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あの人がいた。


あの人がいたら・・・私は、私の人生は変わっていただろうか。


わからない。


あの人がいた、という情報しか頭に無い。

一緒にいて楽しかったとか・・・そんな記憶も遠くて見えなくて、今は楽しかったのかどうかすらわからない。





「先生?・・・忍先生!」

「・・・あ、はい?」


看護師の五十嵐いすゞさんに名前を呼ばれて、私はハッとした。

少し、ぼうっとしてたようだ。


「次の患者さん呼んで、大丈夫ですか?」

五十嵐さんが心配そうに私に尋ねる。

「はい。」

私は、いつも通りに答える。


「・・・忍ちゃん、何かあったの?」


開きかけた診察室の扉を閉めて、五十嵐さんが私に聞いてきた。


その”何か”すら、私にはよくわかってはいない。

何かが消失してしまったような・・・いや、元々そんなもの自分の中にはなかったのかもしれないが。


「大丈夫です。少し働きすぎたせいかも。」

そう言って笑って見せるが、私との付き合いが長い五十嵐さんは心配そうな表情を変えなかった。


「・・・だったら、少しお休みになったら?・・・お友達と遊びに行くとか。」


友達。

その言葉に、妙な感覚を覚える。


それは、心が少し痛むような、それでも嬉しかったような。

なんだか、不思議な感覚。



「・・・そうね、こんな私に付き合ってくれるような人がいるならね?」


ごまかすように私は笑ってみせた。


「水島さんって患者さんと親しくしてたみたいですけど、彼女は?」

「よく見てるわね。」


私は素直に五十嵐さんに感心した。

でも、水島さん・・・彼女の名前を出されると、何故か不思議な気持ちになる。


もう、全く関係のない人物なのに。

彼女の背中が、頭の中をよぎる度に、目で追ってしまう自分が・・・いた、ような。


それも・・・どうしてかは、今の私には解らなかったけれど。


「忍ちゃん・・・」

「でも、患者さんは患者さんよ。彼女はもう、ちゃんと回復してるし、私の患者さんは卒業しました。」





そう、彼女は私の人間関係の中には、もう・・・いない。










 [ 水島さんは救助中&抵抗中。 〜 烏丸 忍編 〜 ]






白い霧の中、母は車を走らせていた。

助手席に座る私の手元には真っ白なピアノの譜面。


『・・・忍、貴女はね、お母さんにとって特別な存在なの。お母さんが出来なかった事を貴女が叶えて。』

『・・・はい。』


私は真っ白な譜面を見つめたまま、母の口癖のような言葉に頷く。


『忍、私達は家族なんだから。家族の願いを叶えなきゃ、みんな幸せになれないの。貴女にも協力してもらわなきゃ、みんな幸せになれないのよ。』

『・・・はい。』


私は、鉛筆で譜面に音符を一つだけ書き込み、黒く塗りつぶしていた。


白い霧の中、母は私が聞いてきた口癖のような台詞をつらつらと並べていた。

私は白い譜面に何個も音符を書き込んで黒く黒く塗りつぶしていた。



(早く、着かないかなぁ・・・。)



母の車での話が始まると、何故か自分の目的地は遠いような感覚に襲われた。

その度に私は下を向き、目的地で使う教材に鉛筆を走らせていた。


母は車の中で繰り返し繰り返し、呪文のように私に家族の義務と自分の理想の娘像を聞かせた。

白い霧の中、目的地は・・・まだ、見えない。


母の呪文のような話は続く。

私は音符を書く。


『忍、貴女はね、お母さんにとって特別な存在なの。お母さんが出来なかった事を貴女が叶えて。』

『・・・はい。』




(早く、着かないかなぁ・・・。)



シートベルトを外して、早く車の外に出たかった。

私をしっかりと固定するこのシートベルトを外してしまいたかった。




(でも、彼女なら、あっさりとこのシートベルトも外してしまうんだろうな・・・)





そこで、ふと私は気付く。





(・・・”彼女”って誰だっけ・・・?)





私は目を覚ました。


「やっぱり、夢か・・・。」


枕元にある時計を見ると午前3時。

せっかく明日は休日なのに、たった3時間で目が覚めてしまうなんて、と私は髪をかきあげながら苦笑した。

ふと左手を挙げて、小指を見つめる。



以前、りりが言っていた。

私が水島さんの事をよく覚えていないのは、彼女が私との縁を切ったからだ、と。

その縁というのは、私の小指についていたらしい。


・・・水島さんとの縁。


私には見えないんだから、信じられない話だけど、りりは、いたって真面目に話していた。

でも、私には彼女との過ごした時間がぽっかりと抜けてしまっている。


水島という名の人がいた、という情報しか残っていない。


それ以外の記憶はぼんやりとしていて、私が思い出そうと思うたびにどんどん遠くに行ってしまう。


そして、私の中の空洞がどんどん広がっていくような・・・そんな感じ。

りりは「そんなものなのよ。」と特にそれ以上言わなかったが・・・私の中の空洞は、どんどん広がるばかりだった。



つまらないと感じる日が今日も始まろうとしている。


以前、誰かがそんな私に向かって何かを言ってくれたような気がしたが、よく・・・覚えていない。


私はベッドの中に潜り込み、身を小さくさせる。

母親の胎内で眠る赤ちゃんのように。


私もかつては、こんな風に眠っていたのだろう。

様々な希望をもって、生まれて・・・




また白い霧の中。

私は、音の出ないピアノの前で指を動かしていた。


『いいんですか?院長婦人がこんな事を・・・。』

『いいのよ。こんな事でもしてなきゃ、やってられないわ。ねえ、先生?』


聞こえてくる声は、母と当時のピアノ講師の先生だ。

それは、子供でも嫌でもわかってしまう関係だったが、私は、見て見ぬフリをしていた。

家庭を壊してはいけない。それは、義務だから。

母は、私の教育に一生懸命だった。それに感謝をし、母の希望通りに生きていくのが、子供としての務めだと思っていた。


『奥さん、ストレス溜まってるんじゃないですか?』

『当たり前よ。私の人生は、こんな筈じゃなかったもの。でも、人生って諦めが必要なのよ。諦めて、他の道を探して幸せになるの。その方がずっと簡単。』


母は、私の為に努力をしてくれている筈だ。そう言い聞かせて、私はピアノの前で指を動かし続けた。

母の諦めた人生の中に私は含まれているのか、どうかも、考えた。

だが、そんなの考えるだけ無駄だと思い、諦めた。


『じゃあ、今、この時間は、奥さんの幸せの時間かな?』

『ふふっ・・・そうね。これが、本当の私・・・あなただけに見せる、本当の私よ。』


家族に本当の姿を見せず、赤の他人に本当の姿を曝け出す母。

私は、自分の本当の姿を一体、どこで見せれば良いのだろう。

それも、結局、考えるだけ無駄だと思い、諦めた。


『あの子の事、お願いね。忍は、私の人生の一部なんだから。』

『勿論ですよ。今度のコンテストはミスさえしなければ、忍ちゃんが優秀な成績を収める事でしょう。』



私は、努力した。

家族の為。

母の為。

それが、自分の為だと言い聞かせた。


それでいい、と母は私を家族として認めてくれ、褒め、笑ってくれた。


だけど、そんな私の人生は、どんどんつまらなくなっていった。


白い霧の中で、私は音の出ないピアノを弾き続けた。

母の艶っぽい笑い声だけが、耳にしっかりと残っていた。



目を薄く開け、私は呟いた。



「・・・変な夢ばっかり。」



見る夢まで、つまらない。


その後、なんだか眠れなかった。

夢には、自分の本来の願望や抑圧された感情が出ると聞くが、私の夢ときたら、つまらなすぎて眠るのも億劫だ。




「忍。」

「兄さん、どうかしたの?」


午前、回診に向かおうとする私の腕を取り、兄が私の前に立ちはだかった。


「・・・高見蒼の手術、お前がやるんだって?」


髪をかきあげ、兄はそう言った。


「ええ。」


私は端的に答えた。

すると、兄は険しい顔をして私を見た。


「どういうつもりだ?あんな難しいオペを引き受けるなんて、らしくもない。」


兄の指摘通り、確かに従来の私らしいとは言えなかった。

自分から積極的にオペを取りに行くなんて事は、今まで無かった。


「従姉妹に直々に頼まれたんだし、費用だってあるし、大体、遅かれ早かれ、オペしなければならない患者よ。」


りりが来て、私に頼むなんて滅多にない事だったし、それはそれで面白いかも、と不謹慎だが、そう思ってしまったのだ。

勿論、興味本位だけで乗り切れる手術じゃない。

すでに医師としての覚悟は出来ている。私は、自分の全てをかけてこの手術に臨む覚悟でいた。

こんな”自分の意思”が残っているなんて、自分でも不思議だった。


「それでも、何もお前がやらなくてもいいだろ・・・あんな難しいオペ、お前にはまだ無理だよ。自殺行為だ。父さんの意見は聞いたのか?」

「・・・どうしてもって自分から頼んだわ。」


「・・・父さんも娘には甘いよな・・・」


兄は呆れたようにそう言ってから、また髪をかきあげた。


「最近のお前さ、なんか自棄になってないか?」

「どうして?」


溜息を一回ついて、兄は言った。


「高校の時、母さんに初めて反抗した時とソックリなんだよ。今のお前。・・・黙っていりゃ、楽なのに。」


そう、確かに面倒事は起きないし、楽だった。

だけど、それでは私は、つまらないのだ。何も無いのだ。



「莉里羅といい、水島って患者といい・・・付き合う人間は考えろ。影響されるな。あいつらとお前は所詮、違うんだよ。」




あの人達とは、違う。



兄のその一言に、なんだか私はムッとした。

自分でも、嫌でも解っている事なのに。


「・・・・・・わかってるわ、そんな事。」


私はそう言って、兄を睨みつけ、押しのけるように前に進んだ。






「ねえ、忍先生。」


聴診器をあてる私に向かって、高見蒼が話しかけてきた。

彼女が、今度のオペの患者だ。


「何?蒼ちゃん。」

「今度の手術・・・ちょっと怖いかなって。・・・なんて、弱音・・・やっぱり、少しは吐きたいなって・・・。」


そう言った後、彼女は苦笑した。

本当はもっともっと怖いだろうに。彼女の心臓がそう告げている。


「そうね、とても難しい手術になるわ。・・・いつものお姉さんにはそういう弱音、言わないの?」

「・・・言うよ。そういう時、火鳥お姉ちゃんは黙って抱きしめてくれる。ずっとずっと。」


・・・これは、意外な事を聞いた。

あの愛想の欠片もなかった従姉妹が、ねえ・・・。


「ねえ、忍先生、火鳥お姉ちゃんの下の名前なんて言うのかなぁ?従姉妹なんでしょ?」

「治ったら、教えてもらうんでしょう?」

「・・・うん。」


それに、今うっかり教えてしまったら、きっと、りりに怒られるだろう。

高見蒼は窓の外を見つめながら言った。


「・・・絶対に、諦めないって約束したから。」


それは、誓いの言葉。

従姉妹との、そして、自分に対しての決意がこもった力強い言葉だった。


以前の彼女には、なかった姿勢だった。


「もう一人のお姉ちゃんも面白かったなー。また会えないかなぁ・・・。」

「・・・・・・。」



もう一人。

多分・・・あの人の事だろう・・・。

あの人は・・・面白い、人・・・。




『忍さん。』




一瞬だけ頭をよぎる、困惑した表情に、タバコをふかす横顔。


・・・彼女と過ごした時間・・・。



(ダメ・・・やっぱり、思い出せない・・・。)



やはり、思い出せない。私の中の思い出は、やはり、従姉妹の言う通り・・・戻らないのだろうか。




屋上で一人、タバコを吸う。

隣に誰か、大切な誰かがいたような、そんな不思議な感覚を感じながら。



(・・・あーあ・・・つまんないな・・・)


ふと、下を見下ろすと冷たいコンクリート。

吸い寄せられような高さに、私は思わず足を一歩前に出そうとする。


「ちょっと。」

「・・・あ、来てたの?」


振り向くと、従姉妹が険しい顔をして立っていた。


「・・・妙な事、考えてないでしょうね?」

「何が?」


従姉妹がじっと私の顔を見つめる。

私は、いつも通り笑っている。

やがて、呆れたような顔になって、従姉妹は言った。


「・・・ま、いいわ。手術の時間に変更は無いでしょうね?」


従姉妹は、高見蒼の手術中に乗り込むという計画を私に聞かせた。

当初は反対した私だが、従姉妹の熱意と不思議な感覚に押し出されるように、許可してしまった。


「無いわ。何をするつもりかは知らないけれど、患者の命に関わる事になったら、私も医師として追い出すわよ。」


しかも、大事な手術中に、この従姉妹が何をするか全くわからないのだ。

不安と興味が半分ずつ交差して、私の表情を緩ませる。

そんな私を少し複雑そうな顔して、りりが見つめる。


「邪魔になったら、いつでも追い出して。その前に決着はつけるつもりよ。アタシ達は、いつでも出て行くから。」


その従姉妹は、いつにもまして憂鬱そうな、それでもどこか、強い決意と闘争心で満ちた顔つきだった。

従姉妹のその目は、誰かを・・・思い出させる。



・・・でも・・・誰だったか・・・ハッキリしない・・・。

ハッキリしなくてぼんやりして・・・なんだか、気持ちが悪い。





オペ当日。



緊張と不安の中、オペが始まった。

スタッフは皆、緊張していた。


(・・・やるしかない。)



私が再び覚悟を決めた瞬間。


彼女達は・・・変わり果てた姿というか、なんというか・・・とにかく、現れた。


(な・・・ッ!?)


私は、言葉を失った。



「「♪夢中〜で〜頑張る君へ〜エールを〜♪」」



声はヘリウムガスで変わってはいたが、間違いなく従姉妹と私が知っている・・・誰か、で。

挙動は不審そのもの。

というか、何をしているのか、全く意味が解らない。


私は、思わず、吹き出して笑ってしまいそうになるのを必死にこらえた。


オペは中断すべきかもと、一瞬考えたが、私はあえて、そのまま続けた。

驚くほど、私は落ち着いていた。


飛び交う奇妙な歌声と悲鳴。

手術室は、たちまちパニック状態になった。(負傷者も2名出た。)


一人は歌を歌いながら阿波踊り、もう一人(多分従姉妹)は石をぶん回しながら手術室を歩く。


・・・それでも、私は不思議と落ち着いていた。この異常な現場で、メスを握り、冷静に状況を判断できていた。



従姉妹と・・・わからない誰かが、きっと何かやってくれているのだ、と信じていた。

根拠は無い。

でも、彼女達の目がそれを物語っていた。


見えない何かと戦っている・・・ような。

決して、ふざけている訳ではない、真剣な戦いの目。



そして、石が振り回され、何かに当たった瞬間、何かがパリッと弾けるような音がした・・・気がした。



医師として、どうかと思うけれど・・・こんな状況は初めてで、ゾクゾクした。


それと同時に、目の前の患者の容態が安定してきた。

すると、スタッフの過度な緊張感は無くなり、このオペが成功するような気がしてきた。


もしも、この難しいオペを成功させる事が出来たら、いっそ医者をやめてもいいかな、と思えてきた。

その位の覚悟で、私はこのオペに全てをかけた。

兄の言うとおり、今の私はいつもの私らしくなく、自棄を起こしているのかもしれない。


でも、いつになく、今の自分を好きでいられた。











屋上でタバコを咥えていた私の背後から、兄がやって来た。



「・・・オペ成功したんだってな。」


気に入らない事でもあったような、複雑そうな顔の兄。


「”ざまあみろ”。」


小声で私は呟いた。


「・・・あ?」

「失敗するって思ってたでしょ?兄さん。」

「そ、そんな事言ってないだろ!俺が心配してるのは、不審者が入り込んだって話じゃないか!

それに、また莉里羅がスタッフに金を掴ませて、何かやろうとしてるって話だぞ!病院の名に傷がつく前に、やめさせろ!もうあんなのに関わるな!」


まくし立てるような兄の言葉を私は聞き流した。


「兄さんが、やれば良いじゃない。私、今日の力は使い切ったから。」


なんだか、だるい。

病院も、何もかもどうだっていい。


やるべき事が終わった後の達成感。

・・・でも、それ以外、私に残された物は・・・何も無い。


明日からは、またつまらない日々が始まる。

ああ、また、つまらなくなる・・・。



「いい気になるな、忍。お前がこの病院で出来る事なんか、限られてるんだからな。今日みたいなオペに、そうそう関われると思うなよ。」

「別に・・・そんなつもり無いわ。兄さんのやりたいようにやれば良いんじゃない。お邪魔はしないから。」



「今度の母さんの見合い話には、ちゃんと付き合えよ。悪い事言わないから、お前は、お前の幸せを見つけろ。」


「・・・・・・。」


私の幸せ。


家族の幸せ。


全部、イコールで繋がれてるけれど、本当は違うのを私は知っている。


だけど、私が私の幸せを掴もうとすると、家族が傷つく。


だから、諦める。

母のように、違う幸せを見つけようと道を変える。

諦めて、道を作るのをやめて、障害物に当たる事無く、避けて、曲がる。



・・・でも、私の進みたい道は・・・





「お前の幸せは、ここには、無い。」






兄の言うとおり、私の進みたい、道は・・・ここには、無い。


(・・・だるい・・・。)


私には、もう自分の道を作る力も、無い。

・・・もう、疲れた。



何もかも。



(諦める事で別の幸せが見つかるのなら・・・いっそ・・・。)




兄が去った後、私は黙って2本目のタバコに火をつけ、下を見下ろした。






『・・・つまらない人生に”結末”を。』





誰かが、そう囁いた気がした。


ああ、まったく、その通りかも、と思えた。

こんな人生に終止符を打ってしまうのも良いかもしれない、と思った。


その瞬間、風が吹き、タバコが落ち・・・ぐらりと身体が揺れた。

まるで、吸い込まれるように、私は手すりの外へ落ちていこうとしていた。


「・・・あ。」


咄嗟に手すりを掴もうとしたけれど・・・やっぱり、やめた。

これも運命だと言い訳して・・・このつまらない人生に終止符が打てるなら、と私は簡単に手を離した。



目を閉じる。

数秒後には・・・私は・・・





「――――何やってるのよっ!?」



腕が力強く引っ張られる感覚で、私は目を開けた。

見上げると、従姉妹が真っ赤な顔で私の腕を掴んでいた。


「・・・りり・・・もう、疲れたの・・・」


私は、そう言って手を離すように言った。

だが、りりは、まったく手を離してくれなかった。


「私の人生は、もう何も変わらないし・・・変える力だって、無い・・・今度母がお見合い話を持って来たら、私は頷くしか道が無い。

私に選択権は無い。私に、人生を変える権利は無い。家族の幸せを壊してでも、自分の幸せを掴む事なんて出来ない。」



「・・・いつまで、そうやって待ってるつもり!?」

「・・・・・・。」


りりが怒鳴った。


「誰かに助けられても、自分の人生を進んでいくのはアンタ自身なのよ!まだ誰かに連れ出してもらうのを待ってるの!?

アンタの優秀な頭も、その足も・・・アンタ自身が、アンタの思うとおりの道に前に進む為についてんのよ!!」


それでも、私が自分の人生を自分の思い通りに歩けた事なんて数える程も無い。

・・・選ぶ事すらも。

だから、私は、ずっと人生を変えてくれる、あの家から連れ出してくれる人を待っていた。


だけど、私には誰もいなかった。


「そして、アンタのこの手はッ!ただの命綱なんかじゃない!


この手は・・・水島を・・・アイツを離さない為についてるんでしょ!?


何もしないうちに、ただ諦めるなんて、このアタシが・・・絶対許さないわよッ!!!」


・・・水島、さん・・・。

そう、確か・・・そんな名前の人がいた気がする。

彼女といると、私は何故だか自分が変われるような、そんな・・・そんな不思議な感覚になって・・・。



でも、彼女は、彼女に関する情報だって、もう私の中にはいない。



「りり・・・そんな事言ったって・・・もう私、ダメなのよ・・・私みたいな、つまらない人間、彼女と一緒にいても変わらないんだから。」


「忍・・・!」


りりが言っていた。

縁を切られる前、私は水島さんが好きだったのだ、と。

もし、そうだったのだとしたら・・・。


「私は彼女が好きだったのかもしれない・・・もしそうだったのなら、私は幸せだったのかもしれない。」


・・・でも・・・。



「でも、今の私には・・・彼女に対する気持ちも、一緒に過ごしたはずの楽しい思い出の記憶も、何も無い!水島さんがいた、という”情報”しか私の中に無いのッ!!」


彼女との思い出は空洞と化してして、何も覚えていない。

私には、何も無い。



お願い、もう手を離してと私はりりに頼んだ。

だが、りりは”嫌だ”と答え、こう続けた。


「でも、正直言うと・・・もう限界だわ・・・あと・・・あと10秒で・・・アタシは、この手を離す!だから、自力で上がりなさい!忍!!」


「りり・・・もう無理よ・・・」


私は、もう十分。

あんなオペは、二度と出来ないし・・・もう、十分だ。





「上がってくるのよ!忍!自分の力で!!・・・10!!」

「りり・・・私は・・・」



その自分の力が無いの。



「9!」

「お願い・・・」


私は、涙を浮かべた。

こんな私に、従姉妹が最期に、こんなに優しくしてくれた事が純粋に嬉しかった。


「8!」

「離して・・・りり・・・」


「7!」


もう、従姉妹を巻き込めない。


「6!」


カウントダウンと共に徐々に従姉妹の手の力が無くなっていくのを感じる。


「5!」


腕は、ずるずると下へ落ちていく。


「4!」


振り払おうとも考えたが、返って危ないと思い、私は離すようにお願いするしかなかった。



「3!早く、上がって・・・来なさいよッ!!」


りりが叫ぶ。

それに対し、私は・・・



「・・・・・・・ごめん・・・」



・・・本当に、ごめんなさい・・・。


そう言えば・・・前にも、こんな気持ちで、誰かに謝ったような気がする。


ちゃんと謝らなくちゃ、と思ったけれど・・・もう、その人が誰なのかも・・・どうして謝らなくちゃいけないのかも、わからない。




「・・・2!」

「ありがとう、りり・・・それから、本当にごめんね・・・。」


もういいよ、りり、限界でしょう?



「1・・・ッ!」




・・・楽になって、いいよ。りり。





”パシッ!”





「・・・プラス、300秒ッ!」



力強い声と私の腕をよりしっかりと掴む、もう一本の腕。


その人は・・・





「水島・・・!?」

「・・・水島さ、ん!?」



そうだ、この人が・・・水島さんだ・・・!


私をしっかりと見つめる、強い意志が感じられる瞳。


「私は、隣の女と同じように、絶対、手は離しませんから!だから、上がってきて下さい!忍さん!!ていうか、火鳥、もう一度、力振り絞れ!引き上げるぞ!」

「い、言われなくても解ってるわよ!ていうか、アンタ、来るのが遅いのよッ!!」


手を代えて、りりが水島さんに向かって怒鳴っていた。


「うるさい!こちとら、色々あったんだ!せーの!!」

「うるさい!アタシに命令しないで!せーの!!」



「「・・・せッ!!」」



みるみる、私の身体が上に上がっていく。

遂には、二人のその勢いに押され、思わず、私ももう一方の手で、手すりを掴んでいた。



3人共、息を切らし、床に座り込んだ。

すると、水島さんがこちらへ近付いてきた。


「忍さん。」


名前を呼ばれ、私は顔を上げた。

水島さんは口をぐっときつく閉じたまま、私の目を見つめていた。

彼女は、安心しているような、悲しそうな、そんな色々な感情が複雑に入り混じった顔で私を見ていた。


(どうして、そんな顔してるの?)

「・・・・・・。」



”パシンッ!”



やがて彼女は、私の頬を叩いた。

頬に熱い感覚と痛みが、すぐさま襲ってきた。




「何やってるんですか!命を救うべき医者が、簡単に自分の命を粗末にして!

つまんないだの、なんだの・・・よくは、わかりませんけど!私は貴女といる時間は、つまんなくなんか、なかったですよ!

いくらでも笑わせてあげますから・・・ッ!今死ぬなんて言わないで下さいよッ・・・!

大体、今、貴女が死んだら・・・貴女が死んだら、私や火鳥が悲しむんですよ!?それくらい、その頭に浮かびませんか!?」




彼女は、やや早口で私を怒鳴った。

私と過ごしていた時間を彼女は覚えていてくれて、そして”つまらなくない”と否定してくれた。

彼女を見ていると、自然と笑顔になれた。彼女は全然笑わせてくれてるつもりは無かったというのに、私を笑わせてくれると言ってくれた。


(あれ・・・?私、この人の事・・・覚えてる・・・?)


私は、彼女の事を何も覚えていない筈なのに、何故だか、ああ、彼女はこんな人だったな、と思った。



「・・・水島さん・・・」



「だから、つまらないから死ぬなんていう貴女は、馬鹿ですッ!・・・助かって、本当に、良かった・・・!!」


私の両肩をがっしりと掴み、水島さんは俯いたまま、そう言った。


・・・馬鹿・・・。


「私・・・初めてだわ、真正面から身内でもない他人に馬鹿って言われたの・・・。」



年下の彼女に叱れているのが、無性に嬉しくて、泣けてきた。




――――― そうだった。




いつだって、彼女は私の目の前に現れては、私の人生に無いものを見せてくれる。

人生には、色んな可能性がある事を教えてくれた。


彼女といると、自分の人生が面白いような錯覚を起こした。

その錯覚が、楽しかったし、嬉しかった。

この時間がずっと続けば良い、と思った。彼女と一緒にもっと過ごしたいと思った。


貴女といると・・・本当に、面白く生きている気がしたから。


「だから・・・だから、私は、貴女の事を好きになったんだわ・・・。」


私は、彼女の胸に飛び込んだ。

酸素を求める肺のように、私は彼女を心から欲しいと思った。

りりの言うとおり、この腕は、逃げ足の早い彼女を離さないため。




「だから・・・だから、私は、貴女の事を好きになったんだわ・・・。」



「し、忍さん・・・!?」


私と彼女二人分、血液の流れる音が交差して聞こえる。

生きている事と彼女に会えた事、そして・・・


「思い出した・・・貴女は私の好きな水島さんだって・・・!」

「・・・!」


水島さんを思い出せた事。

何年も掛かったパズルのピースがやっとはまって、完成させる事が出来る喜びに、似ている。


「思い出した?・・・か、火鳥!?な、何をしたの!?ま、まさか・・・ッ!?」




彼女は、私とりりを交互に見比べながら、何故か慌てだした。



「ちょ・・・ちょっと!?火鳥!?」


心臓が、先程よりも鼓動を早めた。先程、私を助け出した時よりも動揺している。


「・・・自分の女難の事くらい、自分でちゃんと処理してって事よ。」

「だから、なんだ!?その”やってやったわよ”っていう、どや顔はッ!誰が望んだ!?」


そうだった。

何故か、ずっと忘れていた記憶がハッキリしてくる。


水島さんは、何故か女難に遭う女性で、女性関係で苦労をしていたんだっけ。

そして、私も、そんな女難の一人だ。



「あんな風に感情的になって、雑に処理しないで、今度こそ”アンタなりのやり方”で、けじめはつけなさいね。」

「だから!私が、いつ、何時何分何十秒前にそんな事を頼んだんだッ!?」


りりと水島さんは、すっかり友達になっているみたいで、テンポの良い掛け合いを繰り返す。


「・・・フン・・・とにかく、これで借りは返したわ。もう手なんか貸さないわよ。」

「人の話聞いてますー?勝手に何をしてらっしゃるんですかー?って聞いてるんですけどー!?」

「うるっさいわね・・・。」



二人の漫才のような会話を耳にしながら、私は思った。

好きだって、水島さんに知られてしまい、今も自分から好きだと白状してしまった。

当初、彼女に女難の一人だって知られるのを恐れていたけれど・・・今の状況だって、楽しもうと思えば結構楽しいかも、と。


何より、今、水島さんに会えて、こんなにも嬉しいだなんて・・・。

自分に、まだこんな気持ちがあるだなんて、思わなかった。




・・・本当に。


人生、何があるかわからない。





(・・・私の人生も、結構、面白いじゃない・・・。)



「大丈夫ですか?」

水島さんがそう聞くので、私は少し顔を上げて、りりを見た。

従姉妹はふうっと溜息をついて憎まれ口を叩いた。

「・・・誰かさんがもっと早く来てくれたら、もっとマシだったわよ。」


・・・あれは、相当まいっている。りりは、そういう子だ。

意地を張って、あんな口を利いているけれど、すごく疲れている。

それでも、弱っている所や限界をギリギリまで見せようとしない。そして、優しい言葉や気遣いなど必要ともせず、跳ね除けるのだ。

これも、私がかつて強く求めた火鳥莉里羅という人間だ。


(・・ありがとう・・・りり・・・。)



「・・・じゃあ、お邪魔しましたぁ」



そう言って、りりは立ち上がると、少しふらつきながら、屋上の出口へと向かって歩いていく。


「うん、りりは察しが良いから好きだわ。ありがと♪」


・・・近いうちに、診てあげよう。


「ま、待て!火鳥!こんな状況の私を一人にしないでーッ!!」

「ハッ!知らないわよ。そこの従姉妹は一度開き直ったら、手が付けられないんだから。」


りりがいつも通り、鼻で笑った。

りりの言葉のパスを受けて、私は口を開いた。


「あら、わかってるじゃない、りり。・・・という訳で、水島さん?」


私は、笑顔で水島さんに話しかけた。


「あ・・・は、はい・・・?」


彼女は顔を引きつらせながら、答える。


「私は・・・もう、ご存知の通り、貴女の友達じゃなくて、恋愛感情をもっている”女”だから。頭の隅にでも意識はしておいて、ね?」


開き直りとも思える言葉を私は、彼女に放った。

いや、単に隠すのをやめただけだ。

彼女が嫌がる事はするつもりは、これからだってない。

だけど、私は、この正直な気持ちをさらけ出したまま、彼女に接していたいのだ。

彼女がそれでも迷惑だというなら、仕方ないかもしれないけれど、きっと彼女は、態度を変えずに接してくれる、と信じていた。


「・・・は!?え・・・あの・・・はあ・・・。」


りりが、やってられないわ、といった表情を浮かべ屋上から出て行く。


(りりも、ありがとう・・・。)


私は目でりりの背中を見送ってから、水島さんにより強く抱きつく。


「なんか・・・今になって、怖くなってきちゃった・・・申し訳ないけど、もう少し・・・このままでいて・・・水島さん。お願い。」

「え?・・・あ・・・はい・・・。」


私は額を水島さんの肩につけて、背中に腕を回す。

水島さんは、そっと手を背中に添えてくれた。



「ねえ、水島さん・・・貴女が自分の人生を送る上で心掛けてる事って何?」

「な、なんですか?突然・・・。」


抱きついたまま、私はなんとなく彼女に問いかけてみた。


「ポリシーみたいなもの。貴女って、そういうのちゃんとしてそうだから。」

「・・・うーん・・・一人で過ごす事・・・いや・・・それは好きな事だし・・・」


ブツブツと独り言を言う水島さんはやがて、ぼそりと答えた。



「・・・諦めない事。」


「・・・・・・・。」


「私は、絶対に諦めたくないんです。周囲の人の行動や考え方は、どうにも出来ませんけど

自分の意思だけなら・・・自分の人生の方向だけならば、自分で決められます。

いや、私は、それを自分で決めたいんだと思います。それだけは、絶対に、絶対に・・・他人にも、いや、誰の手にも渡したくはないんです。

その・・・嫌というか・・・自分が後悔、したくないから・・・だから、私は私の人生の行き先を簡単に諦めたりできません。・・・私の場合、それだけ、です・・・。」


それだけ、とは言っても、それがどれだけ私にとって難しいか・・・。

私は苦笑した。


「そっか・・・。」


でも、彼女が私より面白い人生を歩める理由は、そこにあるのだと思う。


「きっと・・・自分の人生は・・・自分で決めて、変えて良いんですよ。」

「そうね・・・。」



そして私は、彼女としばらく月を眺めた。

いつもは弱々しいなと感じる月の光が、やけに強く感じた。


(・・・月だって、あんなに輝ける力を持っているのね・・・。)



その後、私は彼女を自宅まで送り届けた。

車の中で色々な話をした。

ずっと彼女に言えなかった、私が彼女に惹かれた理由の一部。

本当は、もっともっと話したいのだけれど・・・彼女は、それを望んではいないだろう。




人の想いって、悪意があってもなくても・・・時々、すごく重くて潰れそうになるのを、私は知っているから。





 ― 数日後 ―





母が上機嫌で私の目の前に見合い写真を持ってきて、広げた。


(・・・ああ、遂に来たか。)


私は目を閉じ、コーヒーを飲んだ。


「どう?忍・・・そろそろ、真剣に考えてみなさい。今度のお相手はね、母さんの本命なのよ。」


それは、一体、何人目の本命だろうか、と私は思った。

母さんの話が始まるやいなや、父と兄は私から目を逸らした。


母は、私の事を考えている、つもりなのだろう。

こういう愛し方で、私を育ててきてくれたのだし、私もそれに慣れて、ここまで来た。

母の想いは強くて、私はそれを受け止めようと努力していた。それが、正しい親子なのだと思っていたから・・・。




 だけどね、違うの、母さん。




「・・・嫌よ。」



私はカップを置き、溜息をつきながら、お見合い写真をスッと母の手元に押し返した。


「え?」


呆気にとられたような顔をする母に向かって、私はもう一度ハッキリと言った。


「冗談じゃないわ。」


「・・・は?」


信じられない、といった顔で母はもう一度私に疑問を投げかける。


「もう、ウンザリだって言ったのよ。私は、母さんの娘だけど、母さんの物じゃないわ。」


私がそう言った瞬間、兄は片手で顔を覆い、溜息をついた。


「し、忍・・・ッ!?」


「勝手に自分と娘を重ねて、出来なかった事を娘(私)に押し付けないで。

これ以上、私の人生を好き勝手にいじくりまわして、満足感を得ようとしないで、やりたい事があるなら正々堂々、自分でやって。」


「ま、まあッ!忍!貴女の為にお母さんがどれだけ苦労していると思っているの!せっかくのお見合い話なのに、自分でやって、ですって?私を馬鹿にしてるの!?」


「馬鹿な部分をに馬鹿だって指摘して何が悪いの。それに、ただ馬鹿にしてる訳じゃないわ。私は、母さんに自分の願望を私に押し付けるのを”直して”って言ってるの。

そうしたら、私の為に苦労するのなんか減るじゃない。お母さんは自分の為に言う事も聞かない私を無理矢理操作しようとして、勝手に苦労してるだけなのよ!」


「し、忍・・・ッ!よくも、そんな口を親に向かって・・・!今まで・・・今まで母さんがどんな思いで貴女を育ててきたか、貴女にわかるのッ!?」


感謝はしていない訳じゃない。

今の私があるのは、母さんのおかげだ。

だけど、母さんは、そこに漬け込んで私を縛りつけようとする。


「・・・感謝はしてるわ。でも、私、もうプチンッと切れちゃったの。限界。だって、やっぱり私は、母さんの物じゃないんだもの。

私の人生は私のものよ。これ以上つまらない文句をつけないで。」


「忍ッ!!」



”バチン!!”


母が、思い切り私の頬を叩いた。


(・・・・・・水島さんのより、全然、痛くないわ・・・。)


息を荒げる母を私は、じっと見つめ返した。



「次殴ったら、私・・・殴り返すわよ、母さん。」



「!!!」



私の一言に家族全員の顔色がサッと変わった。

ゴメンナサイ以外の、しかもこの一言で最低な事になるのは、わかっていた。

殴る殴られるなどはこの際、問題ではない。殴り返す気は無い。これは、家族の要望に拒否を示す、明確なる、私の”反抗”の意思だ。



「お、親に手をあげるだなんてッ!こ、こんな子に育てた覚えないわよッ!」


母は、顔を真っ赤にして怒り出した。


「し、忍、言いすぎだ!母さんに謝りなさい!」


父は母をなだめるように寄り添い、私を睨んだ。

父は面倒事が嫌いだ。面倒事を起こす奴は敵だと思っている。そして、とりあえず自分の体裁を保つ為に、重い腰を上げる・・・それだけ。

・・・私はそれを知っていた。


「その場を取り繕う為に、嘘の宣誓をして頭を下げるのもウンザリ。母さんのご機嫌伺いの役目は、父さんと兄さんでやって。」


そう言われた兄も、立ち上がって怒り出した。


「忍!いい加減にしろよ!!おまえ、おかしいぞ!?いいから、とにかく、母さんに謝れ!!」


「私の事なんかどうでもいいから、とにかくこの場を和やかにする為に謝れって事かしら?兄さん。

だったら、嫌よ。母さんが自分の過ちを認めてくれるなら、別よ。少し言い過ぎましたって謝るわ。

でも、それ以外の事は、絶対に譲らない。私の人生に関して、家族であろうと、これ以上誰も口は出さないで。」


「・・・おまえッ!・・・・・・くそッ!俺は、知らないからな!」


兄は、そう言って拗ねた子供のように再び椅子に座った。

彼は、決められたパターンの台詞以外・・・咄嗟のこんな状況の際、肝心の言葉が出てこないのだ。

そして、一応、私の身を案じてはくれているが、何もしてはくれない。

・・・私はそれを知っていた。

母は泣き出した。


「母さん、これは一時的な事だ。忍は、悪い人間の影響を受けて一時的に反抗しているだけなんだ。働く女には、こんな事よくある事なんだ。自分の身の丈も知らないで。」

「身の丈を知った女は、家族の為にしたくもない結婚をしなければならないんでしょうか?

女性の身の丈は知っているつもりでも、娘の事は何も知らないのね。それって、知ってるって言うの?

私の本当の気持ちをこうやって訴えても、一時的なパニックで片付けられて、私の本当の幸せについては誰一人聞いてもくれないし、考えてもくれないのね。」


私の言葉に父は言葉に詰まり、こう切り返した。


「み、妙な人間と付き合ってるからそうなるんだ!水島、とか言ったか!?もう、そいつとは縁を切れ!!」


私に原因が無いとなると、今度は周囲の責任、ですか・・・。

父の”決定”に、私はきっぱりと拒絶をした。



「それも嫌です。その人との縁は、もう二度と切りたくなんかありません。

言ったでしょう?私の人生に誰も口を出さないで、と。」



「忍!何がお前をそうさせるの!?何が不満なの!?」


母が涙声で訴えかけるように言う。

今までは、家族の情に負けていた私だが・・・いや、単に自分自身が”諦めていた”だけ、だろう。



自分の言葉で、この家から出る事を、私はずっとしなかった。



「この家で、烏丸忍という家族想いな人間を演じ続けていくことが、大きな不満です。」



諦めていた。

誰かが助けてくれる、なんて思っていた。

自分で歩むべき自分の人生なのに、私は奇跡の救いのヒーローの登場をずっと待っていたのだ。

例え、ヒーローが現れても、人生を歩むのは私自身しかいないのに。

そして、誰もいないと思い、私は勝手に諦めた。



そんな時、自分の足で力強く我が道を歩む人に出会った。



それが・・・どんなにそれが他人の目から見て醜くても、馬鹿に見えようとも。



私は、彼女のように・・・私の道を、私の意思で・・・生きていきたい。




私は、それを諦めない。





・・・水島さん、貴女のように、自分の生き方を通すスタイルを、私もしてみたいの。




「・・・私の考え方が理解されないなら、それで良いです。私は、私の道を行きます。今まで・・・」




私はゆっくり、深くお辞儀をした。








「今まで育ててくださって、本当にありがとうございました。」




それだけ言うと、私はリビングを出て、玄関において置いたスーツケースを持って靴を履いた。

誰も追っては来なかった。きっと家族は”その内、諦めて戻ってくるだろう”と考えているのだろう。


(・・・でも、戻りまっせ〜ん。)


いつも重く感じていた玄関のドアが、やけに軽い感じがした。

それはあっさりと開き、外の日差しが差し込み私は目を細める。






「・・・もっと分厚い壁にすべきね。外まで聞こえたわ。おば様の”か弱い”奇声が。」




りりがそう言って、ニヤッと笑って手を振った。実に楽しそうだ。彼女の悪い癖。

・・・全く他人事だと思って。そうは思っても、私も笑っていた。


「この間はありがとう。体は大丈夫?」

私がそう言うと、りりは鼻で笑って答えた。

「・・・フン、自分の事、気にしたら?」


そして、従姉妹はエスコートするように、自分の赤い車の助手席のドアを開けた。


私はその厚意に甘え、荷物を従姉妹に預け、助手席に座った。

りりが荷物をトランクにのせ、運転席についてハンドルを握り、エンジンをかける。


「ひとまず、お出迎えありがとう。りり。」


走り出した車の中で、私はお礼を言った。


「たまたま暇だったから。・・・これから、どうするの?」

「友人から、ホームレスを対象にしたボランティア医師を募集してるのを聞いたから行ってみる。」


それを聞くと、りりは眉間に皺を寄せた。


「金にならないわよ?」

「私がやりたいのよ。金銭は二の次。貯金ならちゃんと用意してあるわ。そこまで貴女にお世話になりませんから、安心して。

働きながら、考える。私にだって、やれる事、やりたい事、出来る事が・・・きっともっとある筈だから。」


そう言って私が笑うと、りりは、ふんと鼻で笑った。


「じゃあ、あのベンツも不要って訳ね。」

「・・・あれは、元々私の趣味じゃないわ。母の趣味よ。だから返すの。そもそも・・・私、もっと可愛い軽自動車が好きなんだもの。」


「あ、そう。」

「そうなんです。ふふっ」


何故かおかしくて、笑いが込み上げてくる。

つられたのか、りりも笑った。


「ふっ・・・ああ、そうそう。言い忘れてたわ。」

「何?」






「・・・”おかえり”。忍姉さん。」






りりにそう言われて、私は気付いた。

これが、本来の私。

ずっと押し殺して、ずっと見ないふりをしてきた、本当の私だと。



私は、最高の気分で言った。







「ただいま。」












 [ 水島さんは救助中&抵抗中。 〜 烏丸 忍編 〜 ・・・END ]




あとがき


本当に、タイミングが悪いというか、逆に良いのか、水島さんはオイシイ所を持っていく女です。・・・本人は嬉しくないでしょうが。

そして、忍さん、遂に独り立ちです!!

家族は大事にしなければいけませんが、家族の気持ちをないがしろにしてまで、家族という形だけを取り繕うのはいかがなものでしょうか。

最後の「おかえり」と「ただいま」は、本来の忍さんに帰ってこれた、という訳で言わせてみました。

開き直ってしまって、ある意味、女難チームの中で、もう最強というか、水島さんの相手はこの人しかいねえんじゃねえか、とか考えてる方。


・・・甘い。


何故なら、何度も何度も言いますが、このシリーズに、そういった甘いモンが出てくる事は無いからです!!お好きに妄想して下さい。

2014.2.9 修正しました。