広い宇宙の片隅で
〜3〜
「エルンスト、エルンストったら!」
「……え?」
女王試験が始まってからしばしの後、とある日の王立研究院にて、
レイチェルの不機嫌そうな顔に、エルンストは面倒くさそうに
向かっていたディスプレイから視線をはずし、眼鏡を正した。
「……、今日は何のご用で?」
取って付けたように言うエルンストの姿に、レイチェルはやれやれと肩を落とした。
「…別に、大した用なんてないけどさ、
こんなトコに顔見知りがいたなんてあたしビックリしちゃって、
ちょっと、顔見に来ただけだよ」
レイチェルは言いながら、エルンストの使っている机に肘をのせ、にっこり微笑む。
「でもまさか、聖地の研究院の主任なんて、ホント凄いよね―」
ケラケラと無邪気に笑って見せた。
そんな姿に、エルンストは密かに眉をひそめる。
「……ご用件は、それだけなのですか?」
酷く不機嫌なその口調に、レイチェルは思わずついた肘をどけ立ちすくむ。
「……う、うん、まぁ…」
ぽつっと答えると、エルンストはふぅとため息をひとつつき、
「…あなたは、ご自分がなんの為にこの場所にいるのか、分かっているのですか?
こんな場所で油を売る暇など、無いはずでは?」
顔さえ向けずに言うエルンストに、レイチェルは見る間に頬を膨らませた。
「……ったく、いいじゃんちょっとくらい…。 相っ変わらずだね、もー」
呟きながら、レイチェルはスタスタと去って行った。
その後姿をちらりと確認し、エルンストはまたディスプレイに視線を戻した。
「…まったく」
ぽつりと呟くその言葉以外に、その時浮かんだ感情は無かった。
無心に仕事をこなす変わりばえの無い日々。
それは、今までの生活となんら変わらぬはずなのだが…。
なんだろう、酷く空疎な感覚が時折現れる。
ふと、キーボードを打つ手を止め、目を閉じ、
浮かんできたのは、あの、金の髪。
……アンジェリーク。
あれから、その名を前回の女王試験の資料から見付けたのはすぐだった。
当代切っての名門、カタルへナ家の令嬢、ロザリアと共に試験に挑んだ、一介の少女。
その彼女が、ロザリアを下し、女王と決まった時は、多少話題にもなったらしい。
……極秘の試験だった為、話題と言っても本当に多少のレベルなのだが。
資料を見て、エルンストは静かにため息を付く。
何だと言うのだろうか。
…頭を離れない、その微笑み。
ただ、
会いたかったのだ、もう1度、
会って、話して……、彼女のことを、知りたいと思った。
そして、それから…。
エルンストは、そこで慌てて思考を止める。
それから…?
それから、何だというのだ。
……相手は、全宇宙を統べる女王陛下。
会って話すどころか、その名を軽々しく口にするだけでも不敬だというのに。
エルンストは、またひとつため息を付きながら、
再び、キーボードに手を添える、
その時、
「あの、…エルンストさん?」
不意に呼ばれた声に、エルンストははっとなり顔を上げる。
「……えっと、…ごめんなさい、…お忙しかったでしょうか…?」
おずおずとそう言ったのは、栗色の髪の気弱そうな少女。
「…い、いいえ別に…? すみません、いつからいらしたのですか?」
「…ちょっとだけ前から、…あ、別に大したことじゃありませんので…」
おずおずしながら、アンジェリークは微笑を浮かべた。
「……あの、アルフォンシアの様子を知りたくて…」
「はい、それでは本日のデータを算出致しますので、そこで少々お待ち下さい」
アンジェリークの頼みに、エルンストは事務的に答え、慣れた手つきでキーボードを叩いた。
「……これが、本日の聖獣のデータとなっております」
「あ、はい…」
おずおずと数字が羅列した用紙を受け取り、アンジェリークは少しぼんやりとエルンストを見つめていた。
「…あの、何か?」
「……い、いえ…その…」
訝しげに問うと、アンジェリークは決まりが悪そうに俯く。
「ただ…、なんか、凄いなって…、…レイチェルからお話だけは聞いててたんですけど…、
主任さんって、とっても大変なお仕事ですよね…」
にっこりと言う、なんともどこかずれたような少女。
エルンストは思わず額を抑えていた。
「……あのですね」
「はい?」
ぽやんといた顔でアンジェリークはエルンストを見る。
「…分かっておられるのですか? あなたは女王候補、
…つまり、近い将来女王となるかもしれない存在なのですよ。
私のような、一介の研究員を感心しているような立場ではないはずです」
立て板に水のの如く言われ、アンジェリークは思わず黙ってしまった。
「……とりあえず、現時点では女王になる可能が高いとはとても言えません、
…あなたも、もう少し真剣に取り組んだ方が良い」
不機嫌そうに言うエルンストに、アンジェリークは俯いたまま、一歩後ずさりをした。
「……あの、…すみません…、ありがとうございました…」
か細い声で言うと、逃げるようにアンジェリークは去って行った。
……、また、やってしまった。
エルンストは思わずため息を付いた。
はっきりしない態度で自信無さげにいる、物静かなあの少女は、
どうにも得手では無い。
気が付けば、研究院に彼女が来るたび、こうして何らかの理由で彼女を傷つけては、
その翌日あたりに、レイチェルに怒鳴りこんでこられる。
……分かってはいるはずなのに、何故かいつもやってしまう。
エルンストは肩を落としながらディスプレイを見つめる。
先程検出した、アルフォンシアのデータがそこにはあった。
そして、一緒にある名前。
育成者である女王候補の名。
…アンジェリーク、と。
……なんだろう、
どうにも、気分が悪くなるのだ。
彼女がそんなに気に食わないわけでもない。
得手ではないのは確かだが、それだけだ。
ただ、
気分が悪いのだ。
この、名前を見ると。
「………ふーん、…ホント、ロザリアの言ったとうりの人みたいね」
ふいに聞こえた甲高い声。
「………な……!?」
振り向きざまに出た言葉はそれだけだった。
「…じょ……じょうおうへい…………」
そこまで言ったところで、にっこりと当てられた人差し指に言葉を止められる。
「…もぅ、こんなところでそんな大声で言ったら、見つかっちゃうじゃない」
金色の髪がひらりと揺れ、少女は静かに微笑んで見せた。
「言ったでしょ、わたしの名前は、アンジェリーク」
女王はそう言うと、得意げにまた、微笑んで見せた。
他の研究員は、今日は朝から出払っていて、それでエルンストが雑務に追われていたのだが、
こうなってみると、何が幸いするか分からない。
こんなところ、誰かに見つかったら、それこそ大騒ぎではないか。
エルンストは唖然としながら無邪気なその姿を見つめた。
…謁見の時に見た正装とは打って変わって、シンプルなワンピース姿の彼女は、
まるでごく普通の少女のようだった。
ちょこんと、手近な椅子に腰を下ろし、アンジェリークはふぅとため息を付いていた。
「まったく、…あのコはちょっと内気だけど、
とっても良いコだし、試験もとっても頑張ってるのに、あんな言い方、可哀相よ」
ぴしっと人差し指を立てながら言うその姿に、エルンストはしばし見とれ、
そしてはたと我に返る。
「あ、あのですね、そんなことよりあなたのほうが今は問題です」
机をバシッと叩きながら、エルンストは声高に言った。
「え? 何が?」
アンジェリークはさも不思議そうに言う。
その姿に、エルンストはわなわなと一瞬言葉を失う。
「……分かっておられるのですか? あなたは宇宙を担う女王陛下でして…」
「そんなこと、当たり前でしょ」
「…………」
間髪居れず答えられ、エルンストは思わず黙した。
「わ、分かっておわれるなら、どうして…」
そこまで言ったエルンストは、顔を上げた瞬間間近にあったその顔に、思わず硬直する。
「…それに、今は女王だけどね、でも、わたしもちょっと前までは、普通の女の子だったのよ」
真っ直ぐにエルンストの目を見つめ、アンジェリークは呟いた。
「あのコ達だって同じよ。 …女王候補である以前に、ただの女の子なんですから」
涼やかな微笑は、吸いこまれるように輝いて見えた。
……ただの、女の子。
その言葉に、エルンストは思わず頭が真っ白になっていた。
そう、そういえば、
今、初めて気がついた。
彼女達のことを、自分が今まで、ただ『女王候補』とだけ認識していたことに。
…それは、まるで違う生き物でも相手にしているかのような、そんな気分で。
考えた事もなかったのだ。
彼女達を、同じ人間だとも。
それは、今目の前にいるこの方や、守護聖の方に対しても、多分そう。
違うのだと、
そう決め付けていた。
「あ、これってあのコの聖獣のデータ?
へぇ凄ーい、研究員の人って、ホントいつも感心しちゃうな〜」
細かに記された資料を興味深く見ているのは、
確かに、全宇宙を担う女王であり、
そして、ひとりの好奇心旺盛な、少女であった。
「ねぇねぇ、この数字は何を意味しているの?」
にこにこと問うアンジェリークに、エルンストは静かに微笑を浮かべ、
「それはですね…」
そう答えようとした瞬間。
「あー、やっぱりこんなトコにいたのね、アンジェリーク!」
「げ……」
「げ、じゃありませんわ!」
軽装で一瞬誰かと思い、そしてその物腰にすぐに分かった。
「…いいじゃない、ちょっとした息抜きよ、ね、ロザリア」
アンジェリークが拝むように手を合わせ、ウィンクなどをしてみせ、
「……息抜きなら、きちんとしかるべき場所か、お供くらいお付けになって下さい!
あなたは女王陛下なんですのよ! まったくもぅ…」
補佐官はそんな女王の姿にやれやれとしながら、務めて強い口調で言うと、
すぐに二人はクスクスと微笑み出していた。
その姿は、本当に普通の友達同士のようで。
エルンストは、いつしかそんな姿に見とれてしまっていた。
そして、
何だろう。
ひどく胸が高鳴る。
遠い存在なのだと。
全く異なった次元にあるものなのだと。
そう思って封じていた感情が、どこからともなく押し寄せてくるようだった。
……目の前で友と微笑む、ひとりの少女の姿に、
エルンストは密かに、自らの想いを確かに受けとめていた。
…というわけで、反則シリーズ第三話でした。
なんだか、まったり続いてますが(苦笑)
女王候補にあたりのキツイエルンストって、書いていて妙に楽しかったして(苦笑)
とりあえず、あと少し、このまままったり進行予定です、このシリーズ。
なんか、天然リモージュちゃんって、書いていて案外好きになってます(笑)
なんだか、最近ちょっとアンジェ再燃気味なので、
ちまちまと短編とかも書きたいなと思う今日この頃です。