その日は、朝からとても天気が良かった。
聖地で好天は、まぁいつものことと言ってしまえばお終いなのだけど。
それでも、ここまで雲ひとつ無い晴天というのは、多少は珍しいもので、
アンジェリークは窓を見上げてにっこりと深呼吸をしていた。

「え？　レイチェル、今日はどこにも行かないの？　…折角こんなにお天気なのに〜」
寮の食堂で向かい合い、朝食のパンをかじりつきながら、アンジェリークは目をまるくしてもう一人の女王候補に尋ねていた。
レイチェルはそんなお気楽極まる姿にげんなりと肩を落とし、紅茶を一杯すすると、
「…あのねぇ、あたし達はここに遊びに来てるワケじゃないのよ、…分かってるのそこんとこ！」
面倒くさそうに呟くと、静かに紅茶を飲み干していた。
アンジェリークはそんな対応に小さく頬を膨らませる。

…確かに、遊んでいる場合じゃないことは、分かっているつもりだし、
アンジェリークだって、自習くらいたまにはしている。
だけど、

折角の日の曜日。
折角のお天気。

今日だけは、なんだか部屋にいてはもったいない気がしたのだ。
だから友人である彼女を誘ってみたのに。
……ま、彼女のそんな態度は、いつもの事といえば、いつものこと、なのだけど。

「じゃ、…あなたも少しは勉強くらいしたら」
手早く朝食を済ませて、悪気ゼロの笑顔で呟いて立ち去るレイチェルに、アンジェリークは思わず微笑みを返しつつ手を振り、
そのままその手を頬に当てる。
頬杖をつきながら考える事はひとつ。


…誰を誘いにいこうか、と。













「……ん〜…、ホントにいい天気〜」
庭園の広場で、伸びをしながらアンジェリークは呟いた。
キラキラ眩しい日差しにあてられ、やっぱりここに来て良かったと実感していた。

…結局、誰を誘うおうか悩んでいる間にここまでついてしまっていた。
まぁたまには、ひとりでお散歩という休日も悪くはないかなと、アンジェリークはそんな事を考え、歩みを進めていた。

あたりを見まわすと、自分を同じ考えの人は多いらしく、公園はいつも以上ににぎわっていた。
暇つぶしに顔出ししようと思っていた露店も、大盛況でごったがえしていて、来る度話し相手になってくれる商人さんは大忙しの様子だった。
周囲を見渡して見ても、時々見かける場所に知り合いの姿は無い。
アンジェリークはそんな様子にため息をひとつもらすと、
なんとはなしに、人込みから離れた方向へと向かっていた。

小道を入って少し行くと、小さなベンチがひとつ。
木漏れ日に照らされてそよ風も心地良い。
そこはちょっとした隠れスポットという感じで、
アンジェリークは小さな発見に思わず笑顔を浮かべていた。
すると、その時。

「……誰だ？」
唐突に聞こえた、聞き覚えのある声に、アンジェリークは思わず硬直していた。
目の前に歩み寄ってきた、およそこの場にそぐわぬ姿。
「く……クラヴィス…様？？」
アンジェリークは、あまりに意外な人物の登場に、思わずわなわなとその名を呼んでいた。

「……どうしたのだ…？　このような所で…」
…それはこっちのセリフです。
アンジェリークは喉まで出かかったその言葉を静かに飲み込んでいた。
「…く、クラヴィス様こそ、珍しいですね、昼間の庭園にお出かけされるなんて…」
なんとなく早口で、アンジェリークは言った。

…別に、嫌悪しているわけでも無いのだが、
アンジェリークにとってクラヴィスは、多少苦手な人種に位置している。
何がという理由はないのだが、なんだか波長が合わない気がするのだ。
いつも暗い部屋で静かに過ごす彼と、では。

だけど。
こんなにも日差しがまぶしい日に、わざわざ外になど出てくるのだな、と、
アンジェリークは思わず面食らっていた。

「そんなに珍しいか…？　昼間出歩く私は」
何故かいたずらっぽく呟く姿に、アンジェリークはますます顔にハテナマークを浮かべる。
そんなアンジェリークの姿に、クラヴィスはひとつ息を洩らすと、
「…時々、ここへは来る…。　喧騒さえなければ、ここは嫌いな場所ではないからな…」
静かにそう呟いて見せた。
その言葉に、アンジェリークは目をぱちくりとさせると、ふと我に返る。

考えてみた事も無かった。
あの、闇の守護聖ともあろう人が、
こんな昼の日中の公園を、…好んでいたなんて。
そんな驚きと一緒に、アンジェリークのなかにあった、クラヴィスへのわだかまりのようなものが音を立てて崩れる。
もしかしたら、もしかしたらだけど、
自分が知らないだけで、思いこんでいただけで、
この人には、もっともっといろんな側面があるのではないかと、
なんだかアンジェリークは嬉しくなってきていた。

そして、怪訝そうな顔のクラヴィスに満面の笑顔を見せると、
「じゃあ、クラヴィス様、今日は私と…お散歩でもしませんか？」
にっこりとアンジェリークは手を差し出して言った。









…私は、何をしているのだろう、と
ひたすらににこやかに歩く少女の横で、クラヴィスは一人考え込んでしまっていた。
「あ、クラヴィス様、あんな所に花が咲いてますよー」
静かな小道をただ歩いているだけなのに、
道行く全てに、そういちいちとはしゃぎながら、アンジェリークはクラヴィスに微笑みかけていた。
まったくもって、解せない。
それがクラヴィスの正直な感想だった。

「…お前は、…一体何をしに、ここへやって来たのだ？」
しばし時間が過ぎたあと、クラヴィスが思いあぐねたように尋ねると、
「え？　だから、お散歩ですよ」
何の迷いもなく答えられ、クラヴィスは言葉を失う。
そして、そのままアンジェリークは笑顔で、
「じゃあ、クラヴィス様は、何をしにいらっしゃったんですか？」
尋ね返され、クラヴィスははっとする。

…特に、用事もなく、
ただ、何かから逃げるように宮殿を出て、
あの木陰のベンチで時をやり過ごす。
それはクラヴィスにとって良くある行動ではあるのだが、
……何をしていたのかと聞かれれば…。
答えなど無いではないか。

「……別に、…お前と同じだ」
クラヴィスはため息混じりにそう答えて見せた。
「へぇ…」
アンジェリークは嬉しそうに笑みを強める。
「やっぱりクラヴィス様も、こんなお天気の日は外に出ようかな、なんて思ったりするんですか？」
にこにこという少女の姿にはっとする。
そして、クラヴィスはふと空を見上げた。

木漏れ日が、眩いまでの日差しを静かに落としている。
その時、クラヴィスは初めて気がついていた。
…天気など気にしたことも、
空を見上げた事も、
一体、どのくらいぶりのことなのだろうか、と。


「もったいないですもんね、こんなに気持ちい良い日に、外の空気を吸わないなんて」
にっこりと言いながら伸びをする少女を見つめ、
クラヴィスは、少しだけ遠い目をしていた。



……いつかのあの日。
それはやはり、こんな木漏れ日の中だった気がする。
葉の隙間から照らされた光を、眩いまで受けていた、
金糸の髪のきらめきがやけに鮮明に胸をよぎる。


…久しぶりだった、こんな、気持ちは。






「クラヴィス様？」
呼ばれた名に、クラヴィスは思わずはっとして、我に返ると、
目の前で揺れていたのは、きらめく金色ではなく、
甘やかな、栗色の髪。

それは、なんとも鮮やかに時の流れを感じさせるものだった。

「なんでもない…、アンジェリーク…」
きょとんとしたアンジェリークに、クラヴィスは静かに呟いていた。
静かに胸のうちで、その名を噛み締める。
一体、自分は何度、この名を呼ぶ事になるのだろうと、
気がつくと、クラヴィスは微笑を浮かべていた。



「そこの小道を真っ直ぐ行くとよい」
唐突にクラヴィスに言われ、アンジェリークは思わず目をぱちくりとさせると、
「……散歩を、するのだろう？」
見た事もないニヤリとした表情を浮かべた姿に、アンジェリークは再び面食らうと、
すぐににっこりと微笑を浮かべ、「はい」と元気良く答えていた。




「へぇ、あの道って、湖とつながっていたんですね〜」
「先日、戯れに発見したのだ」
ゆっくりと腰を下ろすクラヴィスを見下ろし、アンジェリークは微笑浮かべた。
似合わないと思っていたのが、嘘のよう。
緑溢れる光景と、静かな森の囁き、そして、やわらかい木漏れ日。
その中で、クラヴィスの姿はこの上ないほどに自然だ。
…そう、
いつものあの暗い執務室の中よりも、それはずっとはまっている光景に思える。

今日、ここに来なければ分からなかったこと。
やっぱり、今日は外に出てきて良かったと、アンジェリークは心から思っていた。
にこにことクラヴィスを見つめ、そんな姿に慣れたようにクラヴィスはため息を洩らす。

調子は狂うけれど、決して嫌な感じは無い。
いや、それよりもむしろ…。
そこまで考えてクラヴィスは静かにもうひとつため息を付いていた。





「ねぇ、クラヴィス様」
「…なんだ」
「次の日の曜日も、また、一緒にお散歩しません？」
満面の笑顔で誘われ、クラヴィスは思わず面食らう。


にこにこ顔のアンジェリークを前に、
クラヴィスの思考には断る理由がまるで浮かばなかった。