誰もいない剣道場に、竹刀のぶつかる音と足音が二つ響く。


「…あららーもう、へばっちゃったの?オサ。

 ギブアップには、ちょっと早いんじゃないのー?」


竹刀をプラプラと振って、余裕十分、さも楽しそうに笑っているのは、喜屋武汀。

防具を付けていても、その”笑み”はこちらにも伝わる。


「…うるさいわねっ!今…呼吸整えてから…!」


肩で息をしながら、反論するのは、私、小山内梢子。

汀の余裕綽々の態度とは、対照的な私。


(・・・汀のヤツ・・・また、強くなっている・・・!)


…剣を交えて解る事。

汀はやはり、強い。彼女に勝った事が嘘のようだ…。


(やっと…やっと…追いついたと思ったのに…!)


汀の背中が、また遠くに感じる・・・それが私には悔しい。


「…次の試合の相手が、そんなフザけた御提案を大事な試合の最中にのんで

 バカみたいに待ってくれるっていうんなら、あたしも待ちましょ?

 ・・・バカみたいに、ね?」


それは、単なる挑発か…発破を掛けているのか…。

汀の笑顔に、その真意は隠されて、雲を掴むような気持ちで、私は竹刀を握り立ち上がる。


「・・・っく!・・・てええええい!!」


今の私は、技術うんぬんよりも、気合で押している、と言った方が良いのかもしれない。

私の竹刀を受けている汀も、それは百も承知の上だろう。


「・・・その意気や、良し・・・。

 でもねぇ…オサ。勢いだけじゃダメよ?」


「・・・しまっ・・・!?」


汀は、私よりも強く、誰よりも私の弱点を知っている。


「ほォら……また左が、お留守番ッ!!」


”パシンッ”


だから、こんな事・・・彼女にしか、頼めない。






    [  Nobody else  ]




どうしてこうなったのか…何が引き金かは、自分でも良くはわからない。


体が鈍い。

それから・・・上手く言い表す事は、出来ない。


只言える事は、前の自分に、出来た事が出来なくなっていた、という事。

鍛錬が足りないのかと、増やしてもみたが、どうも上手くいかない。



そして、自分が”スランプに陥ったのだ”と私が確信したのは、数日前の他校との交流戦だった。


百子を始めとする後輩の経験の為、私はあえて参加はせずにいた。

葵先生も、スランプの私が数日後に「段別選手権大会」に参加するのを知っていて

今回の交流試合は、百子たちだけで、という気遣いをしてくれた。


先生の気遣いは嬉しかったのだが、どこか自分が情けない気がして私は、肩身が狭かった。



そんな時。


「小山内梢子さん…でしたよね?」


「え…あ、はい。部長の小山内です。」


私に声を掛けてきたのは、交流試合の相手の高校で、副部長の”太田”と名乗る2年生だった。


「是非、青女の部長である、貴女と一度、お手合わせ願いたいんですが…受けて下さいますか?」


太田と名乗った2年生は、真剣な顔で私に試合を申し込んできた。


しかし、私は…そんな気分じゃなかった。


「…あぁ…すみません。今日、私は…」


私が丁寧に断ろうとした時、太田の表情が変わった。


「…大会に出るから、レベルの低い他校との交流試合はしたくありませんって事ですか?」


それは『敵を前に、逃げるのか?』という、嘲笑に近い。

言葉にもそれがありありと含まれていて、私は少しムッとした。


「そんな事はありませんよ。…準備しますから、待っていて下さい。」


「ちょ、ちょっと!?小山内さん!?貴女今日は…!」

「良いんです。葵先生。」


慌てて止めようとする葵先生に、私は笑顔で答える。


「梢子先輩!良いんですか?大会前なのに…それに先輩…まだ調子が…」


…保美は、本当に私を良く見てくれている。


「…大丈夫よ、保美。」


でも、心のどこかで『この試合で、調子を取り戻せるのではないか』と私は、そんな都合の良い事を考えていた。



「…お互いに、礼!」


私は静かに竹刀を構え、相手の出方を待った。


「……打って来ないんですか?」


太田が、そう私に聞いた。

試合中に喋るなんて…あの汀じゃあるまいし…。


「どうぞ。」と、私は短く答えた。

「…随分と…ナメてくれるわね…全国大会に出るとそうも変わるもんかしら。」

「・・・・・・!」


太田は、私を動揺させる気なのか?

私が奢り高ぶっているとでも言いたそうな口ぶりだけど…


「たあああああああ!!」


(・・・しまった!!)


考え事をしていて、一瞬、反応が遅れた。

辛うじて防いだが、その後も・・・私は、防戦一方だった。


受けきるのが精一杯だった、という表現の方が、似つかわしい。




時間が来て、葵先生が”そこまで”と止めてくれるまで、私の無様な試合は続いた。


・・・自分でも嫌気がさすくらい、最悪の試合だった。


無言で戻ってきた私に、誰もが空気を察して、言葉をかけずにいた。


一方、向こう側の…太田の周りには、人だかりが出来ていた。


「凄いわね、太田…あの小山内を追い詰めるなんて…」


しかし、防具を取った太田は、溜息混じりに言い放った。


「動きも、反応も…うわの空って感じで肩透かし喰らった気分です。

 全国レベルって、あんなもんなんですかね。すぐ追い越せそうですよ。」



(・・・・・!)


太田の言葉は、剣よりも鋭く私に突き刺さった。


「おのれ太田め〜…オサ先輩にあんな事…!普段のオサ先輩なら絶対、絶対負けないのに!!」

百子が地団駄を踏んで、怒りだしたが、保美がそれを止めた。

「も、百ちゃん!」


「・・・・あ・・・・。」


保美と百子が、おそるおそる私の顔色を伺う。

私は目を閉じて、息を吐いた。


「いいのよ、気にしないで。」



そうは言うものの…このままでは…いけない…。


私は、家に帰ると、黙って布団にもぐりこんだ。


汀と戦ったあの全国大会…が終わって、一気に何か気が抜けてしまった、のかもしれない。


(今のままじゃ、汀に何言われるかわからないわね…)


こんな情けない私を見たら、汀はどう思うのだろう。


しばらくして部屋に、携帯のバイブ音が響いた。

メールだと思って、放っておいたのだが、しつこく鳴るので私は携帯を開き、画面を確認した。



「・・・汀・・・!」


電話の主は、喜屋武汀だった。


通話ボタンを震える指先で、押して、声を出す。


「…も、もしもし…」


私が、やっとの思いでそう呟くと、汀の声が聞こえてきた。


『…あ、やっと出た。ちょっともしもし?オサ?

 ちょっとーいつまで待たせるのよー。アンタが”連絡しなさいよー!”って怒るから

 わざわざ人が電話してあげてるのに、10コール以内に出るのが、常識ってモンじゃないのー?』


汀の声を聞いて、何故か安心する自分がいる。

いつもと変わらない、汀。


「・・・うん、ごめん・・・。」


『うわ、気持ち悪…!何よ?素直に謝っちゃって…。

 オサらしくないんですけどー。人の調子狂わせたいワケ?

 からかう・おちょくるは、あたしの専売特許よ?』


オサらしくない、と言われて、私はぐっと何かを堪える。

こんな状態で、汀にそれを吐き出すわけにはいかない。


「なんでも…ないわよ…どうしたの?」


『ん?ああ、仕事終わって、暇になったから、とりあえず定期連絡。

 元気ですかー!?ってね。…ていうか、連絡しないと、オサの”サバ折り”また喰らうの嫌だし。』

「…うん。」

『うんってね…あれ、凄く痛かったんだからね!

 オサの馬鹿力のせいで…やっぱ、アンタ鬼にでもなったんじゃないの?

 あれ、女子高生にしては、規格外の力だったわよ?マジで。』


耳に入ってくる汀の元気な声が、私の中にどんどん溢れてくる。

言いたい言葉は、山ほどあるのに、相槌しか打てない自分が、憎らしい。


汀は、すらすらと近況を報告してくれた。

彼女は忙しい毎日を過ごしているようだった。



『・・・ったく、冗談じゃないわよ。

 確かにあたし下っ端だけど、あそこまでこき使われると、人権問題よ。人権問題。

 人と言う字は、人と人が支え合って〜とかよく言うけどさ。

 実際は、エライさんが、下っ端に寄りかかってるだけなんじゃないの?って思うわよねー』


「…うん…。」


ダメだ…汀の声を聞けば聞くほど、泣きそうになる。

ダメ…こんなんじゃ…ダメだ…。

そう言い聞かせて、私は手近なクッションをぐっと片手で、抱き締める。


『・・・・・・ま、その点、オサは寄りかかる事知らな過ぎなんだけどね。』

「・・・え?」


”ふー”という溜息に似た吐息が、受話器の向こう側から聞こえ

続いて、汀の優しい声が私の耳に届いた。


『アンタ一人くらい、寄りかかっても、あたしは潰れやしないわよ。

 アンタより大きいこの胸で、どーんと受け止めてあげるからさ。

 ・・・何かあったんでしょ?言いなさいよ。オサ、今なら、聞いてやらない事もないわ。』


「・・・み、汀・・・」


私は、その瞬間、口元を押さえてうずくまる。


何があったのか、は自分が聞きたいくらいで。



どうしてこんなに涙が出るのか、わからない。



口を開けば、どんな言葉が出るのかすらも、わからない。



『・・・ちょっと、オサ、大丈夫?』



「……たい…。」


『・・・は?』


私は、そのままその単語を口にした。

多分、その言葉が、汀を一番困らせると知っていて。



「…汀に、会いたい…。」



私が言い終わると、電話の向こう側からまた”ふー”という吐息が聞こえた。


『…わかった。』


”ブツン!ツー…ツー…”


汀の言葉の後、すぐに電話は切れた。


「ちょ、ちょっと…汀?」


私は、すぐにリダイアルを試みたが、電源を切っているのか、かからない。

メールをしても、返信は無かった。




(・・・やっぱり、言うんじゃなかったな・・・。)


私は、後悔した。


(いくら汀でも、あんな事突然言われたら…引く、わよね…。)


きっと、汀は私に呆れたのだろう。






そして、次の日の放課後。



「梢子さん…あの、大丈夫ですか?顔色が…」

「ん…ちょっと寝不足なだけ。大丈夫よ。綾代。」


下校中の私と綾代に、元気娘こと、百子が駆け寄ってきた。


「オーサー先ー輩!!!あ、姫先輩も!大変です!!!」


その元気さに、私も綾代も、苦笑いだ。


「百子…そんな大きい声で私の名前呼ばないでくれる?」

「どうか、されたんですか?」


綾代が、そう聞くと、百子は私に向かっていった。



「大変なんです!!今!青女の校門に…!!!」




百子からのその知らせを聞いて、私は走った。



「…み、汀!?」



「ああ、来た来た……はい、お待ちどう様。ミギーさんですよー。」




青女校門の前で片手を挙げて、人懐っこい笑顔で挨拶をする汀が、いた。


汀の姿を確認すると同時に、全身にぞわっと何かが、走る。

昨日までいなかったはずの、強い瞳が、確かに私を捉えている。


(ホントに・・・来た・・・!)



『…汀に、会いたい…』

『…わかった。』


…あの昨日の電話の”わかった”は、了承の意味だったのか…。



電話の後か、今日の朝か…とにかく、汀は、すぐにこちらに来ていたのだ。


いや、でも・・・とりあえず、聞くことがある。


「な、何してんのよ!?こんなところで!?」

「はいはいはいはい、そんな大声出さないの。長旅で疲れてるんだから。」


大声で問い詰める私に、汀は耳に指を突っ込んで、面倒そうな顔をしている。

更に私が、怒鳴ろうとすると、綾代が汀にぺこりと頭を下げた。


「どうも、お久しぶりです、汀さん。」

「あ、どもども♪姫さんも、元気そうで何よりね。」


綾代が挨拶すると、汀は猫のように笑った。


(・・・な、なによ、その扱いの差は・・・!!)


若干、納得のいかない”扱いの差”に、私が顔を引きつらせていると

百子がふと私に耳打ちしてきた。


「さっき部活終わって、帰ろうとしたら、ミギーさんがいたんですよ。

 オサ先輩…何したんですか!?」

「な、なんで私が何かしたら、汀が来るのよ…!?」


私がそう言うと、汀はくるりとこちらへ向き直った。


「それはだねぇ、百ちー。

 オサってば…あたしに会いたくて会いたくて、夜も眠れないらしくて〜

 昨日なんか『会いにきてくれなきゃ、梢子死んじゃうっ』とか電話で言うから…

 忙しい中、このミギーさんは、乙女の夢をかなえるべく、やって来たのですよ。

 ま、慈善事業ってヤツ?」


よくも・・・まあ、そんな嘘八百をスラスラペラペラと・・・この馬鹿は・・・!!


「まあ・・・梢子さん、寝不足だって言っていたのは、そのせいですか…。」


「綾代!納得しない!!

 汀!そんな事まで言ってないわよ!後半デタラメばっかじゃないの!!」


・・・汀め、そんな余計な事を言いに、わざわざこっちに来たのか?

私は顔を真っ赤にして、昨日の言動を改めて後悔した。


「って事は…前半は合ってたんだ…。」

「ざわっち…いつの間に!?」


「・・・う゛・・・。」


いつの間にか、私達の背後にいた保美にそう言われて、私は固まった。

固まる私と、相変わらずニコニコしている汀。


「ちょ、ちょっと!汀!こっち来なさい!」

「あーれーオサに犯されるー♪」

「誰がするか!!」


私は、ケラケラ笑う汀の手を掴んで、その場から逃げるように下校した。


しばらく汀を引きずるように歩いて、横断歩道で止まった。

すると、反省の色まるでナシの、汀が私の顔を覗き込んで聞いた。


「ねえねえ、ビックリした?」


それはとても、腹の立つほど、嬉しそうに。


「ええ、ええ!ビックリしましたとも!」


私は、腕組をしてそう言った。

確かに、会いたいと言ったのは私だが、まさか汀が本当に来るとは、思っていなかった。


「……そうそう、いつもの元気出てきたじゃない。オサ。」


そう言って、汀は私の頭にポンと手を乗せて、子供の頭を撫でるように優しく撫でた。


「・・・・・!」


汀の手の感触に、私は一瞬でも、甘えてしまいそうになるのをぐっと堪えた。


再び、こみ上げてくる何かを、私はうつむいて抑え続けた。



・・・会いたかったのに、こんな私のままで再会するなんて。



言えない。言っては、いけない。

簡単に、この人を頼ってはいけない。



「オサ。何かあったんでしょ?」

「・・・・・・。」


汀のその問いには、私は答えなかった。

何台もの車が、私と汀の前を、通り過ぎる。


「言ったでしょ?

 …オサ一人くらい、寄りかかっても、あたしは潰れやしないわ。絶対にね。」


車の雑音に消される事なく、汀のその言葉が聞こえた瞬間

私はもう、耐えられなくなっていた。


「・・・みぎ・・・!」


青信号になって、私は、汀の胸に飛び込んだ。



「…オサ、最近、泣き癖でもついた?」

汀はそう言って、優しく私の頭を撫で続けた。

「…ぅるさい…。」

私は、人前で泣いてしまった恥ずかしさで、顔が上げられず、ひたすら汀の胸に額をつけていた。









「…うーん…そりゃスランプね。」



私がひとしきり泣いた後、汀は”お腹が減った”と言い、半ば強引にファミレスに連れて行かされた。

チョコレートパフェを口に運びながら、話の感想を言った。


「…やっぱり、そう思う?」


「ま、手合わせしてみないと、どれだけ重症かはわからないワケだけど…。

 あ、塩キャラメルのもあったんだ…こっちにすりゃ良かったかしら…。」


メニュー表を見ながら、汀は私の話を…一応聞いてはいる、らしい…。


「ちょっと…さっきまで、私一人くらい寄りかかっても、とかいうのは、どうなってる訳?」


私がそう汀を非難すると、汀は咥えていたスプーンの先を私に向けた。


「散々寄りかかって、胸まで貸したじゃないの。

 …スランプってのは、個人のメンタルの問題。あたしが何か言って治ったら世話ないでしょ?

 体を動かしてダメなら、ちょっと休むのも良いって言うし。」


そうもいかないから、困ってるって言うのに…。

他人事だと思って、軽く考えているのだろうか…。

私が、頬杖をついてすっかりぬるくなったコーラを口に含んでいると

汀は思い出したように言った。


「あ、言っておくけど。あたしは、単にオサの相談に乗りに来たんじゃないわよ?」

「・・・・え?」


じゃあ、何しに来たのか、という顔で私は汀を見つめた。

それが伝わったのだろう、汀は目を細めてニヤッと笑った。


「あたしは『会いた〜い☆』って、乙女からの”涙のラブコール”を貰ったから来たのですよ。

 いや〜珍しい事もあるもんだわぁ。オサがあたしに甘えるなんてさ〜。

 何か楽しそうだから、貯めてたマイル全部使って来ちゃったわよ。」


・・・結局は・・・最終的には・・・それか・・・。

・・・やっぱり、コイツは汀だ。(色んな意味で。)


「……昨日のは、失言であって、ラブコールじゃないから。

 それから、ソレ忘れてくれないかしら。今、すぐに。」


「んー無理無理♪ばっちり、ミギーさんの脳内メモリーに保存しちゃいました♪」

「ああああー!…もう…っ!」


やっぱり言うんじゃなかったと、私が頭を抱えていると、汀はスプーンを置いて静かに言った。


「・・・で。オサ、いつやる?」

「やるって何を…?」


私が聞き返すと、汀は真剣な表情で言った。


「…何って…聞いてわからんもんは、見るしかないでしょ?百聞は一見にしかずってね。

 オサの剣をあたしに見せて。」


その言葉に私は、頷いた。


「・・・・・・わかった。」





そして、現在。


私と汀は、竹刀を持って、向かい合っていた。


「…あららーもう、へばっちゃったの?オサ。ギブアップには、ちょっと早いんじゃないのー?」


「…うるさいわねっ!今…呼吸整えてから…!」


「…次の試合の相手が、そんなフザけた御提案を大事な試合の最中にのんで

 バカみたいに待ってくれるっていうんなら、あたしも待ちましょ?

 ・・・バカみたいに、ね?」


「・・・っく!・・・てええええい!!」


「…その意気や、良し。…でもねぇ…オサ。勢いだけじゃダメよ?」


「・・・しまっ・・・!?」


「ほォら……また左が、お留守番ッ!!」



”パシンッ”


誰もいない剣道場に、竹刀のぶつかる音と足音が二つ。



葵先生に無理を言って、無理矢理、稽古場の鍵を借りて、私と汀は立ち会った。


無我夢中で、汀と剣を交える。


汀は、やっぱり強い……いや、今の状況では、私が”弱くなっている”だけかもしれない。



それでも、構わない。



「てやあああああぁ!」

”パシンッ”

「もっと踏み込んだらー?それじゃヘタレの打ち込みよー?」

「でやああああああああああ!!」



汀は軽口を叩きながらも、私の弱点を的確についてくる。



私は、防戦一方だったあの無様な試合にだけは、したくなくて。

汀と立ち会うなら、なおさらの事、引きたくなくて。


”パシンッ”


「ふー…良いじゃない、今の。…スランプって嘘じゃないの?オサ。

 ホントは、スランプは作り話で、単にあたしに会いたかっただけ、とか?」


息を整えながら、汀がそう言った。まだ余裕がありそうだったが、大分疲れてきたようだ。


「はぁ…はぁ…そんな事より、息あがってきたんじゃないの?…汀…」


私も肩で息をしているが、両者とも、竹刀は下ろさない。


「…そりゃ、こんなに情熱的に…しつっこく、攻められちゃあ……ねッ!」



”パシッ…キシッ!”



純粋に、それは、楽しくて。

私は、前よりも強くなった汀に、追いつきたい一心で、竹刀を振る。





小1時間、そうやって打ち合っていると、汀は突然。

「よし、ここらで止めときましょうか。」

そう言って、防具を脱ぎ始めた。

「…え?…ちょっと待ってよ!私まだ1本も取ってない!」


私は慌てて汀に詰め寄った。すると、汀は汗をタオルで拭きながら、ニヤリと笑った。


「ありゃまぁー…このあたしから、1本取る気だったワケ?」

「ええ!」


私が、即答すると、汀はパンパンと手を軽く叩きながら、スタスタと壁際に歩いていく。


「…はいはい、その意気や良し。…でも、やめときなさい、夜中過ぎても無理よ。」

「・・・朝方まで続けたら、取れるかもしれないわよ。」


私がそう言うと、汀は足を止めて、振り返った。


「…うわー化け物ですか。オサはやっぱり鬼だわ。」


そう言って、やはり笑いながら、汀は、防具を全て脱いでしまった。


「…どうしても、ダメ?」


私も面を脱いで、座って休憩し始めた汀の前に立った。

汀はそんな私の顔を見上げて、素っ気無く言った。


「・・・スランプだかなんだか知らないけど、大事な試合が近いなら、もう潮時よ。

 それにあたしも疲れちゃったしー。」

「もうちょっと、もうちょっとで…何か掴めそうなのよ!お願い汀!」


私は、汀の横にしゃがんだ。

目線の高さを合わせて、再度頼み込んだ。


「何を掴む気?…言ったでしょ?スランプってのは、個人のメンタルの問題。

 それに、オサの話だけじゃ、解らなかったから、手合わせしただけの話で…」


「…だからって、このままじゃ…私…」


せめて何か…”達成感のようなもの”を得たら、何か変わるんじゃないか、と思っていた。

今の私には、汀から1本取る事が、それだった。


「ダメなの…このままじゃ…こんな私のままじゃ…っ!」



こんな情けない私のまま…


もう、汀に…置いていかれたくない!



「・・・・・・・オサ。」


すると汀は、私の顔をグッと両手で捕まえ、引き寄せ、更に険しい表情で、私を見た。


「・・・ッ!?」


「・・・アンタが、不安でたまらないのは、良くわかった。

 でもね、オサ…いくら無茶が売りのアンタでも、体のコンディション云々考えないで無茶やるのは、違うでしょ?

 遠足前日に浮かれて、興奮しすぎて、当日熱出してぶッ倒れる子供じゃあるまいし。

 まずは、体を休める事。基本でしょ?それじゃ選手としても、剣士としても失格。

 それに…」
 

いつになく、真剣な汀の言葉と、強い瞳に私は、ただ言葉を失う。

ただ闇雲に私と打ち合っていたわけじゃない。汀は、冷静に、私を見ていた。



「それに・・・そんなの、あたしのオサじゃない。」


「……え…?」

(”あたしの”って…)


汀の一番最後の言葉が、心にひっかかって、私は思わず頬が熱くなる。

…こんな時に何を考えているのだろうと、私は熱を振り払うように、瞬きを繰り返す。


そんな私の気を知ってか知らずか、汀はそのまま言葉を続けた。


「…全く…こんなになるまで、ギリギリまで一人でやろうとクソ意地張ってるから、追い詰められるのよ。

 どうしてはじめから、あたしに言わなかったのよ?」


汀の言葉が、また強くなった。


(汀・・・もしかして、怒ってるの・・・?)


「それは…」


そう言いかけて、言葉を探すが、見つからない。

あえて言うのならば。


『…汀に、頼ってはいけない気がしたから。』



汀は、私と違って、1人で鬼切りを…多くの”実戦”を経験してきた。

何でも一人でこなさざるを得なかった汀に、私が頼るのは…なんだか違う気がしていた。

この程度の事で、汀を頼るのは…なんだか、自分が情けない気がして。


そして、汀に自分のつまらないスランプの事を話して・・・嫌われるのが、怖かった。


「ごめん…迷惑かけたわね…あんな事言って…旅費までかけて来てもらって…こんなの…」


やっぱり、言わなければ良かった、と私は何度目かの後悔をする。

すると、汀は私の頬を掴んでいた両手を離して、”ふー”っと息を吐いた。


「…んなケチ臭い事まで、あたしは言ってないわよ。

 言ったでしょ?あたしは会いたいってオサに言われて…


 あたしもオサに会いたくなったから、来たんだって。」



「……それ、初耳。」


…汀が、私に会いたいだなんて、言った事、無い。


というか、このタイミングで、そんな事言うなんて、反則だ。



「あれ?そうだっけー?」


黙る私に対して、汀はニッコリ笑った。


…そのイタズラ猫のような笑顔に、何度話をうやむやにされて

何度、私の心をかき乱されたか、わからない。


「まぁ、そういうワケで。」

「何が”そういうワケで”なのよ。」


私を見つめる汀の笑顔が、ふいに優しくなる。



「…大事な試合前って事ですし、オサの不安を、このあたしが消してあげましょう。」

「け、消すって…?」


いつもみたいに、ニヤっとイタズラっぽく笑わない。

こんな風に笑えるんだと思いつつ、私はその表情に、胸が騒ぐ。


そして、私の頬に手を添えて、引き寄せて…汀の顔がどんどん近づいてくる。


「ちょ、ちょっと…汀…!?」

(…キス、される…?)


「嫌なら、そっち向いて上手い事避けてねー?オサ♪」


避けるも何も。


…手で顔を固定されては、避けられるハズもない。


「それで…不安が…き、消えるか、どうかの…保障はあるの?」


私は、逃げ場の無い壁にぴったりと背中をつけ、汀はというと、覆い被さるように、私の前に回る。


「…さあ?それは、やってみない事には。」


いや。

頬に添えられただけの、汀の両手を払いのけるのは、簡単だ。



払いのけられないように、汀がしているのか。


私が、払いのけられないだけなのか。



「…力、抜きなさい、オサ。アンタの剣は、全然ダメなんかじゃなかった。

 このあたしが、保障する。」


「…みぎ…わ…」


優しいその声に、私はただ、目を閉じて。


「…ん…」


そのまま、私は汀を受け入れた。


唇が触れ合った瞬間、私の中に”あぁ汀に会えたんだな”という実感が、今更ながら沸いてきた。


温かい吐息と一緒に、薄く目を開けると、長い睫毛が揺れている。

手で、汗で少ししっとりした汀の短い髪をそっと、撫でる。


汀と私の体が、ピタリとくっつく。

さっきまで激しく動いていた為、下がりきっていない体温が、更に私の心臓を激しく動かす。

私の心臓の音が、汀に伝わっていないかを、少し気にする。


瞬きをしながら、顎を少し引いて私は、一旦、唇を離そうとする。


「み、ぐ…!」


が、汀は更に下から押し付けるように、唇をつけてくる。

無理に止めていた呼吸のせいで、余計に頭の回転を鈍らせる。


無我夢中で、掴んだのは汀の道着と、髪の毛。

呼吸は、吐いているのか、吸っているのかも、わからず、無茶苦茶になる。



やがて、私の頭の中は、真っ白になった。



この感触は、初めてじゃない。


ただ、初めての…”感覚”


同意の上で、汀と唇をあわせたのは、これが初めてだった。


それと同時に、私は…

喜屋武汀という人物が、単なる好敵手という枠を越えてしまっている事に、今更ながら気付いた。


…気付いても、私はどうする事も出来なくて。

今、彼女と触れて繋がっている部分に、残った意識がもっていかれるのを、ただ感じてた。




「……どう?余計な力も、マイナス思考もちょっとは、抜けた?」


…確かに、力も、思考力も、なんだか抜けてしまった。


長いキスの後だというのに、汀はいつもの調子で、ニンマリ笑っていた。


・・・なんだか、それが無性に憎らしい。


「……。」


私は、黙って汀をじっと睨むだけ。

…精一杯の返答だった。


「…そのご様子だと、抜けたみたいね?いやぁ、良かった良かった♪」

「……。」



・・・勿論、この喜屋武汀という人物に、それが通じるはずも無いのだが。


汀は、荷物をまとめると私に背中を向けて、言った。



「何かに、迷ってんなら、その迷いごと斬りなさい。

 …少なくとも、あたしは、そうやって生きてきたわ。」



”それに、その方が、きっとスッキリするわよ”と、汀は、私に振り返って笑った。






数日後。


私は、段別選手権大会で、あの太田に再会した。

百子の話によると、太田も選手として参加し、私を倒すつもりなのだという。


「オサ先輩!今度は、もう、ケッチョンケチョン!!にしてやりましょうよっ!!」

「…百子、言葉に気を付けなさいよ。剣道はあくまで倒すのが、目的じゃないんだから。」


「あの、梢子先輩…大丈夫ですか?」

保美が私を気遣って、そう尋ねてきた。


(思えば、皆に心配かけたわね…)


剣道部の皆に申し訳なく思うと共に、私は「大丈夫よ。」と笑った。


不安が全く無いといえば、嘘になる。



あの日、何度も引き止めたのだが、汀は結局、あの後すぐに帰ってしまった。

飛行機も無いのだから、家に泊まるくらいすれば良いのに、と私は思った。


…今度、いつ会えるかも、私達は特に約束しなかった。


(もし、汀が…今、この場にいたら…)

…迷っているのなら、その迷いごと斬れと言われても…私は…

私の不安は、もしやあの気まぐれな山猫のせい、なのだろうか?


”ピリリリ…”


私の携帯が鳴った。短い着信音に”メール”だとすぐにわかった。

試合前に一体誰だろうと、私は携帯の画面を見た。


メールの差出人は、あの汀だった。


本文に目を通し、私は携帯をパンと、勢いよく閉めた。


「お、オサ先輩…?ど、どうしかました?めっちゃくちゃ…あの…何と言うか…」

「…しょ、梢子先輩…あの…怖い顔、してますけど…?」


怯える百子と保美に、私は何でもないわよ、と引きつった笑顔で答える。



…汀の文面は、こうだ。



『オサへ♪

 今日は大会よね?頑張ってね〜(>▽<)ノ

 ・・・あ、そうそう。勝っても負けても、どっちでも良いけど

 もし、あたしがいないせいで、負けたなんて言い訳するようなら

 このあたしが、直々に引導渡してあげるから、覚悟するように。( ̄∀+ ̄)


 あと、こないだのキス、薄目開けてあたしの様子見るの、マナー違反だからね。o(≧ε≦)o


 じゃ、鬼退治行ってきま〜す♪』



震える手で、私は両頬をバチンっと叩いた。

気合は十分。


「・・・やってやろうじゃないの・・・!」


不安も、スランプも、何もかも、吹っ飛んだ。

メールの文面が、脳裏に焼きついて、私は内側からこみ上げてくる感情に任せて、拳を握る。
※特にあの絵文字が、ものすごく腹立たしさに、拍車をかける。

遥か遠くの地で、ニヤニヤしながら、汀がこのメールを打っていたのかと思うと

ますます怒りがこみ上げてくる。


(…見てなさいよ……汀の薄ら馬鹿ーッ!)



こんな事で、私をここまでさせるのは、ヤツしか…喜屋武汀にしか、出来ない。





百子によると、その後の私の大会での戦いっぷりは、何か吹っ切れたような鬼人並の強さだったという。



大会が終わってすぐ、私は”優勝の報告”よりも、何よりも先に、汀を電話口で思い切り怒鳴りつけた。





   END









ーあとがきー



…はい、長かったですね(苦笑)


剣道も何も知らずに、勢いとミギオサへの愛と妄想で書いたんで、変なトコ多々あるかもしれませんが…

・・・ええ、もう、なんというか、えへへ(ごまかし笑い)

…あと、か〜な〜り〜喜屋武ちゃんを美化して、カッコ良く(?)書きました。


クールなトコは、クールに。甘えるべき時は、とことん甘々に。

そして、おちょくる時は徹底的に。


神楽の中での、ミギオサコンビって、そんなイメージですね〜。


…ミニゲームの『鬼切りの鬼』で、喜屋武ちゃん(棍)使えたら良いのにとか思う、この頃です…。

・・・「あ、神楽さんまた病気(ハマると言われる)ですか?」って友達にいわれそう(苦笑)