その人は、トマトジュースが好物だと聞いた。
私は、あまり好きじゃない。
そもそも、私はトマト自体があまり好きじゃない。
青臭いのが苦手というか。火を通したのは平気だけど、生はダメ。
トマトをジュースにしようとする人の、それを好んで飲む人の気持ちだって解らない。
でも、その人は、赤い液体をなんともゴクゴク美味しそうに飲んでいるのだ。
その人の口の端から、トマトジュースの雫がつっと零れた。
(血…飲んでるみたい…。)
その人の服装は、シンプルなロゴのついたTシャツにコート、デニム…以上。
ダサくない、と感じさせるのは襟がヨレヨレじゃないのに加え、その人がスレンダーな体型でなおかつ手足が長いからだ。
いつもヘラヘラ笑っているかと思ったら、急に自分の世界にどっぷり浸って、ブツブツ独り言を言って何か描いている。
今日も差し入れを持って見学に来たと言って、長い髪をうざったそうにかき上げながら、熱心に描いてる。
・・・芸術家とか、そういう系の人って・・・みんな、こう・・・変なんだろうか。
「あ。」
私こと、稲垣 沙織は変な人・・・じゃなかった、安曇 空と目を合わせるなり小さな声を漏らした。
片手には、やっぱり好物の無塩のトマトジュース。
やや黒く汚れた片手には、愛用のシャープペンシルに、膝の上にはスケッチブック。
スケッチブックには、ドラマの撮影現場の風景の下書きが描かれていた。
駆け回るスタッフの焦った表情や、役者のみんなの真剣な打ち合わせ中の表情。
「やっぱり、安曇さんって凄いですね。上手。」
私はとりあえず、そう言った。共演者といえども、媚を売っといて損は無い。
肝心の主役の若手女優様は、まだセットの中央で打ち合わせ中だし。
ちょっとクセのある主役と敵対する”悪女役”の私は現場に入ってから、もう2時間以上待っている。
共演者の安曇 空に話しかけたのだって、単なる興味と暇つぶしみたいなものだった。
「いえ、まだまだです。それより…漫画を映像にするって、やっぱり大変なんですね。」
感心したように安曇は笑った。素人っぽい感想だ。
安曇の本業は歌手なのだそうだが、CDが売れない時代、歌手はいよいよ女優の仕事を盗らなければやっていけないらしい。
・・・もっとも、それは事務所の方針で、安曇 空の心は違うのかもしれない。
台本の台詞は最低限覚えてきているものの、彼女はスケッチやヘッドホンをして音楽を聞いている。
「少しでも苦労して良いものにしないと、先生のファンにツイッターとかでボロクソに呟かれちゃいますから。」
この場合、苦労とは原作を読んでいない主役の女優に割かれる時間、と言ったところか。
私が冗談っぽく言うと、安曇は溜息をついた。
「ああ・・・まあ、漫画と現実のイメージは違って当たり前なんですよね。」
あっさりと安曇はそう言って笑った。
そして、スケッチブックをパタンと閉じて、私の方に向き直った。
「私は、原作のファンですけど、これはこれとしてやりたいんです。誰に何を言われても、やりきりましょう。
私は、このキャストさんやスタッフさんが作り上げた、このドラマの最終回が見たいんです。」
そう言って、安曇は美味しそうにトマトジュースを飲んだ。
(おーおー…気合入ってるじゃん…。)
感心するほど気合十分で真っ直ぐな安曇。私は少し呆れつつ、その目からはかつての自分から消えて無くなってしまったモノが見えた。
それが見えた時、羨ましく見えた。
安曇はゴクゴクと喉を鳴らし本当に美味しそうにトマトジュースを飲むので、思わず私もちょっと飲んでみたいなんて衝動に駆られるが、味はきっと変わらない。
「・・・飲みます?」
安曇は、自分の飲む様をジッと見られていたので”欲しがっている”と勘違いしたのだろう。
飲みかけの缶を差し向けられ、私は思わず手を伸ばしかけた。
「あ、いや…いいです。」
そうだ。私は、コレは飲めない。
だって、私はトマトジュースは好きじゃないのだから。
「・・・じゃあ、私も頑張ります。最後まで、悪女やりきりますね。」
そう私が言うと、安曇は白い歯を少し見せて笑った。
「はい、私も友人役頑張って、あと歌も歌います。」
彼女は、きっと育ちが良いのだろう。とても上品に笑うし、ロケ弁の食べ方も箸の持ち方も綺麗だし、とにかく所作が流れるように綺麗なのだ。
「あの、安曇さん、トマト・・・好きなんですか?」
私は、終わりかけた会話を繋ぎとめるように、どうでもいい質問を投げかけた。
「え・・・あ、なんとなく。このスタジオの傍にある自販機にあるジュースで…これだけなんですよ。私が惹きつけられるの。」
確かに、自販機は設置されている。
しかも3台。
炭酸・水・コーヒー・紅茶・緑茶・コーンスープ・おしるこ・甘酒…新しい種類から定番、変り種まで用意されている。
その中で、野菜ジュースではなく、無塩のトマトジュースを飲むのは、彼女だけなのだ。
安曇は、マジマジと缶をみつめて言った。
「色々、ありますけど・・・やっぱりコレを選んでしまいます。不思議。」
選んでいる本人が心底不思議そうな顔をして、私に話すなんてシュールだな、と思う。
「別に凄く美味しいって訳じゃないんですよ、味は普通だし。」
(あ…普通なんだ…。)
「少数派の私って変わってるーとか、選ばれない飲み物かわいそう…みたいなのは、まるっきり考えてないんですが…。」
なんだ、その考えは…。
飲み物に同情でもしているのか?と思ったが、安曇は真剣に缶を見つめて、悩んだ。
「・・・やっぱり、好きだからかなぁ・・・このトマト。」
「やっぱり、好きなんじゃないですか。」
「沙織さんは、嫌いなんですよね?トマト。」
「え・・・!」
正直、驚いた。
そんなに話した事も無い彼女にいきなり下の名前を呼ばれた事。
私がトマト嫌いだという事が何故解ったのか。
どっちを先に聞こうか迷った一瞬の間の後、私はぐっと何かがこみ上げてくるのを唾液と一緒に飲み込んだ。
「撮影再開しまーす!!」
スタッフの声で、私はハッとした。
安曇はスタッフさんの方にはーいと返事をして、椅子の傍に置いてあったペンや消しゴムを片付け始めた。
「あ・・・じゃ、また後で。」
「はい。」
くるりと安曇に背中を向けた瞬間。
「あ、沙織さん。」
ビクリとした。
また、下の名前で呼んだ。
「私の事、下の名前…”空”で良いですから!」
そう言って軽く手を振って、安曇はスタッフの元へ向かっていった。
(下の名前でって……友達感覚かよ…。)
年下のクセに馴れ馴れしいな、とは思いつつ、自分の名前を気軽に呼んでくれる有名芸能人が出来た事は嬉しくない訳じゃなかった。
それから、安曇は自分の撮影が終わっても、私のシーンが終わるまでスタジオにいた。
安曇は、食い入るように私達の演技を見て、時折何かを書いていた。
(・・・あれ?)
安曇の視線は、ずっと私を見ていた。
主役の女優なんか、一回も見ていなかった。
始めは単なる自惚れかもしれない、と思いたかったが、シーンの途中でバッチリと目が合ってしまった。
普通、友人である主役に目を向けるだろうし、安曇と私が絡むシーンもないのに、私なんか見たってどうするんだか。
・・・素直に、華やかで綺麗な主役の女優を見たら良いのに。
大多数の人間が、主役の女優を選ぶ。
清潔感、清涼感、好感度、どれをとっても一番だ。
私は、添え物だ。
より悪く、汚く演じて、主役の正義感を引き立たせ、視聴者の同情心を引き出させる。
『こんな人と一緒の空間には、いたくないわ!』
シーン最後の台詞を私が言い切ると同時に、安曇は満足そうにトマトジュースの缶を傾けた。
・・・まだ、見てる。
彼女は、私を見ている。
「あの歌手って、私のファンかなんか?なんかやたら目が合うんだけど。」
撮影が終わり、車の中で私が冗談っぽくそう言うと、マネージャーの高橋さんは顔をしかめた。
「おいおい、頼むよ沙織、共演者と見つめ合ってないで撮影に集中してくれよ。お前が、AV女優から女優に転身して、やっと回ってきた役なんだぞ。少しは大事にしろ。」
そう、女優は女優でも、私のデビューはアダルトDVD。
つい最近になって、今の事務所に入り、AVが頭につかない女優として、再デビューしたばかり。
さっき撮っていたドラマは、その再デビュー作となるわけだ。
原作が漫画で、映像化に反対している原作ファンがかなりいるみたいだけど…。
脚本だって何度も修正されてるし、今更、何を言われてもやるしかない。
「・・・私なりに一生懸命やってますけどー。」
私としては、ちょっとした話題のつもりだったのに、まさかお説教につながるとは思わなかった。
「はあ、せっかく…安曇 空が泣くよ、そんな態度じゃ。」
「なんで、安曇が出てくる訳?」
マネージャーはすぐにヤバイという顔をした。
黙って見つめると、すぐにマネージャーは事情を話した。
「実は、主役の金剛丸 彩がな…お前じゃダメだって言ったんだと。」
「は?」
まあ、主役の女優に好かれてはいないとは思っていたが・・・まさかそこまで言ってたとは。
「ところが、そこに…主役様がご指名なさって、無理矢理共演者になった安曇 空が”待った”をかけたんだよ。」
「・・・安曇、さんが・・・?」
「なんでも、あの敵役には沙織がイメージぴったりなんだってさ。金剛丸を説得したんだよ。
他の女優じゃダメだって、お前にやらせろってきかなかったらしい。…ありがたい話だよ。助かった。」
「・・・へえ〜・・・。」
買いかぶり過ぎだ、とも思ったけれど、安曇が私を見ていた理由はそれかもしれない。
(私の事、どこで知ったんだろう。)
さっきの撮影にしたって、いやに熱心に私の事を見てる所を考えると、相当私の事を気に入っている・・・ような気がする。
私をじっと見つめる、あの人の目。
まるで楽しいものでも見るような、子供みたいな楽しそうな目。
目が合った時、おっと驚いて目を細めてまた笑う。
・・・何が、そんなに楽しいのか、と問いたくなる目。
「ネットでは原作ファンが映像化反対だの、うるさかったけどさ。お前の役はハマってるって話も聞くぞ。
今の調子で頑張れば、次の仕事にも繋がる。頑張れ。」
「はーい。」
撮影は順調に進んだ。
だが、進めば進むほど、安曇の視線が気になり始めた。
見ている。
やっぱり、彼女は見ている。
安曇の歌を聴くようになった。
主題歌はすぐにスマートフォンにダウンロードして、いつでも聴けるようにした。
会話のきっかけも出来てきたので、一緒のスタジオにいる時は私と彼女はよく話すようになった。
「でね、そのコンビニにまだ女子高生いるんですよ。そんで、まだ肉まんと豚まんで店員とモメてるの!!」
「「あははは!!」」
「私も、これは最終的にどうなるのかなって気になって見てたんですけどね、最後何て言ったと思います?沙織さん。」
「ていうか、気になって見る方も見る方だよね、ふふふッ…で、何て言ったの?」
笑いながら聞き返す。
「”ピザまん下さい”って。」
「全然違うじゃんッ!!」
「あははは!安曇さん!今度、トーク番組出た方が良いですよ!オレ、プロデューサーに言ってみます!」
安曇を囲むスタッフの数も増えていった。
現場も明るくなっている。
「ホント、歌手だけにしておくのはもったいないね。空ちゃんといると、私も楽しい。」
私がそう言うと、安曇はキョトンとした顔をして、急に手をブンブン振った。
「い、いやいやいや!たまたま!こういうネタ話がたまたま、あったから!普段はあんまり面白くなんかなくって!」
「良いんじゃない?たまにでいいから、こういう話して楽しませてくれる人、私好きだよ?」
「あ・・・う、嬉しいな・・・。」
私は正直にそう言った。話が上手い女の子は嫌いではない。
話してみると安曇は意外と話の引き出しが多く、言葉のボキャブラリーが豊富なのだ。
話していても飽きないし、聞いていた周囲のスタッフもクスクスと笑っていた。
主役の女優が時々遠くから睨んでいたが、それでも私と彼女の会話で和やかな雰囲気は崩れることは無かった。
楽しい。
純粋にそう思えた。
彼女の傍らには、いつもトマトジュース。
時々、安曇の口の端から僅かに零れる赤い線。
それを拭うを舌を私は見ていた。
自販機に向かうと、安曇がいつも飲んでいるトマトジュースのある自販機をみつけた。
(とはいえ、やっぱり、飲む気にはなれないなぁ。)
と心の中で苦笑しながら、私はトマトジュースの隣の野菜ジュースのボタンを押した。
彼女と一緒の飲み物は飲めないが、せめて隣の飲み物を、と。
自販機の前の椅子に座って飲もうと視線を落とすと、ある筈の無いものがあった。
「…あれ?これ…。」
安曇のヘッドホンとMP3プレーヤーを見つけた。
ぽつんと椅子の上に放置されていたのだ。
「忘れたのかな…」
届けるのは後で良いとして、何を聞いているのかな、と私はヘッドホンを耳にあて、何気なく再生ボタンを押した。そして、すぐに後悔した。
それまで、私は忘れていた。
安曇のヘッドホンから”私の声”が聞こえるまで。
私の耳には、私の喘ぐ声と吐息、男、女を誘う言葉が流れてきた。
映像ではなく、音声だけ抽出してるって所が安曇らしいといえばらしいが…。
正直、気分は最悪になった。
(・・・ああ・・・マジか・・・。)
そこで私は、安曇が女だから、とチェック項目から外していた項目を思い出した。
”AV女優”という肩書きを見ると、5割の男は…大体、そういう好奇の目で私を見る事を。
これが落胆、というものなのかはわからないが、私はなんだかドッと脱力する感覚を覚えた。
「・・・あ!」
人の気配と聞き覚えのある声を聞いて、私は顔を上げた。
そこにはタイミング悪く、安曇がいた。
息を切らせて…そんなに私にコレを聞かれるのが嫌だったのか。
「・・・ねえ、私のデビュー作見ました?」
「あ・・・」
安曇は目をキツく閉じて”失敗した”という顔をした。
いつも崩れる事の無い、上品な彼女の表情の中で珍しくもある、その顔に私はそっと触れた。
「私の本当のデビュー作…知ってるんでしょ?…”ハレンチ女子社員24時”。これ、それの台詞だもんね。」
私が小声でそう言うと、彼女は更に困った顔をした。
これは、やはり見ていたのだ、と私は確信した。
ヘッドホンを私の手から取り返そうとした安曇の手を掴んで、私は歩き出した。
「…来て。」
私がトイレの個室に強引に連れ込んで、鍵をかけた。
「これで、大丈夫。」
私がそう言って、顔を寄せると彼女は簡単にキスを許した。
「で、見たの?」
キスの合間に、私はDVDの感想を求めた。
「・・・正直言うと、何度も見ました。」
彼女は言い切ると同時に唇をつけてきた。
「ん…で、どうだった?」
荒っぽくなりつつあるキスを制止させながら、私は質問を続けた。
「ぃ・・・色っぽかった・・・。」
そう言った彼女の目は潤んでいて、それはもう”ただのファンでした”とか”お世話になりました”って目じゃないのは解りきっていた。
「…それだけ?」
「体のラインが綺麗で…スケッチ…した…」
確かに、彼女はいつも絵を描いているけれど、AV見ながらスケッチなんて…もっと他に言い訳があるだろうに。
「じゃあ、オカズにしてないっての?嘘でしょ?」
私は、安曇のデニムパンツのボタンを外して、チャックを下ろし、手を滑り込ませた。
「・・・ホラ、濡れてる。」
私の指先には、十分な反応が感じ取れた。
「ちょ、ちょっと…!」
慌てた安曇が私の手首を掴んで、動きを止める。
「・・・なんで、止めるの?したかったんじゃないの?」
「いや…私、違う…そんなつもり…!」
必死に首を振りながら安曇は違うと繰り返した。
私は薄ら笑いを浮かべながら言った。
「今まで見てた、AV女優が実際に目の前にいる…。
果たして、具合はどうなんだ?って確かめてみたくなったんでしょ?
確かめようと思えば、出来る確率は、まあ一般人よりは高いと思ったんでしょ?」
安曇がそんな人間だとは思ってなかったけれど、いつも私を見ていた理由がこれでハッキリする。
「…そ、そんな事…ッ!」
ストーリーなんて添え物程度。
あとは殆ど裸。殆どセックス。ただのセックスの音声。ただのセックスの映像。
上品に笑う歌手の目には、私は最初からAV女優として映っていた訳だ。
「じゃあ、ヘッドホンあてて私の喘ぎ声聞いてたのは?」
「だ…だから…!」
「いつも、私見てたのは何で?ヤってみたかったんでしょ?…やればいいじゃない。」
安曇は、ふるふると弱々しく首を横に振った。
「…沙織さんとどうこうなろうなんて思っては…無いです…ただ……声が、綺麗だから…。」
「・・・この期に及んで、濡らしておいて、そういうの通用すると思って・・・
ああ、そっか・・・いきなり迫られてビビった?それとも、汚いとか思ってる?」
この私の言葉に、安曇の顔色はスッと変わった。
少し、怒っているような目に変わった。
「・・・自分のした仕事の事、そんな風に思ってたんですか?」
これもよくある。
少し自虐的になると、男はこうやって説教に持ち込もうとする。
「コレは当時、お金も仕事も無くて、仕方なくやった仕事。しなくて済むんなら、しませんって。
どんなに綺麗な服着たって、AV見た人は服の下を知ってるし、それしか興味ないんだから。
後悔したって仕方ないって感じだし、私なら”汚い”って思う。」
ここまで自虐的になれば、お次は”同情”に変わるかと私は思ったが、安曇の反応は違った。
「・・・貴女は堂々としてて・・・うん・・・綺麗だった・・・。」
ここで感想、なんて。
「ここまできて、お世辞上手ですね。」
私があきれたように言うと、安曇はもう普段通りの安曇に戻っていた。
「・・・貴女は、今の自分を誇って良いと思います。綺麗だから。」
「・・・そんな誇りとか、無駄・・・」
「どんな時間も過去も無駄なものなんてありません。貴女は、あの時の衣服を脱ぎ捨てた勇気と美しさを誇って良いと思います。」
「ば・・・」
馬鹿じゃないのって言いかけたし、他人事だから言えるんでしょ?とも言えた筈だった。
だけど、言葉は出なかった。
安曇の目は、いつになく真剣で真っ直ぐで曇りがまったくなかったから。
それに・・・月並みだけど、その言葉が嬉しかった。
馬鹿だなって思いつつも、私はつい…聞いてしまった。
「じゃあさ・・・空ちゃん、私と寝てくれる?」
楽しい時間をスタジオの外で、彼女ともっと過ごしたいって思っていた。
だから、愛なんてなくても、楽しいセックスがこの人と出来たらいいや。
それで、これっきりになったとしても、それでいいや。
そう思う事にした。
だけど、ここまで来たら…大抵は…。
「そ・・・それ・・・は、無理・・・。」
そう、押して引いたら、あっちも引くんだよね、大抵。
気軽なセックスと引き換えに、罪悪感を背負いたくないだけなのかもね。
(・・・知ってた。)
これまで、何度も何度も…この人かもって思ったら、こうなってきたから。
「そっか・・・。」
トイレのドアに背中を預けて、私はそう言った。
すると、安曇は俯きながら小さい声で言った。
「…好きだから、無理。」
「そっか・・・・・・は?」
意味が、わからない。
今、なんて?
「…好き。AVとか関係なくて…声聞いてるだけで、凄く惹かれる。あと、話しやすいし…。」
(な、なんだと・・・?)
途端に恥ずかしくなってきた。
「だ・・・だから!手ぇ出して良いって言ってるじゃない!誘ってるのに…は、恥かかせないでよ!」
告白だ。
マジ告白だ。
こんな、へっぽこなストレートめいた球を投げてくる人なんて…初めてだ。
童貞・・・いや、この場合は処女?
いやいや、”セックスに奥手 = 初めて” って図式は…単に私が思い込んでいるだけだ。
目の前の歌手兼女優の女は…純粋にAV女優だった私のファンで…。
「だから・・・ちゃんと、したいの・・・例えば、トイレじゃなくて。あと・・・私、沙織さんとデートとかもしてない。」
ファンから…そのまま”恋愛”に昇格した…?
「ていうか…今だって、キス…あーもう!何もかも、すっ飛ばしすぎ!
私…ただ、沙織さんとヤるだけじゃ嫌だ!ありえない!」
確かに…すっ飛ばしてる。
私達、ドラマの現場でしか会ってないのに。
AV並に、恋愛の発展をすっ飛ばしている。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
トイレの個室で沈黙の時間が流れる。
換気扇の音だけがやけに響く。
でも、目の前の女はトマトみたいに顔を赤くしたまま、私をチラリと見ると小さい声で
「だから・・・沙織さん・・・付き合って、下さい。」
とだけ言って、私の手を握った。
「トイレで告白って…ありえない。」
私は私でそう言いながら、笑うしかなかった。
素直にそのままトイレの個室を出た私達は、そのまま自販機の前に。
一旦クールダウンだ、と飲み物を買った。
彼女は勿論トマトジュース。私はその隣の野菜ジュース。
余程喉が渇いていたのか、喉を鳴らしながら彼女はトマトジュースを飲んだ。
そして、予定調和のように口の端からつっと流れるトマトジュースの線。
前々から、これを見る度、私はウズウズ・・・いや、今考えるとムラムラしていたんだと思う。
「空ちゃん…零してる。」
「へ・・・!?」
ソレをペロッと舌で舐め取った時、感じたのはトマトの味と彼女の体温・・・オマケにトマトの青臭さが。
硬直したままの彼女に私は、トマトジュースの缶を指差しながら告げた。
「私ね…貴女は好きだけど、コレは好きになれそうもないわ。」
― その後 ―
「お待たせ。」
濡れた髪をタオルで拭きながら、私が部屋に戻ると、ベッドの上に大人しく座っている子犬みたいな安曇がいた。
「あ、いいえ・・・・・・あ・・・」
私のバスタオル姿を見ると、恥ずかしそうに目線を逸らした。
「・・・何?」
一瞬、安曇がやはり怖気づいたか?と思ったが
「やっぱり、一緒にシャワー浴びたら、良かったかなぁって・・・。」
・・・余計な心配だったようである。
「自分が言ったんでしょ?待ってるって・・・。」
「はい・・・・・・・・・」
「見すぎ。」
「あ、すみません・・・あの、良いんですか?1回目のデートで、コレ・・・。」
安曇は、迷い十分な顔のまま、私のベッドを指差して言った。
今日は仕事の後、二人で食事に行った。
店員にサインをせがまれ、客が気付き始めたので、その後逃げるようにタクシーに乗った。
私は単純に食事だけのつもりだったのだが、安曇には思いっきりデートだったようで。
タクシーの後部座席に座っている内に、安曇が私をジッと見つめてきた時、2杯目に飲んだ梅酒が効いたのか、なんなのか…スイッチが入った。
私が、タクシーの中で一言”もういい。続きしよう。”と言った結果、安曇空が家に来た。
玄関先で喰らいつきたい衝動もあったのだが、私は安曇より年上だし、経験もある。
ここは余裕を見せ、今の内に私が主導権を握ろうと思い、シャワーを浴びると言って安曇に”待て”をさせた。
待ての前に与えた缶ビールは蓋も開けられてなく、安曇の手でぬるくなっていた。
「・・・先日、トイレでキスとペッティングした後、告白でしょ?もう、3回目のデートでどうたらなんて、どうでもいいじゃないの。」
そう言って、安曇からビールを取り上げて、プルタブを開けて、一口飲んだ。
「・・・ぬるっ!ほら、さっさと飲まないからー。」
私がそう言うと、安曇が急に深刻な声で私の名前を呼んだ。
「沙織さん。」
「・・・な、なに?急にマジになって。」
「沙織さん・・・今、余裕無いでしょ?」
「は・・・?」
余裕がないのは、どっち?と言おうとした瞬間、唇は塞がれた。
口の中にずうずうしく安曇の舌が入ってきて、これまた無遠慮にかき回す。
「んん・・・っ・・・は・・・余裕無いの、空ちゃんの方じゃん。私、こういうの、慣れてるから。」
「…セックスには慣れているかもしれないけれど…沙織さん、私には、まだ慣れてないよね?」
子犬のような目から突然、鋭い目になって、安曇空は私の缶ビールを取り上げて、テーブルに置くと、そのままベッドに押し倒した。
「・・・何・・・?そんなにアブノーマルなセックスしてくれるの?」
私がからかうように言うと、空は私の耳元に唇を寄せて小声で言った。
「普通。すごく一般的。・・・ただ・・・いっぱい好きって言うだけ。」
そんな事、耳元で、言う事じゃない。
恥ずかしくなる台詞を耳元で聞かされて、私は思わずかあっと熱くなった。
「・・・い、言わなくていい!」
耳を空の唇から離さないと、と距離を取ろうとするが、がっしりと捕まえられた。
「・・・じゃあ、どうして欲しいの?沙織さんは。」
後ろから抱きしめられ、耳元には歌手の囁き。
バスタオルを裾を開かれ、空の手がするりと入ってくる。
「あ…ちょ、待って…空ッ…!」
ヤバイ、と思った瞬間、言葉が出た。
自分から誘ったくせに。
経験豊富だと抜かしたくせに。
主導権を握ろうと思ったくせに。
「うん。」
「あ・・・!」
空は、笑顔で待ちの姿勢・・・いや、私に”おあずけ”の命を出した。
私が、ある言葉を発しないと、この女は動かないだろう。
「・・・空・・・ヤる気、あるの・・・?」
私は震えそうな声をなんとか、抑えながら聞いた。
「うん、したい。」
余裕タップリの目は、早く言って下さいよ、と煽っているようにも見える。
「良いんだよ、好きにすれば…。」
私がそう言っても、空は”うん”とだけ言って、私の髪を撫でるだけ。
指先の体温が髪から、皮膚に伝わり、空の声が私の耳の奥に届く。
「沙織さん、どうして、欲しい?」
そう言って、鎖骨をスッと撫でられた瞬間、私は空のデニムのボタンを掴んでいた。
「・・・抱いて・・・抱いて抱いて抱いて!」
空の腕を掴んで、自分の足の間に引き込んで、キスをせがんだ。
恥ずかしくなる台詞だけは、言うまいと思っていたのに、このザマ。
「良かった、ちゃんと言ってくれて。もう、私も・・・限界だった・・・!」
そう言って、空は私の身体に口をつけた。
「なによ、こんな風にさせて!主導権、そんなに欲しかったの!?もうッ!」
彼女を受け入れる体制をとった私の胸を触りながら、空は言った。
「ううん、主導権は沙織さんにあげる。私は、沙織さんが欲しいの。」
・・・ダメだ。
主導権は、完全にあっちに行ってしまった。
[ 読みきりSS ・・・ END ]
ずっと前にどこかで見かけたSSのお題『トマトジュース』…だったでしょうか…そのイメージで書いたものです。
特に、こう・・・オチはまあ・・・こんな感じで。(笑)
書き足してみましたが、空が受でも良かったよーな・・・沙織さんが可愛く書けたから良かったよーな・・・。