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優貴さんが家を出て、優貴さんと連絡が取れなくなって数日が過ぎた。


始めは優貴さんからのメールを待っていた。けれど、結局・・・私からメールを送信した。

返事は、来なかった。

メールを何通も送ってから、電話もした。

優貴さんの声は、聞けなかった。


急に静かになった私の家。


お父さんの口数は、あの日から少なくなった。必要な用事がない限り、私に話しかけようともしない。

賑やかだった朝食の時もテレビの音と上の部屋で走りまわる猫のタイヤキの足音しかしない。


わかっている・・・そういう原因を作ったのは、私のせいだ。

たった一人いなくなっただけで、私の周囲の時間は一気に重く、長くなった。


「じゃ、いってくるね。タイちゃん。」


優貴さんの部屋だった場所の真ん中で寝転がり毛づくろいをするタイヤキの頭を撫でる。

・・・そういえば、タイヤキは私に慣れたのか、頭や体を撫でても私を引っ掻かなくなった。

優貴さんがいなくなってしまってから、タイヤキと私は優貴さんの部屋で過ごす事が多くなった。そのせいかもしれない。

・・・私もタイヤキも同じ人を待っている者同士だし。妙な仲間意識があるのかもしれない。



私は、いつものように学校へ行く。

重苦しい空気を背負ったまま家を出て、彼女は・・・優貴さんは、今、どこで何をしてるんだろうと考えながら歩き、学校に着く。


優貴さんに会って、聞きたい事も、話したい事も、たくさんある。渡したいものだってある。

瑞穂に向き合わなくちゃいけない、と言われたけれど、私はまだお父さんとも向き合えていない。

・・・優貴さんにいたっては、話す事も出来ていない。

あの時の優貴さんの言葉を私は、まだ信じられないでいた。

優貴さんが私の家を壊しに来た・・・なんて信じられなかった。勿論、他の事も・・・。


ただ、今どうしても会いたいと思えるのは、優貴さんだけだった。

ただ、会いたかった。


でも、会ったら何を話せばいいのか、私は迷っていた。

会いたいけれど、怖かった。

今までの時間を全部否定されるかもしれない、と考えるだけで私は怖かった。


賑やかなクラスメートの声を聞くと、あの家から出られてほっとしている気持ちが半分、何事も無かったように振舞わなくちゃいけないな、と憂鬱になる気分が半分、といった感じになる。


「・・・どうした?青少年。」

望実が小さなビスケットを差し出しながら、いつものように聞いてきた。


(やっぱり、わかりやすいんだろうな・・・)


そう思いながら、私は笑ってみせて差し出されたビスケットを一枚摘むと口の中に放り込んだ。

本当に私って、こんな時にまで感情が隠れてくれないんだから、自分でも困る。

・・・もうこれ以上、誰かに心配や迷惑をかけたくはなかった。


「ありがと。」

「・・・なんか、普通の悩みじゃないって感じ?ここ最近、元気ないじゃない。」

「そう?」


言葉少なめに私はそう言って笑ってみせた。望実には、とてもじゃないけれど全部は言えなかった。


「あのさ・・・優貴さん、元気?」


「・・・何?突然・・・。」

優貴さん、と聞くとやっぱり少しだけ反応してしまって、顔が強張っていくのが自分でもわかる。

「いやぁ、単に元気かなーと。」

本当は元気かどうかもわからない、知りたいのは私の方、なんて言えない。

「元気だよ。」


・・・私は、嘘をついた。私の顔をじっと見てから、望実は黒板の方向を見て頭をかきながら言った。


「じゃあ・・・悠理も、もう少し元気出しなよね。」

「・・・無茶言わないでよ。これ以上、元気なんか出ないって。」

これ以上は無理、と手を振って笑ってみせる。

「・・・あのさー・・・元気を装う必要なんか、うちらの間にないでしょ。」

やっぱり、わかりやすいと言われる私に元気を装うなんて無理があったのかもしれない。

「・・・え・・・?」

思わず、聞き返してみると、なんだか望実は気まずそうな顔をしていた。


「・・・あのさ・・・優貴さん・・・悠理の家、出たんでしょ?」

「それ・・・誰から、聞いたの?」


暇潰しに回していたシャープペンシルが、手から机の上に落ちる。

優貴さんが私の家から出て行ったのを知っているのは、クラスメートで瑞穂くらいだ。

でも、まさか、瑞穂がそんなに簡単に話をするとは思えなかったが、一応確認するつもりで聞いてみると、望実は気まずそうに小声で答えた。


「・・・ごめん・・・実は昨日、優貴さんに、本当にたまたま偶然会って・・・そんで、悠理の家にいないって事を聞いただけ。聞いてびっくりしたけどね。」

優貴さんに会った、と聞いて私は望実の手を掴んだ。


「・・・どこ?どこで会ったの?教えて。お願い、望実。」

「・・・・・・・・。」


私の質問に望実は黙り込んで俯いた。やがて、チャイムが鳴って会話は途切れ、望実は私の目を見て言った。


「・・・後で、話すよ。」とそれだけ言って、望実は自分の席に戻っていった。


私は携帯電話を開いた。

彼女からのメールも着信もまだ無い。

でも。

これで彼女に会えるかもしれないと思うと、ほんの少しだけ周囲の空気が軽くなったような気がした。







昼休み。化学室に私と望実はいた。

人気もなく、相談事の出来る場所というと、ここしかなかった。


「・・・それで、望実はどこで優貴さんに会ったの?」

「その前にさ。・・・悠理、優貴さんは一体どうして家を出ちゃった訳?」

心配そうに望実は聞いてきた。

「・・・それは・・・」

だけど、私は黙るしかなかった。その先を説明なんかできないからだ。

「あのさ・・・やっぱり、お父さんとなんかあった?」

「・・・・・・・。」


それも説明できない。私は言葉を探してみたが、上手い言い訳も嘘すらもつけず、黙って俯くしか出来なかった。


「悠理・・・。」

「・・・・・・・。」


やがて、視界が歪んで、床にぱたぱたと水滴が落ちるのを見て、自分が泣いている事に気付いた。


「やっぱり・・・聞いちゃまずかった?」


ティッシュを差し出しながら、望実はごめんと小さく謝った。

堪えきれず私は泣いた。・・・友達の前で泣くのは、何度目だろう。

優しい言葉をかけられると、つい甘えたくなってしまうのを必死に堪える。


「あ、あのさ・・・一昨日、瑞穂のバイト先に顔出しに行ったんだよ。そしたら案の定、瑞穂に怒られてさ・・・」

瑞穂のバイトはいつの間にか望実にバレていたらしく、望実は”でも、瑞穂もあんなに怒らなくても良くない?”と少し笑って付け加えた。


「で、その帰り道に優貴さんに会って、ちょっと話したんだ。」


そうだ・・・確か、瑞穂のバイト先は優貴さんの大学の近くだった筈だ。


(・・・そっか、大学行ってるんだ・・・優貴さん・・・。)

それを知ってほっとした。


「・・・なんか、言ってた?優貴さん。」

「あたしが”お帰りですか?”って声かけたら・・・”もうあの家には帰らない”って笑ってたから、てっきり冗談かと思ってた。でも・・・悠理が見るからに元気ないし。

だから・・・なんかあったんじゃないかって思ってさ。いや、話したくないならこれ以上は聞かないから。」


そう言って、望実はそれ以上聞かなかった。

それが、ありがたかった。


「・・・うん。」

「・・・でも、なんか優貴さんも・・・そんな感じだったかな。」

望実はそう言って、私を指差した。


「なにが?」


指差された私は、制服の上からそっと胸の真ん中にぶら下がっているアレを押さえた。


「・・・何かさ、悠理みたいに悩み疲れてるって感じがしたよ、優貴さん。」

「・・・・・・。」


優貴さんが何を考えているのか、私は未だに知らない。本当の事を知るのが怖かった。

だけど、このままじゃいけないのは解っていた。


ここで迷っていても、仕方がない。

本当の事を知るのは怖い、でも優貴さんに会いたい。単純にその気持ちだけが私を突き動かしていた。

このまま待っていても、きっと優貴さんは離れていくばかりだ。


だから・・・私は今日、自分から優貴さんに会いに行こう、と決めた。


放課後。


制服のまま、私は瑞穂に頼んで、バイト先まで一緒に行く事にした。

会いたいって気持ちだけで、私は動いていた。

そんな私の様子をみていた瑞穂は、”藤宮さんが来るまでここにいる”と言って、一緒に大学の門の前で待っててくれた。

沢山の人が門から出て行く。チラチラと制服を見られたりするけれど、瑞穂が一緒にいてくれる御蔭で恥ずかしさは散った。

沢山の人の中から、優貴さんの姿を探していると、急に瑞穂が走り出した。


「藤宮さん、ちょっと・・・いいですか?」

瑞穂の視線の先にいるのは、優貴さんだった。


「・・・あの家の事?それとも、あの家の子の事?」

瑞穂の問いに、優貴さんは視線を落とし答えた。


「・・・そういう言い方、やめて下さい。」

「その顔つきとモノの言い方は、何も聞かなくても全部解ってるんじゃない?私は自分のやるべき事をしたわ。

だから、もうあの家にいる理由は無いのよ。」


その優貴さんの言葉を聞いて、足が止まる。

あんなに会いたかったのに、そこから足が重くなる。


「全然解りませんよ。理由がなんであれ、悠理を傷つける貴女の気持ちなんか・・・解りません。」

瑞穂は優貴さんの腕を離そうとしない。


「・・・まあ、誰かに解ってもらっても、私、困るのよね。」

優貴さんはそう言って笑った。でも、いつもの優貴さんの笑い方とは違って見えた。


「・・・大学に行く暇あるんなら・・・せめて、悠理に、会って・・・もらえませんか?」

「・・・いやだ、と言ったら?」


「悠理が、貴女に一体何をしたんですか!」

「”何もしてないし、何も知らない”。」


「だったら・・・!」

「・・・所詮、私はあの家とはなんの関係もない、赤の他人。何をどうしようと、私の勝手よ。」


「平気なんですか!?悠理が、泣いてるのに!」

「・・・じゃあ、貴女が慰めてあげなさい。」


平然と放たれた一言の後。

瑞穂は、赤の他人を本気で殴ろうとした。


だが、冷たい笑顔の優貴さんの顔の前で、ぴたりと手が止まる。

私の手が、瑞穂の手を掴んでいたからだ。


「・・・瑞穂。」


私の顔を見て、瑞穂は腕を下ろした。


「お願いだから・・・そんな風に笑わないで下さい、藤宮さん。・・・・・・じゃあ、私はこれで。」


そう言うと、瑞穂は私と優貴さんを残して、静かにその場から去っていった。


「・・・・・・。」


優貴さんは、私を黙って見つめていた。

・・・今までのように、微笑みかけてはくれなかった。


「・・・お久しぶり、です・・・久しぶりって言い方も・・・なんか、変ですね・・・。」


確か、私と優貴さんが初めて会った時、似たような台詞を優貴さんは言っていた気がする。


「・・・悠理・・・。」


やっと会えたと思ったら、また涙が出た。

こんな所で泣いている場合じゃないのは解っている。


「会いたかったから・・・来ちゃいました・・・。」


それだけ搾り出すように言うと、私は制服の下にある優貴さんの忘れ物を握り締めた。


「・・・場所変えて、話そうか。」

そう言って、優貴さんは歩き始めたので、私はその後ろについて歩き出した。

大学の近くの公園について、私と優貴さんはベンチに座った。


「その分だと、お父さんからは何も言ってないみたいね。」


そう言って、優貴さんは自販機から買ってきた私の好きなジュースを手渡してくれた。

・・・覚えていてくれたんだ、と少しだけ嬉しくなった。


「あんまり、口きいてないですから。」


私は正直に答え、優貴さんは私の横でコーヒーの缶を開け、一口飲んだ。


「・・・びっくりしたでしょ?」


びっくりした、というのはあの日の出来事の事だろうか。


「びっくりというか、なんというか、まあ・・・確かに、しました。」


私は正直に答えると、優貴さんは遠くを見つめながら言った。


「私の本性なんて、あんなもんよ。」


優貴さんは、ぽつりとそう言って、コーヒーを飲むと、こう続けた。


「・・・私はね、貴女の家に復讐しに来たの。」

「・・・どうして?」


私は聞き返した。


「・・・何も知らないで母を放っておいた貴女のお父さんも、幸せな貴女の家も、何も知らない貴女も、私は憎んでいたの。」

「・・・・・・。」


私は、優貴さんの言葉を受け止めていた。

それしか、出来なかった。


「私の母が病に倒れてから・・・死ぬ間際まで、貴女のお父さんの名前を呼んでいたわ。

今まで、父親の事なんかろくに話さなかった母が、病にうなされて・・・ずっと、呼んでいた。

私達の事なんか忘れて、私たちの知らない場所で、幸せな家庭を築いていた貴女のお父さんの名前を、ね。」


ショックだった。

優貴さんが、ずっと私に言わずに隠していた事。

優貴さんのお母さんが、どんなにお父さんに会いたがっていたのか・・・。

お父さんは知っているのだろうか。

私は、何も知らなかった。

私は、優貴さんの事を、何もわかっていなかった。


「・・・・・・・・・・・・・。」


もしも、優貴さんの気持ちを真正面から受け止めきれたなら、理解し合えるかもしれない。

そしたら、優貴さんは私の元に帰ってきてくれるかもしれない、なんて願いにも似た・・・


・・・そんな、都合の良い事を考えていた。


だけど、横にいる優貴さんの表情は、冷たい表情のままだった。


「母が死んでから、私は一人になった。

そこに新しい家族になろうって、貴女のお父さんがやってきた。

・・・今更って思ったわ。・・・よりにもよって、一番会いたがっていた母が死んでからなんて。

都合の良い時だけ、家族面しても・・・私の家族は、もう誰もいないのよ・・・ッ!」


少し低い声が、怒りを含んだものに変わった。

私はその言葉にビクリとして、少し体を縮こませる。


「・・・・・・・・・・・・・・・。」


優貴さんは、ふっと息を吐いて再び声を落ち着いたトーンに戻した。


「・・・わかる?その時の私の気持ち。」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」


私は、何も言えなかった。

わかりたい、と思った。理解したい、と思った。

優貴さんが悲しくて、辛くて、どうしようもない気持ちを私はわかってあげたかった。


でも、思うだけでは、何もわからない。

私は・・・何も、出来ない。


「だから、私は、このどうしようもない憎しみを貴女の家にぶつけた。

何がどうなるって訳でも無いわ。母は、もうこの世にいないんだから。残ったのは、私のこのどうしようもない怒りと憎しみだけ。

だから、私は・・・私は私のしたい事をしたわ。・・・だから、今までやってきた”家族ごっこ”は、もうおしまい。」


優貴さんは私の方を向かずにそう言った。


「優貴さんのしたい事って・・・なん、ですか・・・?」


私は恐る恐るそう聞いた。


「・・・二度も本人に聞かせたくないんだけど・・・まぁいっか・・・。」


優貴さんはそう言って、やっと私の方を向いた。


「貴女のお父さんの大事なもの・・・私達よりも大切にしていた貴女の家を滅茶苦茶にする為・・・

私は、貴女を利用した。・・・それが全て。」


私は優貴さんの目を見た。

真っ直ぐに私を見る優貴さんの目は、いつにも増して鋭く感じた。


「・・・嘘・・・。」


私は小さくそう言った。だけど、優貴さんは首を横に振った。


「私は、貴女の家が、貴女の幸せが憎かった。ずっとずっと前から。だから・・・」


私は優貴さんの言葉を遮った。


「でも、私の事・・・!」


私の事が好きだと言った、あの事は否定して欲しくなかった。


「悠理。」


私の言葉を遮って、優貴さんは一瞬だけ笑った。私はその笑みが随分と懐かしいものに見えた。

だから、少しだけ希望のようなものを抱いてしまっていた。


だけど。


「私は貴女の事、好きなんかじゃない。貴女も憎かったから、私は利用した。それが全て。」

「・・・!」


ハッキリと突きつけられた言葉に私の心はぐっときつく絞まる思いがした。


「わかった?悠理。私は、もう貴女の知ってるお姉さんじゃないの。そういう風に演じてただけ。だから・・・」


信じたくなかった現実は本当の事だったんだ、と告げるように胸が苦しい。


「だから、もう私の事は忘れなさい。」

「・・・・・・・・。」


立ち上がった優貴さんを見て、私は慌てて、制服の中から優貴さんの忘れ物を取り出した。


「あ・・・これ、優貴さんの忘れ物・・・・。」

「え?」


私は俯いて、涙声を堪えて、堪えて・・・涙なんか、流さないようにした。

震える手で、優貴さんの温かい掌にそっと手を添えて、指輪を乗せる。


「・・・これは・・・」


優貴さんは指輪を握り締めた。


「しゃ、写真立ても・・・持って来れば良かったんだけど、とりあえず・・・。」


そうだ、優貴さんの大切にしている写真立てはまだ家にある。

取りに行けないのなら、私が持っていく事も・・・。


「そう・・・わざわざ、ありがとう。でも、私の荷物はもういいわ。・・・それじゃあね。」


優貴さんは指輪を手にしたまま、私に背を向け歩き始めた。

私はベンチから離れていく優貴さんに向かって、咄嗟に口を開いた。

「・・・優貴さん!」

優貴さんはゆっくりと振り返った。


「・・・私の気持ちは・・・変わりませんから!」


私は涙声でそう言った。


一体、私は何を言ってるんだろう、と自分でも思う。

でも、ここで自分の気持ちを伝えないと、一生後悔しそうだと思ったから。

優貴さんが、私を憎んでいても、私の家を憎んでいても・・・私の気持ちは変わらない。


優貴さんは私の言葉には何も言わずに、そのまま振り返る事無く、その場を去っていった。

残された私は顔を覆って、静かに泣いた。


会いたい。

優貴さんに、会いたい。


『 私は貴女の事、好きなんかじゃない。貴女も憎かったから、私は利用した。それが全て。 』


私は・・・どんな事があっても、気持ちは変わらない。


『 だから、私の事は忘れなさい。 』


いっそ、あの言葉の後、優貴さんをすっぱりと嫌いになれたらいいのに。


だけど・・・私の気持ちは・・・今だに優貴さんを求めていた。

自分でも、どうかしてるんじゃないか、と思うほど、私は優貴さんの事を考えていた。

突きつけられた優貴さんの別れの言葉に、涙が止まらなかった。


優貴さんは、私のお父さんを、私の家を・・・・・・私を、憎んでいる。


私が幸せだった分、優貴さんはどれだけ苦労したのか、優貴さんのお母さんが死んでから、どんなに辛い思いをしたのか、わからない。

幸せな家で過ごしてきた私が、そんな彼女の気持ちを考えて埋まる溝じゃないのは、分かっている。


だけど・・・考えてしまう。


優貴さんと一緒だったとき、私にだって何か出来たんじゃないか。

もっと、優貴さんの事を知っていたら、彼女のために何か出来たんじゃないかって。


いっそ、私なんかがいなかったら・・・優貴さんは、ちゃんとした幸せな家庭の中で暮らせたんじゃないか・・・。


「瀬田。」


学校で、瑞穂が私に声をかけてきて、私はハッとした。

(授業、いつの間にか終わってた・・・。)

私はぼうっとしていることが多くなり、ノートもあまりとれていない事が多くなり、放課後、友達や望実にまでノートを見せてもらうようにもなった。

みんな、瀬田らしくないなんて笑ってノートを貸してくれているが、なんだかそれも悪い気がしてきた。


「・・・また、ぼーっとしてた?」


そう言いながら、瑞穂は椅子を私の机の前に持ってきて、座った。・・・多分、昨日の事を聞きたいんだろう。

でも、瑞穂はそれ以上、何も聞くことはなかった。


また、私の表情に出てたのかな、と思った。


「なんか、調子悪いみたい。またノート見せてね」


私は笑ってみた。

瑞穂は、ちらりと私のノートを見ると、教科書とノートをぱっぱと閉じて、机の端に寄せた。


「・・・いっそ、全部吐き出しちゃいなよ。」

「・・・え?」


「無理して溜め込んで考えたって、どんどん自分を嫌な方へ追い詰めるだけだよ。

瀬田のことだから、藤宮さんが家から出てった事・・・自分に非があると思っているんじゃないの?」

「・・・それは・・・。」


優貴さんは、私の家を、お父さんを、私を・・・憎んでいる。


「・・・仕方ないよ。悪いのは・・・こっちだから。」


私は、それだけ言って下を向いた。何度考えてみても、優貴さんが私を憎んでもおかしくなかった。

憎んでいる家の子供の私なんかを、優貴さんが好きになるハズがない。

優貴さんの気持ちを考えたら・・・そんな気がしてならない。


「優貴さんは・・・私の家が憎かったんだって。当然だよね、だってお父さんはずっと優貴さんの事放っておいて、私は両親揃っていて、幸せで・・・」


私は、瑞穂にポツポツと優貴さんの事を話した。

まるで、懺悔のように。

そして最後は”だから、私が悪かったんだ”という言葉で締めくくろうとした。


「・・・それでも、間違ってるよ。藤宮さんは。」


私の言葉を遮って、瑞穂はハッキリとそう言った。


[ それでも彼女は赤の他人。 ]


「理由は分かった。・・・でも、だからって、誰かを騙して、傷つける正当な理由になんかならない。

瀬田が、自分をそこまで責める理由も私は無いと思う。」

「でも・・・」


私は、幸せだった。

優貴さんに比べたら、よっぽど・・・。


「自分を責めていれば、楽?」

瑞穂が、私の机の上の消しゴムをひょいとつまみ上げてそう言った。

「・・・楽って・・・そんな・・・。」

「悪かった理由が自分だけにあれば、責めるのは自分だけでいいから楽?・・・でも、それってやっぱり事実から逃げてるだけじゃない?

確かに、藤宮さんは瀬田から見たら、幸せじゃないのかもしれない。でも、そんな事いちいち比べてなんになる?

藤宮さんが瀬田を利用して、瀬田の家を滅茶苦茶にしたのは事実。それはどんなに考えても、悪い事だよ。

そして、それから目を逸らして、自分だけ責めて何になるの?」

「・・・ん・・・。」


返す言葉は私には無かった。

自分を責めて、反省して・・・そうするのが、適切だと思っていた。

そうやって、謙虚に反省していれば、きっと誰かが「もういいよ」と許してくれるのを、私は心のどこかで待っていたのかもしれない。

・・・事実から、目を逸らしたまま・・・。


「それに・・・どうして瀬田のお父さんが、藤宮さんの家を放っておいたのか・・・

いや、そもそも・・・本当に放っておいたのかどうか・・・何かそれだけの理由があったかもしれない。それを確かめるべきなんじゃない?」

「・・・・・・。」

私とお父さんは、あの件以来話していない。

それに、優貴さんの家の事を、今の今までお父さんの口から聞いたことは無かった。

聞きたくない、という単純な理由で。


・・・それも、立派な”逃げ”だった。


「・・・一緒に暮らしてきた家族なんだし。・・・藤宮さんだって、それがわかれば・・・」


瑞穂は、そこで口篭って、消しゴムを机に置いた。


「それがわかれば・・・もしかしたら、藤宮さん・・・もう一度、瀬田に・・・。」

「・・・・・・・・・。」


そこまで言って、瑞穂は口を閉じた。私は相変わらず、言葉らしい事も何も言えないまま、ただ瑞穂の顔を見返した。


(家族、か・・・。)


お父さんは私の家族。


(優貴さんにとっても、お父さんは・・・お父さんなんだよね。)


どんなに優貴さんが憎んでいたとしても、それは事実。


もしも。

本当に、お父さんと優貴さんとの間に誤解があるのなら・・・今、それを解けるのは、私しかいない。


(ある・・・私にしか出来ない事・・・まだ、ある・・・!)


確かめよう。今からでも、まだ間に合う。そう信じて。

私はその日、早めに家に帰って、お父さんを待った。


夜になって、お父さんは静かに帰ってきた。ただいま、という言葉も言わないまま、リビングにいる私を確認するように見た。


「おかえりなさい。話があるの。いい?」


「・・・優貴の事なら、忘れなさい。」


短くそう言って、荷物を持ったまま、お父さんは自分の部屋へ行こうとしていた。


「昨日、優貴さんに会った。」

「・・・・・・。」


私のその言葉に、スリッパの音がピタリと止まった。


「優貴さん・・・私達の事、憎んでるって言ってた。」

「・・・・・・。」


「ねえ・・・何があったの?お父さん、優貴さんのお母さんと何があったの?

・・・どうして、優貴さんのお母さんが死ぬまで、優貴さん達を放っておいたの?

どうして、優貴さんのお母さんが死んだ時になって・・・優貴さんを家族に迎えたの?」


「・・・それは・・・」


「優貴さんが、どうしてお父さんの事、この家の事・・・憎んでるのか知ってる?

私、もう子供じゃないよ!家族の問題でしょ!?ちゃんと一から説明して!じゃないと・・・」


お父さんの目をキッと見つめたまま、私は言った。


「お父さんには、悪かったと思ってる!でも、私にとって、優貴さんは家族でもあって・・・大切な人なの!

もしも、私や優貴さんが知らない事があるなら、話して・・・!

何も知らないまま、大人の事情だけで振り回され続けてたら・・・その子供は、一番迷惑なの!」


「・・・悠理・・・お前はそこまで・・・」

「じゃないと、優貴さん・・・このままずっとお父さんの事、この家の事、憎んだままだよ・・・そんなのかわいそうだよ!!」


優貴さんがどんな思いをしてきたのかは、私が想像しても、一致することはないだろう。

だけど・・・このまま、終わってしまっては・・・彼女が、優貴さんがあまりにも不幸に思えた。

だって、この家を出ていってしまった優貴さんは・・・結局・・・一人になってしまったのだから。

彼女の家族は、憎んでいるお父さんと私だけなんて、そんなの悲しすぎる。

やりたいことはやった、と優貴さんは言っていたが、目的をやり遂げた人の表情にはとても見えなかった。

私の勘違いでなければ・・・優貴さんは、今もまだ憎しみの中にいて・・・苦しんでいるんだろうと思う。


そして、瑞穂の言うとおり、私や優貴さんも知らない何かが、お父さんと優貴さんのお母さんの間にあるのなら・・・


それが、彼女の苦しみを取り去る材料になるのなら。

その悲しい憎しみが少しでも、彼女の中から消えてくれるなら。

少しでも、優貴さんが笑って前に進めるのなら。



・・・私は、なんでもする。



「・・・わかった、話そう。・・・ただし、悠理、約束しなさい。」

「何?」


真剣な表情でお父さんは言った。


「優貴に会うのは、もうやめなさい。」

「・・・お父さん・・・!」


「人間、間違いはある。お父さんは、今回のことを許そうと思う。・・・だが、お前と優貴の事を黙って認めるわけにはいかない。」

「・・・・・・・・。」


私は、ぎゅっと服を掴んだ。

”間違い”と表現された私の恋・・・私は、反論したかったが、黙っていた。


「いいね?悠理。」

「・・・・・・あと、一回だけ・・・優貴さんに会わせてください・・・。」


私は、お父さんから話を聞いて・・・それを優貴さんに伝えなければならない。

たとえ、それが最後でも・・・構わない。


それで、優貴さんの抱いている何かが変わってくれるなら。


私は頭を下げた。


「・・・お願いします!」


お父さんは何も言わずに私の横を通り、ソファに座った。


「・・・座りなさい、悠理。・・・多分、長い話になるから。」


私は顔を上げて、お父さんの隣に大人しく座った。


「・・・お父さんが学生の頃、優貴のお母さんに出会った。

当時はお父さん、貧乏でね。その日食うにも困っているほどだったよ。優貴のお母さん・・・奈津子さんは、水商売をやっていた。

出会いは、お父さんが奈津子さんの店の近くで、当時飲めもしない酒を飲まされて潰れかけていた時、介抱してもらったのがきっかけだ。

見ず知らずのお父さんに、奈津子さんはとても優しかったよ。それから、よく店に遊びに行ったんだ。酒が目当てなんかじゃなく、奈津子さんに会いに行った。

そこで、貧乏なお父さんは情けないことに・・・奈津子さんに、よく食わせてもらっていたんだ。

年上の女性で、とても気さくで、親切で、美人でね。だけど、苦しいこととか、悲しい事・・・とにかく弱い所を見せない人だった。

本音を隠すのが上手い、というか・・・なかなか、本当の事を言ってくれない困った人でもあったな・・・。

とにかく・・・お父さんにとっては、恩人であり、お姉さんのような人だった。

さえない学生のお父さんには、不釣合な人だと思っていたんだが・・・奈津子さんは、そんなお父さんを愛してくれた。」


「・・・・・・・・。」


「だが、ある日突然・・・店から奈津子さんは居なくなった。

訳がわからず、街中を探し回った。だけど、全く消息は掴めず。数日後、『私の事は忘れてくれ』という内容の手紙が届いた。

それでも、お父さんは探した・・・だけど、見つからなかった。

そんな時、悠理・・・お前のお母さんと出会ったんだよ。

やがて、お前が生まれて、お母さんが死んで、忙しくなって・・・お父さんは、奈津子さんの事を探すのを諦めた。

だけど、奈津子さんは居なくなったその時に・・・お父さんの子供を妊娠していたんだ。」

「それが・・・優貴さん・・・?」


お父さんの口から、自分のお母さん以外の女性の話を聞いてる私。

・・・聞くまでは、あんなに嫌だったのに・・・不思議だ。

お父さんが、懐かしむようなとても穏やかな表情で話すので、私はその話に聞き入っていた。


「そう・・・奈津子さんが病を患って死期を悟った時だろうな、奈津子さんから突然、大学に手紙が届いた。正直、驚いたよ。

そこには今までの経緯と、謝罪の言葉が並んでいた・・・それから、”自分には後がない。もしもの時は、優貴を頼む。”とあった。

どうして、優貴の事を黙っていたのかっていうと・・・それは情けないが、当時のお父さんにそれだけの力が無かったからだ。

誰かの負担や世話になるのを、奈津子さんは嫌がっていたからな・・・。一人で育てようとするなんて本当に、奈津子さんらしいよ。

”今まで黙っていてごめんなさい。でも、幸せでした。”と手紙に書いていたよ。

とにかく、その時、お父さんは初めて優貴の事を知った。すぐにお見舞いに行こうと思ったが、場所を突き止めた時には手遅れだった・・・。

どんなに苦労したか・・・お父さんは、奈津子さんを探すのを諦めた事を、心底後悔したよ・・・。

だから、奈津子さんの顔を見たとき、奈津子さんの最後の手紙の通り・・・いや、お父さんは自分の子供として、優貴を家族として迎えようって思ったんだ。

・・・優貴にしてみれば、今更何しにやってきたんだ、と思うのは当然かもしれないがな。」

「・・・どうして・・・優貴さんに、その事言わなかったの?」


多分、優貴さんはその事を知らないだろう。

もし、知っていたら・・・優貴さんは・・・。


「・・・奈津子さんの手紙には、”自分のせいで優貴には苦労をかけた。くれぐれも言わないで欲しい”・・・と。

だから、黙っていたんだが・・・まさか、優貴がそんなに私を憎んでいるとは思わなかった・・・当然かもしれないな。

・・・もしも、私があの時ちゃんと奈津子さんを探していれば・・・」


まるで、私のように、お父さんは後悔の言葉を口にした。

もしも、あの時、ああしていれば、こうしていれば。

ああ、そうか・・・ここで、昔の・・・もしもの事を話してたって、今は変わらないんだ・・・。

今、出来る事しないと、ずっと未来でも・・・もしもあの時、ああしていれば、なんて事を考えて後悔し続けることになる・・・。


優貴さんも・・・このままで、後悔しないだろうか?


「・・・お父さん、奈津子さんからの手紙、まだ残ってる?」

「ああ、取ってあるが・・・悠理・・・まさか・・・」


「その・・・奈津子さんには悪いけど・・・優貴さんには、ちゃんと知る権利があると思う。」

「・・・そうだな・・・。」


お父さんはうなづくと部屋に戻り、私に手紙を差し出した。

手紙は何度も読み返したのか、少し、しわがよっていた。


「・・・本来なら、お父さんが話すべきなんだが・・・」

「いいよ、私がちゃんと話す。」


私は、そっと手紙を受け取った。


「悠理、さっきも言ったが、優貴には、もう・・・」

「わかってる・・・優貴さんに、この事を全部話したら・・・もう会わない。」


私は、小さい声でそう言った。

彼女は大切な人。だから、知って欲しい。


たとえ、嫌われることになっても。

もう二度と会えなくなっても。


・・・貴女が好きだから。


放課後。

素早く教科書を鞄に詰め込むと、私は急いで優貴さんの大学に向かった。


大学の門の前で、私は優貴さんの姿を探した。


(これが、最後か・・・)


優貴さんを待つのは、きっとこれが最後。

優貴さんの姿を探すのは、きっとこれが最後。


以前のように、ただ会いたいという気持ちだけで、この場所に立っている訳じゃない。

今の私には、伝えなきゃいけない事がある。


そう、自分に言い聞かせる。


― もし、優貴さんが私の話なんか、もう聞いてもくれなかったら?


何度も頭を掠める嫌な問いを必死に振り払う。

優貴さんに拒否されるのは、正直怖い。嫌われるのも嫌だ。


・・・だけど、もうそんな事は言ってられない。

ふと、視線の先に肩からバックを下げた優貴さんがゆっくり歩いてくるのが見えた。


(あ・・・優貴さんだ・・・!)


優貴さんは幾分、疲れたような顔をしていた。

あんな表情、家では見せたことがなかった。


・・・私の家の中で、彼女はいくつ本当の自分を隠してきたんだろう。

本当の気持ちを隠して、微笑む事で、私とお父さんを憎む心を隠してきた彼女。


カツンと革靴の音を立てて、私は無言で、優貴さんの進行方向に立ちふさがった。


「・・・悠理・・・。」


私を見つけると、優貴さんは一瞬ひどく驚いたような顔をし、ゆっくりとその顔をしかめた。


「・・・お話があります。」

優貴さんのそんな表情を見ても、私は妙に落ち着いていて、それはすらりと自分の口から出ていた。


「あの、優貴さんのお母さんからの手紙、預かってきました。」

そう言って、私は制服のポケットから少しシワの寄った手紙を取り出した。






優貴さんは手紙の文字を見るなり、無言で素早く手紙を私の手から奪い取った。


(お母さんの文字だって、わかるんだね・・・優貴さん・・・)


他の何にも目もくれず、優貴さんは手紙を黙々と読んでいた。


読んでもらえば、優貴さんのお母さんが優貴さんに何を望んでいるのかが、わかってくれる・・・私はそう思っている。

優貴さんのお母さんは、優貴さんに誰かを憎み続けたまま生きてなんて欲しくはないはず。

『もう、そんな気持ち抱えていかなくてもいいんだよ』って、優貴さんのお母さんが生きていたなら、そう言ってくれるはず。


・・・というのは、私の予想、というか、そうであって欲しいという希望なんだけど・・・。


ただ、いつまでも優貴さんが私達を憎み続けるなんて、そんな風に生きて欲しくないだけで。

憎まれても仕方ないってわかってるんだけど・・・だけど、やっぱり・・・優貴さんには笑っていて欲しくて。


本当の・・・心の底から笑っていて欲しくて。

ただ、笑顔でいて欲しくて。


私が好きになった優貴さんは、いつも笑顔でいてくれたから。


・・・その笑顔が向けられるのは、私じゃなくてもいいから・・・。


ただ、笑っていて欲しくて。


やがて、手紙を読む目の動きはゆっくりになり、瞼が閉じられると同時に、優貴さんは深い溜息をついた。


「・・・・・・わざわざ、どうも。」

素っ気無くそう言って、私に向かって手紙を差し出した。

「それは、優貴さんが持っていてもいいって、お父さんが・・・」


私は、優貴さんの手に手紙を握らせたまま、両手で優貴さんの手を握った。

温かい手だけど、その手は以前のように私の手を握り返す事はなく、振り払うように手紙を私に押し付けた。


「そのお父さんへあてた手紙なんでしょう?この手紙は・・・私が受け取る必要は無いわ。」

「でも、これは優貴さんのお母さんの手紙だし・・・それに、このままじゃ、優貴さんが・・・!」


「”かわいそう”とでも言いたいの?」

「だって、今の優貴さんを見たら、優貴さんのお母さんだってきっと・・・」


私の言葉を聞いて、優貴さんは鼻で笑って言った。


「他人の貴女なんかに、私の母の何がわかるの?

・・・いえ、そもそも・・・私はね、私の意思で、私の為だけに貴女の家をバラバラにしたかっただけなの。

でも・・・その分じゃ、貴女はお父様と和解されたみたいだし、私の計画は失敗という事になるわね。残念だわ。」


聞いているだけで、今までの優貴さんから発せられた言葉とは思えない辛い言葉が投げかけられる。

でも、私はそれに耳を塞ぐことなく、聞いていた。

今の彼女の言葉を受け止める事が出来るのは、多分私しかいないから。


「・・・私は・・・優貴さんに、ただ・・・」

「・・・何?」


今の彼女に必要な言葉をあげられるのは、私でいたいから。


「ただ、笑顔でいて欲しくて・・・もう本当の気持ちを隠したり、嘘ついたりしなくてもいいように・・・!

できれば・・・私が、優貴さんの心を受け止められる存在でいたかった・・・!」


言葉を口にするたびに、喉の奥が苦しくなる。

泣きそうになるのをぐっとこらえる。


「・・・・・・・。」

「私、お母さんが死んで、お父さんと一緒に暮らしてきたけど・・・でも、やっぱり寂しくて・・・

でも、優貴さんが来てから、寂しさなんて感じなくなって・・・毎日が楽しくて、嬉しくて・・・

だから・・・私、優貴さんが家に来てくれて、本当に良かったって、今でもそう思ってます・・・」


「・・・・・・・・。」


「だから・・・・あ・・・ありがとう・・・優貴、さん・・・。」


涙が溢れて・・・言葉が上手くつながらない。途切れ途切れになる。

ツギハギだらけの言葉を口に出すしか、出来なかった。

でも、優貴さんと出会えたこと、一緒に過ごした時間は・・・私にとってかげかえのない出来事。


とうとう涙が、地面にポタリと落ちた。


「・・・ご、ごめんなさい・・・泣かないようにって決めてたんですけど・・・あの・・・とにかく・・・だから・・・!

優貴さんは、もう私やお父さんの事で色々考えたり、苦しんだりしなくてもいいって事で・・・!だから・・・!」


俯いて、必死に涙を見せないようにした。

これが最後だから、せめてもう少しマシな顔で、優貴さんと・・・


「・・・悠理・・・私は・・・」

「・・・?」


顔を上げると、優貴さんが辛そうな顔をして私を見ていた。

そして、何かを言いかけた瞬間・・・。


「優〜貴!ちょっと待ってよー!・・・あれ?優貴の妹さん?・・・え・・・どうしたの?」


遠くから優貴さんの友達らしき人が走ってきた。

チラリと優貴さんは後ろから走ってきた友達らしき女の人を見た。


「あ・・・なんでもないの。」

「な、なんでもないって、優貴・・・泣いてる女の子目の前にして、そんな・・・」


泣いている私を見て、女の人は少し驚いていた。私は、慌てて制服の袖で涙を拭いた。


「・・・とにかく、私はこの子とはもう何の関係もない、ただの赤の他人なんだから。私は、貴女なんかにもう興味も何も無いの。」

「・・・ちょ、ちょっと、優貴・・・!」


そして、優貴さんは私の耳元に顔を近づけると、囁くように言った。



「私の望みは、貴女の家を壊す事だけ。貴女に恋愛感情なんてものを持った事は一度もないわ。・・・わかった?」


・・・最後まで、私は憎まれているんだ、と思った。

ううん、もうそれでいい。


「・・・優貴さん・・・忘れないで・・・」


私は優貴さんの首に腕を回し、優貴さんの唇にキスをした。

しっとりしたグロスに、柔らかい唇の感触。


・・・勿論、周囲の人が、私たちを驚いたようにジッと見る。



「・・・悠、理・・・!」


唇を離すと明らかに優貴さんは口を押さえて、動揺していた。



「・・・いつだって、優貴さんは・・・優しかったし・・・私にとって大切な人に変わり・・・ないですから。

優貴さんは、どうか・・・そのままで、いてください。」


「・・・・・・・・・。」


「優貴さんが、私の事なんか憎んでも、忘れてしまっても全然構わないんですけど・・・

だけど、これだけは覚えておいてください。

・・・私、優貴さんに会えて、貴女を好きになって、本当に良かった・・・。」

「・・・悠・・・」


言い終わると同時に、私は少しずつ後ずさりして優貴さんと距離をとった。


「・・・さようなら・・・!」


優貴さんに背中を向けるのが辛いけれど、私は後ろを向いて走り出した。


言った。

言ってしまった。

もう振り返れない。


もう、あの人とは・・・会えない。



私はそのまま大学の門を離れて、歩道橋の所まで走った。

息が滅茶苦茶になって、苦しい。

泣くか、呼吸するか、もうどっちを優先させたらいいのか、わからない。



「・・・悠理!」

「瀬田!」


声のする方向を見ると、私を心配そうに見つめる望実と瑞穂がいた。

二人共息を切らせているという事は、私を追いかけてきた、ということか。


「見てた・・・?」


「うん・・・」

「見てた・・・。」


「・・・私ね、今・・・優貴さんとお別れ、して、き・・・!」



もう、こらえきれなかった。私は二人に抱きついて泣いた。


泣きながら思った。


・・・私の恋は、終わったんだ・・・って。




「・・・ていうか・・・こんな事になってるなんて、あたしだけ知らなかったんだけど。

ていうか、瑞穂も悠理も早く言ってよね。悠理がこんなにボロボロになってから・・・知るなんてさー・・・。」


ファーストフードの店に入って、コーラを一口飲み、望実はそう言って、唇を尖らせた。


「うん・・・ごめん、望実。」


私は真っ赤になった目を擦りながら、そう答えた。


「・・・ん、まあ、そりゃ言いにくいよね・・・優貴姉さんと悠理がそんな事になってるなんて思わないんだもん。」

「そりゃ・・・野原に言うと、なんかややこしくなるし。大体、私達に何も出来ないでしょ?」


拗ねている様子の望実に、瑞穂が笑いながらそう言った。


「なによーそれぇ・・・でも、まあ・・・その、相手が・・・相手だからさぁ・・・」

「うん・・・」


そのあと、ごにょごにょと口篭る望実の言いたいことは・・・私でも、よく分かっている。

好きになった人が、女の人ってだけじゃなく・・・自分の家に新しくやってきた”姉”だった。


驚かない方が珍しい。

それに・・・驚くだけじゃ、普通は済まない。

だから、事情を知っても、こうして友達がいるなんて、本当に信じられない事で・・・。


「いやぁ・・・そりゃあビックリしなかった、と言えば嘘になるけどさ・・・

でも、その、まあ・・・今思えば、悠理の雰囲気が変わっていったのって、そのせいかな〜って納得できる。あ、もち良い意味でよ!?」


望実なりに言葉を選んで、私を慰めてくれているんだと思う・・・けど、その必死さが、なんだか望実らしくって笑えてくる。


「そう、かな・・・?」


「・・・瀬田は自分でも気付いてないと思うけど、ね。なんか、毎日楽しそうだった。」


瑞穂がポテトを口に運びながら、そう言った。

そっか、みんなからそんな風に見えてたんだ、私って。


「・・・うん、楽しかったよ、だから・・・だから、別れてきた今が辛く思えるんだよね。」


私はお母さんが死んでしまってから、こんな風に人と別れたりしても泣けないんじゃないか、と思っていた。

でも、優貴さんがいなくなった家に帰るのが、今はものすごく辛い。

コーラの味もなんだか・・・氷が溶けて、ぼやけた味がする。


「うん・・・まあ、優貴姉さんが悠理にした事は、個人的に許せないんだけど・・・。」

「望実。」

望実の言葉を瑞穂が遮る。

だけど、望実の声のトーンは真剣なまま続けられた。


「いや、友達としては絶対許せないって一般論。あたしは、悠理の味方だよ。

・・・それに・・・悠理が今、自分なりにケリつけてきたんだから、あたしはそれを偉いと思う。」

「望実・・・。」

「辛かっただろうけど、偉かったね・・・悠理。」


そう言って、望実は私の頭を撫でた。

ふっと肩の荷が下りた気がした。

私と優貴さんの関係を知っても、いつもと変わらない態度の二人の言葉が、嬉しくて私はまた涙がこみ上げてくるが、そこをぐっとこらえた。

せっかく心配して私を追いかけてきてくれた二人の前で、もううじうじ泣いてなんかいられない。


「ていうか、さー。あの時から、優貴さんってー秘密持ってますオーラ満開だったじゃん?」

「・・・今思えば、でしょ?野原は今日まで全然気がついてなかったじゃないか。」

「あーはいはい。でもさ、ホント自分の事となると口硬かったよね。むしろ、もっとくだけても良いよね?みたいなさ。」

「うん・・・そうだね・・・。」

望実はいつもの調子で喋り始める。

「まあ、今考えたら・・・あっちもあっちで考えてたって事よねー。優貴姉さんって、本音は最後まで出さないで、墓場まで持っていく!って感じ?」

「・・・うん・・・そうだね。」


そうだった、あの人は・・・”本音は、最後まで出さない”人で・・・。


・・・・・・・・・・。


何かが、私の頭を過ぎる。

あの人と交わした会話。


『本当に大事な事は、そう易々と出しちゃダメなのよ、悠理。・・・わかる?』


本当に大事な事は易々と出してはダメ。

本当の気持ちも、あの人は出さない。


『とにかく、私はこの子とはもう何の関係もない、ただの赤の他人なんだから。』


あの人は、本当に大事な事を・・・私には、言わない。


『・・・悠理・・・私は・・・』


そういえば、あの時、何を言いかけた?



・・・もしかしたら。

あの人は、また・・・私に・・・



『私の望みは、貴女の家を壊す事だけ。貴女に恋愛感情なんてものを持った事は一度もないわ。』



・・・私に・・・つかなくてもいい嘘を、ついた・・・?


それは、単なる私の思い込みかもしれない。

それは、私にとって都合がいい解釈なんじゃないか、とも思う。

ついさっき優貴さんに”さよなら”を言ってきたのに、なんて未練がましいのか・・・なんて事も考えた。


彼女が私に嘘をついている、という小さな可能性を見つけた、たったそれだけなのに。


『・・・悠理・・・私は・・・』


あの時、彼女は、何を言いかけたのだろう?

ほんの少しだけ、自分に都合のいい想像をしてしまう。

だけど、すぐに私は、その都合のいい想像を消し去った。



(・・・何、やってるんだろ・・・私・・・)


望実達と別れてから、私は一人で歩いていた。長い坂を上り、静かな住宅地のT字路を右に歩いていく。

もうすぐ、階段が見えてくるはずだ。

私の目的地は、なんとなく頭に浮かんだ、あの場所。

優貴さんと一緒に花火を見た、あの場所だった。


(・・・何、やってるんだろ・・・私・・・)


まだ、あの人が嘘をついている気がして。

もう、つかなくてもいい嘘をついて、あの人が一人で苦しんでいる気がして。

もしも、そうなら・・・とそこまで考えて、私は頭を振って階段に足をかけた。


思い出の場所に向かっている時点で、私の中にまだ未練があるって事で・・・自分でも、本当に情けなくなってくる。

とにかく、あの場所に行って、住宅の小さな明かりを見たら・・・家に帰ろう、と決めていた。


(・・・もうあの家に、家族だった優貴さんはいないけれど・・・。)



だから。


階段を上がりきって、古びた公園の中に、その”後ろ姿”を見つけた時。


・・・私は、夢を見ているんじゃないだろうか、と思った。

だって、あの日の夜に、たった一度しか連れて行ってないのに、彼女が覚えているとは思わなくて。

いや、今こうして、二人同じ場所にいるって事も信じられなくて。


私は、ただ、ぽつりと名前を呼んだ。


「優貴・・・さん・・・?」


私の言葉に、彼女は振り向いた。

あの日の夜と同じように、公園の手すりに手をかけたまま、彼女は言った。


「・・・まさか、ここで会えるなんて・・・思わなかったわ。」


表情は暗くてよく見えないが、声で少しわかる。あの優貴さんが、珍しく驚いているようだった。


「・・・私も、です。」


実は私だって、彼女にここで会えるなんて思っていなかった。

ただ、思い出に浸りに来ただけ。

でも、会いたかった。会えて、良かった。

彼女に会えて、今、とても・・・とても嬉しく思っている。


私は、そのまま、本当に無意識に、彼女の方へ一歩踏み出していた。


「・・・それ以上、こっちに来ないでくれる?」


彼女は、強い口調で言った。表情は暗くてよく見えない。

もう少し近づけば、見えるかもしれない。

私を拒否する言葉が飛んできているのに、私は前へ進む足を止めようとは思わなかった。


「近くに来たら、私は貴女を殴るわ。」


私は黙って、さくさくと伸びた草を踏んで、彼女に近づく。

罵られようが、嫌われようがもういい。これ以上の底辺なんか無いんだから。殴られたって構わなかった。


ただ、私は彼女の顔をハッキリ見たくて、前に進んだ。


「・・・来ないで・・・」


それでも、私は前へ進んだ。


「来ないで・・・!」


彼女の辛そうな震える声が耳に入ってきた。


「いい?わかってるの?・・・私は、貴女を・・・憎んで・・・騙して・・・利用して・・・!

貴女と父親の仲を裂いたのよ・・・!」


「・・・それが、優貴さんの復讐?」


「・・・そうよ。私の母は、最後まで貴女の父親の名前を呼んでいた。

だけど、何も知らないまま、知ろうともしないまま、貴女達の家族は幸せに浸っていた。

貴女の父親は、私が何もかもを失った時に、現れた。救いのヒーローのように。

でも、私の目にはそうは映らなかった。母が苦労した原因を作り、母が死ぬ最後まで呼び続けた人物が、目の前に現れた、とだけ感じたわ。

散々放って置いたくせに・・・今更、”今日から家族だ”って笑顔で言ったのよ。

私が、その言葉を聞いて、どんなに憎らしく思うか、想像できる?」


私は、正直に、首を横に振った。


「私の家族はもう、いない。私を想ってくれる人は、もういないの。

母はお人好しだから、あの男を憎んでなんかいなかったようだけど、私は違う!心の底から!貴女と!貴女の父親が憎い!

半分だけ流れてるあの男の血すら、憎らしい・・・!」


歯を食いしばって、優貴さんはそう言った。

優貴さんがここまで、感情を剥き出しにしていても、私はそれを意外とは思わなかった。


・・・これが、彼女なのだ。


「だから、貴女と暮らす事になって、一人残された私は、決めたの。

どんな手段を使っても、私は・・・大切なものを奪って、貴女の家を壊してやるって!」



それは、私には・・・優貴さんが、まるで必死に自分を追い詰めている言葉に聞こえてしまい。

・・・まだ必死になって、私を憎もうとしているように聞こえてしまい。


「・・・どう?これでも、まだ”優しいお姉さん”が好き?」


それらは、何故か、とてもわかりやすい嘘に聞こえてしまい。


「・・・好きです。優しいお姉さんじゃなくても、私は優貴さんが好きです。今も。」


私には、馬鹿の一つ覚えのように、それしか言えなかった。


「・・・・・・・!」


彼女が隠そうとしているものが、今の私には何故か見えてしまって、とにかく放ってはおけなかった。


「・・・もう、いいです。利用したとか、騙されたとか、憎まれてるとか、私にとっては、そんなのどうでもいいんです。」

「・・・・・!!」


自分でも驚くくらいハッキリと言い切ってしまった。

多分、彼女の本当の気持ちが今、見えているからだろう。


「そんなの、もう・・・私は気にしてないですから。」


私は、ハッキリと彼女の顔が見える位置まで来ると、私は彼女の頬に手をあて、指先でそれを拭う。


初めてみる、彼女の弱い部分。

優貴さんが、私に見せなかった弱い自分。

やっと彼女が見えて、やっと自分の手が届いたような気がして、私は少し嬉しかった。


ただ、優貴さんの普段見せていた表情は、今はどこにもなく、ただ・・・辛そうな表情がそこにはあって・・・。

私は、黙って頷いた。


「優貴さん、もういいの・・・もう、いいから・・・。」

「よくない!私は、貴女を利用したの!母なんか本当は関係ない!私はただ・・・自分の復讐の為に・・・行動しただけ・・・!」


わかってきた。

彼女は、復讐という自分の感情を抑えられなくて、行動していた。それでも・・・彼女は、やっぱり迷っていたんだ。

自分のしている事に、迷っていた。

何度か、彼女は、そのサインを出して助けを求めていたのに。私は舞い上がって、気づいてあげられなかった。


「その為に、貴女に嘘をついたの!全部・・・全部、嘘なの・・・!」


・・・なにより、今・・・大粒の涙をこぼしている彼女をそのまま放ってはおけなくて。

・・・泣きながら、嘘をつき続ける彼女なんて、黙って見ていられる訳がない。


「・・・全部嘘なら、どうして泣いてるの?」

「・・・・・・・・・!」


彼女の嘘をひっくり返せば、彼女の心に辿り着ける。


「優貴さん・・・今日だけ、なんかわかりやすいですね?私でもわかりますよ。いつもは逆なのに。」

「・・・悠、理・・・。」


・・・私は知っている。

以前、私のお母さんが私の元からいなくなった時。

大切な誰かが自分の元からいなくなってしまった時、どんなに辛いか、を。


優貴さんは、まだその苦しみから抜け出せていないんだ。

どこにも持っていけないその気持ちのやり場を探しているうちに・・・私の家に来た。


そこでも、一人になってしまった彼女の気持ちを受け入れる場所は・・・無かった。

ただ、幸せに包まれて、彼女の不幸に気付く事もなく、ただ笑っていた私とその父親が、彼女に嘘を重ねさせてしまった。


ごめんなさい、優貴さん。好きな人に、ずっと辛い思いをさせていて。本当にごめんなさい。


・・・今度は、間違ったりしない。


私が・・・



「・・・優貴さん。言ったよね?私、好きになって良かったって。それから・・・私の気持ちは・・・変わらないって・・・。」


そう言って、私は笑って見せた。



目的の為とはいえ、自分の気持ちにまで嘘をつき続けるのは、辛いと思う。

その為に、私はこれまでの彼女の嘘を全部許そうと思った。

それで、彼女が少しでも楽になるのなら。彼女が笑ってくれるなら。




  『私が、貴女を受け止める。』




「・・・・・・悠理・・・。」


それだけ言って、優貴さんは私の肩に額をつけた。


「・・・・・・・・・・・・・・ごめん、なさい・・・。」


少しだけ低い小さな声が涙声に変わり、私はただ彼女の背中を優しく撫でた。


「・・・うん。」


「ごめんなさい・・・!」


二度目のごめんなさいは、ハッキリと聞こえた。

心の奥から絞り出されたようなそれは、私の心の奥に響いて、私も少し涙ぐんでしまった。

いや、私が泣いてる場合じゃない。



「・・・悠理・・・」

「はい・・・?」


涙声で彼女が聞く。


「赤の他人の私なんかが・・・貴女をもう一度、好きになれる資格、あるかしら?」


私は笑って答える。


「・・・要りませんよ。そんなの。」


あるのだとしたら、それは優貴さんが優貴さんのままでいてくれたら、それで・・・私は・・・。



「・・・私達、もう一度・・・ちゃんと家族になりましょう。」



私は、彼女の手を掴んだ。





それから。



「悠理!放課後だ!青少年らしく遊びに行こう!」


鞄に教科書をしまいこんでいると、望実が後ろから声を掛けてきた。

私は手を合わせて、苦笑しながら言った。


「あ・・・ごめんっ!望実!今日は行く所あるから!」

「なんだ・・・今日は人数多いから絶対盛り上がるのにー・・・まあ、いいや!今度は付き合いなさいよっ!」

「うん!みんなも、ごめんね!」


教室の元気な友人に手を振りながら、私は扉を開けて歩き出す。


(あ・・・今日は、コアラのお菓子の新しい味が出る日だっけ。)


あの人が好きな、お菓子の発売日。買っていったら喜んでくれるだろうか。


教室から出ると瑞穂が廊下ですれ違った。


「あ、瑞穂・・・また明日ね!」


手を振って、すれ違おうとすると、瑞穂が静かに言った。


「・・・行くの?今日も。」

「あ・・・うん。」


瑞穂は、私の行き先を知っている。隠し事が下手な私は、少し照れ笑いを浮かべて答えた。


「・・・今度はバレないように、祈ってるよ。」

「・・・ありがとう。」


少しだけ釘を刺されたが、私は笑顔で答えた。

瑞穂には話せても、今度はお父さんにバレないようにしなくちゃ。



ダラダラ歩く大学生達の間を私は、駆け抜ける。

少し古いアパートが並んでいる。赤い屋根の、これまた古いアパートへ向かう。

少し錆びた手すりの階段を上がり、奥から二番目の部屋の前に立つ。


”コンコン。”

インターフォンが壊れているらしいので、ノックをすると・・・。


「あ、悠理、いらっしゃい。今日は随分早かったのね?」


いつも通りの優貴さんの笑顔。

いや、以前より何かが吹っ切れたような、爽やかな笑顔かもしれない。

・・・いやいや、以前は爽やかさが足りなかった、という訳じゃないんだけど・・・。


「お邪魔しまーす。」


そう、優貴さんは、私の家を出てから、友達の家にしばらく居候した後、大学近くの安いアパートを借りた。

やっと、外じゃない場所で二人きりになれる、と私は嬉しかった。


という訳で、私は時々こうして遊びに来ている。


「・・・いいの?」


優貴さんが、私のカップを戸棚から出しながら言った。

わざわざ、遊びに来る私の為に優貴さんが買ってくれた可愛いマグカップは私のお気に入りだ。


「え?何がですか?」

「私のところに来てるなんて、お父さんが知ったら、今度こそ親子の縁切られちゃうかもよ?」


・・・私はお父さんとの”優貴さんと二度と会わない”という約束を堂々と破っている。

いっぱい考えたけれど、私はやっぱり優貴さんが好きだし、一緒にいたいって気持ちは変えられなかった。

その代わり・・・お父さんにはまた・・・嘘をつくことになってしまうけれど・・・。


「・・・今度は、覚悟してますから。」


以前の私は、どこかで”バレる訳がない”とたかをくくっていたり、まるで覚悟というモノが欠けていた気がする。

隠すなら徹底的に。

お父さんにバレたら、私はあの家を出る覚悟をしている。

そう決めた。


「・・・そう。決めたの・・・。」

「・・・優貴さんは?」


「私?」

「覚悟。・・・私の事、今度は嘘付いて突き放したりしない、ですよね?」


私は台所にいる優貴さんの背中に向かって、そう聞いた。

優貴さんは振り向いて、笑顔で頷いた。

良かった、と私は安心して優貴さんに抱きついた。


「・・・でも、これで私の復讐・・・完全なモノになっちゃったわね。」

「え・・・?」


囁くような声で、優貴さんが私の耳元でそう言った。

まだ、私の家が憎いのかな、と不安になる私に向かって、優貴さんが更に言葉を続ける。


「・・・だって・・・こうして、父から、大切にしている貴女を奪えたんだもの。」


・・・確かに、そういう事になってしまう。

優貴さんが私の家に来た当初の目的は、”私の選択”で達成されてしまった。

私が、お父さんとの約束を破り、異母姉妹である優貴さんを愛し続ける事を選んだ、という選択によって・・・。

お父さんの家族であるはずの私は、お父さんを裏切って、優貴さんと一緒にいる。

なんだか不安と罪悪感に包まれ出した私を、優貴さんは、少し寂しそうに笑って見ている。


「優貴さん・・・。」


不安が増してきた所で、優貴さんがパッと両手を開いて、ニッコリと笑った。


「・・・なーんてね♪要するに、今の私は幸せって事よ。」


そう言い終わると同時に、私に軽くキスをする。

なんでも突然に行動するのは、全然変わらない。・・・不意打ち。


「そ、それなら・・・いいですけど。あ、コアラのお菓子買ってきました。2個買うとストラップが付くってキャンペーンやってて・・・」

「それで、4つ買って来たんだ?」


笑いながら袋からお菓子を出す優貴さん。


「だって・・・お揃いが良かったんですもん。」


私はそう言いながら、コアラのストラップを手渡した。

優貴さんは嬉しそうに”ありがとう”と言って、携帯電話に付けてくれた。


「・・・ねえ、悠理・・・私と貴女の関係って何かしら?」


不意に優貴さんが真剣な表情で私に尋ねてきた。


「え?えーと・・・・・・・・・・恋人。」


私の答えに彼女は黙ってふっと微笑んだ。


「・・・ち、違います?」

違っていたら、いたですごい嫌だけど・・・。


「・・・ううん、違わない。確認しておきたかっただけ。」


そう言って、私を抱き締める。


(そっか・・・安心した。)


彼女が私の傍で笑ってくれているのが、嬉しくて私は背中に腕を回す。

優貴さんに抱き締められながら、私は言った。



「もう、優貴さんに赤の他人だなんて・・・言わせませんからね。」


彼女は、笑って頷いた。



「あ、そうだ。悠理。今度の日曜日、空けといてくれる?」

ストラップを揺らしながら、優貴さんがそう言った。


「え?」

デートの予感?と私は思わず表情に出てしまう。

それを見て、優貴さんは苦笑しながら、私が持ってきた、あの写真立てを持って言った。


「二人きりで出かけるのには、違いないんだけど、あんまりデートっぽくないわよ。」

「どこ、行くんですか?」



長時間、電車に揺られて・・・。

初めて見る景色の連続に、ちょっとした小旅行みたいな感じがする。

優貴さんは目を細めて、景色を見ている。・・・少し、懐かしそうだ。


目的地に着く。

お寺だ。

優貴さんのお母さんのお墓がある、お寺。

少し早歩きで中に入っていってしまう、優貴さんの後を私は慌てて追う。

優貴さんが、ぴたりと止まった。小さな仏壇が並んでいるその中の一つ。上のプレートに、優貴さんのお母さんの名前が書いてある。



「・・・母さん、ただいま。」


優貴さんが優しい声で、そう言った。

私は、その横でぺこりと頭を下げた。


「・・・は、はじめまして。瀬田悠理です。」


私の自己紹介に、優貴さんはくすっと笑って、小さな茶碗を私に差し出した。


「悠理、お水汲んできてくれる?私、お花あげるから。」


手馴れた様子というか、相変わらずてきぱきと掃除を始める優貴さん。私は、言われたとおりに動くしかない。


「・・・さて、と。」


ロウソクに火を付けて、お線香に火がつけられ、お線香特有の匂いがする。

両手を合わせて目を閉じる優貴さんの横で、私も慌てて同じポーズをとる。


(・・・え、えーと・・・はじめまして・・・は、さっき言ったか。えと・・・)


心の中で私は、優貴さんのお母さんになんと呼びかけたら良いのか、わからなくなっていた。

優貴さんに一緒に母のお墓参りに付き合ってって誘われた時から、ずっと考えていたのに。


すると。


「・・・母さん、私の家族よ。」

「・・・・・・。」


私の横で、優貴さんがハッキリとそう言った。

その一言が、すごく、すごく嬉しかった。

電車に長時間揺られた疲れも、一気に吹っ飛ぶくらい・・・。



「私も覚悟を決めたわ。貴女と一緒にいる。」

「優貴さん・・・。」


「・・・これで、私の復讐は本当に終わり。」


優貴さんの口から、復讐という言葉を聞くとやっぱりドキリとしてしまうが、終わりと聞いて私はホッとした。

私は目を閉じ、優貴さんのお母さんに言った。


(・・・私が、優貴さんの支えになります。まだ、頼りないですけど・・・二人で強くなっていきます。安心してください。)


・・・月並みな事しか言えなかったけれど、今はこれで良いのかも、と思った。

何があっても、私はこの人と一緒にいるって覚悟を改めて決めた。


「じゃあ、母さん・・・また、くるね。行こうか?悠理。」

「・・・はい。また、二人で来ます。」




隣で微笑んでくれる大切な家族と、私は手をつなぎ歩きだした。


「素直で、小さくて可愛くて、意外と強い。」

「・・・は?」


突然、優貴さんが笑いながら突拍子もないことを言った。

思わず、チェックしていた携帯を手から落としそうになった。


「私なりに思う、悠理の好きな所。」

「・・・・・・小さいってのが、気になりますけど。」


「気に入らない?」

「・・・いえ、嬉しいですけど。・・・強くは、ないです。」

「・・・強いよ、悠理は。私が見習わなきゃいけない所でもあるかな。」


・・・そうだろうか。

ただ、イイコを装うのはもう止めた。

私は、後悔しないように、自分の感情に素直に従うようになった・・・それだけだ。

そのキッカケは、紛れも無く、横にいるこの人のせいなんだけど。


「あの、優貴さん。」

「何?」


「・・・背は伸びますから、まだ、諦めてませんから。」


単に優貴さんが大きいだけ、と思いたかった。

私が悔しげに言うと、優貴さんは頭を撫でながら言った。


「うんうん、そうねぇ。伸びるねぇ。」

「ああ、もう馬鹿にしてる!」

「してない、してない。」

「顔が笑ってる!」


私達は、本当は、半分血が繋がっている異母姉妹。

だけど、恋人同士だ。


他人から見れば、仲の良い姉妹に見えるだろう。

赤の他人の目じゃ、きっと分からないし、私達の本当の事を知られても理解もされないだろう。


たとえ、その時がきても、覚悟は出来ている。

それでも、私達は一緒に歩いていく、と決めた。

二人で、そう決めたのだ。





[ それでも彼女は赤の他人 ・・・END ]



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あとがき

姉妹モノが書きたくて、ただ勢いだけで始め、最後までそんな感じだった、この作品。

WEB拍手にて更新していたので、文章のつながりがおかしい、いやかなりおかしい所もありますが。

あと、遊びが過ぎてしまい、本筋から脱線してしまったお話もあったり・・・色々反省、してます、これでも。ええ、してますって。

・・・これが、ハッピーエンドかバッドエンドかは、皆様の判断にお任せします。