目覚めてみると…
トントン…。
軽やかなノック音が響くと、ディアーナは静かに扉に駆け寄った。
「姫、おられますか?」
その声には、聞き覚えがあった。
でも……、ディアーナはこくりと首をかしげる。
こんなに低い声だったか…?
いぶかしげな顔をしながらディアーナは扉を開けると。
「し……シルフィス…ですの?」
目をぱちくりさせながら、ディアーナは言った。
「…一体どうしたんだ?」
奥の部屋からキールもひょいと顔を出していた。
キールとディアーナがこの家に暮らし始めて、まだそう日数は経っていなかった。
姫と若い魔師の婚約、それは結構世間を騒がせたものの、当人達はさほど気にしてはいないようだった。
そもそも、こうなるまでには、二人の想いが通じ、それから丸一年かかった。
今や一国の宮廷魔道師候補とまでなった彼を、分不相応だと言う者も、ほとんど居ない。
そうして、二人はマイペースに、市街から外れた一角にこうして暮らしているわけだが…。
「へぇ、とうとうこの日が来たってわけだ。 …どうだ分化した感想は? 後でゆっくり教えろよ」
興味津々で尋ねてくるキールにげんなりしながら、ディアーナに促され、シルフィスは手近な椅子に腰掛けた。
「…それで、メイには言いましたの? きっとびっくりしますわよ〜、何せ、こーんなにかっこいいんですもの♪」
はしゃぎながら言うディアーナに、シルフィスは心底困った顔をしていた。
そう、それが問題なのだ。
メイと出会ってから、もう一年以上。
異世界から来た彼女は、今だに、この国から帰る術を持たず、しかしだからと言って、さほど慌てた風でもなく、今もマイペースに、研究員で暮らしている。 …実のところ、今では結構名の通った魔道師である。
そして、そんな彼女に、シルフィスが好意を寄せていたことは、ある程度近しい者なら、誰もが知るところであった。
そう、当のメイ本人を除いては。
「…どうしましたの、シルフィス…?」
ディアーナは心配そうにシルフィスを覗き込んだ。
良く見ると、顔立ちなども心無しがっしりとして、伸びた身長もあいまって、見るからに男らしい姿になっていた。
「……はは〜ん。 まだ言ってないな、お前」
ぎくり、とシルフィスは身を震わせた。
なんとも分かりやすい。
「まぁ、そうでしたの…。 で、でも、メイならきっと喜んでくれますわよ、ね」
ディアーナは笑顔でシルフィスの肩を叩いた。
「しかし…」
シルフィスは、ようやく口を開いた。
「…メイには、まだ、…その、…私の気持ちすら、伝えていないのに……、いきなりこんな…」
そこまで言って、シルフィスはまた口篭もった。
「なるほどな」
キールは、ふむふむと頷いていた。
「…お前、メイ以外にそんなに親しい女は居なかったしなぁ…。 男になったとあっちゃ、告白したも同じだ」
ずばっと痛いところつかれ、シルフィスはますます黙ってしまった。
そうなのだ。
メイのことは、ずっと前から好きだった。
それを恋と呼ぶ感情だと気付いたのも、ずっと前。
だが…、打ち明けられなかった。
…だって、彼女は異世界の人だから。 いずれ、帰るのだと、分かっているのだから。
彼女は、とても優しいから、困らせたくは無かった。
自分のせいで、故郷を捨てさせたくは無かった。
だから、…ずっと、胸に秘めていようと、
そうすれば、きっと忘れられると。
そして、彼女を笑いながら見送ろうと。
…しかし、いく年月が流れても、彼女は一向に帰る術を持たず、ここにこうしているのだ。
そして、会う度、想いはつのるばかり。
そうこうとしていたら…、
今朝、突然だ。
目覚めたら、男になっていた。
「…でも、隠しとおせることでも、ありませんわよね…」
「まぁな、見たら一発で分かる」
だんまりと考え込むシルフィスに、ディアーナのキールの二人は、身も蓋も無く呟いていた。
「…とりあえず、少し、時間が欲しいんです」
ぽつりと、シルフィスは言った。
「少し、ここに居てもいいですか?」
必死の眼差しに、二人は顔を見合わせた。
王都から離れているせいか、引っ越したばかりなので皆気を使っているのか、引っ越し祝い以降、この家にはそうそう客人はいない。
騎士団やら、王宮やら、広場やら、森やら、王都はほとんどがメイのテリトリーだし。
隠れる場所はここくらいかもしれない。
少し考え込んだ後、ディアーナはにっこりと微笑んだ。
「どうぞ、好きなだけ居てくださいな」
「…ま、仕方無いだろう」
二人の変わらぬ笑顔が、シルフィスにはとても心地よかった。
「ふぅ……」
窓の外を見つめながらも、ため息ばかりが零れ落ちる。
何となく添えた手は、いつもと違って、妙にごつごつしている。
なんだか、自分のものでは無いようだ。
どうしてこんなことになってしまったのか…。
自分の心は、何一つ変わってはいない。
でも、体だけが、こうも変わり果ててしまった。
シルフィスは、窓を見つめたまま、また、ため息を付いた。
「やっぱり、…言うしかないな…」
シルフィスはぽつりと呟く。
俯いたその顔は、泣き顔のようにも見えた。
できれば、…告白するなら、きちんとしたかった。
でも、さっき言われたとおり、一目瞭然。
…なんだか間抜けだな…。
シルフィスは虚ろに微笑みを浮かべた。
その時である。
「よぉ!」
「うわぁ!?」
窓の外に唐突に現れたその姿に、シルフィスは思わず大声を上げた。
その声に、奥の部屋に居た、ディアーナも駆け付けてきた。
「…ガゼル…、どうしてこんな所に…?」
わなわなとしながら言うシルフィスに、おかまいなしにガゼルは窓からひょいと入ってきた。
「…お前が行きそうなところ、しらみつぶしに見て回ったんだよ。 …まいったぜ、いきなり行方不明だもんな〜」
言いながら、何故かガッツポーズを決めている。
そして、ポーズを決めつつ、ふとガゼルは硬直した。
「シルフィス、お前…」
シルフィスは思わず顔をそらした。 そうだった。 今の自分は…。
「…すっげ〜、かっこいーじゃん!」
いきなりはしゃぎだして、肩を掴まれ振り回され、シルフィスはあっけにとられた。
「ちょ、ちょっとガゼル…」
揺さぶられながら、シルフィスはガゼルを否める。
「これで俺達、正真正銘ライバルだなっ! …くぅ〜燃えてきたぜ〜」
ガゼルは、ひとしきりシルフィスを揺さぶった後、また、ガッツポーズを決めていた。
「……で、メイには話したのか?」
きょとんと呟くガゼルに、シルフィスは思わず肩を落とした。
話は、また振り出しに戻っていた。
「なんだよ、だらしねーな」
「そうは言いましても、シルフィスにとっては深刻な問題ですわ」
事情を聞いて、一笑するガゼルに、ディアーナは静かに言った。
キールは、先ほどから学会やらで出かけてしまったらしい。
「でも…、お前が居なくなって、メイの奴心配してたぜ」
ガゼルの言葉に、シルフィスは胸の奥に痛みを感じた。
そう、一番肝心なことだ。
彼女が、今どう思っているのか…。
心配をかけてしまっているのは分かってはいたが、こうきっぱりと聞いてしまうと、やはりこたえる。
「すまない…でも、…もう少し、少しだけでいいから、…黙っていて欲しいんだ…、頼む」
シルフィスの必死な瞳に、ガゼルは渋々頷いた。
「……ん、分かった」
ガゼルはぽつりと返す。
「じゃ、俺もう行くよ。 あんまり稽古抜けてると、どやされちまう。 …あ、お前は寝こんでるって事になってるからな」
にっこりと言うと、ガゼルはドタバタと駆けて行ってしまった。
なんというか、…とてもありがたかった。 ガゼルが友人で良かったと、シルフィスは心底思った。
やはり、こんなところでうじうじとして、周りに迷惑や心配をかけどうしではいけない。
シルフィスは静かに息を吐いてみた。
まだ、気持ちの整理はつかない。
でも、
こうしていても、きっとずっと、整理なんてつきっこ無い。
そう思ってまた、空を見上げると、
そこはもう、藍色に染まり始めていた。
「ただいま〜」
玄関のほうで、キールの声が聞こえた。
魔道研究学会とやらは、もう終わったらしい。 …となるとメイも、もう帰宅しているのだろうか。
シルフィスは覚悟を決めて、玄関のほうに歩み寄った。
「あら、どうしましたの?」
ふいに、ディアーナに尋ねられ、シルフィスは静かに微笑んだ。
「あの…、お世話になりました」
呟くと、玄関に居たキールが入ってきた。
「もう、気はすんだのか?」
「……はい。」
「そうか」
シルフィスの顔をみて、キールは口の橋を歪める。
「シルフィス! やぁ〜と見つけたっ!!」
「……げっ…」
キールのすぐ後ろのほうからいきなり響いた甲高い声に、最初に反応したのは、キールだった。
「メイ…」
しばらくぼぅっとした後、ディアーナは思わずその名を呼んでいた。
「ったく、…朝っぱらから、なにいきなし行方不明なんかになってるかなぁ〜、っとにも〜」
言いながら、メイはずかずかと上がりこんでくる。
「ガゼルに聞いても、な〜んかはぐらかされちゃってさ、どーなんてるってのよ、一体」
ずんずんと詰め寄られて、シルフィスは思わずたじろぐ。
「学会でキールに会ってピンときたのよ、あいつなんかそわそわしてたし、あたしと目合わせなかったしね」
得意げに、メイは微笑んだ。
その顔に、キールはやれやれと肩を付いた。 伊達に一年以上付き合ってない。
「帰るわよ、シルフィスっ」
言いながら、メイはシルフィスの腕を掴んで引っ張った。
「あ、ちょ、ちょっとメイ…」
引きずられながら、シルフィスは思わず声を上げる。
「も〜、何よ、心配ばっかさせてっ!」
同時に振り向いた彼女の顔には、…うっすらと、涙の後が見て取れた。
「メイ…?」
シルフィスは、思わず呟いた。
その声に、メイぴたりと立ち止まる。
そして、俯いたまま、足元にはぽつぽつと雫が落ちた。
「嫌なのよ…、知ってる人と、いきなり会えなくなっちゃうの…、もう、嫌なの」
涙声で呟きながら、メイはシルフィスにしがみついていた。
突然、故郷から引き離されたメイの、
それが、初めてみる、弱さだった。
「…すみませんでした」
シルフィスは、メイを抱きしめながら、静かに呟いた。
…自分の、勝手な心の葛藤のせいで、彼女を、最も嫌な目にあわせてしまった。
それが悔やまれた。
キールとディアーナは、そんな二人を静かに見つめていた。
薄闇の中、街路灯のぼんやりとした光に照らされる道シルフィスとメイは歩いていた。
そして、シルフィスはふと、立ち止まる。
「……あ、あの……」
想いは溢れているのに、言葉はこうもままならない。
「ん…?」
メイは、いつもと変わらずきょとんと振り向いた。
向かい合ったまま、しばらく時間が経った。
…一目瞭然なのは分かっている。
でも、やっぱり、
自分の口から言いたかった。
「……その…、驚きませんでした? いきなり、こんなになっちゃって…」
メイの顔すら見れぬまま、シルフィスは言った。
「え…? 何が?」
メイはまだきょとんとしている。
「何って…、私…その、…分化して……」
しどろもどろに言うシルフィスに、メイはますますきょとんとして、シルフィスに歩み寄った。
「あっ! そういえば男になってるね〜」
…へぇ〜といった感じにため息を付きながら、今気付いたかのように、メイはしげしげとシルフィスを見た。
そして、
「…で? それがどうかしたの?」
想いきり自然に言いのけるメイに、シルフィスは思わず言葉を失っていた。
「何になったって、シルフィスはシルフィスじゃない。 …あ、そーか、でも男だと、騎士にはなやすいかもね〜、かっこいーじゃん、金髪のナイト!」
メイは何やら脱線した方向に盛り上がっていた。
何一つ変わらぬその態度。
シルフィスは思わず拍子抜けして、
それから少しはにかんだ。
そうだった。
自分は、彼女のこんなところが、好きなのだった。
にっこりと微笑みながら、二人はまた、夜道を歩いて行った。
金の髪の騎士と、異世界出身の魔道師が結婚したという噂が、クラインに流れたのは、それから、またさらに後のことになる。