何故かしら。



自問自答する日々。



『一体、どうして』




…仕事が手につかない。



…彼女と会話してから、だわ…。


私は、ふうっと溜息をついた。


何年ぶりかの恋。



普通なら浮かれてもおかしくない筈なのに、私は…ちょっと憂鬱だった。







ある日、部下の木村を叱っていた時、木村が、キレてしまった。


私は、逆ギレか、と半ば心の中で呆れた。

実力の無い人間ほど、こうやって自分の非を認めないのだ。


木村はそのまま、植物鑑賞をしていた”彼女”に話をふった。



その”彼女”は、最初は遠慮しがちに答えていたが、木村がしつこく絡んだ。




その時の彼女…水島さんの目は、意を決したような、真っ直ぐな目だった。



そして、私、花崎 翔子の度肝を抜いたのだ。





    [ 水島さんは仕事中 〜花崎 翔子 編〜]





『そうですね…叱られる時は、見せしめのような状態ではない方が、ありがたいですね。

 だけど、貴方みたいな小さいミスで周囲に迷惑かけて、逆ギレ起こしたりする同僚を持つのもゴメンです。

 周りを良く見たらどうですか?


 それから…人の事、こんな女って言う前に、自分でやる事出来てから言って下さい。』





私は、彼女の言葉でハッとした。




私は…木村を叱る事で、周囲の緊張感を保とうとしていた。



それで今まで、ウチの企画課の仕事は、上手くいっていたし、あの木村のミスも直るなら、一石二鳥だと、心の中で、軽く考えていたのだ。



だけど、それは…木村本人にとっては、とてつもない負担だった。


彼の事を考えたら、当然”不愉快”だろう。



彼女の言うとおり、私の説教は、ただの”見せしめ”だった。



そうか…何故、こんな単純な事に気が付かなかったんだろう…。


自分の非を認めないのは、私の方だったんだわ…。



彼女…

…確か、あの太った気持ち悪い係長の…事務課…?


彼女の胸のネームプレートには”水島”と書かれていた。


…なんて、強い瞳だろう…こんな女の人、この会社にいたの?


こんな力強くて…真っ直ぐな…


『…花崎課長、コレ資料です。』


彼女は、スッと私に資料を差し出した。


私はというと、彼女の瞳の強さにずっと、見とれていた。



それは、意志の強さと誇り高い……真っ直ぐな…瞳。



「あ…ありがとう。」


資料と、一緒に彼女の指先が、触れた。



 ―――!?



私は、その瞬間、この何年も感じていなかった”あの感情”を体に感じた。




う…嘘…でしょ…?




『…失礼します。』




”彼女”は、事務課の水島さん…。


…水島さんは…女性、よね…?



…じょ、女性に…私、今…一瞬…



…う、嘘、でしょ?これ…でも、この感覚…まさか……





…れ、『恋愛感情』…?




私は、頭を振って、その文字をかき消す。


今は、仕事中。



彼女が、折角持ってきてくれた資料で…仕事を…



『…花崎課長、コレ資料です。』



水島さんの声が、私の頭に繰り返し流れる。


彼女、素敵だった…何故今まで気付かなかったんだろう…

あんな仕事できそうな人が、なんで事務課なんかに…


…いっそ、ウチの課に引き抜いて…一緒に


ッ…な、何考えてるのよ!?…し、仕事を…



『…花崎課長』



…そうか、彼女、私の事知ってるの、よね…

嫌だわ…よりにもよって…あんなガミガミ怒ってるトコ…



…あー!!もうっ!!・・・し、仕事!仕事よッ!!




「…あの、課長…木村、どうします?」


私は、部下の久坂(くさか)にそう、尋ねられ、我に返った。


・・・ああ、そうだ、忘れてたわ・・・木村君の事。


木村君は、すっかり大人しくなっていた。

彼女の言葉で、すっかり萎縮して、観葉植物の陰で、小さくなっていた。


・・・反省、しているわね・・・。


このままでは、本当に木村君が辞めてしまうかもしれない。

そんな事、私は望んではいない。

叱るだけが、上司の仕事ではないのだから。


「え、ええ…そうね…彼女、水島さんの言う通りかもしれないわ。

 私にも非があったわ。」


それを聞くと、久坂はビックリしたように、私に聞き返した。


「・・・え?花崎課長…あんな事務課の女の言う事、真に受けちゃうんですか?」


・・・・”あんな”?


「…そういう発言はよしなさい。男尊女卑に聞こえるわよ。」


私は、グッと久坂を睨んだ。

久坂は、ゴホンと咳払いをすると、自分のデスクに戻っていった。


「木村君…」

「……俺…もう、ここにいられないッス…」

「ちょっと、来て。」


私は、場所を変えて、うなだれる木村君をなだめながら、話をした。


いつもなら、15分で済む時間。

いつもなら、叱りつけて終わるだけの時間。


私は、木村という人間と向き合って、話をした。


聞けば、木村は、随分と悩んでいたようだった。


自分の”したい仕事”と、”出来る仕事”のギャップに、悩んでいたのだ。


理想の…なりたい自分になれない事。


”焦り”と、自分への”不満”が、次のミスを呼ぶ。


そして…そんな木村の悩みを

私は聞く事無く、彼をみせしめに叱り続けていたのだ。



木村は、頭を掻きむしりながら、すいませんでしたと謝った。

そう、彼は…本心から、謝っていたのだ。


私が、勝手に彼が謝る事に”慣れて”しまっていただけで

彼は本気で、謝っていても”ああ、またか”と逆に怒ってしまった。


…ああ、上司失格だ、と私は、木村の話を聞けば聞くほど、自分の不甲斐無さを知った。



そして、話の最後に私は、誠心誠意、木村に頭を下げて謝罪した。


木村は、驚いて「頭を上げて下さい!お、俺が…悪いんですッ!」と言った。


「これからは、ミスを減らす努力をしていきましょう、お互いにね?」

「・・・はい。」


私は、木村と握手をした。


頷く木村の表情には、先ほどの情けなさは感じられなかった。


やってやる、という気合が、みなぎっている。

そして、企画課に戻った私達を、部下達は、笑いながら迎えてくれた。


久坂は、「すいません、全部聞こえちゃいました」と苦笑していた。

木村は顔を真っ赤にして「ご、ご迷惑お掛けしました…」と同僚にも頭を下げた。


企画課に、初めて笑い声が響いた。


私の肩から、ふっと力が抜けていった。

心地良い、脱力感。


笑い合っていた最中、1本の電話のコール音が響いた。


…そうだ、まだ、仕事中だ。

私は、手を叩いて、声を張った。


「…さあ、皆!仕事するわよ!」

「はい!」



これで、いいのよね…?


・・・ねえ、水島さん・・・。




『…花崎課長』



…彼女の声が、頭の中でまた繰り返し流れる。


彼女に会いたい。

この事を伝えても、違う課の彼女には、関係のないことだ。


でも…


大事な事に気付かせてくれた…彼女にもう一度、会いたい。


あの真っ直ぐな目に、会いたい。

あの誇り高い目で、私を…見て欲しい。




…私、だけを…





・・・・・・・・。



…い、いやね、お礼言うだけよ、何を考えてるのかしら…私…。



お昼休み、私は事務課へと向かった。


しかし、肝心の水島さんの姿はなく。

かわりに…


「おや?花崎課長?どうしました?…し、資料に何かありました!?」


近藤係長が、応対した。突き出たお腹が、カンに触る。


…相変わらず、健康とは無縁そうな人ね…


「あの、彼女…水島さんはいるかしら?」


「…な、何かやりました?」


近藤は、オドオドしながら、そう聞き返した。

私は少しイラつきながら、再度聞き返す。


「…いるか、いないか聞いているだけです。」


「…あ、はい。あ、ちょいと〜…みんなぁ?水島くぅんを知らなぁい?」


無反応。

誰一人、彼の問いに答える部下はおらず。


私は、近くにいた女子社員に聞いた。

「水島さん…知らない?」

すると、女子社員は、あっさりと

「まだ、戻ってきてないみたいですよ。」と答えた。

「あ、そう…。」


…近藤係長…苦労してそうね…

…嫌われる理由、少しわかる気がするけど。


私は、近藤係長に彼女によろしく伝えて欲しいと、伝言を託して、事務課を後にした。




「あら、花崎さんじゃない。」

「…あ、阪野さん。」


廊下で、秘書課の阪野 詩織に会った。

彼女とは、顔見知り程度だ。


・・・相変わらず、不必要な色気を振りまいてるわね・・・。


秘書って、皆、こうなのかしら。


「相変わらず、お忙しそうね?企画課は。

 休みも、満足にとれないんじゃないかしら?大丈夫?」


阪野は、そう会話を切り出した。


(…フッ…心にもないことを…!)


彼女は、見た目も仕事も出来る人間だ。


しかし、私が気になるのは、彼女の人間性。


…彼女の発する言葉には、”本心”がない。


作られた笑み。

マニュアルと計算だらけの会話。


付け足された”大丈夫?”は、こんにちはと同じくらいの、社交辞令の意味しか持たない。


『完璧なお人形』…それが彼女、阪野 詩織だ。



「…昼休みくらいは、とれるわ。

 アナタこそ、大丈夫なの?副社長についていなくて。」


実は、私は彼女、阪野のようなタイプが一番苦手で、嫌いだ。

多分、向こうもそうだろう。


「…ええ、大丈夫よ。昼休みまで、副社長の傍にいなきゃいけない訳じゃないし。

 お昼くらい、親しい人と食べたいじゃない。」

「…親しい人…?」


…阪野が向かっている先は、もしや”事務課”なのだろうか。


・・・・・まさか。


「そうよ、親しい友人。」


ニッコリと阪野は、実に嬉しそうに笑った。


(・・・・・え?)


意外だと私が感じたのは…阪野が、嬉しそうだったからだ。

こちらに伝わるくらい、本心が丸見え。


本心が見えないのが、阪野の特徴でもあったのに、どうしたというのか。


「…で、花崎さんは?」

「・・・私も、誘いに来たんだけど…今日は、フラれたのよ。

 彼女、いなかったの。」


私は、手をフラフラと振って見せた。


そう言った瞬間…。


阪野の顔が一瞬、変わったような気がしたが


すぐに「そうなの、残念ね」と”お人形”は言った。


「…じゃあ。」

「ええ。」


私は、阪野と別れて、エレベーターに乗り込んだ。


(ああ、会えなかったなぁ…水島さん…)


エレベーターの壁にもたれかかって、私は目を閉じた。


…おかしい。


女子社員と話しても、阪野と話しても

私は、やはり何も、反応はしない。


ましてや、この感情を、女性に向けるなんて考えもしなかった。



「・・・水島さん・・・」



名前を呟いて、ハッと我に返る。


私…やっぱり、おかしい…?





それから、3日が経った。




一体、どうしたことか。


仕事が、あまり手につかない。


大きなミスはしないけど、なんだか…調子が悪い。



私は、ふうっと溜息をつき、額に手を当てた。


「熱い…。」


微熱に似た、顔の火照り。


水島さんの事を考えるだけで、こうなる。


・・・やっと、確信した。



『何年ぶりかの恋。』



普通なら浮かれてもおかしくない筈なのに、私は…ちょっと憂鬱だった。


相手が女性だから、だ。


(…どうしたらいいのかしら…)



…とりあえず…



ご飯、誘ってみよう。


いや、大人なんだし…あの静かなバーにでも誘って…

彼女、お酒飲めるかしら…



上手く、飲ませたら………



・・・・・・・・・・。



………いや、それは…ちょっと…大胆すぎよね…私、飢えた男じゃないんだし…。



…でも、水島さんって……



……なんか、見てると…




…なんか、襲いたくなるのよねぇ…。






 ― 一方その頃。 ―





”・・・チクン!”




その襲いたくなる女性こと、水島さんは”いつもの痛み”に、思わず振り返った。


「…ちょっと…冗談じゃないわよ…!…今来るの…!?」


・・・などと呟きながら。


そして、挙動不審な動きで、周りをキョロキョロと見渡しながら


後ろ走りで、事務課へと戻って行った。






水島さんは仕事中 〜花崎 翔子 編〜 ・・・ END





ーあとがきー



 「水島さんは仕事中」の花崎 翔子 課長 視点でお送りしました。

 
 なんか百合〜っとしてなくて、ごめんなさい(苦笑)


 水島さん視点ばかりだと、女難側(?)の気持ちがどうも良く描けないので…


 うっすら、人間関係みえてきてますが…次回は『阪野 詩織 編』です。

 彼女が会議室で泣いていた理由を、お送りします。