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 [ それは、とてもよく効く。 ]






「花崎課長・・・顔色悪いですね?」


木村君がそう言って、私の机の上に書類を置いた。彼は仕事が早くなったな、と思う。


「・・・そう?」

「・・・ヨンケル、効きますよ!」


自信満々に木村君は、ここぞという時の栄養ドリンクの名前を教えてくれた。


「ありがとう、今度試してみるわ。」


私こと、花崎翔子は、そう笑ってみせた。

書類に目を通し、会議に必要な資料を読み込む。昼食は15分少々で済ませてしまう。

PCの画面に向かって、企画の最終確認をする。


「・・・花崎課長・・・大丈夫ですか?疲れてません?」


部下の一人が、そう聞いてきた。その質問は、本日2度目くらいだと思う。


「そんなに酷い顔してる?」


私は笑ってそう言うと、部下は笑った。

・・・正確に言えば、笑って答えをごまかしたのだ。


私はすぐに、化粧室に行って、自分の顔を見た。


「・・・疲れてる・・・?」


肌はボロボロ。目の下にはうっすらクマが。目は充血している始末。

・・・ショックだった・・・。

仕事人間だとは思ってたし、そこに誇りを感じてた自分もいた。

だけど・・・今の私は、違う。私じゃない・・・。大切な何かを失ってしまった私だ。

自分の机に戻って、目薬をさして、椅子の背もたれに身を預ける。


「花崎課長・・・本当に大丈夫、ですか?」


本日3度目のその台詞を言ったのは、女子社員だった。コーヒー付きで。

部下達は皆、私をチラチラ見ている。

もしも、私が『結構キツイかも』なんて弱音を吐いたら、部下達はたちまち不安に包まれるだろう事は容易に想像出来た。

それに、今回の企画は以前からコツコツと段取りを踏んで、少しずつ進めてきたプロジェクトだ。


ミスは、私が許せない。


「・・・大丈夫。この程度で、仕事が勤まるもんですか。」



そう言って、私は笑った。



「すげえよな。”鬼の花崎”健在だな。」

「流石だよなぁ。企画課の鬼。」

「こういう時の女は鬼気迫るものがあるね。顔見たか?」

「ああ、クマひどかったなー。」

「・・・そうですよ、課長一人でかわいそうですよぉ。」

「聡美ちゃんは優しいねぇ〜俺にも優しくしてよ〜」


「ダメです。花崎課長だけですよーだ。花崎課長は、女子社員の”憧れ”なんですから!」


「憧れだけで済ませてくれよー?課長が量産されちゃ、企画課には癒しがねえよ〜」

「お前、癒し求めすぎ!あははははは!!」

「ははははははは!」



その残酷な会話は、私の耳に届いていた。



・・・私は、仕事をしているだけ。

自分が選んだ道だし、満足しているし、今、頑張っている仕事だって成功すれば、きっと何物にも代えがたい達成感が得られるだろう。


なのに、この虚しさは・・・孤独感は、何なの?

肌をボロボロにして、男性社員にクマを見られて、馬鹿みたいに一人で頑張ってるのは、私だけなの?


私は・・・。


暗くなっていくビルの群れを見ながら、私はコーヒーを飲んだ。

四の五の言ってもしょうがない。今日までにやらなくちゃいけない事は片付けないといけないのだ。

企画課の連中は皆、帰ってしまった。

もうしばらくすれば、プロジェクトは第3段階になり、皆帰りが遅くなる日が続く。それまで、部下になるべく負担はかけないようにしなければいけない。

・・・それが、私なりの部下達への思いやりだった。

でも・・・。


「・・・それって、単に私が良い上司って言われたいだけ、なのかなぁ・・・。」


只の自己満足。

それに、部下達から見たら、今の私は、無理をして仕事をしている企画課の鬼だ。



「あのー・・・花崎課長。」


不意に後ろから声がして、振り向くと気まずそうな顔をした水島さんがいた。


「・・・え!?あ、水島さん・・・!?」

「事務課です。すみません、頼まれてた書類遅くなりました。・・・ハンコ、ここにお願いします。」


「あ・・・ご、ごめんなさい・・・誰もいないと思って・・・。」

「あ、いえ・・・。」


(今の独り言・・・聞かれてた、かしら・・・?)

そう考えるだけで、恥ずかしくなってくるが、目の前の書類にだけ意識を集中させる。ハンコ、ハンコ。


私はハンコを取り出し、押印しながら、ふと尋ねた。

彼女から、私はどう見えるのか、と。


「・・・・・・あの・・・水島さん・・・正直に答えてくれる?」

「・・・・は、はい?」


答えを聞くのは怖くない、と言えば、嘘になる。

だけど、彼女はきっと嘘はつかない。私が今、欲しいのは・・・彼女の嘘の無い言葉だった。


「・・・私、良い上司かしら?」

「・・・え?まあ・・・そりゃ、仕事は出来ますけど・・・。」


彼女の語尾に私は引っかかった。


「・・・けど?」

「あ、いや・・・」


私が追求すると、彼女は途端にマズイ!という顔をした。


「率直な意見が欲しいの。私は企画課の課長として、どう見えるのか?を。」


そう、彼女から見て、今の私はどう見えるのか。私は、それが知りたかった。


「あー・・・そうですか、なんだ・・・えーと・・・」


彼女は何故かホッとしたように、一息ついた後、顎に手を添えて少し考えてから、やはりいつも通りの無表情で言った。


「あの・・・なんでもかんでも自分一人で背負ってる感じがします。

周囲はそれが当たり前になってるみたいだし・・・。

そんな自分を花崎課長自身も嫌いじゃないから、それで余計歯止め利かない感じで、悪循環って感じで・・・。」


「・・・・・・・。」


「つまりー・・・そのー・・・花崎課長は、一人で頑張りすぎてます。いや、そこが普通、凄いっていうんでしょうけど・・・えーと・・・すいません・・・。」


最後に、彼女は何故か、気まずそうに謝った。


「・・・・・・そっか。」


納得した私は脱力して、椅子にドサリと音を立てて座った。


「あ、大丈夫ですか・・・?」


すかさず、彼女が私に駆け寄って来る。

『大丈夫ですか?』と彼女は私に聞いた。


私は、うつむいたまま、答えた。


「・・・ホントはね、大丈夫じゃないの。」

「え・・・?」


不思議なもので、彼女の前だと私は何故か、本当の言葉で答えてしまう。

いいや、本当の言葉で答えたいのだ。


「大丈夫なんかじゃない。肌はボロボロ、目の下にはクマ、部下には鬼呼ばわり。

そんな女が、女子社員の憧れなんて・・・笑っちゃうわよ・・・!」


目薬もさしていない目が潤んだ。目頭を押さえて、くっくっくと笑った。不思議なもので笑いながら、私は泣いていた。


「・・・笑いません。」


彼女は、そう言った。

私は彼女の眼を見た。


「笑ったりしませんから。」


そう言うと、彼女は椅子に座ったままの私の顔を隠すように抱きしめた。

私は、そのまま彼女に掴みかかって、声を押し殺し泣いた。

自分のオフィスで、何をやっているのだろう、と頭の片隅で考える私もいたが、もうどうでも良かった。


「・・・本当に、頑張っていたんですね・・・花崎課長・・・。」

「・・・うん・・・」


石鹸とタバコの混じったような彼女の不思議な匂いに包まれて、私はただ、溜め込んでいた感情を吐き出した。

私は、誰かに、褒めて欲しかっただけなのだろうか。

ただ、水島さんに言葉を掛けられた瞬間に、もう私は”大丈夫”と笑えなくなっていた。

彼女は、私の頭を撫でてくれた。子供をあやすように、そっと撫でてくれた。それが、余計私の涙を誘った。


散々泣いた後。


「・・・・・・やだ・・・酷い顔が余計酷くなっちゃった・・・。」


鏡を見て、私は水島さんに苦笑いをしてみせた。もう、平気よ、という意味を込めて。


「・・・いえ、スッキリしてますよ。」

「・・・そう?」


確かに、心の中のもやもやは消えて、スッキリはしてる。

だけど・・・


「貴女には、迷惑掛けちゃったわね・・・ハンコ貰いに来ただけだと言うのに・・・私ったら・・・。」


彼女に抱きついて泣いてしまった。思い出すだけで、恥ずかしさがみるみるこみ上げてくる。


「・・・いえ、いいんです。あ・・・そうだ。これ、掃除のおばさんから貰ったんですけど・・・。」


そう言って、彼女はポケットから栄養ドリンク・ヨンケルの瓶を出した。


「あ・・・。」

「すごい効くって言ってました。どうぞ。」


そう言って、彼女は私の飲みかけのコーヒーの隣にそっと瓶を置いた。


「・・・ありがとう。水島さん。」

「・・・いえ。じゃ、お疲れ様です。」


彼女は軽くお辞儀をして、企画課を出て行った。

私は、ヨンケルの蓋を開け、一気に飲み干した。彼女の体温で少し温くなったソレは、私の身体に染み渡った。


「・・・・・・よーし・・・もうひと踏ん張り・・・!」


次の日。

私は、いつも通り、仕事をしていた。


「花崎課長・・・大丈夫ですか?」


私は笑って答えた。


「大丈夫じゃないわよ。」

「は・・・?」


「・・・少し、手伝ってくれる?ここと、ここの修正。終わったら私がチェックするから。」

「あ・・・はい、その程度なら。」


「木村君。」

「はい?」


「あの栄養ドリンク、よく効くわね?」


私のその言葉に、木村君は「そうでしょう?」と笑って答えた。

さあ、今日も仕事だ。


[ それは、とてもよく効く。・・・END ]



あとがき

やらなければ、いけない事はやるべきなのですが、頑張りすぎるのも考えものですよね。