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 [ リクエストSS 水島さんは残業中。 阪野詩織編 ]








私の名前は水島。

悪いが、下の名前は聞かないで欲しい。



突然だが、寝具にこだわりはあるだろうか?



低反発だの、高反発だの、パウダービーズだの、ウォーターだの、鳥の羽だの、抱き枕だの、萌え絵シーツだの。

今や寝具の多種多様化は、目を見張るものがある。


というか、どれの何が自分に良いのやら解らない上に寝具一つ一つは高いので、結局、せんべいのようになった布団に体を預け、それなりの満足を維持する事になる。

人は、人生の3分の一から下手すりゃ半分を睡眠に費やす、という。

だからこそ、より天国へ逝けそうな程のとろける寝心地を求め、朝になり、その天国の入り口にしがみつき・・・地獄を見る。

地獄を過ごした後、また天国に返る。

この天国にはまだ足りないものがある、と頭の隅で思いながら、思い切って天国に投資出来ない自分の収入の無さを嘆く。


しかし、別に無理をする必要は無かった。



天国の寝心地は、今、ここにある。



ただ・・・我侭な言い分かもしれないが、寝心地はすこぶる良いのだ。けれど、なんだか落ち着かない。



「あら、眠れないの?それとも・・・まだ、痛むのかしら?」


そう言って、阪野さんが私の前髪を優しく撫であげ、額に触れた。


「あ・・・いえ。」


私に日光が当たらないように広げられた本が閉じられ、代わりに私を見下ろすように、阪野さんがこちらを見た。

右の頬に当てられた氷パックの冷たさと、額を撫でる阪野さんの手の温かさ・・・

そして、私の頭の下の阪野さんの太ももの感触・・・

更には、柔らかい香水と阪野さんの甘い匂いが混じり合い、更に彼女の女神のような微笑。

普通、これらの好条件が揃えば、人は安らぎを感じるはずだ。


しかし、これらの条件は、私にとって、妙な緊張感を呼び起こそうとするものだった。


「本当に、トラブル満載の人生ね、貴女って。」


そう言って、日光の中で微笑む阪野さん。


・・・ホント、日光が似合う美人だなぁ。

声もこうして聞くと、しっとりして落ち着いていて心地良いし。


日陰と湿気が似合う私とは、まったく違う。


・・・ああ・・・今日は、本当に良い天気だ。


晴天と天下の城沢グループの1,2を争うという美女の蕩ける様な膝枕・・・なんだか知らんが、こちらを射抜かんばかりの人々の視線など、痛くも痒くも無い。

落ち着かないけれど、これは慣れない天国に対する一般的な反応だ。


昼間から、こんな状況にいる私こそ、まさに勝ち組・・・ん?


ん?・・・膝、枕・・・?


・・・阪野 詩織、の・・・匂い・・・?



・・・あれ?ソレって、よくよく考えたら、凄く・・・凄く、危なくないか?



ここで、私は我に返る。



『 女難の女が、何で女の膝枕で落ち着きかけているんだ!!! 』



「うゥわあああああああああああああ!?」


咄嗟に跳ね起きようとする私を日光を背負った白昼の悪魔・阪野詩織はニコニコ笑顔で、素早く私の肩と口を、たった腕2本で完全に押さえつけた。


「ダメよ、水島さん、貴女、さっき顔面にボール当たって、倒れたんだから。」

「んぐー!んぐー!!」


す、凄い力だ。体勢も悪い上に、完全に相手の手中に落ちている。


みんなの公園を訪れた人々が、女同士の膝枕を目の当たりにし、皆、眉を潜める。

人々の視線がチラチラと刺さって、心の中に吸収されていく。


何!?この辱め!公開処刑!?


若い夫婦が私と阪野さんのベンチの前を通り過ぎた。

氷パックで私は顔を隠したが、横から嫌でも見える。

旦那さんが、ずっと私と阪野さんをじいっと見ているのが・・・嫌でも見える。


「ちょっと!あなた!何デレッと見てんのよ!?」

「・・・あ。いや、別にそんな見てないって・・・ちょっと、すげえなって思って。」

「しっかり見てんじゃないのよ!ていうか、どこ見てんのよ!何が凄いっていうのよ!胸ですか?あー胸ですね?ハイハイ!」


普段なら公園に存在するはずの無い阪野さんの反則的な肉体は、一組の若い夫婦の間に亀裂を入れてしまったらしい。

私を押さえつけようと前かがみになった阪野さんの胸元は、チラリズムとエロチシズムの塊だ。

見えそうで見えない。綺麗な鎖骨を出す為に開かれた、無防備そうで鉄壁のスペースは至って普通の性癖を持つ男性ならば、間違いなく見るだろう。

今日も、阪野さんの胸、及び全身は、不必要に色気MAXだ。


「・・・尻に敷かれるって、ああいう感じかしらね?ねえ?水島さん。」

「んぐぐぐ(知りませんよ。)」


多分、尻に敷かれるというよりも、単に二人が険悪な雰囲気になっただけだし、私は今、尻より太ももの上にいるのだが・・・いや、そんな事はどうでもいい!!


何故、こうなった!?


そうだ・・・確か、私は午前中、高橋課長の言いつけで、取引先へのお土産用の五門堂のどら焼きを買いに社外に出た筈だ。

その店は、予約販売はしていない上に、ちゃんと並ばないと買えない。

オマケに、その日の生産数は決まっていて、売り切れ御免。

その日の内に食べて欲しいという店主の願いから、賞味期限は購入日の一日だけ。地方発送すら無し。


どら焼きマニアとドラえもんなら、スキップ踏み踏み、一度は訪れるだろう・・・どら焼きの聖地。


そう、私は、その特殊などら焼きを買って来るように言われたのだ。

行列に長時間並び、他人の為の土産を買う、という地味な苦行が似合う女・・・とでも思われているのだろうか。

忍耐力は、まあ人並みにあるとは思うが、私は行列が嫌いだ。


・・・事務課なのに、雑務も兼任だなんて・・・。


とは思えど、これも仕事だ。割り切ってこその、仕事人。

誰かがやらねばならないのなら、やらねばなるまい。


それに、昼休みでも無いのに、堂々と街に出て外の空気を吸えるなんて事務課の女にとっては滅多に無い、特殊任務だ。

だから、私は結構ノリノリで、その仕事を引き受けた。


スーツ姿のサラリーマンが、急ぎ足でビジネス街のどこかへ向かうのと逆方向に私は歩く。

タクシーで向かっても良いのだが、どら焼き屋の営業時間が午後1時から午後3時までなのだ。

現在、午前10時02分。

ああ・・・1時間は確実に、行列に費やす訳だな、と心の中で溜息をつく。

歩き続けて、無機質なビルが少なくなってきた。

そのどら焼き屋は、にぎやかな街と静かな住宅街の狭間にあるらしく、どんどん建物から家庭の雰囲気が漂ってくる。



のんびり歩いた。快晴だ。


女難の気配すらない。素晴らしい。

ぼうっと歩いて、時々ちらっと地図を見て、まだまだと呟き、再びぼうっと歩く。


自販機で缶コーヒーを買い、飲みながら歩く。


昼飯の支度でも始めているのか、時折、胡麻油や焼き魚の匂いが流れてきた。

・・・少し、のんびりしすぎたかもしれない。


「今朝採れたばかりの無農薬野菜を使った、ハンバーガーいかがですかー?」

「いかがですかー?」


女性と幼稚園児くらいの女の子が、お揃いのポニーテールで、これまたお揃いのエプロンをつけて声を掛けている。

移動販売車の中から香ばしい匂いがしている。鉄板の上で、厚みのあるパティが焼けていた。

焼いているのは、細身の男性。

声を掛けている女性と子供は、おそらく車の中で調理している男性の家族だろう。

車の前には籠が置いてあり、土がついた、色が濃く、不揃いな形の野菜がぎっしり詰まっていた。

その前を小さい女の子がピンクのエプロンをつけて、てとてと歩いて、お母さんの真似をしている。

赤みが強いトマト、みずみずしさを感じるレタスに、土がついていても色味が分かるにんじん。

セロリの葉は、しゃきっとしていて、今朝取れたてを証明するのには、十分だった。


それら全部、スーパーには無い野菜。

そして、このハンバーガーは・・・ファストフードでは出ない。


(・・・特製・オニオンソース。)


私の勘が言っている。

アレは、絶対美味い筈だと。


「お姉さん、いかがですか?」

「あ、すみません、これから仕事で向かわなきゃ行けないんです。」


声を掛けられても、普段の私は無視を決め込むのだが、どうしても私は無碍に出来なかった。


「ああ、そうなんですね。」


残念そうに、エプロン姿の女性は言った。

明るい笑顔と少し掠れた声のその女性は、近くで見ると意外と若かった。


「あの、ココには何時までいるんですか?帰りに寄れたら、是非・・・」

「お昼過ぎ、3時までいますよ!さすがにそれ以上いると、明日の収穫に間に合わないんで・・・。」


話によると、バンズと肉以外は全て手作りらしい。

私の気になっていたオニオンソースは、彼女のお母さんのレシピをやっと再現できた自信作らしい。


「お姉さん、見る目ありますね〜!」


お世辞だと分かっていても、嬉しい言葉だ。


「帰り、寄ります。」


私は力強く予約を宣言し、仕事に戻った。女性はニッと白い歯を見せて笑って『お仕事頑張ってー!』とお子さんと一緒に手を振って見送ってくれた。

うん、楽しみが増えた。



私は手にしていた、空き缶を捨てる場所を探した。

ふと、公園が見えてきた。ゴミ箱くらいあれば、と私は公園の入り口に足を向けた。


私が入った公園は、広かった。木で作られた遊具が並び、芝生が広がり、更に奥へ進むと、緑のフェンスがあった。

その先はグラウンドになっていて、中では小さい頭の上に大き目のヘルメットをグラグラ乗せて、少年達が野球をしていた。


「りーりーりー!」


・・・ルールはよくわからんが、頑張れ、少年達よ。何かわからんが、かっとばせ。

そんな事を呟きつつ、私はゴミ箱を探した。


「お、あったあった、ゴミばふっ・・・」







・・・そこから、記憶が無い。







右からの強い衝撃と、すいませんの連呼、グラグラする視界と意識の中・・・ヒールの音が近づき、止まり、私は・・・


・・・どうなった?


「遠慮しなくて良いのよ、ここで出会えたのも、貴女の右顔面に女子高校生のバレーボールがクリーンヒットしたのも、何かの縁よ。」


そうか・・・こうなったらしい。


ていうか、少年野球は関係なかったのか・・・当たったのは、少女達からのバレーボールか・・・。

・・・そうだよね・・・”少年”だもんね、女難の女には関係ないか・・・。


「・・・貴女って、結構軽かったわね。ちゃんと食事摂ってる?」

「は・・・?」


ボールが当たった直後、私の記憶は曖昧だ。

軽かった・・・なるほど、今いるベンチまで、私は運ばれたのか。


「・・・あんな風に、普段から甘えられちゃうと、理性が飛びそうになるわ。」


普段から、ぶっ飛んでる人が何を言うか。とは思えど、私は何も言わなかった。


反論しようにも、”あんな風”と呼ばれるような事を、私はした覚えがないからだ。

目一杯、表情に”何かしたんですか?”と浮かべて阪野さんを見る。

阪野さんは、すぐに察してくれたらしく、クスリと笑って答えてくれた。


「・・・さっき、私に抱きついて、頬ずりまでしてくれたのよ?」


嘘だ。それは、あんまりだ。

しかし、阪野さんはニコニコ笑うばかりで否定もそれ以上の状況説明もしてくれない。

本当にやってしまったのかもしれない、とさえ思えてくる。


いや、やってしまったからなんだというのだ。

私には用事があるのだ。


「あ・・・あの、私・・・お使いに行かなきゃいけないんです。仕事で。」


仕事という言葉で、同じ社会人の阪野さんは急に表情を秘書モードに戻した。

完璧なお人形、というあだ名は伊達じゃない。


「そうね、私もよ。名残惜しいけれど、そろそろ時間だわ。動けるかしら?」

「はい、ありがとうございました。」


氷パックを返そうと思ったが、阪野さんは笑顔で手を振って公園から出て行った。


(確かに、返されても困るよね。)


まだ顔が痛むし、私は氷パックを頬に当てたまま、急ぎ足で目的地に急いだ。

咄嗟の出来事に対応できるあたりは、さすが阪野さんと言ったところか。


(なんだろ・・・阪野さんに遭った割には、なんか・・・)


彼女が私に、こんなにもあっさりした対応をするのは、珍しいと思った。

私が寝ている間に、草むらに連れ込んで裸にして、いたずらする事くらい朝飯前の筈だ。

目が覚めたら、唇が奪われている、とかそういうのも無かった。


私の女難、エロ秘書と言えど、そこは空気を読んだのかも。

阪野さんも仕事中だと言っていたし・・・


(うわ!もうあんなに並んでる・・・!)

どら焼き屋五門堂と書かれた、アピール控えめ過ぎる小さい看板の前には、20人以上の人が並んでいた。

ボールに当たらなければ、もっと前の方に並べていたかもしれないのに・・・!


「あーあ・・・買えなかったらどうしよっかな・・・熊谷社長の好物なんだよ。コレ無いと、商談の舞台にすら上がってくれねえぞ」

「そんなもん、買った人に土下座してでも手に入れるんだよ。」


私の前に並ぶサラリーマン二人が、そんな話をしている。

たかがどら焼き、されどどら焼き。人一人の土下座と同価値の和菓子なんて・・・。


空腹が襲ってくる。どら焼きよりも、私は先程のハンバーガーの事を考えていた。

オニオンリングかポテトフライもつけよう。あ・・・野菜チップスもあったな・・・。

悶々と考えているうちに、私の前のサラリーマンの番になった。


「どら焼き、10個入りを二箱下さい。」

「はい。4800円です。」

「良かったな、買えたぜー!これで安心だ!」

「よーし!メシ行こうぜ!午後に備えなくちゃな!」


意気揚々とサラリーマンはどら焼きを手に帰っていく。

私がカウンターに行き、口を開こうとすると、おばさんが申し訳なさそうに言った。


「申し訳ありません、本日の分は売切れてしまいました。」

「なッ・・・!?」


25歳にして、お使い大失敗!!というか、並んだ時間がまったくの無駄!!


瞬時に午前中の無駄な行動が悔やまれた。

・・・ああ、そうだ・・・バレーボールに当たりさえしなければ・・・あれが最大の時間のロスだった・・・

いや、そもそも歩いて来ずに、タクシーを使えば良かったのだ・・・!


どうしよう!?買えない筈はない、と思い込んでいた!


ど、土下座だ!もう土下座しかない!

買った人に惨めったらしく土下座をすれば・・・!!


オロオロする私の肩をぽんっと誰かがたたいた。

「どうかしたの?水島さん。」

振り向くと、阪野さんがいた。


「さ、阪野さん!(二回目!)」

「なるほど、貴女の仕事も同じだったのね。通りで、同じ方向に向かっているはずよね。

私の場合は、お客様のお土産用に用意しなくちゃならなくて・・・ここのじゃないとダメなのよ。」


そう言って、阪野さんはどら焼きの入った紙袋を私に見せた。


「あ、ああ・・・!」

「・・・もしかして、買えなかった?」


私は必死にコクコクと頷いた。頷いたはいいが、阪野さんに譲って下さいと言って良いのだろうか?

彼女だって、並んだのだし。

いや、それならば・・・土下座して、その人の御厚意、優しさ、同情にありつこうという精神そのものが、そもそも卑しいのではないだろうか・・・。

あ、危うかった・・・!

人として、堕落する所だった・・・!


「・・・ま、まあ、なんとかなります!」

思いなおした私は、引きつった笑顔でなんとかそう言って、阪野さんに背を向けた。

「待って。それは、良くないわ。仕事は仕事。貴女は、五門堂のどら焼きを買ってくるように言われたのよね?

だったら、きちんとしなければいけないわ。これは、仕事であって、親戚のお土産や、自分用ではないのだから。」


厳しい口調で、秘書・阪野詩織は私にそう言った。

彼女の言う事はもっともだ。

正論だ。

そもそも、お菓子の指定がある、という事は、それ以外は受け付けない、という意味だ。


「そう、ですよね・・・とりあえず、課長に連絡をして、どうするか指示を・・・」

「・・・はい。」


携帯電話を開いた私に向かって、阪野さんは紙袋を差し出した。


「え?」

「私に借りを作りたくない、というなら、それでも良いわ。でも、仕事は仕事。とにかく、受け取って。

貴女のミスから生じる不利益は、我が社の不利益よ。見過ごせないわ。」


それは、私の為ではなく、あくまで仕事として私に譲渡する、という意味合いに聞こえる。

阪野さんは、紙袋を私に握らせようとしたが、それでも躊躇せずにはいられない。


「いや、でも!それじゃ、阪野さんが・・・!」

「私のあだ名、ご存知でしょう?」


”完璧なお人形”は不敵に笑って見せた。

まさか、二つ買ってあるのか・・・?


「阪野さん・・・!」

「貴女は、何も心配する必要は無いわ。

・・・そうね、もしも私に少しでも恩を感じてくれているのなら・・・

今度、お家デートしましょ?それなら、ギブアンドテイク、よ。」


「・・・お家、でーと?」


聞きなれない不穏なデートという言葉に不可解な顔をしている私に向かって、完璧なお人形はニッコリ微笑んだ。


「私の部屋で、手料理でも振舞うって事♪・・・じゃあね。仕事頑張りましょ。」


阪野さんは、そういうと去って行った。

借りを作ったのに、私は阪野さんのお家にご招待され、料理を振舞われるらしい。

そんなデートと引き換えに、私はどら焼きを手に入れた。


・・・なんだろう・・・イマイチ、スッキリしないというか、なんというか・・・。

確かに、阪野さんに借りは出来てしまったのだが、そういう問題じゃないというか。





「あ、お母さーん!さっきのお姉ちゃんが来たよー!!」



小さい女の子が私を見て、甲高い声を上げた。

モヤモヤした気持ちのまま、さっきのハンバーガー屋に着いてしまったらしい。

いらっしゃい!と元気良く挨拶してくれた夫婦に向かって私は頭を軽く下げた。


「あの、お仕事上手く・・・いったんですか?」

私の表情を見て、夫婦は何かを察したらしい。

「ええっと・・・なんというか・・・上手くはいった、といえばいったんでしょうけど・・・。」


私は、ざっくりと説明した。

説明すると、不思議なもので頭の中の情報が、どんどん整理されていった。


簡潔に説明すると、こうだ。


『自分だけでちゃんと出来る仕事をミスった挙句、阪野さんを利用して、私は仕事を完遂させた。』


・・・情けない限りだ。


「・・・譲ってくれた方は、優しい方ですね。」

「ええ、そうですね・・・。」


そして、その優しさは・・・きっと、私への好意の結果だ。


「よし!売れ残ってもしょうがない!その人の分も作りますから、持って行ってください!」


「え!?い、いや・・・そんな・・・!」

作られても困るよ!!

私がうろたえても、細身の男性は、ニッと笑ってパティを次々と焼き始めた。


「あ、あなた!?そんな・・・突然、迷惑よ!」


奥さんにもご主人の暴走を止めてと私は、目で訴える。


「良いじゃないか!この人はこの店のお客様、第一号なんだ。ウチの野菜たっぷり入ったバーガーを食べて、仲良く仕事してもらおう!」

「あ、あなたったら・・・利益、度外視しすぎだゾ☆」


おいおいおいおい!!止めろよ!!

奥さんも、”何、しょうがない人ね☆”って感じで、許容しちゃってんだよ!もっとがめつく利益追求していいのよ!?


「お父さん太い〜!」

「それを言うなら、太っ腹よ!うふふ♪」

「あっはっはっは!待ってて下さいね!今、包みますから!」



・・・・・・。



え?


え?何、この家族、良い雰囲気で、ハンバーガーを大量に私一人に押し付けようとしてんの?

オニオンソースのハンバーガーを一つテイクアウトで良かったんだよ!?


ああ、でも・・・もうこんなアットホームな雰囲気とやさしさに包まれたなら、ユーミンでも断れない・・・!


かくして。


天下の城沢グループに、どら焼きとハンバーガーを大量に持ったOLが帰社した。

どら焼きを課長に手渡し、ついでにハンバーガーを差し出した。


「ご苦労様。僕にお土産をくれるとは、思ってもみなかった。・・・結構大きいね、食べきれるかな。」


土気色の顔の課長は、嬉しそうに笑って受け取ってはくれた。

絶食していそうな仙人(あくまでイメージ)の胃袋には、かなりヘビーな代物だとは思うが、誰か受け取ってくれないと私の片腕が重さでもげそうなのだ。


まだハンバーガーは余っている。


事務課の皆さんに希望者を募り、ハンバーガーを配ってはみたが、普段からの私の人望の薄さのせいか、やはり余ってしまった。

どうせ、アボカドが入ってないなんてあり得ないとか、そもそもカロリーが高そうとか、思ってるんだろうな。


「うわ、コレ美味しいですよ!?どこで買ってきたんですか!?水島さん!」


後輩の門倉さんが、口の端にオニオンソースをつけながら、感想を言ってくれた。


「野菜のしゃきしゃき感、肉汁溢れるジューシーなパティ、その二つを繋げる、絶妙なオニオンソース!美味しくない訳がないです!コレ、一個ぺろりといけますよっ!」


・・・地方の飲食店をレポートする、お昼の女子アナみたいな感想をありがとう、後輩よ。

門倉リポーターのプロ並みの感想のおかげか、ハンバーガーに手を出す人間が3人増えた・・・が、ハンバーガーはまだ余っている。

このまま、私もお昼休みをとろうか、と思ったのだが・・・。


『ウチの野菜たっぷり入ったバーガーを食べて、その優しい人と仲良く仕事してもらおう!』


あの、人の良い店主の気持ちを、無碍には出来ない。

それに、私はちゃんと阪野さんに謝る事もお礼もしていない。


だから、この大量のハンバーガーの一つは、彼女に受け取ってもらうのが妥当、なのだが。


(でも・・・阪野さん、こういうの食べるのかな・・・。)


阪野さんと大口開けて頬張らねばならないハンバーガーって、どうも結びつかない。


確かに阪野さんは肉食系で、ある意味ワイルドな女性なのだけれど・・・口周りが汚れるからと敬遠しそうな気がする。

何しろ、普段の彼女は”完璧なお人形”。

見た目は言うまでもなく、人形のように美しく、仕草は男女共に”おっ?”と目を惹くしなやかさ。


・・・ある意味、大口開けた阪野さんに思い切り、このデカイハンバーガーに食いつかせてみたい、ような気もしなくもない。


ええい!とにかく、礼儀だ礼儀!社会人たるもの、人間関係はアレとしても、礼儀と筋は通さねば!


(えーと、阪野さんは、副社長の部屋の前にいる筈、だったよね・・・。)


阪野さんって・・・案外、私の持ってきたモノなら笑顔で受け取ってくれそうな気がする。

なんだかんだ言って、彼女は私には凄く優しいのを知っている。



でも、油断したら次の瞬間喰われているかもしれないから、そこだけは・・・その一線だけは守らねば。



「珍しいね、君らしくない。」

「申し訳ありません。私のミスです。」


副社長室にもうすぐ着こうとする私の耳に、淡々とした低い声と・・・阪野さんの声が聞こえた。


「いや・・・熊谷社長も大人だし、どら焼き一つで怒りはしないだろうが・・・

いつも用意出来ていたどら焼きが出来なかった事に加え、ミスしたのが阪野君なだけに、少し厄介な事になるね。

不安は残るが、今日は小林君を呼ぼう。彼女でも大丈夫だろう。」


「いえ、私が行きます。挽回するチャンスを下さい。このままでは、私が私を許せないんです。」


(ミスって・・・まさか・・・!)


・・・この会話の内容を整理すると・・・


阪野さんがミスをした。


阪野さんは、どら焼きを持ち帰らなかった、という事。


阪野さんが私にどら焼きを譲ってくれた、あの時・・・どら焼きを手に入れるアテなど無かった。


阪野さんは、どら焼きをもう一つ持ってなどいなかったのだ。


たった一つしか無いものを、私に・・・譲ったのだ。


自分のミスと引き換えに・・・!?

そのミスは、阪野さんのミスじゃない!私のせい、私のミスだ・・・!!


「ま、待って下さい!阪野先輩は、熊谷社長に毎回言い寄られているんですよ!?

話に聞けば、あのおっさ・・・いえ、熊谷社長の奥さん、半年前に亡くなってるって話じゃないですか!

ただでさえ、何もなくても、あのおっさ・・・いえ、熊谷社長は普段から阪野先輩に絡んでくるんです!

ミスが知られたら、ここぞとばかりに、阪野先輩にセクハラを・・・!」


やたら大きな声が、こちらの耳にトラブルの詳細を届けてくれる。


「小林さん、滅多な事を口にしないの。」

「でも・・・先輩!」


「大丈夫よ。私のあだ名、知ってるでしょ?」

「せ、せんぱぁいぃ・・・!」


阪野さんの力強い決め台詞っぽいコメントが聞こえるが

その決め台詞は自信から来るものではなく、単に彼女を心配する者を安心させる為だけに放たれる言葉だと、私は身を持って知ってしまっている。


きっと、阪野さんは・・・ミスのペナルティを受ける気だ。



(なぜ、そんな貴重な和菓子を簡単に私なんかに譲ったりしたのよ・・・ッ!)


おかげで、助けられちゃったわーというよりも”助かってしまったッ!”という罪悪感がより強まってしまった!


ど、どうしよう。

どら焼き一つで、深刻なトラブルに・・・!!

原因の私が、どの面下げてハンバーガー持って彼女に会えばいいのだろう。

土下座・・・そうだ、土下座しかない!額を擦り付けて、相手がドン引くまで、ひたすら土下座を・・・

 ※注 只今、水島さんの精神状態が著しく混乱しています。ご了承下さい。


どうしよう。

阪野さんなら彼女の宣言通り、トラブルも華麗に処理出来るかもしれない。

でも・・・そうなってしまったのは、私を助けてしまったからだ・・・




要約すると、事の顛末は全部、私のせいだよッ!畜生ッ!



こうなったら、事情を話して高橋課長にどら焼きを返してもらおう!

私は、元来た道を戻ろうとした



が。



「ん?なんか・・・いい匂いしません?先輩。」


私が持っているハンバーガーのニオイに大きな声の女性が反応したようだ。


「え?・・・確かに、油っぽいニオイがするわね。」


私は慌てて隠れ場所を探し、すぐ傍の会議室に入り込んだ。



「・・・あれ?ニオイが途切れてる・・・おっかしいなぁ・・・?」


ふんふんふんふん、としつこく嗅ぎ回る女性の気配をドア一枚外で感じる。

意地汚い!秘書なのに意地汚い!!


 ※注 秘書に対する偏見です。 



「小林さん、お昼まだなら取ってきて良いわよ?」

「(ふんふんふん)へ!?そ、そんな!(ふんふんふん)私、先輩を置いて先に食事なんか(ふんふん)行けません!」


・・・じゃあ、嗅ぐな!匂いを追うな!!



「熊谷社長はもうすぐ到着だ。どら焼きはともかく、今後の方針を決めなければならない重要な会議だ。二人共、よろしく頼む。」

「「はい。」」


足音が3人分、こちらに近付いてくる。


・・・ま、まさか・・・!?


会議って、今私がいる会議室で行うのか!?

ふ、袋のネズミじゃないか・・・!!


ドラ焼きを奪った関係のない事務課の女がハンバーガー持って、会議室にいたら怪しまれるに決まっている・・・ッ!!


ピンチだ!大ピンチ!!

ピンチをチャンスに変えようにも、チャンスなんか要らない!早くこの現場から去りたいッ!!


”ガチャリ”ドアノブが動いたのを目視した瞬間、私の身体は考えるより先に反応した。


「・・・という訳だ。小林君、あちらの事情も察してやってくれ。」


やはり、入ってきた・・・!

こうなったら、3人がこの部屋を去るまで、隠れ続けなくては・・・!


ちなみに、私は今・・・会議室の中央の机の下にいる。

3人の足が動くたびに、私は何故かびくびくしてしまう。



「うーん、お言葉ですけど副社長、私としては・・・ん?(ふんふんふん)」

「・・・また?小林さん。」


またぁ?小林さぁん。いい加減にしなさいよぉ。

どんだけニオイ嗅いだって良い事なんか一つもありゃしないのよぉ!!


 ※注 只今、水島さんの精神が荒れて、おばさんみたいな口調になっております。ご了承下さい。


「あ、すいません。さっき廊下で嗅いだのより、あのニオイが濃い感じがするんですよね〜・・・阪野先輩、私、ファブリーズ持って来ましょうか?」


意地汚い小林さんの言葉に、阪野さんも少し部屋のニオイを嗅いだ。


「・・・そうね、お願い。」


阪野さんにファブリーズを頼まれ、まずは意地汚い小林さんが部屋から退場した。

あと二人が、この会議室から出てくれれば、すぐにでも私はこの部屋を脱出出来る!


「阪野君・・・個人的かつプライバシーに関わる質問をするが、構わないか?」

「はい。」


「・・・キミ、今付き合っている人、もしくは特別好意を寄せている人はいるかい?」


何故、今、そんな事を聞くの!?

私は、思わず立ち上がりそうになったが、ぐっと押さえる。


「・・・・・・はい。後者なら。」


阪野さんは余裕たっぷりにそう答えた。


「その男が、もしもココにいたら・・・僕はその人に申し訳ないよ。キミに仕事だと言って”無理をさせる”のだからね。」



重苦しい口調で、副社長はそう言った。

聞いた机の下の第三者の私は、思わず自分の耳を疑った。


(・・・何だと?)



私が驚いたのは、阪野さんに好きな男性がいた事もさる事ながら

 ※注 水島さんはボケている訳ではありません。本当に分かっていないんです。


副社長は、阪野さんに仕事と言う名の無理をさせるという事だ・・・ッ!


(ま、まさか・・・!?)


まさか・・・阪野さんは、ドラ焼きを買ってこられなかった、というだけで・・・これからやってくるという、熊谷社長の慰み者になるのか・・・!?


ど、どら焼きごときで!?

そこまでします!?どら焼きですよ!?

ねえ!あんこ挟んだだけの単純な和菓子ですよ!?


本ッ当に、上層とか上流の価値観がわかんない!!


そんなの・・・エロ本にしか無い展開だと思っていたけれど、実在するのね!?

この、人と人とを繋ぐ破天荒企業『城沢グループ』にも・・・”体当たり接待(ドエロティック・ルネッサンス)”が実在するのね・・・!?

・・・あ、でも確かに”人と人を繋ぐ”ってキャッチフレーズは間違いないわ。ただし、肉体的にねって、言ってる場合か!!


 ※注 このお話はフィクションです。


その結論に至った瞬間、私の脳裏にイケナイ画面が過ぎ・・・ってたまるか!!

落ち着け!そんなのあってたまるか!!


「・・・副社長、そんな・・・」


困惑する阪野さんの小さな声が聞こえた。


「・・・阪野君、僕もフォローはするから、無理だけはしてくれるな。キミを仕事人として評価はしているつもりだ。

だが、あちらが女性としてキミを見ている以上、僕もそういう対応をせざるを得ない。部下を守るのも上司の役目だよ。」


「副社長・・・本当に、ご心配なく。私は・・・」


あ、あわわわわ・・・!

コレ、間違いないよ!コレ、アダルトコーナーによくある設定だよ!

タイトル『完璧な美人秘書の淫乱会議 〜コピーの数だけ交わって〜』とかそんな感じ!?やだッ!!

認めない!このSSシリーズ、そんな生々しいネタ扱わないよッ!!


いやいや、落ち着け。副社長は具体的に阪野さんに一体何をさせる気なんだ!?


具体的な内容を聞かずに、あーだこーだ考えたって仕方が無い!

まだ、そうと決まった訳じゃないし・・・!


確かに、阪野さんは、なんでも出来そうなエロい秘書だけど・・・!

なんか一歩間違えたら、すぐにエロ展開にさせられそうだけれど・・・!!

今から、エロい事をさせられる、とは決まっていないじゃないか!!


それもこれも”どら焼き”のせい!?

どら焼きの何が金持ちの脳を狂わせるの!?

あんこ!?皮!?焼き目!?横から見たら何かエロいところ!?いや、エロくねえよッ!!


 ※注 只今、水島さんは動揺し過ぎて、一般女性としてどうしようもない状態にあります。ご了承下さい。



「大変です!熊谷社長がお見えですッ!」


部屋に大きな声と、シュッシュッシュッとファブリーズを噴射する音が同時に入ってきた。

・・・この小林って人、落ち着きが無いというか・・・なんというか・・・。


「ふむ、確かに早いな。」


そして・・・私を机の下に置いたまま・・・



 会議スタート!!



「相変わらず、見てるだけで目も鼻も・・・アッチの方も潤っちゃうねぇ〜詩織ちゃん。」


 開口一番 セクハラときたもんだ。


こんなステレオタイプなセクハラ野郎が、まだいたのか。

現代、セクハラにならぬように言葉に気を付けつつ、お前みたいなブス眼中に無いし、セクハラしたいとも思ってねぇけど!と言うオッサンが多いというのに。

私が足元にいるとも知らずに、熊谷社長はドスドス足音を立てて、どっかりと椅子に座った。

一見、靴は高そうな靴には見えるのだが、汚れている。


セクハラ発言に対し、阪野さんは無言だった。

しかし、机の上から流れてくる空気は不思議と穏やかだった。


阪野さんは、多分”笑っている”のだ。


あの完璧なお人形の微笑みを湛えているのだ。


私なら・・・多分、顔が引きつる自信がある。

というか、そもそも私、生まれてこの方男性からセクハラをされた事がない。

 ※注 百合サイト的に、それはなによりです。


「熊谷社長、早速ですが」


副社長がピリッとした空気を流す。


「ああ、契約ね。」


この熊谷社長、仕事だと言うのに、やや面倒そうに答える。


「いえ、少しばかりお互いの状況を話しませんか?」

「・・・その前に・・・この部屋なんかにおうなぁ・・・さっき、契約を切ってきた会社でモノは喰ってきたんだが、猛烈に小腹が減ってきたよ。」


来た・・・!(というか、私の持っているハンバーガーのせいだけど!)

要は、どら焼きを出せ、という図々しい要求!!

小腹が減った、という表現でも図々しさは声と態度で十二分に解る。


しかし、ここにどら焼きは無い!

具を挟んだ食べ物という共通点を持った・・・ハンバーガーなら、ここにある!!・・・けど、今の所、意味無し!出番無し!!



「その事なのですが、私のミスで、いつもご用意させていただいていた、どら焼きを本日はお出しできないんです。

本当に、申し訳ありません。」


阪野さんのその言葉の後。

空気が変わった。


「・・・ほほう・・・いやぁ、詩織ちゃん・・・はははは・・・。」


熊谷社長は笑ってはいるけれど、明らかに・・・”それ、ありえないわー引くわー(呆)”の笑い方!!


「会社同士のトップの会議に相応しい物を用意するのが、君達、秘書の仕事だよね?ねえ?

それが出来なかったで、謝れば済むと思ってるのかい?詩織ちゃん。」


熊谷社長の声はまだ落ち着いたものではあるが、明らかに不愉快さがにじみ出てきている。

態度を変えた、だと!?

どら焼きが無かった、それだけで!?


「本当に、申し訳ありませんでした。熊谷様。」


阪野さんの謝罪の言葉を熊谷社長は鼻で笑い飛ばした。


「わしが、キミをいつまでも”詩織ちゃん”と呼んでいたのはなぁ・・・そういう所でミスをするような”女”だからだ。

完璧な秘書とは聞いていたが、やはりキミもそうだったか。

女は対等でいようと、なんでもかんでも要求するが、要求ばかりで何も出来ない。だからぁワシは女をみんな”ちゃん”付けで呼ぶんだ。

みんな”ちゃん”止まりだ。そこらのキャバクラの女と変わらんよ。」


こ、これまた、ステレオタイプな男尊女卑・・・!!


「女に仕事を任せると、いずれ大ミスになる。いや、そもそもわしは、わしの仕事を他人に任せようとは思わんよ。

ワンマンと言われようとも、それがわしのポリシーだ。だから、わしは一人でなんでもやってきたんだ。」


阪野さんの謝罪で、会議室の空気が完全に会議から、ただのお説教に変わった。




でも・・・でも、待って。


そもそも、茶菓子が出ないってだけで、こんなに態度が変わる社長ってどうなの?


本当に、こんな社長と取引なんかして、利益あるのか?我が社は・・・!

私が経営者なら、間違いなく切るぞ。


静まり返る会議室(どら焼きのせい)

止まらない熊谷社長のお説教に近い講義(どら焼きのせい)



心の底から、私は思った。


(・・・面倒くせぇ男だな、このオッサン・・・!)


自分の好きなものが出なかっただけで、こんなにへそを曲げるなんて、まるで子供じゃないか!

それは、庶民で重要な会社のポストに無縁の女の私だから抱く反感なのかもしれない。


「こうして言うのはさ、期待してたんだよ?キミに対し、わしは期待をしていたんだ。」


阪野さんに勝手に期待して、勝手に不満ブチまけてんのは、お前だけだ。

お前がどう思うと、たかがどら焼きにブチ切れてる、お前は一体何なんだ・・・!


「あ、あの!もう、そのくらいでいいのではないでしょうか・・・?」

先程までうるさいくらいだった小林さんの決意の篭った声が会議室に、それなりの大きさに縮小されて発せられた。


「あ?何が、だ?こっちは、言ってやってんだ。

大体、秘書風情がしゃしゃり出てくるな!なんだ?これが、城沢さんの我が社に対する姿勢という事ですかねぇ?」


空気が一気に暗く、淀み、緊迫したものに変わった。


「いや、熊谷さん、今日はそんな話にするつもりは無いんですよ。」

「どうせ、心の中じゃ”たかがどら焼き”と思っているんだろう?さっきの会社もそうだった。

わしの顔色を伺って、ヤツらは”お好きでしょう”と得意気な顔して大量の五門堂のどらやきを並べてみせたんだよ!

でもね、そうじゃないんだよ!・・・城沢さん、わかってくれるか?」


しかし、私の中でジクジクと何かが疼いていた。

小心者のクセに、私は何をイライラしているのだ。

どうせ、何も出来ない小心者のクセに何で拳が震えるのか。


「あーあ・・・ガッカリだよ。やっぱりね、男の戦場に女は必要ないんだ。

せいぜい、酒の席なんかで男に向かって腰振って踊ってりゃ良いんだ。なぁ?詩織ちゃん?アンタもそう思うだろ?」



阪野さんの事情も何も知らないで、好き勝手言った挙句・・・”言ってやった”だと・・・?

・・・大体、仕事先で”詩織ちゃん”って何だよ・・・しかも”アンタ”って呼んだな・・・?

阪野さんの親戚でもないのに”アンタ”と呼んだな・・・!?

私は認めない・・・俺様系とか女王様系でもないヤツの”アンタ呼ばわり”を私は認めないッ!!

 ※注 ・・・うん、そういう問題じゃないですよね。水島さん。


『・・・ま、まあ、なんとかなります!』

『待って。それは、良くないわ。仕事は仕事。貴女は、五門堂のどら焼きを買ってくるように言われたのよね?

だったら、きちんとしなければいけないわ。これは、仕事であって、親戚のお土産や、自分用ではないのだから。』


『そう、ですよね・・・とりあえず、課長に連絡をして、どうするか指示を・・・』

『・・・はい。』


阪野さんが紙袋を差し出した場面が脳裏によみがえる。


『え?』

『私に借りを作りたくない、というなら、それでも良いわ。でも、仕事は仕事。とにかく、受け取って。

貴女のミスから生じる不利益は、我が社の不利益よ。見過ごせないわ。』


彼女は・・・阪野詩織という人間は、私の中では、”揺らぐ事のない、完璧な、エロ秘書”なのだ。

エロいけれど、彼女は秘書として立派な人なのだ。エロいけれども、優しい人だ。

エロいだけで、仕事はちゃんとする人だし、女性としての魅力だって十分ある。


そんな他人が、何故、私にどら焼きを渡しただけで、こんなに叱責される必要があるのか!


(仕事、なんだと思ってんだ・・・!)


接客業ではクレームの処理において、客からのクレームは迷惑でもあるが、その店が成長する材料になり得ると、どこかの本で読んだような気がする。

店側の事情は、客には勿論関係は無い。むしろ、関係させてはいけない。

サービスとはそういうモノらしい。



「詩織ちゃん、どうするの?ねえ?この空気、どうするの?」


熊谷社長らしき男の手が、手の甲まで毛の生えた手が・・・阪野さんの手を掴んだ。


あの手は・・・私を助けてくれた手だ。



「・・・どうもしねえよ。」


思わず声が出てしまい、私は片手でおさえる。


これも、もしかしたら・・・クレーム=宝物の法則が当てはまるのかもしれない。


と、考えてはみる。

だけど、どうにも納得出来ない。


お互いが協力して利益追求しようって話をしようって時に・・・”どら焼き”が無いだぁ!?ふざけんな・・・


ふざけんな・・・


「あ・・・っ!〜〜〜〜っ!・・・ふー・・・。」

小林さんが何かを言いかけたが、鼻から深く呼吸してその先の台詞を止める。


「ん?アンタ、詩織ちゃんの後輩か?コレが、セクハラだとか言うんじゃないだろうな?詩織ちゃん・・・違うよなぁ?」


阪野さんは答えない。


多分、あの完璧な微笑を浮かべているのだろう。

それを見たであろう、熊谷社長は勝ち誇ったように言った。


「・・・ほら、な?」


ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな

ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな

ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな

ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな


 ※注 あなたがお使いのパソコンは正常です。



阪野さんが何も言わない・・・いや、言えないのをいい事に、このオッサンはまだ好き勝手をする気か・・・。



「・・・ふざけんな」



「ん?今、何か言ったか?」

「え?いえ、何も。」



いや、落ち着け。阪野さんが秘書として、成長する為に乗り越えなければいけない事なのかもしれ・・・



「まったく・・・わしが、今どんな気持ちかわかるゥ?詩織ちゃぁん?この失望感・・・」



「わかんねえよ・・・」



「・・・ん?今、誰だ?誰が言った?今度こそ聞こえたぞ!」




「―――わッかんねえよッって言ったんだよッ!!」




会議室の机の中央から、”ガッタ――ンッ!!”という音を立てて、私は拳を突き上げながら割って出た。



「「「うわあああああああ!?」」」


それは、まるで地割れから飛び出した、ラオ○のように。



「どら焼き!どら焼き!どゥるゥゥら焼きッ(巻き舌)うるさいわねッ!どら焼きが無ければ、会議もマトモに出来ないの!?」




繋ぎ合わせた机の合間から飛び出してきた私を見て、秘書二人は驚き、壁に背中をつけた。


「み、水島さん!?」

「じ、事務課の根暗!!」



さっき、助けてもらったせいかもしれない。

これ以上、阪野さんをどうこう言われたくなかった。


「ひゃ!?な、なな、なんだ!?お前はッ!このわしに文句を言う気か!?」


「文句?いいえ!”意見”なら、ありますともッ!!」


私はそう言って、阪野さんの手を握っている熊谷社長の手をチョップで叩き落とした。


「いって!?」



私には、言いたい事がある。




「あなた如きが、エロ秘書・阪野詩織の何を知ってるんだッ!!!」



 ※注 興奮しすぎて、うっかり”エロ秘書”を付けてしまった水島さん。



「・・・!」


「ご、如きだとゥ・・・!?途中からしゃしゃり出てきて、何を・・・」


椅子に座ったままの熊谷社長は、私に戸惑いつつ椅子ごと後ろに下がり始めた。

私はそのまま机をかき分け、熊谷社長に詰め寄った。


「阪野さんは自分の持っていた分のどら焼きを私に渡したんです!だから、ココにないだけなんです!

彼女は、ちゃんと自分の仕事をしていたし、ここまであなたに罵倒される言われは無いッ!!

そんなにどら焼きが必要なら、今すぐ、私が事務課に戻って取ってきます!それで満足でしょう!?

このッドラ社長!!」




「――水島さん。」



後ろから名前を呼ばれて、ツカツカとヒールの音が近付いてきたのと同時に私は振り向いた。



「阪・・・」



阪野さんを視界に入れた瞬間の事だった。




  ”ぱんっ!!”




左頬に鋭い衝撃が走り、遅れてかあっと熱くなる。

一瞬、何が起こったのかわからなかった。


「・・・あ・・・れ・・・?」



・・・私、今・・・阪野さんに殴られた・・・?



自分の身に起きた出来事が信じられず。

目の前にいる、阪野さんの微笑がいつの間にか無表情になっている事も、信じられないでいた。


「・・・”部外者”は、出て行ってください。」


拳にこめた力も、言葉を失った私の両肩を小林さんが掴んだ。


「・・・早く。」


促されるまま、私は会議室から出された。


「まったく、ノコノコと・・・あなた、助けに来たつもりなんでしょうけどね!阪野さんの厚意を踏みにじって、台無しにしてもまだ足りませんよ!

気持ちは解らないでもないですが・・・いや、私ですら・・・今の行為は、ぶっちゃけありえないです!」



・・・え?プ○キュア?いや、そんな事、言ってる場合か。

 ※注 只今、水島さんはショックで錯乱状態に陥っております、ご了承下さい。


「あなた・・・阪野先輩が、一体何の為に頭を下げたと思ってるんですか・・・!

あなたがあの場面で出てきちゃ、阪野先輩が自分のミスで丸く事を収めようとしてるのに・・・台無しじゃないですか!」


小林さんは私を引きずりながら、声を低くそう言った


「・・・・!!」



・・・そこで始めて、私は冷静に考えをまとめる事が出来た。


・・・私・・・とんでもない事をしてしまった、と・・・。









「まったく!なんだったんだ!あの女子社員は!」

「本当に重ね重ね、申し訳ありませんでした。」


私が去った後も、会議室からはすっかり御冠の熊谷社長と謝罪する阪野さんの声が聞こえた。


「まったく・・・!仕事に対する姿勢もさることながら、付き合う人間も考えた方がいいよ!?詩織ちゃん!」

「申し訳ございません。」


私のせいでどら焼きを出せなかったばかりか、私のせいで会議自体がダメになろうとしている・・・!!


途端にティー○・カリーナの「あかん」のメロディーが私の脳内に響き渡った。


いつもエロくて優しい、あの阪野さんが私を平手打ちした衝撃 + 自分のせいで最悪の状況になってしまった罪悪感。

秘書の小林さんに壁に押し付けられ、肩を掴まれたまま、私はグラグラと揺さぶられながら睨まれた。



「いいですか?水島さん、事務課には事務課の、秘書には秘書の仕事があります。

役割が違う以上、貴女が阪野先輩の仕事に口を出す資格はないんです!」


確かにそうだ。


あの場でブチ切れてラ○ウで登場して会議をブチ壊す事はなかった。

あれのせいで、私の生涯に悔いの塊が出来てしまった・・・!


だが、忘れないで欲しい。

どら焼き如きでいい年ぶっこいた大人が、一人の女性をあそこまで言う権利なんか無い。



「あ・・・いや、でも・・・あんなの・・・!」


あんな態度、権力持っていようと社会人としてどうかしている!あんな事を認めていいのか!と私は言いたかった。

すると小林さんは私の言葉を遮り、更に私を責め立てた。


「”あんなの”でも仕事相手なんです!あんなのが、もっと酷くなったらどうするんですか!?

いえ、もう酷くなってます!あなたのせいで!あんなのに阪野先輩が・・・阪野先輩が・・・ッ!」



(いや、私が言ったのは『あんな酷い事ありえない』って意味の”あんなの”なんだけどな・・・。)


私も酷いが、小林さんも十分に酷い。



「とにかく、もう・・・やる事無し!万策尽きましたッ!だから!帰ってッ!!」


小林さんは涙目で私の肩を掴み、壁にドンドンと叩きつける。

帰れと言って、帰す気は無いのか。ていうか、痛い痛い痛い!!


するとガチャリとドアが開いた。

ヤクザの若頭みたいな顔の副社長が、ドアから身体を半分だけ出してこちらを見た。


「小林君、少し静かにしたまえ。・・・それから、そこの・・・」


副社長に指を指されたのは、私だった。


「み、水島です・・・。」


「そうか、水島君。こちらに来たまえ。」


副社長は神妙な声で私に再び会議室に入るように言った。


・・・恐らく、私は、あのどら焼き大好き社長に土下座させられるのだろう。

心底謝りたくないが、やってしまった事は失礼に当たる行為だ。


でも、さっきあんなに勢いつけてブチ切れてしまったのに、もう謝罪とか格好悪いったらない。

いや、自分の体裁などこの際どうでも良い。


昼間二度も助けてもらった阪野さんへの借りを返す・・・いや、私がやらかしてしまった分、彼女への負担を少しでも軽くする為だ。

この頭・・・3度までなら、床に擦り付けよう!

 ※注 あくまで嫌なものは嫌という姿勢は崩さない女、水島。



私は、再び会議室の中に入った。



「・・・先程は、失礼致しました。」


頭を下げ、再び上げるまえに、私は床に片膝をついた。

これで土下座はいつでも出来る・・・。

納得はいかないが、私個人の感情で仕事が回ったら苦労は無いのだ。

相手あってこその商談。それは解ってはいる。だが、こんなにも人として認めたくない発言をした相手に頭を下げるなど、不満どころの騒ぎではない。


だが・・・。

これは、私のケジメだ。


もう一方の膝を床につけようとした、その時。



「水島さん、こちらのハンバーガーはどちらで購入されたの?」



阪野さんが私が先程まで持っていたハンバーガーの紙袋を持って、そう言った。


「・・・は?」


顔を上げて、阪野さんを見て、会議室の奥を見ると

もっちゃもっちゃと口を動かし、一心不乱にハンバーガーを泣きながら食べている熊谷社長がいた。



「え?・・・え?ど、どうなってるんです!?」


状況がわからない。

熊谷社長は、どら焼きを欲していたのに・・・何故、バーガーを食べているの?



「う・・・うう・・・!!」


何故、泣いている?バーガーに泣く要素はあったのか?


「・・・水島さん、貴女・・・本当に奇跡を起こす人ね。」


疑問だらけの私に、阪野さんは耳元でそう言った。



「・・・はい?」



・・・奇跡、とは・・・オッサンが泣きながらバーガーを喰う事、なのだろうか・・・?


・・・多分、違うと思うけれど・・・。








「熊谷社長の奥様はアメリカ育ちでね。熊谷社長は根っからの和食派だったのだが、奥様の影響で食生活が欧米化したんだ。

特に奥様のハンバーガーは絶品だったそうだ。バンズから手作り。熊谷社長の身体の事も考えて、野菜は多めのボリュームたっぷりのハンバーガーだった。

そんな奥様が癌に侵されてしまってから、彼の食生活・・・いや生活全体が荒れはじめた。

病に侵された奥様に対し、何も出来ない自分がもどかしかったんだろう・・・それ以来、欧米食・・・特にハンバーガーは口にしなかった。

いや、口に出来るに値するバーガーが彼の周りになかった、というべきか。

奥様お手製のオニオンソースがね・・・特に彼の好物だったんだ。

奥様がお亡くなりになってから、熊谷社長は悲しみから逃げるように仕事に打ち込んだ。残された家族も顧みることもなく、ね。」


副社長はそこまで言うと、私の持ってきたハンバーガーにがぶりとかぶりついた。


「うん、美味い。このソースだ。やはり奥様のハンバーガーの特徴、沢山の野菜とこのオニオンソースだ。」


私は副社長室に副社長と二人きりで、副社長の机の前で直立不動のまま話を聞いていた。


「失礼致します。副社長・・・やはり、ハンバーガーの販売元・SANSANバーガーの女性店員は熊谷社長のご息女のようです。」


副社長室に入ってきた阪野さんは、そう言って一枚の写真を私と副社長に見せてくれた。


「水島さんも確認してくれる?熊谷社長の一人娘・菜摘さんよ。」

「ぅえっ!?」


写真に写っていたのは、結構ふくよかでおおらかそうな女性と、ガリガリに痩せている少し若い熊谷社長と、セーラー服の女の子だった。

セーラー服の女の子は・・・間違いなく、あのハンバーガーを売っていた女性だった。


私は阪野さんの顔を見て、”この人です”とコクコクと頷いて見せた。



「菜摘さんは5年前に農業を営む耕一さんとの間に長女愛ちゃんを妊娠、それでも結婚を反対されてから、熊谷家を出てそのまま行方不明に。

恐らく、ずっと耕一さんと一緒にいたのだと思われます。どうやら、それまで奥様がお二人をこっそり支援されていたらしいですね。

菜摘さんは、奥様が亡くなって葬儀に顔を少し出したきりで、その後もまた熊谷社長と和解する事無く、今に至るようです。

あのハンバーガーのソースの味が、奥様の秘伝のオニオンソース似ているのは至極当然でしょうね。」


「・・・じゃあ・・・あのあったかい家族は・・・!?」


あの、ステレオタイプ・セクハラどら焼きオヤジの関係者!?


「そう、貴女は、別れた親子の絆を繋ぎ合わせるキッカケを作ったって訳。」


「うん。見事、見つけ出してくれたね。水島君。」


な、なんというご都合主義的な奇跡!!

※注 うるせえ!!



「え?いやいやいや、私・・・あの、ちょっと寄り道しただけでして・・・まさか・・・。」



「いや、謙遜しなくてもいいんだ。運も実力だよ、水島君。本当に助かった。

我々は今日、彼の会社との契約を見直そうと思っていたんだ。」


「え?そ、そうだったんですか!?」


そりゃ、どら焼き一つであんなに情緒不安定になる人が社長の会社とは、手を切った方がいいかも、とは思っていた。

だが、城沢グループと熊谷商事の関係は1年や2年の関係ではなかった。



「このままじゃ、彼の自暴自棄な経営方針と共に我が社も心中しかねない程、業績が悪化しつつあったんだ。

彼が目先の利益の追求を改めてくれない限り、これ以上は城沢も手を組むわけにはいかないからね。

新プロジェクトにも彼はなかなか積極的では無かった。彼には長く続けようという意欲が無かったんだよ。」


副社長は、そこまで話すと口ひげについたオニオンソースをナプキンで拭いた。

そして、後は阪野さんが説明してくれた。


「熊谷社長の周囲の人間関係の悪化の噂は、こっちも把握はしていたの。

でも、それはプライベートな事だし、今まで仕事に関係無いからと口は挟まなかったけれど・・・最近は、目に余るようになってしまって。

私と副社長は、熊谷社長の抱えていた色々な事情を知っていたから。」


色々な事情、とは・・・奥さんの病気に、娘さんの家出とか、か。


「あのどら焼きもそう。奥様の好物だったの。

奥様が入院して熊谷社長が買いに行った時、運が悪く買えなかったらしいわ。

そのまま、奥様は他界されてしまって・・・多分、そのせいね。」


「それであの人、あんなにどら焼きに固執するように・・・?」


なるほど・・・そんな因縁めいたモノなのに”たかが”どら焼き、と言われたら、そりゃ怒るか。



「ともあれ、同情で仕事はしていられないからね。

彼にとっては涙を流すほどのソウルフード、それに再会出来たんだ、キミには感謝をしたい。

今日はとりあえず話し合いは先送りにしたが、これをキッカケに、娘さんと和解して立ち直ってくれると良いんだがね。」


そう言って副社長は、高級そうな椅子に背中を預け、窓の外を見た。


「明日会いにいかれるとの事でしたが・・・あとは、熊谷様のお心次第ですわ。」


阪野さんは、そういって穏やかに微笑んだ。

二人共やる事やってスッキリ、という感じを醸し出しているが、やらかしてしまった私は、というと・・・不完全燃焼だった。



やった事といえば、バーガーを買ってきただけである。



「・・・あの、すみません、ちょっといいですか?」


私は片手を挙げて発言した。


「ん?なんだい?」


「明日、その再会に立ち合せていただけませんでしょうか?」


私の言葉がそんなに意外だったのか、二人共酷く驚いていた。

副社長は快く許可してくれて、阪野さんと一緒に行くように言ってくれた。


私と阪野さんは副社長室を一緒に出た。


出た、は良いが・・・私は、阪野さんに謝らなければならない。

どら焼きの事といい、会議中にラオ○登場した事といい・・・色々、引っ掻き回してしまったのだ。


「阪野さん。・・・あの、何はともあれ、今日は本当にすみませんでし・・・」


そう言いかけた私の背中に、のしっとした軽い衝撃と柔らかい感触が伝わった。


「ごめんなさいッ!」

「へ?」


阪野さんは、強く私を後ろから抱きしめて・・・泣いていた。


「ごめんなさい・・・本当に、ごめんなさい・・・っ!私・・・貴女を殴ってしまったわ・・・ッ!」

「あ・・・あー・・・いや、あれは、あのラ○ウが・・・いや、私が悪かったんで、止めてくれた阪野さんに非は無いといいますか・・・」


それに、小林さんは言っていた。


『あなた・・・阪野先輩が、一体何の為に頭を下げたと思ってるんですか・・・!

あなたがあの場面で出てきちゃ、阪野先輩が自分のミスで丸く事を収めようとしてるのに・・・台無しじゃないですか!』


阪野さんは、全て自分一人のミスにして事態を収めようとしていたのだ。

あの場に○オウで出てきた私を、どうにか退場させなければ・・・熊谷社長の怒りの矛先は、完全に私に向かっていただろう。


それでも私は良いとは思っていたが、会社の為にはならない。

阪野さんが私を平手打ちにしてみせ、退場させる事によって、熊谷社長の怒りの矛先はまた阪野さんだけに向く。


後は・・・彼女が謝罪をし続ければいい。


・・・って、いいわけないだろ!!


阪野さんの謝罪の間もあのオッサンが、阪野さんに何をしていたと思ってるんだ!!


「まさか、貴女が机の間からラオ○のように飛び出てくるなんて予想出来なかったから・・・!」


そ、それはそうだ・・・。

というか、私の真後ろで泣かなくてもいいではないか。


「いや、だって・・・阪野さん・・・熊谷社長に普段から、あんなセクハラ受けてたんでしょう?あのままだったら、何されてたか・・・。」


「・・・水島さん・・・私の、心配・・・してくれたの?」


阪野さんは凄く驚いたような顔をした。


「え!?いいい、いや、そうじゃなくてッ!私だったら、あんなの嫌だなと思って!・・・そ、それだけですよ!?」


私は、阪野さんの方を向かずに両手をブンブン振ってそう言った。



「水島さん、何か・・・変な想像してない?」


阪野さんが、私の耳元で低く小さい声でそう囁いた。


「・・・・・・し、してませんってば。」



「例えば・・・秘書の女は、社長クラスの男と接待という名目で寝てると思ってない?」



・・・・・・・・・・。



「・・・・・・ちょっと・・・思ってました。」


迷った挙句、私は素直に答えた。


「・・・私、そういうの一切しないから。覚えておいて。」


”やっぱりね”という空気を出しながら、阪野さんはそう言った。


「・・・・・・はい。」



「何はともあれ、貴女に恩を返す所か・・・また助けられちゃったわね。」


「そんな事、ありません。今日の私は、阪野さんに2回・・・いや、3回は助けられてます。

本当にありがとうございました。」




「私は、その倍は助けられてるわ。いえ、回数で表現すべきじゃないわね。

貴女が『阪野詩織の何を知ってるんだ』って怒ってくれた時、すごく・・・嬉しかった。

どれほど嬉しかったか・・・わかる?」


阪野さんの声に、いつもの艶が出てきた。

これは・・・非常にまずい。



「いや・・・あの・・・あれは、ラ○ウがそう言え(?)と・・・。」


私は訳の分からないことを言いながら、自分の身体に回された腕を外そうともがく。


「じゃあ貴女には、阪野詩織のナニを・・・もっと知って欲しいわね?」


その言い回しは少し下品すぎやしませんか!?

そんなツッコミも何のその。阪野詩織は私を捕まえたまま、不敵な微笑みを浮かべる。


「・・・あー・・・あの・・・十分、知ってますので・・・!」


「じゃ、私に貴女を教えて。」

「・・・え!?」


「私が、貴女にこれ以上乱されたら、どんな風になるのか・・・教えてもらえる?」


それは、教えようも無い。

私は、底の浅い、ただの人嫌いですよ。

大体、日常茶飯事的に乱れている女に教える乱れなんか持ち合わせていない。


それすらも、阪野詩織には通用しない。


それに教えて、と言った割には強引に知ろうとするじゃないか。


突然、唇を塞がれた。

毎回毎回、突然キスをされると、呼吸がめちゃくちゃになる。

口から吸うべきか、鼻で吸うべきか・・・で、吐く時はまたどっちか悩む・・・余裕は無い。

鼻と口、どちらでも阪野さんとの間に隙間が生まれたら行う。

阪野さんの髪の毛からだろうか、ふわりと良い匂いがした。

掴む所が無く、とりあえず阪野さんのスーツの襟やら袖やらを掴む。


「・・・水島さん・・・私の為にアレ持ってきてくれたのよね?・・・オニオンソースの味、するでしょ?」


阪野詩織の舌が私の舌に絡み、前歯の歯茎をちろりと撫でた。

オニオンソースの味など、もはやわからない。

ただ、阪野詩織の味しかしない。


「あ・・・ぅ!?」

「私、ファストフードは嫌いなの。」


・・・ああ、それでも食べてくれたんだ。いや、言ってる場合か!!


「だけど、ああいう手作りのは歓迎よ。美味しかったわ。」

「・・・そう、ですか・・・良かった・・・」


だから!言ってる場合か!!

自分と阪野詩織との間に繋がっている糸みたいなのを見ただろう!?私!!

♪い〜と〜まきまき い〜とまきまき ひいーて ひいーて♪・・・って、そんな自分に私が引くわ!何、歌ってごまかしてるんだ!!阿呆か!!


「・・・まだ、痛む?頬。」

「い、いえ・・・」


「結構、本気で叩いちゃったから・・・痛かったでしょう?」

「いや・・・ホント・・・大丈夫・・・。」


阪野さんが頬を撫でて、私に甘く問いかけ、私はたどたどしく答える。


(ち、力が・・・抜ける・・・!?)


阪野さんの指が私の髪の毛、うなじ、耳をを撫でる。

それらの行為に、私はただされるがままになっていた。


「ねぇ・・・今日助けられた分、全部・・・これで、チャラにしましょうか?」

「えッ!?」


なんと、彼女は私の手を取り、今度は強引に私の指を自分のスカートの中に導く。

「貴女は私への借りが返せるし、私はこれで大満足。」

「いッ!?」


(ちょ、ちょっと!?)


阪野さん?ここ、会社の・・・副社長室の前ですよ!?

上司の部屋の前で、何をしようとしているんですか!?

私の指を、その母なる大地の裂け目に突っ込んでは、いけないんじゃないでしょうか!?

 ※注 15禁サイトの為、オブラートに包んだ妙な表現方法を使用しています。


それは、いくらなんでも・・・まずい!まずいですよ!?

百合、という言葉では片付けられない、生々しい指の屈伸運動を、貴女のマンゴー果実内で行う訳には参りませ・・・何言ってるんだ!?私は!!?

 ※注 15禁サイトの為、オブラートに包んだ、妙な表現方法を使用しています。


これが・・・エロ秘書、阪野詩織の魔力か!?

雰囲気、空気、指の動きで、意識が一気にアッチ側に持っていかれそうだ・・・!!


ダメだ!落ち着いて、百合以外の事を考えるんだ・・・!!


きゃりー○みゅぱみゅのにんじゃりばんばんの『恋してにんじゃりばんばん』って一体どういう意味なのか・・・。

鮮やかににんじゃりばんばんってどういう事なのか・・・。

ファッションモンスターって、何を食って生きてるのか・・・。

いや、やっぱり、にんじゃりばんばんって何?特に意味はありませんで、逃げ切れると思っているのか?

にんじゃの後の”り”と”ばんばん”は何!?


「秘書(私)は、社長クラスの男とは寝ないけれど・・・好きになった女となら、寝るわ。」


阪野詩織の一言で私はきゃりーぱ○ゅぱみゅの世界から強制送還された。


「・・・!!!」


それは、この場所じゃないとダメなんですかね!?

いや、どの場所でもお断りしますけど!!



そして、ツッコミ空しく・・・私の指先に温かくて、少し湿り気のある布と弾力のある肌の感触があたり・・・




「ぁ・・・ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛・・・!」



私の耳に、呪怨で聞いた唸り声みたいな不快な声が聞こえた。

視線をそっちに向けると、小林さんが幽霊みたいに立っていた。



「・・・じゃ、また今度にしましょうか。」


動じる事無くニコリと笑いながら、阪野さんはやっと私から離れた。

その今度は無い!!と心に誓った私だった。





「ぁ・・・ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛・・・!」



「小林さん、早く人間に戻って。」





 ― 次の日 ―







熊谷社長は、社長らしさも感じられないようなガチガチに緊張して公園の傍にいた。

それは、一人の父親の顔だった。


目線の先には、あのハンバーガー屋の車が止まっていて、親子三人が笑顔で開店の準備をしていた。


「お母さん、椅子はここね!」

「そうよ〜」

「うちのお姫様は、力ついてきたなぁ〜」

「ホント!頼りにしてるわ!愛!」


温かい家族の笑い声に、木陰に隠れている小さい父親の複雑そうな顔からは、徐々に余計な力が抜けていく。

優しそうな顔で、父親は家族3人のやり取りを見守っている。


(あのオッサンも、ああいう顔をするのね・・・。)



しかし、このままだとあのオッサンは『このまま、そっとしておこう。』と立ち去る確率が高い。



「水島さん、見守るだけでいいの?」

「あ、はい。」


私は、阪野さんと一緒に木の陰から親子の対面を見守っていた。

別に、他人の再会云々に興味があった訳じゃない。


私は、私のミスを私なりに取り返そうと思っただけだ。



(縁の紐は、大体恋愛関係なんだけど・・・)


私は目に力を入れる。

赤い紐は恋愛関係。

黒い紐は不幸を呼び寄せるトラブル。


そして・・・


(・・・見えた!あの緑色の紐だッ!!)


親子三人をしっかりと結ぶ緑。

力の入れ具合によって、紐の色の見え方は違う。

それは、ラジオのチューニングのようなものに近い。


(ええっと・・・家族3人と・・・あとは、あのオッサンの紐・・・)


熊谷社長の縁の紐は、実に細いものばかりで、黒い紐がやや多かった。


目を細めたり要らない黒い紐を2,3本切って、やっとオッサンの上で繋がる事も出来ずに彷徨う、緑の紐がうねうねと動いているのを確認した。



(・・・よし、おいで。)


私は紐を自分の方に引き寄せる。

犬のように、呼べば大抵の紐は私の呼び声に反応した。

ホイホイやってくる緑の紐をくるくると指先で巻きとり、4本の紐は、私の指先でやがて溶けて繋がった。


これで、私の仕事は終わりだ。


誤解しないで欲しい。


ただ、私は、あの4人にキッカケを与えるだけに過ぎない。


例え、私が縁を結んでも切れる縁もある。

4人が一緒にいたいと思えば、それなりに関係は長く続く・・・かもしれないし、そうならないかもしれない。


「・・・あ、水島さん。社長が動いたわ。」


何かを決意したような顔の熊谷社長は、手に持っていた花束と女の子用の玩具を手に、販売車に向かっていった。

しばらくして、4人の笑い声が聞こえて来たところで、私と阪野さんは顔を合わせて笑いあった。




その後、熊谷社長が農業関係のプロジェクトに投資を始めた、という噂を聞くのは、その何ヶ月か後のことだ。







「阪野さん、私・・・あの時、阪野さんに抱きついて、頬ずりしたって本当ですか?」


帰り道、私と阪野さんはゆったり公園を歩いていた。

そして、二人でベンチに座って少年野球の練習風景を見ていた。


「あら、信じられない?」

「そもそも・・・脱力した人間なんか抱えられないでしょ?」


やっぱり納得できなかったので、私は再度阪野さんに質問した。

いくら意識を失っていても、私が他人に抱きつき、頬ずりまでしたなど信じられないのだ。

そもそも・・・成人女性一人を女性が抱き上げるのは、難しい。


「・・・ふふっ・・・そうでもないわよ?」


そう言うが早いか、阪野さんは立ち上がると私をひょいっとお姫様だっこして見せた。


「ぅおう!?」


「・・・うん、抱えて歩けるのは10メートルくらいね。貴女が軽くても、こればっかりは限界だわ。」


女性の細い腕2本で自分の身体が浮かんでいるのかと思うと、阪野さんの体に必死に抱きつかずにはいられなかった。


「う、わぁ!?」

「・・・ホラ、ね?」


抱きついた私に向かって、阪野さんはいつも通りの笑顔を向ける。

お姫様抱っこも出来るエロ秘書なんて聞いた事がない・・・!



「なるほど・・・いや!そうじゃなくて!!・・・ま、待って!ほら!頬ずりはしてないでしょ!?」

いくら不可抗力で抱きついても、頬ずりはやはりしていない!

しかし、阪野さんはちっとも悪びれる様子もなく、笑って言った。


「・・・うーん・・・そこの再現は、貴女次第よね?」


ニッコリと笑う阪野さんに、私は大声で訴えた。


「と、とにかく!早く降ろして下さあああああい!!!」



いくら、寝心地や柔らかさが最高でも・・・落ち着かなければ・・・私の癒しにはならない、と痛感した。





 ― END ―





あとがき


はい、リクエストSSでした。

ドエロティック・ルネッサンスとは何だったのか・・・。


水島「お前が言い出したんだろ!?」


阪野詩織、という人物はエロい以外にも何か無いか、と探した結果のSSでした。

少しほのぼの?させたかったのですが・・・


向き不向きがあるようで・・・。

水島「まったくですね。」


・・・で、ドエロティック・ルネッサンスって・・・何ですかね?


水島「だから!それは、お前が言い出したんだろ!?」