映像で、あんな巨額が動いて…家庭は救われたんだから、いいでしょう?

それに、彩…紛れも無く、貴女は嬉しかったのよね?」



(嬉しかった…ですって…?)



「貴女は、家族の為に役に立ったじゃない。子供の貴女が頑張って”育てていた両親”は立派な外道に成長して、下衆に貴女を売った。

それでも貴女は健気に大人達の無茶な要求に応えた…”天使のような良い子”だったわ…偉かったわね?」


そう言って、犀島は聖女のように穏やかに微笑んだ。

まるで、自分は関わっていないかのように…!


しかし1秒後、悪魔のようにニタリと笑って、こう言った。


「ただし…良い子が救われるとは限らないけれどねぇ!あッはっはっはっは!!」


そう言って、犀島は笑った。笑い続けた。

悲鳴と大人達のはしゃぐ声と、犀島の笑い声。



「…殺して……もう、いっそ…殺してください…!」


エーコちゃんはそう小さく呟くと、唇を噛み締めたまま、涙を静かに流した。

「エーコ、ちゃ…」

名前を呼んだけど、言葉をどう繋げようか解らなかった。

あぁ…どうしよう…今、願い事のオーダーが来たら…私は、願ってしまうかもしれない…。


私…こんなにも腹が立ったのは、生まれて初めてだ…!


「あら、良い目ねぇ、蒼ちゃん。」

犀島が私の視線に気が付き足を組み直しながら、そう言った。


「どうせなら、最後まであの映像を見せたかったわぁ。あの後、失神するまで…」

「私、アンタを許さない!」


犀島の台詞を遮って、私はそう言った。


「何も知らない子供に、なんて…酷い事をッ!!」


何が具体的に出来るのかも考えてはいなかったけれど、とにかく西方が腕を掴んでいなければ、私は飛び掛って殴っていただろう。

それでも犀島はニヤニヤとした笑いを止める事無く、口を開いた。


「だから、言ったでしょう?…”無知は罪”なの。

彩は、周囲の大人を信用しすぎた…その罪の”罰”を受けて学んだのよ。

知らない事があっても、わからない事があっても、気付かない事があっても…仕方が無いと、許される訳ではないの。

知らない事は罪…その罰を受け、身を持って人は学び、そして本当の意味で知る事が出来るの。

ああ、それでも、なお…ジュニアアイドル時代のキャラを作って周囲に媚を売り続けてるんだから、笑っちゃうわよねぇ!」


 『そうよ…私は、信じる人を間違えたのよ…!だから、もう誰も…信じない…!』


車内でエーコちゃんがそう言ったのは、きっと大人達のせいだ…。


「…知らないからって、何をしてもいい道理なんか無いわッ!何が罰よ…ッ!

エーコちゃんが周囲の大人に傷つけられただけじゃない!!罰は…悪い事をした、あんたらが受けるべきよッ!

なんで…こんな…酷い事が出来るの…ッ!?」



「罪を問われた時、その傷口に同じ場所にぴったりと同じだけの痛みの罰によって、それは初めて許される。

でも…罪の傷口に、罰の傷はパズルのように、なかなか符合しないのよ。

罪の傷口の周りに罰の傷が、いくつもいくつもいくつもついて…傷だらけになって…」


犀島の表情の其れは、もう私には理解の範疇を超えていた。


「どんどんどんどんどんどんどんどんどん痛みがわからなくなる…!

罪と罰、罪と罰、罪と罰、罪と罰、罪と罰…傷が、痛みが、増えて増えて増えて…やがて、それらが人を染めるの…!

その痛みに耐え切れなくなった時…人はどんなに綺麗な色に染まっているのか…知りたくなぁい?」


自分の罪は、何とも思っていない。罪の意識が無いから、こんな風に語れるのだろう。

犀島は、自分だけの世界に浸り、誰も見ていない。


奥歯を噛み締めすぎて、顎が痛い。

怒りを落ち着けて、なんとか言葉にして、ソレを出す。



「汚い色…。」



私の一言で、犀島の表情が強張ったのを感じた。




「…なんですって?」



怯む事無く、私は思った事を言った。

時間稼ぎをしなければいけないのに、私は火に油を注ごうとしている。




「貴女の言う綺麗な色は、汚いわ!どうしようもなく、汚ッい色よ!!

貴女は、エーコちゃんの事を笑ったけれど、エーコちゃんの色は失われてなんかないし、貴女に染まってなんかもない!!

アンタの色なんか…只の”汚れ”に過ぎないんだから!!何物にも染まってない以前に、色もついてない!只の汚れよッ!!」


油どころか、きっと私は犀島の火山口にダイナマイトでもぶち込んでしまったんだろう。


犀島はパイプ椅子をガタンと倒す勢いで立ち上がると、私の胸倉を掴んだ。


「西方、気が変わったわ…この子を染める。」

「はい。」


西方は、私の腕を離した。


「…なるほど…似てるわね。きっと、火鳥にとっての貴女って、染まる前の自分を見ているようで癒されるんじゃない?」

「染まる、前…?」


自分だけの秘密をチラリと見せるように、愉しみを抑えきれないウットリとした表情で、犀島は言った。


「私がね、初めて、火鳥を染めたの。」


私は、間髪いれずに否定した。


「お姉ちゃんは染まってないわ!例え、誰が何をしたとしても…お姉ちゃんだけは、染まらないッ!!

私は、私の意思でココにいるの…!お姉ちゃんは関係ないッ!貴女なんかに、屈したりしないわッ!!」


絶対、嘘だ。こんなヤツになんか、お姉ちゃんが負ける訳は無い。何もされる筈が無い。

こんな人に屈する訳が無い。だから、私もこんな人に屈してはいけない!!



「…そう…そういう目で、いつも私を見ていたのよ…火鳥は…」


低い声で、呟くように犀島がそう言った瞬間…ぐっと、首に急激な圧迫が加えられた。


「が…っ!?」


犀島に首を絞められている、と解ったのは、絞められて1秒ほど遅れてからだ。


「犀島さん!」

「失神させるだけよッ!殺したら…意味が無いわ…ッ!」

「ダメです!高見蒼は心臓が…!」


西方が止めるけれど…犀島は…手を緩める事はなかった…。


「…あ…ぁ…!」


…意識が…遠のく…。




(…お姉ちゃん…ごめん…)










 『―――願うかい?』




ソイツは、いつも私がピンチの時になると願い事のオーダーを取りにやって来る。

私にしか見えないし、話も出来ない。

首を絞められている真っ最中だけど、この不思議な時間では、そういう事は一切無視される。よって、呼吸もしやすい。

ソイツ曰く、願い事をする人物のピンチの時、そのまま死なれては困るし、ピンチの時の方がオーダーが捗るからだそうで…。



あ、でも…今なら、タイミング的に良いかも。


『あ、そう?いや、初めて褒められた気がするなぁ。流石に、今度ばっかりは願わないとさぁ…死ぬぜ~。』


軽いなぁ…人が死に掛けてるのに。


『まあ、私は化け物だからな。基本的に、色さえ貰えたらそれで良いんだ。どうする?』


あ、じゃあ…質問なんだけど。願い事じゃなくて。


『…いいよ。』


他人の過去を無かった事に出来る?忘れてしまいたい過去…とか。


『ああ…お前の友達のね…。勿論、出来る。私は、化け物だからな。』


そっか…じゃあ…。


『ただし、完全には無理だ。一つだけ、残る事になる。』


え?今、出来るって言ったじゃない…!残るって、どこに記録するつもり!?


『オマエだよ。』


ん?私?


『そう。いくら、この世界から過去を無かった事にしても、願い主のお前の頭の中の記憶まで消したら、”そんな事願いましたっけ?”なんて言われかねない。

お前が願った事すら忘れてしまえば、私が貰う色がくすんでしまうだろう。』


・・・面倒臭いのね。


『大体なぁ…他人の為に願い事なんてナンセンスだ。』


そんな事ないわよ!大事な事だもん!


『いや、実にナンセンスだ。あと5秒も絞め続けられたら、お前さんマジで死ぬぞ。もらえる筈の私の色はどうなる?』


…二つ願えば良いんじゃない?


『いいのか?私は構わんが。』


…なんっか、引っ掛かるモノの言い方ね…。


『いや、何…お前さんらしくないな、と思ってな。貰う色に影響しやしないかと思っていたんだが、まあ、最初の色だから別にいいかなぁ~。』


…何よ、私らしい願い事って…。


『今、津久井瑛子の過去を消すという願い事をお前さんは考えている訳だが…。そうなると、だ。

この間の、篠原先輩の時…どうして、お前さんは”桜井先輩を生き返らせて”と願わなかったんだ?』


…そ…れは…。


『それは、お前さんが思う、自然の摂理に逆らう事だから、じゃないのか?

もっと言えば…お前さんの心の底から叶えたい願いじゃあないからだ。元々、知り合いでもなんでもないしな。』


うぅ…そうだよ…薄情だけど、そうだよ…。

知らない人を生き返らせて、全てが丸く収まるならって思うけど…。


『はっ…ソイツは嘘だね。嘘って言うか、その願い事をして、全てが丸く収まるかどうかも、お前さんは知らないし、その保証が無い事も知っている。だから、願う事は無いね。』


…ねえ、貴女、色が欲しいんでしょ!?私、願い事言うのやめちゃうよ!?


『ああ、構わんさ。今日のお前さんから貰える色は、お前さんの人生の中の色じゃないみたいだし。魅力がちっとも感じられない。願わなくても構わん。』


な…何が、悪いのよ…!

友達が…あんな大人達に、あんな事されて傷ついているのに…今、私がそれを知ってしまって…ますますエーコちゃんは傷ついて…苦しんでるのよ!?

それを…ッ取り除いてあげたいって思う事の何がいけないの!?


『別に悪い事なんて言ってないだろう?お前さんがそう思うなら、そうなんだろうよ。

人間の罪もソレに対する罰も作ったのは、人間だ。悪いと決めたなら悪い、悪くないと決めたなら悪くない。

大体は、人の心が決めた…あやふやなモノ、境界線があるだけだ。

だから、お前が悪くない、いいから願いを叶えろと言い張れば良いだけの話だろう。』 


だ、だって!そっちが難癖つけるから…!


『…”迷いが生じた”?』


……あ…。


『…そう。お前さんは”迷っている”んだ。津久井瑛子に起きた事は、取り返しのつかない悲劇だ。

人間の都合や考えなんか知ったこっちゃないが、確かに津久井瑛子の周囲にいた人間は、自分の幸福追求の為に、他人の痛みを心の痛みとも感じず、むしろ快楽に変える人間みたいだからな。

不幸なんだろうよ。』


”不幸”…そんな…一言で…片付けていいのかな…。


『無知であるから罪だの、それに対する罰だの…要は、犀島という女が、津久井瑛子を虐げられる理由を付けたに過ぎん。

たまたま、獲物として認識されてしまったのだ。”不幸”だろう?

それとも津久井瑛子が、ああなってしまった別の理由を探したいのか?探した所で、どうなる?

つまり、そうなってしまった理由の追求なんざ、役に立たんという事だ。』


……うーん…。


『他人の痛みの記憶を見ても、お前さんの痛みと津久井瑛子の痛みは、同等ではない。

そもそも、津久井瑛子の不幸な過去を消したい、という願いは、お前さんの願いではなく、津久井瑛子が願うべき願いなんだ。』


…そう、だけど…。

私だけ、貴女から願い事を叶えられるチャンスがあるのに…エーコちゃんには、ないじゃん…。


『…え?何?お前さん、毎回のこのやり取りをチャンスタイムだと思ってるわけ?ぎゃはははははッ!!』


わ、笑うことないでしょ!ていうか、笑うところ!?

だって、願いが叶うのに…!普通は…!わ、笑わないでよ!!


『いやいや、失礼失礼…逆に希望が持てたよ。当初は、化け物に願い事なんか叶えて欲しくないって啖呵を切られたからさぁ。

こりゃあ、確かに…私にとっても、チャンスタイムになる訳だな?んふふふ…』


…言うんじゃなかった…。


『いやー悪かった悪かった。今後、より良いお前さんの色を貰えそうな希望を繋げたから…嬉しくてなぁ…つい。

よし、今日だけ、サービスしてやるよ。』


・・・え?


『まあ、アレだ…お前の大好きなお姉ちゃん風に言うなら…”勘違いしないでよね”ってヤツさ。』


ツンデレ?

ツンデレなの?どうなの?それ…





「…あ…ッ?」


現実に戻された途端に、息が詰まる。喉の圧迫感と苦しさが戻ってくる。

(サービスって何よ…?ていうか、死ぬ…っ!)


視界が、じわじわとぼやけていく。

私の顔にぺたっと、紙が張り付いた。


「…が…ぁ…?」


社の壁や柱に貼られていた色紙だった。

ぼやけた視界でも、解る。社の中を舞う色紙が…その数が、増えて…いく…。


「犀島さん…!」

西方の大きな声。

「…何…コレ…?」

続いて、犀島の手の力が緩み、私は床にへたり込んだ。


「かはッ!?げほっげほッ…はッ…はッ…すー…はぁ…すー…」

苦しいけれど、まず呼吸を整えなくちゃ…今、また倒れたら…エーコちゃんの事、助けられない…!!

「蒼ちゃん…こっち!」

エーコちゃんが駆け寄って、私を社の壁際まで引き摺って、背中に手を擦ってくれた。


「何よ…これ…何!?こんなの、今まで無かっ……きゃああああ!?」

犀島の悲鳴に、私は顔を上げた。


そこには、社の中を無数の色紙が飛び回り、目の前の大人二人に張りついていく、不気味な光景があった。

主に、犀島の身体に張り付いていく色紙は、まるで障子の紙のようにぴったりと張り付いていく。


「やだ、取れない…っ!何よッ!コレッ…!西方ッ!!」

犀島は、ややパニックを起こしている。

西方も、だ。こんな状況ならば、誰だって…驚くに決まっている。


「剥いでも剥いでもキリが無い……コレ、まさか…”イロガミ様”…?」

「馬鹿なの!?イロガミ様なんて、そんな筈…絵空事よッ!とにかく、とりなさいッ!西方ぁッ!!」


信じられない。まさか…これが、あの化け物の”サービス”なの…?


奇跡、と呼ぶにはあまりも不気味で…でも、それに救われているのは無力な私達だった。

あの化け物は…本当に、何でも願いを叶えてくれるんだと、初めて私は実感し…怖くなった。

あの願い事のオーダータイムを、チャンスと思うのは、やめようと思った。



「これ…本当に…イロガミ様…?」

そう、エーコちゃんは呟いた。

「かもね…」と私は短く答えた。


大人二人は、完全に色紙に振り回されている。

色紙がどんどん二人の身体に覆いつくそうとしている。

逃げるなら、今だ…。


「はあ…はあ…エーコちゃん…大丈、夫?」


私がそう聞くと、エーコちゃんは言った。


「こっちの、台詞だって…!身体弱いくせに…無理、して…ッ!馬鹿だよ、アンタ…!」

「だって…友達でしょ…?」


「そんな理由で…無茶しても、私にそんな価値、もう無いわよ…!」

「価値があるから、友達になったんじゃないし…むしろ、逆だし…。」


「…は?」

「私の友達だから…貴女を助ける価値は、あるのよ…!エーコちゃん、出よう?」

「…ホント…信じらんない…!」


そう言いながら、エーコちゃんは私に肩を貸してくれた。


(もしも、イロガミ様なら…)


私は、少しだけ手を伸ばした。

引き寄せられるように、黄色い色紙が私の掌にくっついた。

確か…黄色は”今ある状況から助けて欲しい願い事”だよね…。


『そもそも、津久井瑛子の不幸な過去を消したい、という願いは、お前さんの願いではなく、津久井瑛子が願うべき願いなんだ。』


化け物は、そう言った。

私が、願う事ではない。


「ねえ、エーコちゃん…お願い、してみる?」と私は色紙を差し出してみた。


私の目を見て、一瞬、エーコちゃんは色紙をみた。

しかしまた、すぐに私の目を見ていった。


「お願いなら今、あんたに言うわ…早く出るわよ!」

「う、うん!」


社をゆっくり移動しても、犀島達は追ってこなかった。


振り向く事無く、私達は真っ直ぐ歩いた。

不気味な森だけど、私達はひたすら無言で歩いた。


すると、砂利の音と共に、お姉ちゃんの赤い車が目の前で停まり、お姉ちゃんが運転席から降りてきた。


「蒼!」


赤い色だ。

強くて…優しくて…私の、大好きな…


「お姉ちゃん…来てくれ…た…」

「蒼ちゃん!」


情けない事に。

私は、お姉ちゃんの姿を見ただけで、安心感で気を失ってしまった。









「…は…。」


気がついた時には、いつものベッドの上。

「気が付いたのね、蒼ちゃん。」

烏丸先生が、そう言って私の脈を計る。


「全く…無事退院したと思ったら、随分とやんちゃしてくれるじゃない…?」

「ごめんなさい…。」


そう言うと、烏丸先生はいいのよ、と言ってニッコリと笑った。


「あ、そういえば…エーコちゃんは…?」

「ああ…リビングにいたのは、蒼ちゃんのお友達?」

「まだ、いますよね!」

「あ、まだ起きちゃダメ…ああ…仕方が無いわね…。」


烏丸先生を押しのけるように私は立ち上がって、リビングに向かった。





「……それで、私が知っている事は全部です…。」

(あ、エーコちゃんの声…!)



「解ったわ。」

「蒼ちゃんには…本当に申し訳ない事をしました…。」


リビングのドアを開けようとしたが、そこで私の手はピタリと止まってしまった。


「あの時のマスターデータを渡すから、蒼ちゃんを連れ出すのに犀島に協力しろって…

でもそんなのは口実だと解ってて…自分にも酷い事されるってわかってて…蒼ちゃんにも酷い事されるって…わかってたのに…!」


エーコちゃんの告白に、私は固まってしまった。

犀島が、そこまで手を回していたなんて、というショックと、犀島に協力していたという事。


「…自分と同じ境遇の者を増やしたからって、貴女の傷が癒える訳ではないのは、わかってるのよね?」

そう言ったのは君江さんだ。


「はい…。」

「まあ、別にアンタを責めたってどうなる訳でもないわ。」

お姉ちゃんはいつも通りの口調だ。


「元はと言えば…私が…子供で、無知だったから…いけないんです。」

「それは、仕方が無いわよ、大人達が…」


君江さんの台詞に割って入るように、お姉ちゃんはいつも通りの口調で言った。


「無知だから罪?それへの罰?…フン…犀島が、アンタをどうこうする為に付けたくだらない理由よ。そんなモンを考える必要も無いわ。」

(あ…なんだか…あの化け物と同じような事を…。)


「お嬢様…もう少し、お言葉を…!」


君江さんの制止を聞かずに、お姉ちゃんは言葉を続けた。


「アンタが、今、そうなってしまっている理由を探した所で、どうなるっていうの?

ジュニアアイドルやってなかったら?あんな両親の元に生まれなかったら?

もしもの話や理由の追求なんて、アンタの歩むべき道に、役に立つとは思えないけど。」


「…そう、ですね…」

エーコちゃんは、そう呟くように答えた。


「今でも…夢を見るんです…。自分が立てる筈だったミュージカルの舞台のお稽古の夢…。

でも、気が付いたら…私…いつも、大人達に玩具にされてて…みんな、笑って助けてくれないんです…!

”そういう舞台だから”って感じで…もう、悔しくて、悲しくて…彩なんて名前を捨てても、彩だった過去は、まだついてくるんです…ッ!!」



『う~~~れ~~し~~い~~~!!やっと本名で呼んでくれたのね~!!!』


本当の名前を呼ばれる事で、貴女は…きっと、幸福だったのだろう。

あんなに、喜んでいたもの。

それは、自分が大事にしていた家族が、つけてくれた名前だから…?


『…マジで、ありがと…。』


それとも…彩の名前を消したかったから?

彩の名前の上を…瑛子で塗り潰したかったの?


ああ、でも…エーコちゃんと呼んでいる私は、知ってしまった。堂島彩であった過去をもつ、エーコちゃんの事を。


私は…改めて、知ってはいけない事を知ったのだ、と思い知った。

友達だからこそ、知られたくなかっただろうな、と思うと、泣かずにはいられなかった。



「一つ、聞かせて。アナタの将来の為だと言って、大人にアナタを売った両親の事、アナタを利用した人間を許している?」

「はい。」


許せる、の?と意外に思っていた矢先。


「と言いたい所ですけど・・・”許す筈ありません”よ。あんな人達。」


それは、あっさりと覆った。

沢山の傷を負ったエーコちゃんは…私が色紙を差し出した、あの時”イロガミ様に願い事をすれば叶う”とちゃんと言えば、願いを言ってくれたのだろうか?



『そもそも、津久井瑛子の不幸な過去を消したい、という願いは、お前さんの願いではなく、津久井瑛子が願うべき願いなんだ。』



もしかしたら、あの化け物は…サービスで叶えてくれたかもしれないのに…


・・・いや、何を考えているの、私は・・・。

あの化け物が、エーコちゃんの色を手に入れてしまうかもしれなかったじゃないの。

無し無し。今の無し。


「今は、津久井瑛子として生きていますけど、堂島彩の時に負ったこの痛みは、ずっと忘れる事はありませんから。

忘れてしまいたい事もありますけど…そんな事、出来る筈もありませんし。

もう私には、私しか…いないですから。向き合っていくしかないんです。」


ああ…そっか…エーコちゃんの痛みは…私なんかが背負ってはいけないんだ。

願うとか、消すとか…エーコちゃんは、そもそも、そういう選択を頭の中に備えていない。

…彼女は、今ある自分の中の最善だと思う方法で生きているのだ。


(…エーコちゃん…ホントに…凄いなぁ…。)


無力な私は…願って、しまうのだろうか。

万能の化け物にあっさりと願いを言って、何も無かったことに…なんてしてしまうんじゃないか、と。




「いいわ…嫌いじゃないわ、そういうの。」


お姉ちゃんが、そう言った。

上機嫌の時、興味を示した時の声のトーンだ。


「明日、改めて、ココに連絡を頂戴。話があるの。」

「え?話?あたしと?」


「お嬢様!!」


話がある、とお姉ちゃんが言っただけなのに、君江さんが突然怒り出した。

らしくもない、君江さんだ。


「犀島から売られた喧嘩のついでよ。」とお姉ちゃんは、短く答えた。


「あ、そういえば。犀島のヤツ…紙塗れで発見されたらしいじゃない?窒息寸前だった所を蝋燭の炎でなんとかしたとか。」


(え?そうなの?)


「社も焼けてしまったらしいですわね。一応、揉み消していましたから…こちらにも情報が入ってきましたわ。なんでも…顔に火傷を負ったらしいですわよ。」

君江さんは、サラリとどこかの国のニュースを読むように、言った。


「フン、ざまあないわね。でも、焼死しないあたりがアイツらしいわ。」

お姉ちゃんもお姉ちゃんで、さらりと焼死なんて言葉を使うし…。


「イロガミ様、かも…。」


エーコちゃんが、呟くようにそう言った。


「”イロガミ様”?色紙が犀島達にくっついたって…あのくだりの現象?」とお姉ちゃんが聞き返す。


(ああ、そっか…私と一緒にいる化け物の”サービス”ですなんて、いえない、よね…。)


今にして思うけど…サービスって、もっと…何か、他になかったのかな…。


「なんか、あの時…起こった事って、あまりにも現実離れし過ぎてて…”イロガミ様じゃないか”って…言われたら、そうかもなって…感じで。」

「イロガミ…ああ、あの”おまじない”のねぇ……アナタ、願い事は、あるのかしら?」


意外だった。お姉ちゃんがそんな事を聞くなんて。


「あっはは…蒼ちゃんにも同じような事言われました。あの時も…黄色い色紙を差し出して…。

そんな場合じゃないっていうのに…私に願い事を叶えろって言わんばかりに…無茶苦茶ですよ、あの子…。

大体…”友達だから”って、だけで…あんな無茶します?”友達だから”なんて…ホント、久々に効く台詞…。」


エーコちゃんの声が、どんどん涙声になっていくのが、わかる。


『…これはね、あくまで私の考え方よ?私は美雪を理解しきれはしなかったけれど、私は、私の事や私の考え方を理解しない人を出来る限り、許していこうと思うの。』

『許す?』


篠原先輩との話を、ふと思い出した。


『知らなくても、知らなかったんだから許す。理解されなくても、理解できなかったんだから許す。』

『は、はあ…』


それは、”無知は罪だ”と笑いながら罰を与える犀島とは違う。



でも、私は…エーコちゃんにあんな酷い事をした人達を”許そう”なんて思えない。

エーコちゃんの過去を知ってしまって、結局何も出来なかった私自身も許そうだなんて…思えなくて…。



「まあ…強いて今、願い事を言うなら?…蒼ちゃんには…今日、見た事、聞いた事、忘れて…もう一回…ちゃんと友達、やり直したいなって…。」


涙声のエーコちゃんの言葉に、私は…

(エーコちゃん…!)

私は、声を押し殺して泣いた。



「やり直す必要ないわ。…あの子、物忘れ酷いのよ。」


(酷い…お姉ちゃん…。)


でも、それでいこう・・・。

それで構わないから・・・私、友達でいたい・・・。



「それに…アナタが見たままの人間だから。蒼は。信用するかしないかは、任せるわ。君江さん、送ってあげて。」

「承知いたしました。」




私は、結局…リビングに入らなかった。

泣きながら廊下を戻ってくる私を見て、烏丸先生は頭を撫でてベッドまで連れて行ってくれた。


私一人の想いだけで、人の心を軽くして救おうなんて思い上がりだった。

人の願い事は…その人だけのモノだから。



”ピロン。”



「エーコ、ちゃん?」

ラインのメッセージが来た!



『身体、大丈夫?明日、来れそう?』


たった、それだけなのに。

確認だけかもしれないのに。

私は心の底から、安堵した。



「…うん。行くよ…絶対、行く。」



”ピロン。”

『じゃ、玄関で待ってます。貴女の友達エーコより☆』





 そういえば…人同士の繋がりは強くて、脆い、とかなんとか言ってた奴がいたっけ。

 何が縁となって、繋がるかわからない。

 それが、自分の吉となるか凶となるか…。


 いずれにせよ、少女達の縁は不思議な色の糸で繋がりを増した訳だが…


 元・少女のコイツらときたら…。




「確かに無知は罪よ。知らなかった、わからなかったで済まされない。失われたモノは戻らない。時間も、命もね。

・・・だから、アタシは許さない。絶対に許さない。

無知である事に対してじゃないわ。

過去の無知を悔いていたとしても、アタシが許さないのは、アタシの理解を阻むモノ、アタシの邪魔をする者よ。

・・・犀島、アンタの事よ。」


『許さないって…やっぱり、覚えててくれたのね…?』


「いいえ。いつだって、アタシは前進しているの。アンタの事なんて、すぐに忘れるわ。」


『ふっ…それは嘘よ…だって…染めたのは、私…。』


「すぐに抹消したわ。アタシのアンタに対する記憶の処理なんて、それだけの工程しか必要ないもの。」


『じゃあ…また、深く…傷つけるしかないのね…?』


「やれるもんなら、やってみたら?火傷だけじゃ済まないかもよ?」


『・・・言ったわね?』




「犀島。次、蒼に何かしたら…殺すわよ。」



  ああ、なんと面倒臭いことか…。










-END -


あとがき

お久しぶりです。すぐにUPできませんで、申し訳ありませんでした。

まだ、全然願い事言ってないじゃないか!とそろそろツッコミがくるかと思うのですが、何故でしょう?叶った所で、嫌な予感しかしませんよね?


さて、私、風邪を引いて、こじらせて、気管支までやられてしまっておりました。

風邪、こええ・・・。

何があっても変わらず、そばにい続けてくれる人がいれば、良いですよね。

友達の場合でも…風邪の時でも。

自宅療養中、友達が「ダイヤさんの好物プリンだから!」って大量のプリンを押し付けて帰っていってくれたので、私こんなに元気になりましたよ!