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伝わらなくていいの。
ツマラナイ。
だって・・・それは彼女の望む事じゃない。彼女を困らせるだけなんだもの。
ワタシ ハ ツマラナイ。
伝わらなくていいの。
カノジョ ハ オモシロイ。
だって・・・伝わっても、何にもならないもの。一体、誰の利益になるの?私の?いいえ。多分、誰の利益にもならないわ。むしろ、不利益よ。
カノジョ ヲ ミテイルダケデ ワタシハ ソレデ イイノ
だから、伝わらなくていいの。
だって、私は・・・。
私は・・・。
「どうです?その後。」
私が吐き出したタバコの煙が、窓の外の青空へと吸い込まれるように出て行く。
煙は大空の中で自由を得たのか、空の中に消えてしまった哀れな存在なのかはわからないが
私こと、烏丸忍は、いつも空へ向かって吸い込まれるように出て行く煙を見ては、羨ましいといつも思う。
「え?・・・ああ、はい、順調ですけど。」
「・・・のようね。”身体の方”は。」
私こと烏丸忍がそう言うと、私の患者の一人である、水島さんは憂鬱そうな、何か嫌そうな顔をしてボソリと答えた。
「・・・・・・・私生活は、まあ・・・。」
言葉を濁す所、その表情から推察するに、あまり彼女にとっては好ましい状況では無いらしい。
「言わなくても大体、解るわ・・・今日も何かあったんでしょう?」
「ええ、まあ・・・。」
彼女は多分、無意識なのかもしれないが、普段は無表情で表情を変える事が少ない、というよりも意識して変える事自体が苦手なのかもしれない。
これも私の推測なのだが、彼女は心の内側に無意識に自分の気持ちを押し込め、無表情で過ごす事で
人間関係を可もなく不可もなく、絶縁するなりなんなりして過ごしてきた・・・のかもしれない。
人間とは不思議なもので”笑顔”の人間に惹かれやすい。第一印象が大事、とはあながち嘘では無い。
だが、彼女・・・水島さんは、常にその大切な第一印象を”最悪の印象”になるように加工している。それは、無意識かワザとなのかはわからない。
とにかく、彼女はいつも”無表情”なのだ。いや・・・無、というよりも・・・彼女にだって、表情はあるには、ある。
あるんだけれど・・・不思議な事に、それが人の好印象を全くと言っていいほど抱かせもしなければ、寄せつけもしないのだ。
それは、『笑顔で人の関心を引こう』だなんて微塵も考えない”人嫌い”だからである。(・・・こんな失礼な事、本人の目の前で考えている私もどうなんだろうか。)
だが、面白い事に、その人嫌いの無表情を、よくよく観察すれば、そのわずかな感情の起伏、とりわけ”拒否反応”が表の表情に出てしまうようなのだ。
恐らく、今まで無表情で処理出来ていた人間関係が変化し、彼女が処理できる許容範囲を越えたせいだろうと私は思う。
そのせいで、彼女は今、面白い人生を送っている・・・いや、彼女自身はちっとも面白いとは思っていないだろう。
しかし、私のような人間から見れば、彼女の送っている生活はなんとも羨ましい程、面白味がある。
ホラ、今日だって・・・無表情の中にだって、彼女の面白味が垣間見えるのだ。
(・・・・・・・あら?)
「・・・というか・・・貴女、ちゃんと食事摂ってる?」
なんだか、今日の彼女の顔色・・・良くない気がする。
「ああ・・・お昼、ちょっと色々あって・・・。」
色々、とは女難の事だろう。
しかし、お昼1食を抜いただけで、こんな顔色になるだろうか。
さすがに食事も摂れない程・・・もしくは恐怖か何か他の要因によるものとなると、私が考えている”面白い”という一言では済まない・・・
とても・・・とても大変な事なのかもしれないわね、と思い直す。
・・・でも、正直言うと、そんな人生が、やはり羨ましいとも思ってしまう私が心の真ん中に座っていたりする。
「あら、食べてないの?3食きっちり食べないと・・・女難から、逃げ切れないわよ?」
「笑いながら言わないで下さいよ・・・。」
「ふふっ・・・ゴメンナサイ・・・。」
私達はそんな会話をしながら、互いにタバコの煙を窓の向こうの空へと吐き出す。
ほんの僅かな休憩時間。
私は、この時間が、今・・・何よりも楽しみで仕方が無い。
・・・しかし、後日・・・私は彼女の”女難の大変さ”を目の当たりにする事になる。
[ 水島さんは残業中。3 ]
その日は、久々のマトモな休日。
・・・になるかどうか、は病院から呼び出しをくらうかもしれないので分からなかったが、とりあえず、私なりに休日らしい休日を満喫しようと街にいた。
街に出たのは、用事らしい用事。いつでも、出来る事だった。
・・・単に、家の外に出る口実を作りたかっただけかもしれない。
「ええと・・・本屋は行ったし・・・後は・・・・・・・・」
(・・・後は家に帰るくらい、か・・・。)
街の人混みの中、独り言を呟き、何もする事はなくなったと気付く。
そして、すれ違う人々の様々な会話を聞きながら私は、ゆったりと歩く。
夕食は何が良いか、と相談する家族の会話。
買い物が長いだなんだと喧嘩するカップルの会話。
流行のモノについて、はしゃぐ女友達の会話。
人混みの中で感じるのは、不思議な孤独感。
そして、すれ違う人の顔が、誰も同じに見えてくる。
そんな不思議な感覚は不思議だとは思えど、そんな事はもう慣れていたし、怖くも無い。別に嫌でもなかった。
ただ、用事らしい用事が、あっという間に済んでしまったのが、心の中でとある文章がぐるぐると回っていた。
「・・・後は、あの家に帰るだけ。」という文章が。
子供のような言い訳に聞こえるかもしれないが、私はまっすぐ家に帰るのが少しだけ、嫌だった。
帰る場所が、職場よりも嫌な場所だなんて。
とはいえ、兄が「母さんが心配しているから」と言い出した時は、母の機嫌が悪くなってきた兆候だ。
たまには日が落ちる前に家に帰って、適当に話を合わせないと・・・。
(あ〜あ・・・つまんない・・・。)
ふっと空を見上げる。
太陽は隠れ、薄暗い曇空が広がっている。
・・・そういえば、”彼女”は、退屈に満ちた私に憂鬱さしか伝えてこない空の下、どうしているのだろう?
ふと、そんな事を考えた。
『人嫌いのせいで呪われ、女難に遭い続ける女』。
医者としては『呪い』なんて言葉を信じるよりも、ウィルスか、何かの異常か、特殊な体質か・・・の方を疑いたいのところなのだが。
詳しく精密検査をしようにも・・・同性を惹き付け、トラブル(生死に関わる場合アリ)を引き起こすなど
そのタイミングや話の内容を聞いた限りでは、どう考えても、病魔や彼女達の体質だけではあの曖昧な呪いの内容の説明が出来ないのだ。
それに、下手に解明しなくとも、いいと私は思っている。
それは、彼女・・・いや、彼女達が今、自分なりにその呪いと戦っているから。
現在、彼女、水島さんと私の従姉妹のりりは、同じ『呪い』にかかっている。
その呪いの解き方を彼女から聞いてはみたものの、それは、なんともえげつないものだった。
歳の数だけ〜、で始まるイベントは、節分の豆か、誕生日の蝋燭くらいだと思っていたのだが。
彼女達が呪いから逃れる為には、自分が心から想う相手を見つけ、そしてその相手と歳の数だけSEXをしなければいけないらしい。
※注 忍さんは、水島さんと違って、どんな単語でも躊躇い無く使います。
その行為・・・いや、「儀式」と言った方がいいか、その儀式に何の意味があるのかは、私の知るところではない。
とにかく、その儀式を行うまで、彼女達は人嫌いなのに、人・・・とりわけ同性ばかりに好かれてしまう日常を送らなければいけない事は、確からしいのだ。
人嫌いが、人に好かれ付き纏われる生活。
なんと皮肉な。そして・・・なんとも、面白い日常ではないか、と聞いた当初、”部外者”の私は正直な所、そう思った。
(・・・いっそ・・・私も、あの女難の呪いとやらに、かかってみたいものだわ。)
そうしたら、私の人生だって少しは・・・と途中まで考えてから、フッと笑って、私は首を振って視線を前に戻し、その考えを散らした。
『先生は、人に興味が無いだけです。
私は人に興味もなく、人が嫌いであって…先生はきっと、人嫌いじゃないです。
だから、似てませんよ。ちっとも。』
それに彼女・・・水島さん曰く、『私は人嫌いではなく、人に興味が無いだけ』なのだそうで、私はあの呪いにかけられる事はないらしい。
ただ呪われるにも”条件”なんてものが必要だなんて、つくづく運が無いものだと私は思った。
しかし、仮に私が今日にでも例の呪いにかかったのだとしても・・・面白い日常が始まるのだろうか?
いや。
きっと”彼女達だから”面白いのだ。
(・・・私では、きっとダメなんだろうなあ・・・。)
そう思いながら歩いていると、目の前の信号機が赤に変わり、私は足を止めて再び空を見上げた。
『だから、いつまでたっても、ダメなのよ・・・忍ねーさん。』
私の頭の中で、りりが鼻で笑いながら、そんな事を言ったような気がした。
(・・・そう、かもね・・・。)
私は一人頷いた。
思い返してみれば、りりは私と違って、昔から面白くて不思議な魅力を持った人間だった。
あの子は、昔から曖昧で周囲の空気に取り込まれ続ける態度をとる私と違って、行動力があり、私の周囲の人間とは違い、思いやりもあった。
そして、何より、誰よりも・・・意思の力が強かった気がする。
あの頃、家に繋がれているだけの私は、りりのその強さが羨ましかった。
・・・いつからか、人嫌いになって・・・誰も自分の傍に寄せ付けなくなってしまったけれど。
人の事を攻撃の対象か、利用できるか・・・あまり良い意味で人を見ているとは言えなくなっていた。
いや、もはや、人なんか見てもいないのかもしれない。
・・・それでも、私は、あの子の持つ不思議な魅力に惹かれる事に変わりはなかった。
自分の親の会社を潰し、家を飛び出したあの子を周囲の人々は、決して良い様には言わなかったが、あそこまで行動出来るあの子は、面白い。
・・・少なくとも、私はそう思っていた。羨ましいとすら思った。
あの子の力は、更に強くなっていった。
それは・・・他人を押しのけ、潰してしまうまでに、強く。
そして、その強さと引き換えるようにして、あの子は変わってしまったのだ。
そもそも・・・何が、あの子をあそこまで変えてしまったのだろうか・・・今でも、それの始まりがわからない。
だけど・・・あの子は・・・変わり過ぎてしまった。
一人の人間と儀式の為・・・それは自分の呪いを解く為とはいえ、他人を何人も道具のように利用している。
とてもじゃないが、どうしても私は、今のあの子がやろうとしている事が正しいとは、思えなかった。
ましてや、あの子の歩んでいる道が、面白いだなんて他人事ようには思えなくなってきていた。
でも・・・まだ、あの子は・・・昔のあの子と変わっていない部分があるのではないか。
・・・その可能性を信じたい私がいた。
それを気付かせてくれたのは、彼女・・・水島さんだった。
彼女もまた意志が強く、行動力がある。
でも、あの子とは全く考え方が違う。
彼女は、儀式自体を否定し、人を儀式の為に利用しようだなんて考えておらず、誰の手も借りる事無く、一人で呪いを解こうとしているらしい。
果たして、それは可能なのだろうか。それは私には、やはりわからない。
大体、医者としては、呪いの類は否定しなければいけない立場だ。
一方、あの子・・・りりは、相当焦っているようだ。
どうやら、あの子は彼女と例の儀式をしたいらしいのだが、彼女は断り続けている。
・・・にも関わらず、今もまだ、りりは彼女に強引に儀式をしようとしている。
彼女を、あの子の道具にしたくない。
止められるのなら・・・私はあの子を止めたい。
でも、私に何が出来・・・
(あ、信号、変わった・・・。)
赤信号は青信号に変わり、私は周囲の人々に遅れて一歩を踏み出した。
(人もこんな風に切り替わって、自由に変わる事が出来たなら、もっと楽になるのに。)
そんな考えが、ふっと過ぎったが・・・もっとも、そんな楽な変化を求めても、人間の根本なんて、そう簡単に変わる筈が無い。
解っているからこそ、人は変わる時に辛さや苦しみを伴い、そして、それらに苦しみ、もがきながらも変わっていくのだ。
だけど、苦しみや辛さに耐えられず、自分の理想の姿に変われない者も中には存在していて・・・
(・・・そう、ここにいる。)
逆に・・・苦しみと辛さによって、変わる者もいる。
(・・・りりも・・・あの子も、もしかしたら、そうだったのかしら・・・?)
・・・あの子が”変わった時”も、そうだったのだろうか。と私は考えた。
あの子にも、昔・・・何らかの辛い事、苦しい事があったのでは・・・。
というのも、あの子が、望んで今の姿になったとは・・・昔のあの子を知っている私には、とても思えなかったからだ。
『・・・忍姉さんは・・・何も見てないし、知らないのよ。・・・いつまでも”そんな場所”にいるから。』
「・・・!」
そんな声が聞こえた気がして、私は、思わず後ろを振り向いた。
横断歩道の真ん中で立ち止まる私を迷惑そうに見るサラリーマンと目が合っただけだった。
私は、何事も無かったように再び前を向いて歩き出した。
・・・そうだ。考えてみれば、私はあの子の事を知らない。
昔の思い出ばかり引きずり出すばかりで・・・今のあの子を見ていない。
『だから、いつまでたっても、ダメなのよ・・・忍ねーさん。』
現状の変化を望みながら、苦痛を恐れ、逃れ、あの家に居続けているから。
だから、変わる事も出来ず、変わる術も知らず・・・私はあの子の心配をしているだけ。
(・・・なんなのかしら、私って・・・。)
横断歩道を渡りきると、私は溜息を吐いた。
考えて、つくづく、自分に嫌気がさした。
・・・そうだ。
せめて、彼女のように一人で前を向いて、颯爽と走っていくような強さが欲し・・・
※注 ×颯爽 ○必死
「さ、阪野さん・・・人の目があるんで・・・そういうのは、ちょっと・・・!」
「あら、そんな事、いちいち気にしてたら何も出来ないわよ?」
「例え出来ても何もしませんってば!(何もしたくねェし!)ていうか、しないで下さ・・・・・・あ。」
「・・・どうも。」
・・・正直、驚いた。
驚いて”彼女”だ、と認識するのに時間が少しかかってしまった。
反対側の歩道から歩いてきて、私に気付いた『彼女』は、明らかに苦笑いとは呼べない、本当に”微妙な作り笑顔”を浮かべ
私に向かって、正しい社交辞令の手本のように、頭を下げた。
彼女は、すらっと背の高い綺麗な女性に腕を組まれたまま・・・いや、腕を組むというより、片手でしっかりと”掴まれている”と表現した方が的確かもしれない。
彼女の腕を掴んでいる女性は、こちらを見てニッコリと笑って、私に軽く会釈をした。
「・・・水島さん、こちらどなた?」
背の高い美人は、私に向けた笑顔とは違う微笑みを彼女に向けて、そう尋ねた。
その時、なんとなく・・・だが、わかってしまった。
(彼女も、か・・・)
背の高い女性も私の同級生、花崎 翔子と同じ。
水島さんに好意を寄せているのだろう。
だけど。
「・・・私の盲腸・転落事故の時にお世話になった担当医さんです。」
少し面倒そうな顔をしながら、水島さんは答えた。
(だけど、水島さんにとっては”女難”・・・か。)
それもそうだ。彼女は人嫌いで、顔見知りの女2人に挟まれたこの状況を決して良い様に捉えてはいないはずだから。
きっと、彼女の心中は穏やかではないのだろうな、と私は心の中で苦笑する。
その証拠に、さっきから彼女は背の高い女性から距離を取ろうとして、しきりに動いている。
「あら、そうなの?・・・じゃあ・・・」
背の高い女性は私の目を見ながら、ニッと笑ったかと思うと水島さんを思い切り引き寄せて、いとも簡単に彼女にその唇をつけた。
「――ッ!?」
・・・が、しかし、水島さんが咄嗟に顔を背けた為、唇は頬に。
女性は一言「・・・あら、残念。」とまた笑った。
実に楽しそうだ。
「ひ・・・ひ・と・ま・えッ!!」
「だから?」
水島さんの叫びに近い言葉に対し、女性は悪びれる様子も無くあっさりとそう言った。
人々の好奇の眼差しなどお構いなしの女性。
「・・・だから・・・だから・・・やめて下さい。お願いしますから・・・。」
普通なら怒るべき所なのに、彼女はなんとも悲痛な小声で周囲を横目で見ながら、そう言った。
(・・・”お願い”してる・・・。)
多分、余程の事が無い限り、水島さんは人に対して怒ったりしないんだろうな、と私は思い、苦笑した。
※注 正確には、水島さんが小心者なだけ、です。
「可愛いでしょ?」
「・・・え?」
背の高い女性は水島さんから手を離し、私に近付いてきて、そう聞いてきた。
「・・・この人、可愛いのよ、ホントに。そう思わない?」
「・・・・・・・・・。(知らん知らん・・・)」
私がチラリと水島さんの方を見るとすっかり黙りこんで、腕組みをして向こうの街灯を見ている水島さん。
「・・・は、はあ・・・。」
不意に投げかけられた話題に対し、私は曖昧な返事をした。
それが、質問者の彼女の気に障ったようだ。
すぐに私の耳元まで近付いて小声だが、私にだけ聞こえるようにハッキリとこう言った。
「・・・貴女って・・・つかなくてもいい、小さい嘘をよくつく方でしょ?」
(――!)
・・・それは、当たっていた。
「・・・・・・・。」
それだけに、それ以上、私は何も言えなかった。
女性は私の横顔を少しだけ眺めると、ニコリと笑った。・・・が、その笑顔の瞳は、少しも笑ってなどいなかった。
「じゃあ、水島さん・・・とても残念なんだけれど、私、仕事で寄らなければならない所があるから。・・・またね?」
「・・・あぁ、はい、どーも・・・。(”また”は無いと信じたい・・・)」
水島さんは左手を力なく挙げて、ホッとしたような顔でそう言った。
背の高い女性はふふっと笑いながら街の雑踏の中に消えていった。
「・・・綺麗な人ね?」
「うちの会社の秘書課の人です・・・仕事は間違いなく出来る人なんですけど・・・・・・・・。」
そこまで言って、彼女は深い溜息をついた。
「貴女にとっては、女難の人?」
私の問いに水島さんは否定はしなかった。
「ええ、まあ。」
・・・それは、どんなに想っても、変わらないのかしら?
どんなに想っても、それは貴女にとって・・・ただの迷惑なトラブルの一つで・・・
私は、その言葉を飲み込んだ。
「どうして、あんな人が・・・私と関わろうとするんでしょうね・・・・・・はあぁ・・・。」
貴女は、面白いから。
「・・・”可愛いから”。」
『・・・貴女って・・・つかなくてもいい、小さい嘘をよくつく方でしょ?』
・・・それは、確かに当たっていた。
「はい?」
「あの人が言ってたじゃない。貴女は・・・”可愛いから”だって。」
「はあ・・・相変わらず阪野さんは、行動もぶっ飛んでる人だけど、何を言ってるんだか・・・。」
それは”わからない”、”理解出来ない”とでも言いたげな言い方だった。
そして、阪野という名の女性の”ぶっ飛んだ行動”の結果で頬に付いた口紅の存在に、水島さんは気が付いてないらしい。
道ゆく人々がそれを見ていくので、私はハンカチを取り出し、水島さんに手渡した。
「・・・とりあえず、頬の”ソレ”取る?」
私に指摘され、水島さんは携帯パブミラーを取り出し、自分の顔を見るなり、小さな声で「あ。」と呟いて、私のハンカチをすまなそうに受け取った。
「・・・すみません・・・次回の診察の時までに、洗って返します。」
「あぁ、別に、気にしないで。いつでもいいわ。」
返さないで持ってくれていても、良い。・・・と言いかけたが、やめた。
しばらく2人で同じ方向を歩いていた。
これで、すぐに家に帰らなくても済む口実が出来たのだ、と言い訳を心の中でしながら、私は向かっていた駅とは反対方向の方角へ歩き出していた。
「あの、それで・・・」
「ん?」
「先生の従姉妹の事ですけど・・・」
「ねえ、病院内ならともかく、街中で”先生”は、やめない?」
私は、笑いながらそう言った。
確かに私は、水島さんの担当医だ。
「か、烏丸さん・・・」
「お友達なんだから、忍でいいわ。」
「・・・・・・・年上を呼び捨てるのは・・・抵抗があります・・・。」
「まあ、意外と真面目な所は真面目ね?それで・・・あの子、また何かやったの?」
水島さんの顔を見る限り、りりは、また何かしてしまったらしい。
「それが・・・うッ・・・!?」
「水島さん?どうしたの?」
水島さんが急に額に手を当てて、顔を歪めた。
すると、間もなく。
「あっ!水島さん!」
その女性の声に、水島さんは額に手を当てたまま、小さく「・・・またか。」と呟いた。
「は・・・走りますッ!」
彼女の表情は突然、真剣な表情に変わっていた。
「・・・え?あの、水島さ・・・」
「走ります!!」
そう言い終らない内に、水島さんは私の手首を掴み、街の中をいきなり走り出していた。
(ああ、そうか。前に話していた・・・”女難トラブル”を察知したのね・・・。)
「アレなの?」と質問する私に、彼女は大きめの声ではっきりと答えた。
「はい!・・・今度は、多分・・・数が多いパターンです!!」
「・・・そんな事までわかるの!?」
「確実ではないですけど!でも・・・そういうモンなんです!このフザケた呪いは!」
つくづく、この呪いは不思議なモノだと私は走りながら、思った。
不幸をもたらす、その前に、わざわざ察知させる親切機能がついている。
まるで『避けられるものなら避けてみろ』と言わんばかりに。
しかし、水島さんの足は速くて、私は、彼女に付いて行くというよりも、引っ張られているような・・・いや、彼女の足を引っ張っているようだった。
普段、病院内を歩き回ったりしているから、運動はしているつもりでいたが・・・
彼女の背中は、人混みの隙間をするりするりと避け、私の手首を掴む手の力は強くて・・・。
(・・・こんな全速力で走るなんて、何年ぶりかしら・・・!)
正直に言うと、ついて行くのがやっとだった。
必死に女難トラブルを避ける為に走っている彼女の後ろで、私も必死に走った。
息が上がって、苦しくなってくる。
(こんな事、毎日・・・!)
確かに、これが毎日では、彼女の疲労、ストレスに繋がって当たり前だろうと私は納得させられた。
・・・だけど。
私は、楽しくて楽しくて仕方が無かった。
彼女は私をどこへ連れて行くのだろう。どこへ向かっているのだろう。
次は、何が起きるのだろう。
わからない。
わからないこそ、楽しくてたまらない。
必死に逃げている彼女に対し、不謹慎だとは思ったが、私は湧き上がってくる感情を抑えられなかった。
街の人々がなんだとこちらを見るが、気になどしない。
人の間を縫うように、私も彼女の真似をして走った。
・・・だが、無理はするものじゃない。
しばらくは彼女のペースについていった足は、限界を告げるように遅くなっていった。
やがて、私の手首を掴んでいた水島さんの手はぷっつりと離れ、気が付くと私は人混みの中で一人きりになってしまっていた。
気が付けば、街の中の広場だ。
薄暗くなり、照明が点灯し始め、カップル達が「わぁ」っと声を漏らす。
人混みの中で感じるのは、不思議な孤独感。
そして、すれ違う人の顔が、誰も同じに見えてくる。
そんな不思議な感覚は不思議だとは思えど、そんな事はもう慣れていたし、怖くも無い。別に嫌でもなかった。
・・・確かに、嫌じゃないけれど・・・。
私の手首には、さっきまで私を掴んでくれていた彼女の体温が残っていた。
息を整えながら、周囲を見回す。
彼女を探す。
もう、逃げてしまってここにいないのではないか。
その可能性も十分あっただろうが、私はその場でぐるぐると周囲を見回し彼女を探した。
(・・・彼女はどこに・・・!)
『アイツを探して、どうしたいの?』
(・・・彼女に・・・・・・会いたいのよ!)
『会って、どうするの?それで・・・忍ねーさんは変われるの?』
(・・・わからない・・・わからないけど・・・!)
『・・・無駄よ。人は簡単に変われやしない。貴女が一番知ってる事でしょう?』
(・・・それは・・・)
頭に響く声に耳を塞ごうとした、その時。
「・・・し・・・し、忍さんっ!!」
それは、水島さんの声だった。
私は声の方向を見る。彼女は広場の遠くの芝みの中から出て、葉っぱまみれになりながら、周囲を見回していた。
・・・でも・・・一体、どこまで走って、どこを走ったらあんな葉っぱまみれになれるの・・・?
「・・・あ、こっち!こっちよ!」
私が大声で呼ぶと、彼女はハッとこちらを見て走り寄ってきた。
「・・・はあ・・・はあ・・・やっぱり、人混みは苦手・・・すみません!こんな事に巻き込んでしまって。・・・大丈夫、撒きました。」
そう言って、まず深々と頭を下げる水島さん。
「・・・大きい声、出るじゃない。水島さん。」
普段、淡々とボソボソ喋ってる印象が強かっただけに、思わずそんな言葉が出てしまった。
「は?・・・・・・あ・・・いや、ええと・・・話の途中で、こんな事になって・・・もう無我夢中で、つい・・・。」
「ふふふっ・・・子供じゃないんだから。・・・そうよ。はぐれたら、はぐれたで、携帯があるじゃない?」
そう言って笑ってみせる私だったが、携帯の存在に気が付いたのは、実は、たった今。携帯の存在を口に出した瞬間だった。
「・・・あ、そうか・・・。」
「・・・でも・・・ちゃんと届いたわ、貴女の声。」
「・・・・・そ・・・・・それは良かっ」
「”忍さん”とも呼んでくれたし?」
「・・・・・・・・・・・。」
気まずそうに黙り込む彼女に、今のは少しイジワルだったか、と私は思い、こう言った。
「あぁ、友人なら普通の事よ?名前で呼ぶくらい。」
「・・・あぁ、そう、なんですか?いや、でも・・・年上だし、担当医さんだし・・・やっぱり・・・」
「今は医療行為なんかしてないし、歳の事はなるべく言わないで欲しいなぁ?」
「・・・・・・あー・・・いや、そのそういう意味じゃ・・・・・・えーと・・・・・・。」
早速、面倒そうな顔しちゃって。
でも、そこは譲らない。
「ね?水島さん?」
「そう、です、ね・・・・・・・し・・・・忍、さん・・・。」
渋々、という感じで彼女は私を下の名前で呼んだ。
それがまた可笑しくて、私は笑ってしまう。
彼女は余程、下の名で呼ぶのが恥ずかしかったのか、それとも私がいつまでも笑っているのが恥ずかしいのか、顔が耳まで真っ赤になっていた。
「ふふふっ・・・本っ当、貴女って、面白いわ。」
私は笑いながら、彼女の服についた葉っぱをぱっぱと払う。
「涙まで浮かべて笑わないで下さいよ・・・はぁ・・・。(ああ、人の視線が痛い。見るな、コッチ見るな!)」
広場の真ん中では大道芸人がジャグリングを始めた。
私と水島さんは広場の端、遠くの方に座り、大道芸人のジャグリングをぼうっと見ながら足を休めた。
「はー・・・今日は走ったわね・・・ねえ、毎日がこんな感じなの?」
「ええ。」
「じゃあ、おちおち入院してられないわね?」
「ええ。」
「・・・変化のある毎日は・・・ステキな事だと思うわ。」
変化の無い毎日を送る私には・・・少なくとも・・・彼女の日常の一部に触れられた事、それが、私は嬉しかった。
「・・・ステキっていうか、こんな馬鹿馬鹿しい事でも・・・一応、私、真剣に困ってるんですけど・・・。」
私の言葉に反論するように、疲れたような低い声で、水島さんがそう言った。
そうだ。
彼女にとっては、毎日起きている出来事は、トラブルでしかないのだ。
私と違って、彼女は人生に変化を求めていない。
私と違って、さっきみたいに、自分で道を切り開いて自由に走って行ける足があるのだし。
私と違って、つまらない人生なんか送っていない、全く違う人間なのだ。
「あ・・・ごめんなさい・・・。」
大道芸人がボールをリンゴに変えて、ジャグリングを始めた。
タイミングを見計らって、リンゴを齧って投げ、齧っては投げを繰り返し、観客は彼に拍手を送った。
「・・・・・・。」
「そうね・・・貴女の苦労も知らないで失礼な発言をしてしまったわね・・・不快な思いさせてごめんなさい。今のは、忘れ・・・」
「さっき・・・忍さんは、嬉しそうでしたね。」
「え・・・?」
「・・・走ってる時、笑ってましたよ。」
水島さんはそう言いながら、いつもの表情のまま、大道芸人の方を見ていた。
私は彼女に指摘されるまで自分が笑っていただなんて、全く気が付いていなかった。
ただ・・・楽しかった、のは事実で・・・よく覚えている。
「え、あ・・・ごめんなさい・・・不謹慎、だったわよね。」
「・・・いえ、そういう余裕、私も欲しいです。(余裕無さ過ぎて、いつかドジるんじゃないだろうか、って心配だから・・・。)」
「続いては、ナイフを使いまーす!刺激的でしょ〜!?」
大道芸人がナイフを数本取り出し、空に投げジャグリングを始めた。
(刺激、か・・・。)
「・・・ねえ・・・。」
「はい?」
「・・・誰の人生にも、変化は訪れると思う?水島さん。」
「・・・んー・・・どうでしょうね・・・他人の人生は、私には、よくわかりませんけど。」
「・・・・・・・・・。」
(そうよね、私と貴女は違うもの・・・)
「まあ、本人が変化無しだと思ったら無いんでしょうし、違うと思えば、違うもんになるんじゃないですか?
変化のある毎日っていうか・・・同じ日なんか一日だって無いと思いますよ。
少なくとも、この毎日は似てるってだけで、毎日、どこかが違うもので・・・それに気が付くか、付かないかで・・・
その人の人生も、きっと・・・毎日変化していってるんじゃないですか?まあ、それも本人が気が付かなければ、きっと”同じ毎日”に感じるんでしょうけど。」
淡々と彼女はそう言うと、軽く伸びをした。
運動後のストレッチを習慣にしているのは、良い事だ。
「・・・・・・。」
私は、黙った。
「・・・あ、なんか、私・・・変な事、言ってます?」
「・・・あ・・・いえ・・・そう、ね・・・・・・・・・・うん、変かも。」
「・・・・・・・・。」
「あ、違う違う。変っていうか・・・珍しい、のよ。そういう、考え方・・・。」
私はそこまで言って、空を見上げてふっと笑った。
無性に空をみて、笑いたくなったのだ。
「ふふふ・・・そっか、変わってるんだ・・・毎日って。」
貴女は、やっぱり違うわ。
私と違う。
私の周りとも違う。
違っているからこそ・・・きっと、こんなに惹き付けられるんだわ・・・。
同じだ、つまらない、と思っていたあの毎日は、私自身が同じだ、つまらない、とレッテルを貼っているに過ぎなかったのだ。
私自身が諦めて、私の人生を変えようともしなかった。
・・・力云々じゃなかった・・・。
ほんの些細な事に、私自身が気が付くか、付かないか・・・。
それだけで、私の心は、私の人生は・・・少しだけでも、変わっていけるような・・・いや、今からでも変わっていっているような・・・そんな感じがした。
ほんの些細な事だけど、大事な事。
貴女は、それを知っていて・・・教えてくれた。
「あ、そうだ・・・あの、従姉妹さんの事ですけど・・・」
思い出したように水島さんが、私に話をし始めた。
「え?あぁ・・・ええ、そうだったわね・・・あの子、何かやったの?」
「それが先日、電車内で会って・・・」
伝わらなくていいの。
だって・・・それはやっぱり、彼女の望む事じゃないし、彼女を困らせるだけなんだもの。
だから、伝わらなくていいの。
だって・・・伝わっても、何にもならないもの。一体、誰の利益になるの?私の?いいえ。多分、誰の利益にもならないわ。むしろ、不利益よ。
だから、伝わらなくていいの。
だって、私は・・・
「とまあ、そういう訳で・・・今回もどうにかなりましたけど・・・。
とにかく・・・私は、必ずこの状況を乗り切って、あの儀式以外の方法で、このふざけた呪いを解いてやりますよ・・・。」
「ええ、頑張って・・・」
やっぱり、私は彼女を見ている・・・それだけで、いい。
それだけで、いいの。
「私、応援してるわ・・・水島さん。」
「・・・どうも。」
そして、私と彼女は、互いのタバコに火を点けた。
水島さんは残業中。3・・・END
あとがき
PCの不調で、何度も何度もデータがスッ飛んで、パアになり、私の中で『呪われてるんじゃないの?このSS』と名付けたいSSです。
データ飛んだ時は、泣きましたよ・・・。
そしてお馴染み。UPの修正〜〜。(・・・この時だけは、PCの調子も良かったんです。)
改めて・・・烏丸忍さんの話は・・・本当に、書きにくかったです。(私のふざけたい病のせいですけど。)
想いは伝えず、あくまでも忍さんは協力者で居続ける・・・が故に、書きにくいんですね。(ふざけにくいから。)
今回は彼女の悩みにスポットライトを当ててみました。彼女の悩みに対し、火鳥さんはいちいち関わってまして、憎たらしさが更にUP♪
しかし、これで少しは彼女も前を向いて歩いていける・・・かもしれないですね〜。
そして、私としては初めての試み?・・・『(あれでも)デレた?水島さん』(笑)。
相変わらずの阪野さんのセクハラと忍さんのVSモード。(セクハラは安定していましたが、阪野さんがちょっと怖い女になってしまいました。笑)
一応、この体たらくでもアンケート結果を練りこんで、こねくり回してみた烏丸忍編でしたが、いかがでしたでしょうか?
・・・こんなだから、リクエストとか受け付けない性質だという事がよくお分かりいただけたんじゃないか、と思いまーす(笑)
アンケートにご協力いただきました皆様、改めて、ありがとうございました!!