彼女の選択
「…あれ? どうしたの〜、まだ仕事?」
アルカディアで、女王の力によって立てられた研究院にて、レイチェルの大きな声が響き渡っていた。
「ええ、まだ目を通していない資料があったものですから…」
エルンストは、物静かに言うと手元にある書類を一心不乱で読み続けていた。
レイチェルは、そんな彼の姿を見て、ふっと微笑む。
そして、いたずらっぽく手近な机に頬杖を付きつつ
「……ホント…変わってないなぁ…エルンストは…」
にっこりと呟いた。
そして、すたすたとエルンストの隣まで歩いていき、唐突にその書類を乱雑に掴むと、
「手伝ってあげるよ、…こんなの一人で見てたら、夜があけちゃうじゃん」
ウィンクすら交えつつ、レイチェルは得意顔で言った。
エルンストは、小さくため息を洩らす。
変わっていなのは、彼女のほう。
まぁ、彼女と自分では過ごした時間が違うのだから、無理はないのだが。
ふと、研究員の窓に写る自身の姿を見て、エルンストは肩を落とした。
変わっていなとは言われても、
…やはり、大分変わった。
となりに立つ彼女と交互に見ると、その差はさらに克明になる。
こうして、
彼女と自分との時間は、どんどん広がって行くのだろうか。
エルンストは、少しだけ俯き、
そして、再び書類へと目をやった。
彼女との出会いは、もう、いつだったか憶えていないほど前。
どこかの研究員だと思った。
もっともその頃、彼女には何の関心も持ってはいなかったのだけれど。
ただ、ものすごい天才少女だと、聞いてはいた。
どんなものかと、少しは興味があったが、出会ってみてそれは氷解した。
何と言うか、いつもハイテンションでおしゃべりな彼女は、エルンストとウマの合うタイプではなかったから。
そして、記憶の中でもおぼろげな時間の数年後、
その時は、突然にやってきた。
資料でしか聞いたことも無い、聖地と言う場所。
何百年に一度、あるかないかの、女王の選定試験。
そんなことに呼ばれ、断るはずもなかった。
そして、意気込んでそこへ赴くと、
以前となんら変わらぬ笑顔で、彼女は居た。
「ホラ、早くおいでよ、アルフォンシアだってアンタのこと待ってるんだよ」
「……う、うん、…あ、ちょっと待っててば…」
土の曜日、いつものように彼女は訪れる。
内気にはにかむ、もう一人の少女を連れて。
女王試験が始まって、まず知ったのは、彼女の面倒見の良さだ。
天才と唄われていた彼女とは違い、ごく普通の成績でしかなかった、一人の気弱そうな少女。
始めこそ、この二人の行く末を案じていたが、始まってみれば、ライバルであるその少女に、手取り足取り世話を焼く、レイチェルの姿が合った。
多分そんな時、
初めて、レイチェル=ハートという少女に、興味を抱いたのは。
第一印象は、天才を鼻にかけた、勝気極まりない少女。
きっと、この試験も、共に候補となったあの気弱そうな少女を平気で蹴落とすものだと思っていた。
だから、とても意外だった。
ライバルである相手に、どうしてそんなに世話を焼くのか。
「……だって、このまんま圧勝じゃ、つまんないじゃない」
ある日、彼女はそう言った。 満面の笑みで。 そして、
「それに、…あの子、なんかほっとけないのよね…」
小さく言うと、少しはにかみ、
「…アタシってさ、小さい頃からずっと、色んな場所で研究ばっかしてたじゃない。 …なんか、同い年の子とこんなに一緒にいるの、初めてなんだ」
照れながら、彼女は言った。
その顔は、共に試験を受ける、内気な少女と比べても引けを取らぬほど、繊細な少女の姿だった。
試験が進むにつれ、
ちょろちょろと研究院を訪れる彼女とは、共に居る時間が増えてきていた。
彼女の研究を手伝ったり、
関係無い話し合いをしていたり、
時には、彼女の持ちこんだお菓子をつまんでみたり、
いつのまにか、彼女と共にいる時間が、とても待ち遠しくなっていた、その頃。
ふと気付けば、彼女とライバルとの差は、ほとんど無くなっていた。
いや、それよりも…、
押されていたのだ、圧倒的に。
この調子でいけば、数日以内に、女王は決定されるだろう。
エルンストは、いてもたってもいられず、彼女を訪ねていた。
すると、彼女は、自室から笑顔で顔を出した。
何度か共に過ごしたことのある、彼女の部屋で、彼女に、それとなく聞いてみると、
「……正直驚かなかったって言えば、嘘になるかな…」
ぽつりと、彼女は呟いた。
「……でもね、ショックじゃないの、全然」
にっこりと、彼女は笑っていた。
「だって、あの子、アタシなんかより、絶対女王に向いてる、そんな気がするんだ…」
真っ直ぐな瞳で言われ、エルンストは返す言葉に詰まっていた。
絶対に女王になる、そう言ってはばからなかった彼女のその言葉は、耳にしてからもしばらくは信じられなかった。
それから、レイチェルは、ぽつりぽつりと語った。
共に、試験を受けてきた、たったひとりの親友について…。
嬉しそうでもあったが、悲しそうでもあった。
ずっと、女王確実だとそう言われてきた彼女が、
皆に、そう言って送り出された彼女が、
女王に成れなかったら、一体、彼女は今後どうなってしまうのか。
どんな顔をして、故郷に帰るのか、
あまり、考えたくはなかった。
そして、エルンストは、無意識でその言葉を口にしていた。
「……私と…、一緒に来ませんか…? …試験が終わったら、辺境の研究院に行く予定なのです。 そこならば、新宇宙の研究にも専念できますし…。 それに、私は、…これからも、あなたの一緒に居たい…」
その言葉に、レイチェルはにこっと微笑んだ。
その笑顔に、エルンストが瞳を向けると、
ふいにレイチェルは俯き、
いつのまにか、膝にぽつぽつと雫をこぼした。
「…ったく、いっつもグズなんだから……」
小さな声で、呟いていた。
「ゴメン…、あたしね、もう決めてるんだ…」
顔を上げ、呟いた。
「あたし、新宇宙に行きたいの。 …あの子と、あの子の宇宙を、ずっと見守ってたい…」
エルンストの瞳を真っ直ぐと見据え、レイチェルは言った。
「それにさ、女王補佐官ってのも、縁の下の力持ちって感じで、ちょっとカッコ良くない?」
にっこりと、言った。
そして、再び、レイチェルは俯いた。
エルンストが、思わずその肩に手を置くと、
レイチェルはそのままエルンストにしがみつくようにして、しばらくじっとしていた。
「大好きだった…、ずっと、ずっと前から…」
搾り出すように、レイチェルは呟いていた。
その後、試験は終わり、
レイチェルは、補佐官として新宇宙へと旅立ち、
エルンストは、それを笑顔で見送った。
それからほどなく、
皇帝の侵略により、新宇宙の女王と共に旅に出て、
補佐官を務める彼女の近況を伺い、少しばかり安堵した。
旅が終わり、女王と別れ、
結局、彼女と会うことは叶わず、
そして、それから、3年。
一口で言うには、少しばかり長すぎる時が、流れて行った。
研究院に在籍していると、自然と彼女の噂を耳にする機会は多々ある。
そのたび、封じ込めた想いに胸をはせ…、
その日は、唐突に訪れたのだった。
「ねぇ、エルンスト、この資料はこっちでいいの?」
となりで、得意顔で資料を見るレイチェルの声に、エルンストはふいに我に帰った。
「どうしたの、ぼーっとして? らしくないよ〜」
レイチェルは、そんなエルンストを茶化し、そしてまた資料へと目をやった。
その顔は真剣そのものだった。
そう、
折角訪れた再開の日。
だが、それは、あまりに重大な事態との遭遇でもある。
女王補佐官、そして、研究員、その役目を持つ者として、しなければならないことは山ほどある。
思えば、再開してから、彼女と二人きりになったことも、今が初めてだ。
エルンストは、何気なくため息を洩らしていた。
多分、彼自身も洩らした息が自分のものとは気づいてはいないくらい、かすかに。
正直、戸惑っていたのだ。
職務が面倒だと感じたのも、こんな事態に遭遇してしまったことが、幸運に思えてしまうことも。
3年の間、封じていたつもりだった想いが息づいていたことを、強く感じる。
そしてまた、ひとつのため息が漏れた。
しばらく、上の空で書類を見ていると、
「よしっ! 終わり終わり!」
ふいに、レイチェルがそう叫んで、パタパタと書類を閉じ始めた。
「レイチェル?」
エルンストが思わず呟くと、レイチェルはにっこりと振り向いて、
「今日はもうやめよう。 大体そんな顔してやってちゃ、はかどるものもはかどらないって」
人差し指をびしっと向けて、得意顔で言った。
「しかし…、まだ片付けなければならないことが…」
エルンストがおろおろと言うと、レイチェルは溜まりかねたようにずんずんと彼の側に歩み寄り、
「無理したって、良いことないよ。 それより今日はぱーっと休んで、明日続きをやろう、一緒にさ」
ウィンクをしながら、レイチェルは言った。
そして、ふと俯き、エルンストの手を取ると、
そのまま、少しだけ黙り込んで、
「エルンスト…、ちょっとだけ変わったね…、…手のシワ、増えてる」
ぽつりと、呟いた。
「そうだよね、……3年かぁ……」
顔を上げながら呟いた顔は、しかしにっこりと微笑んでいた。
「ホント言うとね、結構後悔もしたんだよ…、新宇宙に行った後。
でも、やっぱ、自分で決めたことだし…、めげてもいられなかった」
ぽつりぽつりと呟くと、
レイチェルはふいにエルンストの肩にしがみついていた。
その体はひどく震えていて、エルンストは思わずレイチェルの肩を掴む、
すると、レイチェルはふっと息を吐き、
「……ちょっとだけ、…泣いてもいい…かな…」
「………ええ…」
レイチェルのか細い声に、エルンストは反射的に答えていた。
しばらくの間、押し殺すような泣き声が、研究院に響き渡っていた。
離れていた、二つの時間。
きっと、彼女の中にも様々な葛藤があったようで、
でも、
彼女はとても気丈だから…、
表に出せない想いは、とても募りやすいものだから。
エルンストは、レイチェルを腕に抱きしめながら思っていた。
流れていた時間は違えど、
想いは、同じだったようだと。
そして、これからまた訪れるであろう、別々の時間でも、
きっと、ずっと、彼女を想っていくのだろう、と。
彼女はきっと、
自分がいくつ年を重ねたあとも、空の彼方の見果てぬ宇宙にて、
やはり自分のことを想っていてくれるのだろう、と。
なぜだろう、
それなら、それで、
それも、悪くないな、と思ってしまう。
だって、それが、彼女の選んだ道なのだから。
だから、それが、一番正しいのだろうと、そう思えてしまうのだった。
「ねぇ、エルンスト、
今度さ、一緒に広場に行ってみない? あそこ、面白い店がいっぱいあるのよ」
日暮れから随分とたった頃、
別れ際にレイチェルは呟いた。
「……忙しい…かな?」
バツが悪そうに言うレイチェルに、エルンストは クスリと微笑む。
「いえ、…いいですね、是非ご一緒しましょう」
そう答えたエルンストの顔を、レイチェルは驚いたような、しかしとても嬉しそうな笑顔で見つめた。
そんな彼女の笑顔が、とても愛しくて、エルンストはもう一度微笑んでいた。
いつか、確実に訪れる別れの時、
その前に、
この、夢の時間を、今は彼女と過ごしていよう。
遠い星空に、エルンストは少しだけ想いをはせていた。
……と、いうわけで、
キリ番23456をゲットされた、たすく様のリクエストによる、エルンスト×レイチェルでした。
……なんか、ほぼエルンストのモノローグだぞ、というのは置いておいて…(爆)
でも、補佐官ってある意味女王より、他のメンバーとの接点ないような気がして、遠距離恋愛はハードすぎる立場な気がしてしまいました。
それでも、やはり女王補佐官なレイチェルが好きなもので、レイチェルは密かに恋心を持ちつつも、アンジェの前では笑顔でいる、なんてけなげな設定に妄想がつっぱしってしまったわけです(苦笑)
難儀な設定にしたせいで、ちょっと甘々度が下がってしまった上、どうにもまとまりの無い話になってしまいましたが、
たすく様、どうぞもらってやってくださると嬉しいですm(_ _)m