}-->








[ 何度でも。何度でも。 ]




それは、突然の事だった。

いつものように私は景気良くビールを飲み始め、注文した焼き鳥の盛り合わせの到着を待っていた。

早くも1杯目を空にした私は店員を呼び、おかわりのビールを注文し終わった時だった。

一緒にいた久遠は、映画が終わってから突然口数が少なくなった。…かと思えば、居酒屋に着いてからは遂に黙り込んだ。


そして、やっと口を開いたかと思えば。


「・・・あの、前、私が言った事、覚えてます?」

「ん?」


私は、彼女との色々な記憶のあれこれを辿ったのだが、特に引っかかるような事を言われた記憶は・・・



「先生。私、あの時は・・・確かに酔ってましたけど、本当の事を言ったんです。」



それは何かを決意した目だった。・・・今日は、妙に静かだなと思ったが、大事な話があったのか、と私は思った。

その妙に静かな人物、”久遠”というのは、目の前に座っている「塩見 久遠」の事だ。

珍しい名前だと思うだろうが、それもそのはず。彼女は芸能人で、私は彼女の呼び名を芸名しか知らない。

小説家の私は、普段から家にこもっている事が多く、外出する理由は買い物くらいだった。理由がなければ部屋から出ない主義だった。


ところが。


私の小説がドラマ化され、その打ち合わせの時に主人公の友人役である久遠と私は知り合い、久遠と連絡先を交換してから、その生活が変わった。

久遠から、頻繁に誘いの連絡が入り、私は外出する理由が出来たので出かけた。

特に嫌でもなかったし、彼女と一緒に外に出ると、担当者曰く『何かネタになるものに出会えるかもしれない』からだった。

私の小説には、夢や希望、時々血生臭い表現など・・・非現実的で、そこが売りなのであるが、どうも細かい部分でのリアリティが欠けているのだそうだ。

実際、彼女と一緒に出掛けてみるとファッションから、流行のグッズに至るまで、次々と新鮮な何かに出会えた。

まさに今時の女性の実態を把握出来る、とでもいうべきか、とにかく私が部屋にこもって文字を睨み悩むよりも、ずっと有意義な経験だったと思う。


とにかく、出掛ける時は二人で、色々なところを回った。

久遠と私は年が近いが、久遠の方が年は下だが、そんなの感じさせないほど、話は合った。

映画に、本屋、雑貨屋、ショッピングモール、そして決まって最後は居酒屋だった。

久遠も酒が飲めるクチで、酒が入ると私達は最高に波長が合い、まるで長年の友人か、よほど気の合う友達・・・のような関係だった。


・・・と私は認識していた。


「瑠果先生、覚えてます?ドラマの打ち上げの時。」

その言葉で、一瞬にして私は、久遠が覚えているかと確認している言葉をハッキリと思い出した。


(もしかして、あれか?)


『先生・・・私・・・』

その後に続く言葉を・・・確かに私は思い出したが、あえて言葉を濁した。


「・・・・・・あ、ああ・・・うん、飲んだよねー、あの時は。飲みすぎた、というか。」


あの時。


ドラマは幸い、まあまあな数字を叩き出し、私の原作本は増刷が決定した。

クランクアップを迎えたその日、私はドラマのスタッフに呼ばれ、打ち上げという名の飲み会に出席したのだった。

軽い挨拶を済ませ、私は上機嫌で飲んで話し込んでいた。


久遠も他のキャストと一緒に楽しく飲んでいた、筈だったが・・・

明らかに、その日の久遠の酒のペースは早かった、と記憶している。

何分、人数の多い飲み会だったので、私は挨拶回りやら、脚本家の九木さんと話し込んでしまうなどして、久遠の事などすっかり忘れていた。


そして、私が気付いた時には、既に久遠はべろんべろんに酔っ払っていたのである。


久遠のマネージャーを呼ぼうか迷ったスタッフに、私が久遠の介抱役をかって出た。

久遠の部屋には何度か遊びに行った事があるし、それに、もう散々話し疲れていた私は帰って寝たい気分だったのだ。


「先生ぇ・・・。」

「はいはい、帰ろうね〜。じゃ、私はこれで。皆さん、ありがとうございました!」


久遠がここまで酔うのも珍しいな、と思いつつ、挨拶を済ませ、私は久遠とタクシーに乗り込んだ。


「先生ぇ・・・なんで・・・たのぉ・・・?」

「・・・え?何?」


お互い酒が入っているとはいえ、久遠の方が明らかに酔いすぎだった。呂律がまるで回っていない。

なんだか知らないが、私が他の人間と話しこんでいたのが気に入らなかったようだ。

愚痴っぽい文句ばかりタクシーの中で繰り返す久遠を見て、これは、思ったよりまずいな、と思った私はタクシーを一旦止めてもらい、コンビニで水を購入した。


再び、タクシーの中で久遠は私にひたすら何かを訴えかけてきたのだが、聞き取れないわ、訳がわからないわで、私は相槌を適当に打っていた。


部屋について、久遠のバッグから鍵を取り出し、部屋まで引きずるように運んだ。

綺麗な黒髪、すっぴんでも十分綺麗な顔立ちも、酔ってしまえば、だらしなくなるの一言である。

一応、芸能人なんだから、しっかりしろよ、と思いながらも久遠に水を飲ませて、久遠の部屋着を探し、久遠のジャケットに手をかけた。


「先生・・・」


久遠が、私の手首を弱々しく握った。


「・・・わいせつな事なんかしないよ。それとも自分で着替えられる?」


苦笑しながら、私はそう言って部屋着を渡そうとした。

すると、久遠が私に勢いよく抱きついて言った。


「・・・先生・・・私・・・先生の事、好き。」

「あー、ありがとう。嬉しー。・・・水飲むかい?」


私は笑って、久遠の頭を撫でた。

最初、私は酒のせいで、久遠がこんな事を言っているんだと思っていた。


「・・・先生、女の人と付き合った事あるんでしょ?」

「ああ、あるね。ていうか、よく覚えてたね。」


久遠が覚えているとは思わなかったが、私は一度女性と交際した事がある。

しかし、その女性は、なんの前触れも無く、突然、男性と交際を始め、結婚。今や2児の母である。

当時、私なりに真剣な交際だったので、それはもうショックだった事を覚えている。

その彼女が口癖のように言っていた「私、バイセクシュアルだから、同性を好きになる気持ちが分かる。」

・・・という言葉こそ、信用してはいけない言葉だと身を持って知った。

同性を好きになる気持ちが分かると宣言する両刀人間は、同性を好きになる気持ちが解っていても

付き合っている相手に裏切られる不安な気持ち、裏切られた後の複雑な心境までは理解するまで出来ていないようだ。


あれから、恋もせず私は仕事と生きていた。仕事には満足してるし、十分良い人生を送れていると思っている。


そんな話を、今するのか?と私は久遠の真意がわからずにいた。


「・・・私じゃ、ダメですか?」

「・・・は?」


久遠は私から離れ、酒臭い息を吐きながら大きな声で言った。


「だから、好きだって言ったのにー!」

「あー・・・はいはい、そういうのはね、酔っ払ってない時に言いなさい。」


私が笑いながらそう言うと、久遠は急に無言になり、自分で部屋着に着替え始めた。

私は、というと、久遠が脱ぎ散らかした衣服をその後ろでたたみ、冷蔵庫に水を入れた。


久遠を寝かしつけた後、私は何事も無かったかのように帰った。

その後、特に何もなかった。だから、私はやっぱり酔っていた上での、冗談として処理し、忘れていたのだ。


だが、あの時の話を何故、今になって、するのか。

そこで私は気が付いた。久遠が乾杯してから、酒を一口しか飲んでいない事に。


「・・・私、あの時、酔ってましたけど、全部覚えてるんです。」

「あー・・・うん。私も、一応。」


待って。


「今、私酔ってませんよね?」

「・・・うん。」


ちょっと、待って。



「改めて、言います。私、先生の事・・・好きなんです。」


やっぱり・・・待ったは・・・無しか。


「・・・あ・・・うん・・・そっか・・・。」


久遠の目は真剣だった。


「本当は、言うか言うまいか迷ったんです。今までが楽しくて。楽しすぎて・・・。この関係のままでずっといる方がいいかも、とか考えちゃって。

だけど、先生・・・女の人と付き合った事があるって聞いたから・・・私のコレも可能性、あるんじゃないかなって思って・・・。」


「・・・・・・・。」


「でも、先生は私の事を多分、友達って感じにしか、思ってないのわかってるし・・・迷惑かもしれないって思ったりして・・・」


私は、黙って聞いていた。


「だけど、もう・・・私が、耐え切れそうもないんです。この気持ちを、先生に知って・・・欲しかったから・・・。

・・・多分、それは私が楽になりたかっただけ、かもしれないけど・・・とにかく、知って欲しかったんです。」


そう言うと、久遠は顔を伏せた。

私が知らない間に、久遠がこんなに悩んでいるとは思わなかった。

今まで見たことも無いような表情の久遠に私は、正直戸惑った。


特別、気にもしていなかった人物からの突然の告白に私はどうして良いかわからず、黙ってしまった。

芸能人と小説家、しかも女同士の交際なんて、マスコミが聞いたら飛びつくに決まっている。

なにより、今までの関係が壊れてしまう事を覚悟で久遠は私に気持ちをぶつけてきたのだ。


悩むな、と言う方が無理だ。


やがて、そんな雰囲気を壊すように店員が私にビールと焼き鳥の盛り合わせを持ってきた。


・・・私は、とりあえず、ぐっとビールを飲んだ。

冷たいビールが喉を心地良く刺激しながら通り過ぎる。


同性を好きになった事がある私だからこそ、久遠はその可能性に全てをかけたのだ。

全ては、私次第だ。



「・・・久遠。」

「はい。」


「正直、私は久遠の事、そういう対象としては見てなかったんだよね。」


そう言うと、久遠はみるみる泣きそうな顔をした。

慌てて私は手を振って、久遠に言った。


「あ、待って。これは、結論じゃないの。久遠が私を好きだって言ってくれなかったら、私は多分ずっと気付かなかったと思うの。

でね、久遠の気持ちを知った上で・・・私は、これからは、そういうのを意識して、久遠と付き合ってみたいの。

それで、どうしても友人の枠を越えられなかったら、その時はごめんなさいって事で・・・どうかな?

・・・でも、こういうのって変に期待させちゃって、余計悪いかな・・・。」


私は、この場で久遠の告白に対しての返事を先延ばしにする方法を提案した。


まず、私には恋人がいない。同性同士が付き合う事に対しても、抵抗は無い。


久遠の事は好きだが、それは友人としてだ。


今、久遠の事をふってしまったら、久遠と外出する事は多分出来なくなる。それは、あまりにも寂しいと思った。

だから、久遠が私を恋愛対象としてみているのを把握した上で、私は久遠と今まで通りの付き合いをしてみる。

それでも、やっぱり久遠を友人としてしか見られなかった場合は、久遠に正直に言うべきだろう。


・・・しかし、こんなのは友人関係を続けたい私にとって都合が良い付き合い方でしかない。

久遠は、色々悩み、そして、必死な思いをして告白してくれたのに。


しかし、久遠はそんな私の提案に静かに答えた。


「いえ、わかりました。私は、さっきも言いましたけど、この気持ちを先生に知って欲しかっただけなんで。

・・・正直、当たって砕けるつもりでいたんですけど。こうなるなんて思わなかった・・・。」


気持ちを吐き出して、少しほっとしたのだろうか。久遠は、やっと酒に口をつけた。


「・・・ごめん。ハッキリした答え出してあげられなくて。でも私、久遠とこうやって一緒に出掛けられなくなるの嫌だからさ。」


やはり、告白した者にとって返事を先延ばしにされるのは、気持ちが悪いだろう、と思う。


「・・・いえ、良いんです。そんな風に思ってくれて、逆に嬉しいです。」


と久遠は笑っていたが、それはやっぱり無理して笑っているようにも見えた。



久遠と別れて、自分の部屋に戻ってから、私は熱いシャワーを浴びながら考えた。

こういう時に相談できるような友人を久遠以外でいないのは、致命的だな、と思う。


思えば、久遠と知り合ってから私の生活、視野は広がった。

自分に持っていないものを持っている者に憧れる、というのはこういう事なんだろうと思う。

だから、彼女と出掛けるのは楽しかったし、その時間は大切にしていた。


シャワーを浴び終わって私は、携帯を手にした。

久遠からメールが届いていた。


『今日は、ごめんなさい。きっと、すごく驚かせちゃったと思います。

でも、私の中ではすごくスッキリしてるっていうか、一区切りついた感じで・・・。

先生さえ良ければ、また遊びに行きましょう。今度はデートのつもりで、覚悟して下さいね?なんちゃって。』



(また、遊びに行こう、か。・・・今度はデートのつもり、で・・・。)



・・・私は、ふと、自分は久遠の気持ちを弄んでいるんじゃないかと思った。

嫌いでもない人間から、好きだと言われて嬉しくない筈はない。

今までは恋愛対象と思ってもいなかっただけ。


彼女の自分に対する好意を知ってから、私の気持ちは果たして変わるのだろうか。

単に、私は久遠に友人関係の延長を申し込んだだけなんじゃないか、と思った。


それから。


やっぱり、変わらず私は久遠から誘われるまま、久遠と一緒に出掛けた。


だが、特別する事も変わらず。

手を繋ぐ事はあっても、キスなどは一切なく。

恋愛関係の事で発展する事は無かった。

久遠が何か仕掛けてくるんじゃないか、と始めは思っていたのだが、そんな兆候も見せないから、私も何もしなかった。

むしろ、前より友達らしくなり、親しくなったくらいだ。

私は、やはりその時間が楽しくて、たまらなかった。

時折、久遠が何か言いたげに私を見る事はあったが、私がどうしたの?と聞くと、すぐに笑って、それ以上何も言わなかった。


ドラマの中で久遠が男性役者に向かって愛の告白をしているシーンを見ていると、なんだか久遠が私の事を好きだなんて、信じられないなと思った。


『・・・愛してる。』

『・・・俺も。』


TVの中では久遠が男性役者と情熱的に愛を語っている。女優なんだから、まあ当然だろう。

キスシーンに入ると、私はTVに背を向け、原稿用紙に向かった。


(久遠は、私のどこが良いんだろ・・・。)


久遠程の魅力があれば、男性と交際するのなんか簡単だろう。

何故、よりにもよって、女の私なんだろうか。

大体、久遠が元々女性が好きだなんて話は、一度たりとも聞いた事が無い。

そういえば、久遠の初恋は確か幼稚園の時の男の子だった、と記憶している。酔っ払いながら、あの時は純粋だったわ、と久遠が語っていたのを私はハッキリ覚えている。


だから、私は、ふと、久遠も実は、バイセクシュアルなんじゃないか、と思った。


そして、自分が女と付き合った事があるなんて話をするんじゃなかった、と後悔した。

あの話さえしなければ、久遠は私に告白なんかしなかったかもしれないのに。





『やっぱり、将来の事を考えるとさ、子供とかさ、家族が欲しいのよね。

親だって心配するしさ。あんたとじゃ、それが出来ない訳じゃない?わかる?』






以前、そんな言葉を残して私の前から消えた、バイセクシュアルの女の最後の台詞だ。

今や、本当にバイセクシュアルだったのかすら、疑わしい女だとも思う。

ただ”私は男女関係なく愛せるし、同性愛にも理解のある心の広い人間です”、という看板が欲しいだけだったんじゃないか、とも思う。

残されたのは、女を好きになってしまった私だけだ。


悔しい事に、私は覆す事が出来ない事実を突きつけられたのだ。


女同士で出来る事なんか限られている。

親が結婚しないのかと聞いてくる、と言われても、子供が欲しいと言われても、私は何も出来ない。

同性愛者なのか?と問われたら、嘘をつけばいいのか、どう答えたら良いのかすら、困る体たらくである。


同性同士の愛に、将来が関わってくるとロクな事は無い。

ある意味、自分の人生に、相手を巻き込むのだ。それを迷惑だと考えるか、否か。

相手は、私を自分の人生から消した。・・・それが、結果であり、私も恋愛の延長線の相手との人生の共有を諦める事にした。

現実が相手なら、仕方が無い。諦める。・・・それが、私が学習した恋の処理の仕方である。


封印していた筈のそれを思い出した私は、なんだか久遠に対する気持ちが急激に冷めていった。


私は、久遠の誘いを断る事が多くなった。

仕事が詰まっている、小説の新作を書いているから、と難癖をつけて断り続けた。


メールは、いつも2日おきに届く。

最低限の返信はするが、私はやはり会うのを拒んだ。



『最近、お仕事大丈夫ですか?また、一緒にお酒飲みたいです。』



『ドラマ見てくれてますか?次回必見です!…裏話もあるから、今度会いませんか?』



『最近、お会いできなくって寂しいです。迷惑でなければ、会ってくれませんか?』




久遠の好意は、いずれ時間と共に消えるだろう。いや、消えてしまえば良いのだ。その方が将来性があるのだから。


私は、そう思った。




『私、何か先生に失礼な事をしてしまったんでしょうか?教えて下さい。』


絵文字も何もない文面。

私は、そのメールの返事を打った。




『やっぱり、私は久遠の事を友達としてしか見られない。ごめんなさい。』



(これで、終わり、だ。)


私のメールの返信後、久遠からメールが返って来る事は無かった。

処理完了。


これで、良かったんだ、と私はコーヒーを飲みながら原稿を書いた。

つけっぱなしのTVのワイドショーの音声がふと聞きなれた名前を私の耳に届けた。


『さて、塩見久遠さんと深沢涼さんの熱愛報道ですが・・・』

『共演者同士で気が合ったのが、キッカケのようですね。関係者の話によると、順調だそうですよ。今、放送中のドラマですが・・・』


私は、振り返ってTVの画面を見た。

久遠の笑顔が写っていた。その隣の青年も爽やかに笑っていた。お似合いだ。


ああ、久遠はやっぱり、芸能人であり、一人の女性なのだ。

華やかなTVの中の世界の人間であって、彼女は普通の女性として生きていくべきだ。

いつか結婚して、可愛い子供を生んで、家庭を築いて・・・そこに私はいなくて、良いのだ。


私は、必要ないのだ。


私は、再び原稿に向かった。


すると今度は携帯が鳴った。着信相手を見ると編集者からだった。



「・・・はい、原稿は只今製作中ですが。」

『あの・・・先生、塩見久遠って知ってます?』


今一番、その名前を聞きたくなかっただけに私は一気に不機嫌な声で答えた。


「・・・・・・はい、知ってますけど?」

『あの・・・今、その塩見久遠が編集部に来てるんですけど。

どうしても沢村先生に会いたいって。どうしましょう?そっちの住所、教えちゃって良いですかね?サイン貰っちゃいましたよ!』


少し浮かれ気味の編集者はぺらぺらと事情と説明した。

まさか、久遠が担当編集者にまで会うとは思わなかった。


「・・・はあ、まあ、どうぞ。」


飲みかけのコーヒーを持ったまま、私は間抜けで曖昧な返事をした。

そういえば、久遠の部屋に行った事はあっても、自分の部屋に招いた事はなかったな、と思い出した。


こうなったら、直に突きつけるしか無い。



1時間後、ドアのインターフォンが鳴った。私はドアを開けた。



久遠が立っていた。

久遠は、サングラスを外し、私を真っ直ぐ見つめた。

少し痩せたっぽい。相変わらずファッションセンスは抜群で、バッグだって最新のものを身につけている。さすがは華やかな世界の芸能人だ。

楽なスラックス姿で、一日中原稿に向かっている私のような小説家とは違う。


私は、スリッパを出して「どうぞ」と中に入るように促し、背中を向けた。


その瞬間。


背中にどんっと衝撃が伝わった。



「・・・会いたかった・・・!」



久遠が、私の後ろから思い切り抱きついたのだ。


「久遠・・・?」

「・・・名前、先生に呼ばれるのだって・・・何週間ぶりだし・・・!」


久遠が涙声で私の背中に額を擦り付ける。


「私・・・会いたかったんだよ・・・先生・・・!」

「久遠、わざわざ会いに来てくれたのは嬉しいんだけどさ・・・どうしたの?」


私は適当な言葉を吐きながら、回された腕を離そうとしたが、久遠は全く離してくれない。


「こっちの台詞です!急に会ってくれなくなったのは、どうしてですか!?」

「・・・メールでも言ったけど、私、久遠の事、友達としてしか見られないって気が付いたから。」


離そうとすればするほど、久遠の腕に力が入る。


「嘘ッ!」

「・・・なんで、言い切れるのかな。」


真っ直ぐな久遠の言葉に私は少なからず、イライラし始めていた。


「先生はそういう大事な事は、ちゃんと私に直接会って、私が傷つかないように優しく言ってくれる人だから!」

「・・・根拠にならないよ。」

素っ気無く私は言った。

しかし、久遠の言うとおり、確かに、そのつもりだった。

だけど、久遠に直接会ってしまえば、私はハッキリと、この答えを言えない気がしたのだ。

だから、メールで伝えた。


「私が告白なんかしたから、やっぱり私と会うの嫌になったんですか!?」

「・・・まあ、とにかく・・・久遠もいい人いるんだから、こういうのやめなよ。ロクな事にならないよ。」


私は、答えをごまかし、話を逸らした。

久遠には、今、噂の彼氏がいるのだから。


「あれは、単にドラマの番宣の為のキャンペーンみたいなもんです!ああいう噂が流れたら、視聴率上がるから!」

「・・・何、ソレ・・・。」


私が振り返ると、久遠が涙を浮かべながら私の背中をバシンと一回叩いた。


「やっぱり、そうだ!だから、先生にだけは誤解されたくないから、私、直接会いに来たんです!どうせ、メール送っても会ってくれないと思って!」

「・・・もしかして、誤解解く為だけに来たの?」



「だって・・・そうしないと、私、先生の前の恋人と一緒にされちゃうから!私は、その人とは違うって言いたかったの!」



確かに、私は久遠とあの女を重ねた。

図星を言い当てられた私は、思わずカッとなった。



「何が違うんだよ!?将来、子供も生めないし、結婚だって出来ないし、大体、女優が女と付き合ってたら格好のスキャンダルでしょうが!

そんなリスク冒してまで、女の私なんかと付き合うメリット無いでしょ!?」


私がそう言うと、久遠は私の両腕をがっしりと掴んだ。


「・・・好きだから、そんなのどうでもいいのッ!メリットとか、そんなのどうだっていいの!」


そう言って、私の背中を壁まで押しつけた。


「・・・今は良くても、これから先、わかるもんか!私はもう・・・もう、嫌なんだよ!!」



私は、もう久遠を直視出来なかった。

これ以上、久遠を見ているのが辛かった。




「・・・先生、怖いんでしょ・・・私が、前の人みたいに、異性に惹かれるんじゃないかって思ってるんでしょ。」




そう言われて、私は、泣きながら答えた。




「そうだよ!怖いんだよ!好きな人が、正論を口にして自分の前からいなくなっちゃうのは、もう耐えられないんだよ!

言葉ではどうとでも言えるんだよ!でも、信じていた人に裏切られるのも、一人になるのも、もう嫌なんだよ!

久遠とこれ以上、一緒にいたら、不安でいっぱいになって、しょうがないんだよ!!」



逆らう事が出来ない現実に、対抗出来る術を私は持っていない。

どんなに努力しても、一緒の人生を歩もうとしても、現実の壁が容赦なく迫ってくる。

久遠は、同性愛者とは言い切れない。普通の女性だ。たまたま、私に興味か何かを持っただけだ。

いくら信用しようとしても、きっと、普通の人は現実に気付き、やがて、私の元を去り、どこか違う人の元へ行ってしまうだろう。

それが解っていても、どうしても手放したくないと思ってしまう。それでも、現実の壁のせいで、その人は私の元を去っていってしまうだろう。


だったら、最初から恋人なんかにならなきゃいいのだ。


突き放される辛さを知っている私は、逆に自分から突き放す方を選んだ。


その方が楽になれる、と思ったから。

なのに、何故こんなにも胸が痛むのだろう。

何故、こんなにも久遠を突き放すのが辛いのだろう。


この人を、自分の人生に巻き込んで良い事なんか、何も無いのに。

それは、ただ、自分が幸福にしかならないだけなのに。



「・・・先生・・・」


久遠が、私の涙で濡れた頬を掌で丁寧に拭う。

綺麗な久遠。

TVで見るより、近くでこうして見ている方がずっと綺麗だ。

だけど、私は・・・久遠に近付きすぎたのだ。



「久遠の事・・・このまま、友達として好きでいさせて・・・私、久遠の事を嫌いになんかなりたくないんだよ・・・!」



もし、私が久遠に”好きだ”と伝えたら、そこから恋人関係が始まる。そして、いつか久遠は現実を知る。

その瞬間、私と久遠の関係は終わる。

それだけじゃない。

関係を知られた時の世間の冷たい目。結婚は出来ない。子供は出来ない。

そんな人生に、久遠を巻き込める訳が無い。


それに、それら現実を知ったら、久遠は、きっと違う人の元へいってしまう。

その瞬間、私は久遠を嫌いになる。忘れようとして、自分の中から消そうとするだろう。



だけど、私は、久遠へのこの気持ちだけは失いたくなかった。

あの楽しい時間を、良い思い出としてしまっておきたかった。あの時間を、負の時間になんか、したくなかった。



・・・私は、久遠が・・・



「先生、顔上げて。」


言われるがままに顔を上げると、久遠は私と唇を重ねた。


「ん・・・ふ・・・ッ!」


TVで見ていたドラマのようなキスを久遠としている。

だけど、見るのとするのとは大違いで。

暴れる私に対し、久遠は執拗に、何度も何度も私の唇に吸い付いて離れなかった。


「ッ・・・久、遠・・・!久遠!」


私が無理矢理、久遠を引き離すと、久遠は優しく微笑んで子供に諭すように言った。


「やっぱり、私、先生の事好きだよ・・・だから、信じてくれるまで、ずっとずっと言い続けるよ。私、先生が好きだって。

だから・・・」


久遠がCM、ドラマのワンシーンでも見せたことのない顔で、私に言った。



「・・・だから、私が好きなら好きって言って良いんだよ、先生。私、とっくに先生にベタ惚れなんだから。」


まるで、何もかもわかったような顔をして、久遠はそう言った。

自分でもわかるくらい、かあっと顔が熱くなる。


「だ、だから!そんなの将来の事とか、現実を知ったら・・・!」


「だから・・・私は、瑠果先生が好き。それが、私の現実。それ以外の現実は知ったこっちゃないよ。第一、この塩見 久遠を、前のクソ女なんかと一緒にしないで。」


「久お・・・んッ!?」



久遠は、再び唇を重ねてきた。

何度も何度も何度も。




「先の事なんか、確かにわからない。だけど、私は何度だって言うよ。先生の事、好きだって。それが、変えようの無い、現実。」



久遠の香水の匂いに包まれ、私は壁に押し付けられたまま、久遠を見つめた。

もう、自分でも気付いている。

だけど、言葉に出来ない。

久遠が指を絡ませ、私の右手の甲にキスをする。



「・・・好き。」


言葉ではなんとでも言える。

そんなの解っている。

現実に、こんなのあっさり受け入れるのなんか、どうかしていると心で思う。



だけど・・・。



だけど・・・私は、久遠が好きだ。



現実と自分の妄想がゴチャゴチャになって、もうどうでもいいや、と思うまで、久遠は何度も好きだと伝えてきた。



「もう、いいよ・・・。」

「やだ。まだ、言いたい。先生が好き。」


私は、根負けした。


「もういいってば・・・。」

「やだ。好き。」




・・・こんなに、しつっこい好意なんか、初めてだ、と思った。





・・・だからだろうか。

素直に、この好意を受け入れて、この人を信じてみたくなったのは。

この人なら、この先、きっと何度でも、同じ事を言ってくれそうな気がする。そう、信じたくなったのだ。



「・・・で、先生・・・そろそろ、告白の返事、聞かせてくれません?」

「・・・言わなくても、もうわかるでしょ。」



私と久遠はソファの上で、笑いながら缶ビールをカツンと合わせた。

久々に美味い酒を私は口にした気分だった。





 [ 何度でも。何度でも。・・・END ]



あとがき

友達曰く、同性愛を理解しようとしてくれるのはありがたいんだけれど、同性愛を理解しきったつもりのノーマルな方は始末が悪いんだそうです。

『私は純粋に百合が好きなだけなんだけど!どうかしら!?』

と私が問い詰めると、友達は「ああ、神楽はそうだね。いつもブレないよね。そのままでいてね(笑)」と言いました。

ええ、こんなんでよければ!(笑)