二つの、森の湖
暖かな木洩れ日に照らされながら、小さな滝は絶え間無く水音を立てる。
水しぶきにあてられ、紫色の髪がキラリと光を放った。
綺麗に整えられたその髪を無造作に掻き上げると、その女性はゆっくりと空を見上げた。
…ここに来ると、いつも思い出す。
今ではまるで、遠い昔のことのよう。
ここに良く似た場所でのこと…。
忘れられない、あの試験での日々を…。
あの頃はいつも何かにあせっていた。
彼女に負けまいと、それだけを考えていた気がする。
不思議と彼女の周りには陽だまりができる。
皆、そこへと自然に集う。
そんなさまを横目に、何度ため息をついただろうか。
でも、
彼だけは違っていた。
そんなわたくしにおかまいなしに近づいてきた。
その訳は、その時のわたくしが知るはずもなかったのだけれど。
「よぉ、お嬢ちゃん元気か?」
「あ、オスカー様!」
目の前に立つ、金の髪の少女が大げさに驚き、その名を呼ぶ。
そのうしろで、ロザリアは思わずため息をついた。
…炎の守護聖、オスカー。
どうも彼は苦手だった。
いつも公私をわきまえて守護聖様方と接している彼女にとって、彼は天敵に近い。
ところかまわず話し掛けてきては、人のことをお嬢ちゃん呼ばわりする。
平日でも平気に誘いに来ては、押しが強く断らせずに結局付き合うはめになる。
あまり接したくは無い相手なのだが、フェリシアの民はどういうわけか炎の力をよく望むので、やむなくしょっちゅう顔をあわせている。
だからこそ、こういうふうに偶然にまで出会ってしまうと、どうにも気持ちが重くなってくる。
少し上ずった声で、楽しげに話すアンジェリークを横目に、ロザリアはうなだれていた。
「……それでは、私はちょっと用がありますので、失礼しますわ」
「え? ロザリアもういっちゃうの?」
すかさず止めに入ったのは、金の髪の少女…アンジェリークだった。
少し気まずそうに向けた顔は、オスカーが隣りにいるからか、紅潮して見える。
「…ええ、あなたはごゆっくりしてらして。 では、オスカー様」
一方的におじぎをすませ、ロザリアはさっさと立ち去った。
長居は無用。
ふと後ろをうかがうと、アンジェリークはニコニコとオスカーと話している。
とどまる事は、自分にとっても不愉快だし、野暮というものだ。
…彼女の態度を見ていれば分かる。
彼女はおそらくオスカーを…。
そのことを知らぬものは、おそらく飛空都市内ではめったにいないだろう。
守護聖達のなかでも、彼女に好意を持っているものは多いい。
中には守護聖と女王候補、という枠を超えて彼女を意識しているものも少なくなさそうだ。
そんな彼女見つめる先にいる人物。
それがオスカーだった。
だが、当のオスカーは以前としてはっきりしない。
まるであしらうかのようにアンジェリークに接しているのが、ありありと分かる。
そのくせ、暇を見つけてはしつこいようにロザリアに接してくる。
ロザリアは、オスカーのそんな態度にも、内心嫌気がさしていた。
「オスカー様?」
ロザリアが去った後を見つめるオスカーに、アンジェリークが寂しげに声をかけた。
「……あ、…すまない」
バツが悪そうにオスカーは振り向いた。
そんなオスカーを見て、アンジェリークの顔にはますます影が落ちた。
…まったくどうかしている。
目の前にいる少女にこんな顔をさせるなんて…。
オスカーは思わず肩を落とす。
…近ごろの自分は、なんだかおかしい。
そう思い始めたのはごく最近だ。
…最初に会った時は、なんてことはなかった。
しっかりとしていて、すこし自信過剰ぎみな少女。
印象はそれだけだった。
だが、試験が進むに連れ、恐ろしく立派にすべてをこなす少女には驚かされた。
口だけではない実力が、彼女にはあった。
そしてまた、同じく女王候補であるライバルに向かって、手取り足取りと教える面倒見の良さにも驚いた。
完璧なる女王候補。
自負しているとうりに、彼女には寸分のすきもないかのように見えた。
しかしある日。
あれはいつだったか、ある日の曜日のこと。
庭園の木陰で陽だまりのように微笑む金の髪の少女、回りには守護聖達が集い、和やか時が流れていた
だがその片隅で、今にも消え入りそうな悲しげな瞳で、金の髪の少女とその回りに集う皆を見つめている彼女がいた。
声もかけず、その場を立ち去った彼女に気付いた者は、おそらくオスカー以外はいなかった。
考えて見れば、
試験以外の時、彼女はいつも一人でいた。
なんてことだろう。
完璧に見えた彼女に、こんな小さな弱点があったなんて。
彼女のあの時の表情を見て以来。
オスカーは、何故か彼女から目が離せなくなっていた。
「…あの…、オスカー様…?」
再びアンジェリークの声で、考えが中断される。
オスカーは調子が悪そうに、額をポリポリと掻いた。
「……すまない、…その、そろそろ失礼してもいいか、お嬢ちゃん」
「……え? ……はい」
アンジェリークが力なく言うと、オスカーは作り笑いっぽく微笑むと、その場を去って行った。
道端に残されたアンジェリークのため息が、あたりに響き渡った。
「…いつも完璧なようで、根は不器用…。
まったく、俺はつくづくこういうタイプに弱いらしいな…。
…男でも、女でも。」
スタスタと歩きながら、オスカーはぽつりと呟いた。
「あら、アンジェリーク、オスカー様は?」
「先に行っちゃった。 一緒に帰ろうロザリア」
アンジェリークは力なく微笑んだ。
そんな態度に、ロザリアはやれやれと肩を落とす。
「ねぇロザリア、そろそろ定期審査よね、育成の調子はそう?」
アンジェリークは、無理に微笑むと突然話題を変えてきた。
「……え? …そうね…、でも確か今度の審査は守護聖様方によるものよ、…いいわよねあなたはウケがいいから…」
ロザリアはため息まじりに言った。
その顔はひどく寂しげだ。
「……ちっとも、よくないよ…」
俯いているロザリアに、アンジェリークはぽつりと呟いた。
「…いくら、皆様に好かれていたって……、自分の好きな人に好きになってもらえなきゃ、意味…ないもの……。 ……ちっとも、よくなんてない…」
言いながら、アンジェリークは涙声になっていた。
…人当たりの良いアンジェリークを、うらやましく思うことはしばしばだったが。
自分の好きでない人にも好かれるの…か。
どうやら、人にはそれぞれの悩みがあるらしい。
ロザリアは何となく、アンジェリークの肩に手をかけていた。